川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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川瀬大樹

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川瀬大樹

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    Works 305
  • イメージを感謝し合う

    自身が情報の発信元になってる
    情報源を一次的情報発信と呼ぶ。
    それが他者に伝わり2次的3次的4次的発信となり
    シェアの連鎖、つまりイメージの共有.共感が生まれゆく。
    ネットは発信する側と受け取る側があり、どちらにも成りうるが、
    情報を発信する事で、ネット上で自身の存在が認識され
    そこから情報としての価値が付随されゆく。

    一次的情報発信として解き放たれた情報は
    シェアやコピー、口コミなどを通じて、外側へと向かい拡散されゆく。
    情報の出元である一次的情報発信源は
    たとえそれが二次や三次に拡散されても、明確に分かるのだ。
    つま共有の拡張により波間へと広がりを帯びた情報の出元は
    再び一次的情報源へと還元されゆくのだ。
    最近の例えで言えば、僕がフェイスブックやフェイスブックページで
    掛け時計のクジラ時計を一次的情報発信によりリリースした。
    そこから二次的な共有が、掛け時計原画を
    購入された人の元からシェアという形となり拡散されていった。
    つまり、掛け時計原画を購入いただいた方が
    僕の情報源となってるデザイン掛け時計の情報を
    シェアしていただいた事により、その方の
    ファイスブック友達に、二次的情報発信となり
    イメージが共有される事となった。
    その事によって、僕の把握してない方達にも掛け時計を共感していただき、
    僕と言う作家を知るきっかけ作りにも一役担う形となった。

    つまりシェアとは感動や感謝を共有するという行為なんだと思うんだ。
    シェアした方も、して貰った方も互いが
    喜びを分かち合いながら価値を共有出来る。
    このシェアによる口コミが自身の活動フィールドをさらに
    大きな器へと引き上げてくれ、認知度や支持率を
    向上される方向へと向かっていってくれるんだなぁ。

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  • 上司と部下の関係性

    会社の上司と部下って切っても
    切り離せない関係性にあるじゃない?
    上司と馬が合わなく普段の会社勤めで、
    しんどい、限界だと言ってられる作家と
    何人か話をして、これには僕も大いに共感するんだ。

    企業や会社の仕事っていうのは組織で働くわけで。
    言ってみればチームワーク、連帯なわけよ^^
    一つのプロジェクト、つまり一つの掲げた目標に向けて
    一丸となり、同じ船に乗って舵取りしながら
    目的地へと向かってゆくのが、組織ぐるみでのお仕事なわけ^^
    上司が、例えば自身と波長が合わない人とか
    この人とは仲良くなれない..苦手だって人に
    当たっちゃうケースって多々あると思うんだ。
    これは凄惨でいて悲惨な状態だと思いますねぇ。
    言ってみれば仲の良い恋人や夫婦とは真逆な立ち位置に
    居座る、腐れ縁な関係性を
    そこで強制的に余儀なくされちゃうわけで。
    お仕事って、いわば一日の大半を組織ぐるみでの
    職場で共に過ごすわけでしょ?^^
    これが苦手で生理的に合わない人と
    隣り合わせなポジションで
    成立しちゃってたら、それは悲劇でいて惨劇なわけ..「笑」
    だってさ、苦手で嫌いな人と一日の大半を過ごすわけでしょ?
    しかもそれが歯車のかみ合わない上司だとしたら、もう最悪で災厄なわけよ^^
    朝行くと居るし、毎日怒られ&どやされ、次の日も
    その次の日も、また次の日もデスクの近くに居るわけ^^
    そんでたまに出張で居なくて、ほっとしてても、また次の日帰ってきて、
    怒られ&しょくぼくれ、休日もその事で頭一杯で、日曜日の夜は
    サザエさん症候群なっちゃうわけよ^^
    週明け、満員電車に揺らり揺られながら、上司の不機嫌そうな顔が
    浮かび上がりながら朝からテンション低くなるわけで..笑
    学校とかなら、一年すればクラス替えあったり、嫌いな人と
    ある程度の距離取れるけど会社だと、無理なわけじゃん^^
    だってプロジェクトにて進む目標が同じなわけだから。

    http://ameblo.jp/sanou-kei/entry-11505165837.html
    まぁ、そんな、こんなで苦手な人に対し壁を作ってる人って
    結構居るけど、強く念じたからと言って、解決の糸口すら掴めませんよね^^
    最近、スピリチュアル、潜在意識のメルマガをいろいろ取って読んだり
    ブログを様々な角度で見たりして、
    「気付き」って大事なんだよなぁって、すごく思って。
    上のアドレスの金山さんの記事は
    面白いネタのがいくつかあって、読んでて
    なるほどなぁ..と納得する事が多々あったの紹介しておきます。
    最近読んだ中で特に印象残ったのは、
    自分を理解してもらうには、まずは他人を理解する事だ..みたいな
    フレーズが、しっくり来て。

    例えば嫌いな人だとか苦手な人が目の前に居たとするでしょ。
    当然自分は壁をニョキニョキって高く、膨らませて作りますよね。
    それは相手も同じで、その反応見て相手も壁を
    ニョキニョキ作っちゃうわけよ^^
    だから、こちらから作った障壁をニョキニョキっとまずは
    とっぱらった状態で相手へと歩み寄り、話しかけてみる。
    すると相手も高く聳えた壁をニョキニョキと低くしてくれて、
    意外と話が、そこで通じたりする^^
    相手を理解するには、まずは自分から壁を取り外して歩みよってみる事。
    それを読んで、なんか腑に落ちたと言うか、
    少し気持ちが楽になり、呼吸がしやすくなったんだよね〜。

    マインドブロックを解除してゆきながら
    正しき方向へとベクトルを日々修正してゆこうと思ったねぇ。

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  • 芸術家マインド

    アルバイトやパートなどのお仕事は、時間給が何年働こうが
    固定されてるわけで。サラリーマンも昇級はあるものの、
    それぞれの階級により支払われる賃金は固定されているのだ。
    アルバイトだと特に例えにすると分かりやすいので、
    今日の例え話しとして使う事にするが、例えば時給900円。
    この賃金は時間を売る事で支払われる。つまり自分の時間を
    1時間売る事で、それに等価した固定額で900円が支払われる。
    これ以上でもこれ以下でも無い能力の差異とは、
    全く関係の無いシステムとしてのお金が
    給料としてメカニカルに振り込まれる。
    働いた分だけお金が一定額、即金で支払われる魅力はあるが、
    これだと、何処まで進んでも時間を犠牲に
    固定された賃金をオートマティクな形で
    支払って貰ってる感覚からは抜け出せない様に思う。

    では芸術家のマインドとは何なのか?
    一重に言い表すと、それは企業家マインドとして
    言い表す事が出来ると思うんだ。
    つまり能力の差異により、れっきとした差を生み出す事が
    出来るのが最大の魅力であり醍醐味でもあると思うんだ。
    サラリーマン視点の人が企業家マインドの人を見ると
    固定されたシステムで賃金が支払われてないから理不尽に
    思われるかもしれないが、それはむしろ逆だと感じていて。
    それぞれの能力や背丈に見合って支払われる
    価値の大小が差異となり決められる企業家マインドの方が
    よっぽど人間らしくて健全な印象を受けるのだ。
    要するに機械的な作業とは
    180度違ったベクトルで勝負していて。
    会社にお金が支払われた差額から
    給料を支払って貰うサラリーマンと
    価値を見出した人が、その人から
    直接、能力に対しての価値をいただく
    芸術家の企業マインドとを比較すれば、その差は一目瞭然だと思うんだ。

    作家の世界は面白い、実に面白く張り合いがある。
    僕の中で面白い例があってさ。それを交えて話そうと思う。
    こんな事を書いてる自身も
    しがないアルバイトやパートなどの
    契約社員をしながら生活の延長線上で絵を描いているので、
    雇われ固定額のマインドが、染みついてて。
    それを、気付きにより、少しずつ解除かけながら、
    企業家マインドへと物事の見つめ方を変革している最中なんだ。
    昨年、クリマでダンボールむきだしの葉書サイズを額にも入れず、
    背面もダンボールのスタンドこしらえてブースへと設置していたのだ。
    他の葉書サイズは、ピッチリと点を打ち込み
    フォルムのラインを整えた、いつものスタイルのジラフ。
    値段も3000円〜3200円くらいに設定。
    ダンボールの方は、額装しない分、
    値段は2500円と少し低めにだけ、設定したんだ。
    他の葉書サイズと値段の差に開きを出して
    価格の違和感を出さないため2500円にしたのだが。

    従来のスタイルの3000円の作品に
    費やした時間は3時間、4時間と
    値段相応か、むしろ安いくらいだと思っていて。
    ダンボールの方は一筆で描きながら形を切り崩す
    伸びやかなる形を持ち味に仕上げているので、かかってる時間は30分弱程度。
    本来、時間に換算した価値で考えたら、釣り合ってはいないですよね。
    アルバイトマインドの捉え方だとそうなってしまう。

    けれど、買い手にとっては、それが4時間かかってようが、
    30分で仕立てようが、どうでもいいわけよ^^
    作品そのものに価値の差異を見出しているのであって、
    その絵に費やした時間は全然関係ないですよね(笑)
    クリマの終盤で売れたのは、4時間費やしたジラフより
    30分でサラリと描いたジラフがお客さんに売れちゃったわけよ^^
    その買ってくれた人にとっては、4時間3200円の絵よりも
    30分2500円の葉書サイズの方が、絵としての
    価値があると判断してくれたわけ^^
    その時は、僕もアルバイトマインドに脳が毒されちゃってたから、
    お客さんに変な返し方しちゃってね..。
    「板にピッチリ描いてる方が絵として安定感ありますよぉ..」
    みたいな事いっちゃったから、
    お客さんも「売りものじゃないんですか?」っと、
    困惑しながら言ってくださって「笑」

    絵の価値って、時間給じゃないんだよなぁ。
    言い換えれば能力給であり腕の磨きが全ての世界。
    ここが僕の魅入られる所でもあるんだよね。
    30分と短い時間だろうが、良い作品は良いと価値を見出され選出されるわけだし。
    逆に描き始めた頃に、粘りに粘って、その作品が仮に1か月の歳月を
    要したとしても、腕が伴っていなければ一銭の価値にも変換されないわけで(笑)

    アートの世界は自身の船を豪華客船にも、泥舟にも
    どちらにでも成りうるんだ。腕に磨きをかけ、精進した者が
    栄光の美酒に酔いしれる事の出来る世界なんだろうね。

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  • 本日よりオリジナル掛け時計発売です^^

    http://www.artamira.jp/pickup/taiki_kawase
    ついに..、いよいよ..、アルタミラより
    ジラフやホエールなどの掛け時計が、
    無事発売される事と相成りました^^
    自分に取って魅力的で
    所有感を感化される事をモットーに掲げながら
    デザインさせていただきました。
    自分で言うのもなんですが、かなり納得のゆく
    デザイン画へと昇華させる事が出来たかと思っております。

    自分自身がまずは、手を伸ばして欲しくなる、
    購買意欲をかりたてる事の出来るデザイン画。
    そんなイメージが出来上がった時に
    初めて買い手の心を掴み取る事が可能な
    商品へと仕立てあげれるんじゃないかなぁ〜と思いました。
    さてさて、これから市場に出てゆく事で自身の手掛けた
    デザイン画がどう言った反響や、影響を及ぼす事が出来るのか、
    すごく楽しみであります^^

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  • 過程と結果

    クリエイターが、個展やアートフェスなどで
    絵図を飾ってる風景って、あくまで結果としての風景であって。
    表舞台に立つまでに費やした膨大な時間や
    途方も無い労力や投資などから
    繰り出された、技の極みっていうのがあると思うんだ。
    表舞台だけでは決して見えてないプロセス、
    つまり過程の部分を真に理解しているからこそ、
    おのずと結果がついてくるんだよね。

    アーティストとして成功を納めている
    表面上だけの結果しか見てないので、
    あの作家は楽して売れてる..とか
    センスが自分とは違う..って、
    的外れな勘違いを巻き起こしてしまうんだよね。
    つまり消費者マインドで物事を見ているから
    結果が当然出せないし出ない。
    例えば教材を買ったとしよう。
    この教材はどんな価値を与えてくれるんだろう..って、
    受動的なお客さん目線が消費者マインドなわけ。
    そうじゃなくて、この教材から
    何を自身はそこから学び取り、
    そこから何を得ようとしているのかって言う
    能動的な姿勢が投資マインドなわけで。

    例えばまずい飯屋があったとするじゃない^^
    食べた後で損したって思うでしょう?
    それが消費者マインドなわけで。
    例え、味がまずくてお金払うに
    値しない価値の料理だったとしても、
    その店から何を学び
    何を教訓とし得ながら感じ考えたのかって言う
    投資マインドな視点で物事を捉えてゆけば、
    損をしたとか腹を立てなくても良いわけであって。

    結果はあくまで氷山の一角であってさ、
    その地表に浮き出てる氷の下には
    何十倍にも及ぶ巨大な氷が息を潜めていると
    捉える事が出来れば、見え方が全然変わってくるわけであって。
    目先の結果に束縛されるんじゃなくて、
    それを成し得るために必要な
    プロセスを能動的に向き合いながら気付きを脳に与え、
    何をそこから学び得てゆくのかを随時吟味しながら
    考えゆく事が必要ではないだろうか。

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  • ドラード春のコンペティション2位に選ばれました^^

    ドラードギャラリーで今日まで開催中の
    春のアートコンペティション。
    その人気投票で
    ホエール南国紀行が2位に選ばれました、嬉しい〜^^
    投票くださいましたみなさま、本当にありがとうございました!!

    ジラフに次ぐ即戦力としてホエールを描き出してから、
    4月でいよいよ半年なろうとしております^^
    東京のコンペで、試しがてら、エントリーしてみたら、
    中間報告から3位をキープしていて、
    本日投票が終わり、なんと2位にホエール南国紀行が
    まさか、まさかで選ばれちゃいまして..「笑」
    全く実績の無かった0地点から着実に爪痕を残せた
    大きな一歩となり、すごく自信と励みなった感じなんです、感涙..。
    自信の裏付けって、結果だとか成果なんかが裏打ちされる事で
    確かなる自信へと様変わりするわけでありまして。
    根拠の持てる自信が出来たから、次なる目標に向けて前進させ、
    あらたなる結果がまたそこから生まれ、
    再度自信へと繋がる。結局はこれの繰り返し.反復なんですよね。

    ジラフに次ぐ即戦力としてホエールを
    長い時間手塩掛けながら、
    これからじっくり育んでゆこうと思います^^

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  • アートなピラミッド階層によるライバル

    最近、思ったのは、何もアートの世界だけが
    作家総数多いわけじゃないよなぁ..って考えて、そんで反省してさぁ。
    世界人口総数が現在70億を超えて71億くらいまで
    到達したらしくて。これだけ地球に人が住んでれば、
    どんな分野にも、一部を除いては
    大体は、それぞれの人口総数って必然的に多くなってくるよね^^
    それが料理だろうが雑貨屋だろうが芸術や音楽などなど、
    ジャンルを上げれば、きりが無いんだけど、総数自体
    何処も競争率激しいんだよね〜。
    作家の世界はたださぁ、作家総数に対して
    走らせるマーケットの規模が極端に小さいってだけで。

    最近ネットビジネスで特に羽田さんのトーク集が
    もー、めっちゃくちゃ面白くて、最近虱潰しに見てるんだけど、
    一見胡散臭い印象なんだけど、
    一本の筋道がきっちり通ってて、
    そう言う人のトークって説得力あるんだよね^^
    まぁ、それはさておき、そこから影響受けたレクチャーを
    今日は書き記す事にしようと思う。

    例えば一区切りで分かりやすいから1000人作家が
    アートフェスで屋台構えていたとするよね。
    1000人と競争相手を一括りして考えたら至極大変だけど、
    実際はそうでは無いんだよね。
    断層的にピラミッド階層なってて、これはアートに限らず
    どの職種も、そこの部分は同じなんだよね。
    1000人軒を連ねていたとしても、
    目を魅入る作家数ってのは大体40人くらいまで絞り込まれるわけ。
    つまり960人と40人とは、住む世界が、からっきし違うから
    そこから立ち現われてくる風景も見え方が異なるんだよね。
    960人の屋台ってのは、例えが少し悪いかもしれないけど
    行ってみればチェーン店舗なわけで。
    全国各地何処に行っても在ってさ、
    味に大した違いなんかほとんど無いわけでしょう?
    つまりこの960店舗が競い合ってるのは
    960店舗によるドングリの背比べ。
    つまりミリ単位の背の高い低いで競いあってるわけ。
    来訪する客も、960人それぞれの差異が、
    明確に差別化出来る形で指示されて無いから、
    どのお店で見ようか買おうかをすごく迷うわけ^^
    んで、そこでの明暗分かつ差ってのが、
    鑑賞者のその時々のコンディションや気分なんだよね。
    今日はアッサリした味がお腹に合いそうとか、
    本日はコッテリした味覚を堪能したい気分なんだ..みたいな、
    その日の気分で決まっちゃうわけ。

    残りの40店舗ってのは、それらとは一線を画していてて、
    他店との差異が明確なる差として、それぞれの店舗の
    持ち味として如実ななる形でブースカラーとして反映されてて^^
    鑑賞する側も迷わずに、それぞれに見合ったお店を
    遠目から、すぐさま発見出来るわけよ^^
    960店舗より階層が上な40店舗ってのは
    960店舗をライバル、つまり競い合う相手として認識しなくて良いわけで。
    だって入ってる土俵がある意味違うわけだから。
    40店舗がライバルとしなければならないのは、
    自身以外の残り39店舗。
    ライバルもとして鍔迫り合いするのが39店舗と考えたら
    せいぜい学校で言う所の1クラス程度じゃない。
    しかもそれぞれの持ち味が色濃く分かれているから
    お客もそれぞれに見合ったブースへとシェアし合って
    分散出来るから競い合って打ち負かすなんて言う
    次元の低い方程式から外れる事も出来るわけでさ^^
    それぞれが、ガッツリ鑑賞者を招き入れ、
    黒字経営を着実なる形で挙げながら
    ゆとり持って長いスタンスでお店を持続出来るんだ。
    僕自身、本音言うと1000ブース内40枠に
    実は入れていて、その辺りの確信が揺るぎ無き自身へと繋がり
    着実なる実績へと繋がったんだと強く思っている。
    デザフェスが2900ブースであっても
    ライバルなんて所詮120程度で、しかもそれは
    それぞれの持ち味を分散する形で
    競い会う領域からシェアする聖域へとシフトしてゆけるんだな。

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  • 新たなるモチーフを契約更新^^

    物画をローテーション組んで、自由自在に描き分けながら
    メジャー街道まで昇りつめてる作家さんを心底羨ましく思う。
    けれど自身は同じような方法論で
    効率よく要領噛んで、器用にやりくり出来ないのは
    自身の性質や気質と照らし合わせた上で
    重々理解したつもりだ。
    自身も動物画を看板に長くアピールしながら、
    かもめ食堂を営んできたが、
    赤字経営が続き、店の看板が傾き、
    埃を被ってる様な状態へと成り果てたのだ。
    高い出展料だけ垂れ流しに払い続けて
    投資→リターンの関係性と成る土台ベースを作る事が出来なかった。
    これが2003年〜2010年くらいまで
    延々と続いて、30歳を目前に
    リーサルウェポンなる秘儀を編み出し
    シーンへと一直線に放り投げかけた所、
    それが面白いくらい成功への階段を
    駆け上がる契機となったわけで。


    置かれている環境や状況だとか、
    自身が垣間見えてくる風景もワールドワイドな
    大きい視点へと切り替わっていった様に思う。
    そんで、ようやく足場が安定して
    3年目をめでたく迎えれたわけで^^
    けれど、いつまでもジラフ一本を即戦力として描くのに、
    僕自身、欲求不満が発生してきてさ。
    つまり当初、御旗に掲げた動物画家へと、これから
    長い時間培いながら、じっくり煮込んでゆきながら
    再スタートさせてゆこうと考えていて^^

    これまでの反省点や欠点などを重々踏まえた上で
    再度動物画を御旗に掲げてゆき、
    アートシーンへと着実なる形で定着させるための
    自身のまどろっこしくて、一見非効率にも
    思える方法論を今日は書き記す事にしようと思う。

    ジラフモチーフを主軸モチーフに構えて
    2年目に差し掛かった昨年2012年10月辺り、
    ある出来事をトリガーにしてホエールを描く事となった。
    始めは半信半疑、つまり自身がホエールを描いた所で
    周りは反応や興味を示してくれるのか?と言う疑問が
    脳裏を強くよぎった。
    けれど、この題材に関しては5月までは
    何がなんでも使命感を頑に持続させながら
    任務を遂行しなければゆけないと固く決心していた。
    始めて少しして気づいたのが、題材を与えられた事がきっかけで
    意外にも自身とホエールとの相性が良くて
    エンジョイしながら描き続ける事が出来てね。
    枚数をこなしてゆく過程で
    フォルムの出方やレパートリーのふり幅なんかが
    大きく据え広がってゆき、
    クオリティーが着実に進化していくのを感覚として実感出来た。
    その時、思ったのは僕は、いろんな題材に
    広く手を伸ばすよりかは、一つの画題を、愚直なくらい
    煮詰めながら突き詰めてゆくベクトルの方が
    作品の質をしっかりと目に見える形で
    高めてゆけるんだろうなぁと感じたんだ。

    ホエールは一つのゴールである5月を
    過ぎても継続して描き続けてゆくだろう。
    ジラフに並ぶ即戦力へと成りうるモチーフとして
    契約を結びながら、新たなる1本の題材へと
    根堀り葉堀り、深々と掘り下げてゆくつもりなんだ。

    そこから1段落した先に、ジラフ、ホエールに次ぐ
    第三のモチーフへとバトンを継承してゆきたいんだ。
    膨大で途方も無い時間を費やす事になるだろうけど、
    1つの題材を年単位で1つずつ増やしてゆく事で
    いずれは動物画家として
    即戦力となるアニマルを4つ5つ6つと
    1つずつ着実に増幅させゆくビジョンへと舵取り開始したんだ。

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  • キリンモチーフを看板メニューとして

    結論言っちゃうと動物画で長年売り込んできて
    見違えるほどの成果って..あげれなかったわけですよ^^
    8年間頑なに、愚直に制作打ち込んできたにも関わらず..。
    要するに数ある屑星の一つとしてしか、鑑賞者には
    認識されてなかった事に、ようやく気付いた8年目の2010年。
    んで、何度もリピートになるんだけど
    看板モチーフとしてキリンへと焦点絞って、展開していったら、
    見違えるほどの成果を上げれたわけで^^
    もうなんか心境としては少し複雑でしたけど、
    ある意味そこで悟ったんだよね(笑)

    僕の場合メインな武器となりうるジラフを主軸に
    的を絞って専門アピールする事で、ようやく多店舗との
    差異をそこで見出たわけで^^
    だってさ、29歳の時、冬のクリマに参加して、
    今だから言えるんだけど凄惨たる結果に終わったわけさ。
    キリンモチーフを主軸にまだ構えてなくて、
    いろんな動物をローテーション組んで展開して見せてたわけ。
    1400ブースあるクリマで
    売れたのはエコバックとポスカ10枚ちょいくらいやったかなぁ..。
    2日間でのトータル販売数は3000円ちょいくらい「笑」

    それが2012年春のクリマではキリンモチーフを主軸看板として
    掲げながら展開したら、あれよあれよと小原画が
    飛ぶように売れちゃって、
    50000円近くまで売り上げが伸びたってわけさ「笑」

    前回のクリマと検証して分かったのが、
    単に鑑賞者の好みでは無くて、質による高低の問題なんだよね。

    動物画を展開するかジラフを展開して
    マーケットに放り込むかの、歴然とした大差が
    一つの揺るぎ無き事実として垣間見えてきたんだなぁ。

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  • 二人称ありきで

    嫁や旦那、子供であるとか家族や恋人など。
    芸術家をやっていて一人称を決め込もうが
    周囲に寄り添う人々との関わり合いによる関係性は
    最後の一日まで付きまとうものであって。
    家に収入を年に何十万入れる事を条件に
    旦那から容認してもらい絵を続けている作家さんや
    就職を条件に画業を並行する事で、
    今後恋人として付き合うか付き合わないかの
    決断を余儀なくされる画家さんなど、数多く見てきた。
    一人称で好きな時、好きな風に活き、自由に金銭を
    1人で気の向くままにやりくりしてゆく自由ってのは、
    制約が自身にのみへと降りかかる訳で気楽な面は多々あるのだ。
    けれど独り身でずっと天涯孤独に独身者を貫き通すほど
    僕は強い人間でもなくて、恋人と二人称で人生を
    彩りたいと強く思い、そこから絵が急激に変わり出した。

    昔は絵を描く事が自身の全てであり生きる価値そのものだと
    強く感じていたが、年齢が30才になり
    絵を描く事が自身の持つ価値の
    全てでは無いよなぁ..と思えてから絵を描く事に対しての
    切羽詰まった気持ちが大幅に和らぎ、絵の持ち味や
    方向性なんかも、軸がきっちりと定まってきたんだ。
    2人称である事から視野が
    ワイドに展望され広げられる二人称、つまり
    パートナーありきで得られる1人ではあり得なかった
    価値観の共有であったり、化学反応から混ざり合い膨らむ巨大なパワー。
    僕がここ一二年で二人称から
    得たエネルギーは計り知れないくらい影響力が膨大なのだ。

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