川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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川瀬大樹

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川瀬大樹

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    Works 305
  • 一つの定められしルール

    最近、絵のテーマ設定を設けた公募展に
    エントリーする機会が増えてきた。
    以前はテーマを前もって
    設けられる事に抵抗あったが
    今はむしろ逆でテーマが絞り込まれている方が、
    手応え感じられる作品描ける事を
    実感として噛みしめられて。

    以前のブログで書いた新しき世界を垣間見せる、
    つまり表情におけるフェイス変化は、
    このテーマ設定を一つ設ける話と繋がってくるのだ。

    ドラードでブラックホワイトと題した展示会のために
    描き下した白と黒のみで構成された作品。
    それは制約と誓約におけるルール作りを持った上で
    作り上げる事により、今までとは一味違った世界を
    立ち表わせる事が出来たと、前にも述べたと思う。

    一つの絶対的な定められしルールを
    サッカーに置き換えると
    手を使ってはならないと言うのが
    サッカーにおいて揺らぐ事の無い鉄板ルールなわけで。
    その事が実はすごく良いんだと思う。
    手を使ってプレイ出来ないからこそ、
    あれだけレパートリー豊かで多機能に富んだ足技が
    数多く生み出しながらクリエイトされたんだと思う。

    つまり制約と誓約ね^^

    そして今回、サーカスを題した展示会の作品に取り掛かり、
    ようやく完成するに至ったのだが、
    こちらも自身の予想をワンランク越える
    イメージを制約と誓約により手に入れる事が出来たと思う。
    サーカス画集の出版を前提に参加者を募った公募展で
    1人1ページフルカラーになった絵図を画集に掲載してくれる、
    かなり画一的で面白い公募展なわけで。
    出版記念と題して描きあげた作品を集めた
    グループ展も開催されるみたいで、
    正に2度美味しく味を窘める魅惑の公募展なわけで。
    これにも絶対的なルールが、たった一つだけ存在していて。
    サーカスを題した絵を表現する。それ以外は
    現実でも空想でも自由なのだが、
    このサーカスと言う制約と誓約が、
    今回も火事場の底力を存分発動してくれた様に思った。

    サーカスをテーマにして、すぐに浮かんだ図像が
    上記の画像作品でして。頭に浮かんだ時、
    すごく面白くて何としても形にしたいと思った反面、
    仕上げるの、すごく大変そうだろうなぁ..と
    言う覚悟の気持ちも同時にあった。
    これから山を一つ越える様な感覚やね。
    ジラフの胴の上に子ジラフが乗っかってて、その上に
    さらに小さな子ジラフが..。このイメージは今まで
    絵に描き表した事の無い、ワンランク上にある図像であって..。
    構図を整えるのに
    すごく手こずりながら足掻きに足掻いたが
    それを乗り越えた先に、ご褒美が用意されていて。

    やはり完成させた時の喜びは想像以上に大きかった。
    それは何故かと解答すると、
    この一枚を完成させる事で
    出来ないを出来る事柄に変化させれたからなんだ。
    つまり僕の言うフェイスによる表情を変化させるとは
    出来ないを出来るに変化させる事で枠の中から
    枠の外へと飛び越えてゆく事であって。
    描く前は、胴体の上に一頭子ジラフ乗せるのが
    キャパ容量としての限界だったのが
    2頭乗せるイメージに挑戦しながら描き出す事により、
    新しき世界が立ち上ってきたのだ。

    これも一つのルール設定から焦点を絞り出す事で
    構築できた賜物の様に思った。

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  • 画家のユニフォーム☆

    プレイしているから野球選手であって。
    サッカー選手も
    グラウンドでサッカーをしているから
    サッカープレイヤーなわけで。
    漫画家は漫画を描いてるから漫画家なわけで、
    映画監督は映画を撮影し続けているから映画監督なわけ。
    つまりその職業を続けているから、
    その職業としての価値が在るわけで、
    ユニフォームを脱いで引退すれば
    それは、元野球選手であったり、元映画監督であり
    過去のプレイヤーとして認識される事となる。

    もちろん、現役の時に培ってきた能力を
    他に生かす事は出来るけど、現役のプレイヤーで
    フィールドに居続けない限りは
    サッカー選手や野球選手では居られないわけで。
    サッカーのアナウンサーとか野球監督に転職すれば
    それは選手ではなく監督でありアナウンサーとなるわけで。

    画家の世界でも同じ事が言えて
    作家活動や創作活動をしなくなったのに
    画家と名乗ったり作家の看板を掲げても
    誰からも認知されないし認められないわけやね^^
    つまり画家で居続けるためには、描き続ける事自体が
    画家としての存在価値であり、
    そこが作家として他者から認知される
    唯一の接合点であると思う。
    常に作品をピカソやゴッホの如く日々あくなき探究心掲げながら
    クリエイトし続けてゆきたく思う。
    「昔は毎日絵を描いてて、過去にいろいろと活動してきた」などと
    過去の栄光に縋り付いて、昔の栄えある物語を
    武勇伝みたく語る様になれば、それは絵師としての死を
    意味していて、何もそこから生まれないし、
    そこからはクリエイトする事など出来ないのだ。

    大切なのは現在の完成系を常に産みだし続けながら
    日々作家活動を継続更新し続けてゆく事こそが求められてくるのだ。

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  • アートなマラソンリレー

    作家活動を毎年、継続更新しながら
    続けていて、ふと思う事がある。
    作家活動はマラソンと感覚が近いよなぁと、つくずく思う。
    始めたばかりの一年目で一気に
    頭角を現したかと思えば
    2年目3年目でペースが失速してしまい
    作家活動を断念するモノがいれば逆もまたしかり。
    長きに渡り粘り強く作家活動続けてゆく過程で
    ようやく芽が出てきたモノも多いと思う。

    毎年、いろんな理由で作家活動を断念する者が続出して、
    それと同時に新しきニューフェイスが毎年軒を連ねるのだ。
    入れ替わり立ち代わりを繰り返しながら
    新たに出来た友が居れば、過ぎ去りし友もまた同時に存在する。

    移り変わりの激しき激動なる2013年、自分以上に
    周りの変化が変わる中、転換期を迎えつつあるなぁ。

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  • 遊牧なるままに

    フリーランスは言ってみれば、
    いわば遊牧民なる民であって。
    フリーランスな画家である自身は
    拠点を据えつつもありとあらゆる場所へと資源を追い求め、
    様々な土地や地域へと赴いている。
    そこでしか出来ない条件交換を
    随時クリアーし続ける事にこそ大いなる価値が宿ると思っていて。
    逆に一つの箇所に依存する事を極端に嫌う傾向がある。

    それは何故かと言えば、
    スペースを提供する側に
    場所の最終的な決定権が委ねられてるので
    提供される側にとって
    一つの場へと留まる事は、身動きが取りずらく
    自由が利かなくなってくる事を
    経験により得た知識から知っているからなのだ。
    つまりスペースを提供する側が
    ルールや条件を改変すれば、
    提供を受けるこちら側は
    そのルールに従った上で
    展開してゆかなければゆけなくなってくる。
    場を取り仕切りながら支配する側に
    最終的な決定権を
    握られている状態に依存などせず、
    その場でのルールが変更されれば
    いつでも辞めて他の場へと移れる柔軟性が時に必要で大事だと思う。

    例えばデザフェスが次回から抽選制になるわけ^^
    これまで先着順だった


    長きに渡るルールが主催者側、
    つまり場を取り仕切る側によって
    変えられちゃったわけ笑
    平等に出場できる事をお題目として掲げていたけど、
    平等の意味を履き違えているわけよ笑
    だって、デザフェスを生活の収入源としながら
    出場しているタイプの作家と、学芸祭の軽いノリで
    発表している絵描きとでは、
    そもそも出場する意味合いが違ってくるわけ^^
    それを踏まえた上で抽選による
    平等が真に正か否か、
    冷静に考えてみれば分かりますよね^^
    アルバイトの時間給による
    金銭平等とある意味、一緒なわけで。
    一時間汗水垂らして荷物を100個降ろして頑張ってる人物と、
    手を抜いて40個、適当に降ろして仕事しているタイプでも
    時間給に換算すれば一律850円とか均一で平等なわけ^^
    これが平等と言う概念として
    一般的に捉えられているのであれば
    これほど空しく切ない事柄は他にありませんよね「笑」

    真に平等を図りたいのであれば
    時間給で成果をシステマティックかつ
    安直に算段するのではなく、
    それぞれの能力の差異により
    支払われる金銭が違ってくる能力給の概念で
    平等という視点を捉えてみれば良いと思う。
    さすればデザフェスの
    安易で浅はかなシステム改定には至らなかったはずだしね〜。
    まぁ、こう言った形で、ルールが改変してしまった時、
    すぐ様、別のルートを瞬時に捻出できるのが、
    フリーランスとしての身軽さでいて
    自由をレバレッジとして
    ふんだんに効かす事出来るので、次なる場所へと
    遊牧移動する事にしようと思う。

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  • フェイスによる表情変化

    フェイス、つまりは、立ち表わせる表情を随時変えゆく。
    創作活動や作家活動において、
    この事柄がすごく重要だと思っていて。
    システムの完成が、そこからの腐食を指し示すのに対して、
    常にフェイスを自在に変えゆく事で
    鮮度を維持しながら
    新しき世界を常に垣間見せる事が可能であるんだ。

    フェイスを変えるとは、フェイスを操作する事である。
    まずは発表の場ありきの作家活動に
    フォーカスさせながら、フェイスについて論じてみたいと思う。

    同じ空間で展示すると言うのは、そこでの固定ファンとの
    繋がりを保つために大事だと思うし、
    自身と相性の良い拠点を構えるのは良い事だと思う。
    ただし、そこにのみ焦点を構えて
    居座り続けているだけでは
    発展性を望めないし、新たなる扉を切り開き
    開拓させる事は出来ない。
    その場所のみだと
    寄り集まってくるフェイス、つまり顔ぶれが
    同じになってくるからだ。

    同じ顔ぶれからの脱却を試みるためには
    フェイスによる表情を変化させなければならない。
    展示場所を移動させる事により場所によるフェイス、
    つまり表情がガラリと変化してきて、
    新しき出会いや新しき顔ぶれと接点結ぶ機会へと恵まれるのだ。

    フェイスを変える=アプローチの仕方を変えてみる事だと思う。

    自宅で制作する創作活動においても
    このフェイスにおけるマインドチェンジが重要なるキーを担ってくる。
    例えばジラフ。このモチーフをメインモチーフとして
    展開し始めて3年目へと突入する。
    すごい数の頭数を描いているので、
    提示するイメージが被ってくる事があって。
    この場合、全く一緒にはならないにしても、
    以前立ち現われたイメージとパターンが被るので
    自分としても、予想を超える達成感が生まれない。
    よって、当然、鑑賞する側も
    大きな反応を指し示してくれる事は無いのだ。
    なので、フェイスを意識しながら変える事が重要なってくる。
    表情による変化を試みる事で
    新しき世界を提示すれば、予想以上のイメージを
    手にする事が出来るし、見る側が指し示してくれる反応も、
    かなり大きいし手応えを感じる事が出来る。
    最近ではモノクロオンリーで描いたジラフが
    いわゆるフェイスを大きく変化するに辺ると思う。
    普段試みた事の無いモノクロームのみでの
    色面分割を導入させ、描き表す事で
    新らしき地平線が目の前へと展開されていった。
    デザフェスでの反応も一番良くて
    フェイスの変化による賜物だと思っていて。

    ホエールを初めて展開した時の反響もすごかった..。
    それまでジラフを主軸に描いていた僕が
    ホエールを初めて描いて提示したので、
    普段の画風とは一味違った絵図を
    新らしき見せ方として提示する事が出来たのだ。
    ここでも反応の度合が突出して良くて
    普段見慣れているフェイスによるジラフの表情とは
    一変させた表情を垣間見せた事により
    フェイスによる変化が新しきフロンティアへと誘ってくれたのだ。
    ジラフに続く新たなる強力な
    武器を自身が手に出来た瞬間でもあった。

    フェイスによる変化を試み、
    新たなる航路へと向かいながら
    変化を楽しみ絵図をクリエイトさせてゆきたく思う。

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  • 未完成な進行形

    完成された思想や作品は
    現時点での完成系だと思っていて。
    それは未完であるとも捉える事が出来ると思う。
    つまり作品は永遠に完全なる形で完成する事が無くて。

    現時点で自身が思い描いた
    イメージをその都度その都度、
    随時更新させてゆく事を繰り返してゆく。
    そして現段階での解答を
    表現する形で繋ぎとめながら、
    現在見えてる世界観や,
    物事に対してのイメージを提案しているにすぎなくて。
    前回のブログでも書いた様に
    表現や思想というのは、
    絶対など在り得なくて、
    永遠に連なりし未完なわけで。
    未完である事象を随時更新してゆく事で
    発展途上で進行形の世界が
    新陳代謝による提示となり、表出してくるのだ。
    現時点でこう見える、現段階では、この様に思いこう感じる、という事を
    瞬間瞬時において立ち表わしてゆきながら、
    現在進行形である世界観を発案してゆくのだ。
    完全なる完成という事柄は硬直を意味して、そこをピークに
    衰退してゆくから、常に未完成の新しき世界を
    角度や切り口変えながら垣間見せてゆきたく思う。

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  • 購入者に得をしてもらうマインド

    これまで数多くの原画作品が
    手元から離れながら嫁いでいった。
    僕の作品を手元に所有している人に対しての最大限のサービスは
    自身の能力を高めてゆく事にあると考えていて。
    それにより付加価値がついて、損をする事はなく、
    むしろ手元から離れていった作品全てが
    得をするという概念へと回収されゆく。
    その事について今日は書き記そうと思う。

    自身の能力は一昨年より去年、
    去年より今年の方が
    右肩上がりで良くなってきており、それが
    成果へとダイレクトで直結しながら結びついている。
    出来ない事が少しずつ無くなり出来る事が少しずつ増えていった。
    僕の能力向上や腕磨きとは、つまりこの2つに辺ると考えていて。
    現代アートとは生きた作家が
    タイムリーで作り上げたモノであるから
    購入後の活躍もブログやFBなどを通じて
    実況中継する事が出来るので、
    その都度活躍する姿を見せてゆける。
    それこそがお互い得を得る事へと繋がると思うんだ。
    手元にある作品を手掛けた製作者が5年先10年先、
    今居る場所よりも、遥かにより良い条件下で
    躍動的に活躍していれば、
    それだけ絵の付加価値が跳ね上がるし、
    何より無名な時に購入した作家が
    名を上げれば所有してくれてる方達は
    心底嬉しく思ってくれるだろうから。
    要するに購入していただいた後も、活動を続け
    常に新しい世界を見せてゆく事が
    大事であり必要であると思っていて。

    無名時代の、評価もレッテルも貼られてない時代に
    自分の目利きで絵を買っていただいた方に対して、
    恩返ししてゆきたいと僕は思うし、
    そのために手元から離れたすべての作品や
    それを手にした全ての人が
    得をする様な在り方を提示したく思っている。
    僕は一生涯かけて、画業を邁進しながら、
    その都度その都度
    自身の今居る立ち位置から現在出来る表現力で自身の
    完成される事のない新しい世界観や可能性を
    発表してゆければと思っている。

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  • 未完の絵図

    システムは完成を遂げた瞬間から老朽化の道を辿りゆく。
    方程式が分かってしまえば
    その完成した方程式をひたすら
    ルーティン繰り返してゆくだけだから、
    目新しさが次第に無くなってきて、
    作る側も見る側も飽きてくる。
    つまりその場所から人が移動し、離れてゆく。

    意識と時間は
    常に興味ある場所へと積極的に
    寄り集まってきて、移動を繰り返しながら
    別の興味ある場所へと向かいゆく。
    いかに自身の作りしモノづくりに対して
    意識と時間を割いてもらえるかだと思うし、
    その割合が大きくなればなるほど、
    そのモノや人に対しての価値基準が高くなってくるのだ。
    現在進行形のモノ作りを常に心掛けながら
    紡ぎ上げし思想や価値観を新たに更新させゆく。

    これの繰り返しが完成させる事を防ぎ、
    常に未完成の状態で次なる一手へと取りかかれる。
    一年前の自分の方が
    現在よりも優れていて腕があるなど..
    あまりに悲しく切ないではないか。
    一年前の手仕事が、荒くて未熟に見えてくるのは
    それだけ腕に磨きがかかった状態なってるわけで、
    自身の成長を確信的に理解する事出来る。

    現在の自身が最も脂身の乗った本マグロでありたいし、
    常に右肩上がりを意識しながら
    旅路を先へと突き進めてゆきたく思う。

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  • 沸点からの行動を

    行動する契機として与えられるきっかけ。
    それが人の言動だったり、何かを見て影響されたりとか。
    その時の瞬間.瞬間が最も沸点率高くて。
    時間が経てば経つほど熱は冷めてくるので、
    熱が冷めない内に行動へと点火しなくてはゆけない。
    何故なら行動には賞味期限が付いていて
    時間が経てば経つほど行動へと移すための熱は
    冷めてくるので次第に行動へと移しずらくなってきて、
    やがては行動したい事柄そのモノに興味がなくなってきてしまう。

    思考は現実化する。そのためには行動を。行動するためには
    熱の熱いうちに行動へと移すだな。さてさて。
    次なる一手を練り始めるとしよう。

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  • 灰色ワールド

    正しき正義というのはあくまで主観であり
    悪い行いというのも主観の域にあり、
    そこに置かれたストーリーや文脈、立場などにより変化してゆくモノである。
    つまり白黒はっきりと言うよりかは
    グレージーンという領域がこの世界を覆い尽くしていて。
    ある人にとっての正義は
    対極に位置する人物にとっては悪であるし、その逆もしかり。

    戦争が最も分かりやすい例かな。
    それぞれ自国の旗の下の元に
    自国の正義を掲げながら戦っているわけで。
    国と国における戦争において
    自国からすれば他国は悪であり
    倒すべき敵であると認識される。
    倒すためには殺人という普段の平和な世界では
    非人道的で忌まわしき行為も真逆の価値感で容認される。
    むしろ敵国に居る
    より多くの兵士を倒せば倒した分だけ
    階級が上がり自国から称えられ
    昇進出来るシステムとなっている。
    恋人や家族を守る大義名分の名の元、
    そこに付随されながら正義が設定されゆく。
    我々の住んでいる世界は、白と黒が混ざり合った
    いわばグレーゾーンに位置していて、
    どちらにも状況や立場によって成りうるし、
    自身も生まれる国や地域によって、
    全く違った価値観や物事の捉え方をしていたんだろうなぁ。

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