揶白 (KF)

絵画

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  • 新しい毎日

    悲しみの奥に人が見えた。それは自分だ、もう一人の自分と思い、コロナ禍で会えぬ今のここから、砕きようが始まる。

     

     

    すかさずメモる。こんなごたごたの中で君と自分が何を残したいかを、心の中を整頓する。

    そんでも、なるだけ忠実に意思や自分を世界で描こうとする抵抗力は自分を認める手になるからだ。何を残したいか考えると言った時に「意見」が、ハリモグラから生まれる。

     

     

     

    メモ

     

    「溺れてみたいな

     

     

    好き、だということ。

    ある日を慎ましくする為

     

    生活と宇宙のはざまでそれがどちらもある心、だということ

     

    やりきれない今は、ふと思い出す自分だということ

     

    多面性を見る自分は、これを自我と言い、(あなたは、私は)哲学者である

     

    この軽く言って解釈は、自分以上になりたい!とする中で抑制作用となる。ある筈のない客観性と戯れる迷妄から空気を吐く。気を逸らす。

     

    消化しきれない自分が、この自分自身がこの世に生きているという印、あなたの不在という「存在」を表す言葉として、会う希望がある心を鎮静する」

     

    私のスピードの仕組みとは、

     

    メモる中で、嘘をスクラッチして誠を磨くのである。

     

    知るを人が来るまで留まってても良い人と、めちゃくちゃ知りたい人とがいる。おなごは、気を逸らすことの構造などを客観視を考える。

     

     

     

    大事なのは、ディスタンスを埋める為に、君に向かう為に整える時間を取り、夢見る君から逸し間逃れている。特にこの愛慾に欠けた泥の中で、足でを付けるのは孤独だと言うこと。

     

     

     

     

     

    ムーの悲しみを忘れる人の態度は正しかった

     

    解釈も上手くなったけど、生身である自分を思い出す

     

    許せない苦しさにシフト(許すことがないから上に行く人もいる、許せないと思う気持ちは非常に苦しいが、この正気が大事である。)

     

    ムーがいる、もう一人じゃないんだから「ちゃんと怒る」。その先で、この怒りが、ムーがかゆみとなるのを単に気持ち良いと理解出来る。

     

    人は人に憤るべきだ。得体の知れない奴。普通に社会に見守られて生きている中で何か悪いことして、アリバイにたいして必死に

     

    もとから仏の顔など盗んで生まれている。天に自由さがある、と見る人々。

     

    模倣して学習しようとする人のそれをムー視点でパクリだと理解してしまった

     

     

    悲しいと思うことは事実だった、もっと自分にとって響きある「カナシミ」は、他にあるし、今の人が輝いて見えるのは日常の中で勉学をし、融通を思い、その可笑しさ笑いを知り、日常の中で教養をはかり、確かに磨いて来た花であり、これらの痕跡が花として身になっている。ムーが関連しない。

     

    ムーがいなくなっても、億年先の未来にムーってこんなんだとは伝わると思う。

     

     

    何も手探りであるが、ただの良くない犯罪者が、「ムー(Mu)」という言葉として苦しみとして含める事が初めてなのだ、

     

    そういうふうでないよ、世界は悪くないよ、と言う神もムーで霧になり、一般的に人が歪んで伝えにくくなった。鳳凰に切り替わる前の龍の時代である。

     

     

    創造することに持つ「無」と関係があるのでは、と言われているが、全く非関連である。関係は、人が内容的にムーを観察する時、当然一緒くたにムーも人として扱われる。それ意外の理由はない。ただ人々が「これは、良い!」と思う所に勘だけでいるそうだ。何か悪いことをして頑張って隠そうとした事はないだろうか?ムーには啓蒙がない。向上心を持って吸い上げることとは動機がかなり違う。これが、見過ごすわけである。

    何か必死とかでもなくなんの平気で人を押しどけるムーは、確かに生身の人だと確認してる。

     

    ムーとは、「そういう人」という意味で個人個人とある。

     

     

     

     

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    嗚呼、勝手に、この文章たちを売ってくれたら。勝手でも良いし、気になるならメールへ。

     

    勿論自分でも冊子にしたり製本にしたりして置けるところがあれば良いと思うが、置けるスペースが意外と街にない。

     

    秘密を抱えていく言葉になってるし、

     

    ストーリーのアメリカ的思想が、人を救い、救った本人に「自分」が残って、先もあったらしんどい。幸せにたいして大きい。秘密を抱えていくには色んな言葉がいる。

     

     

    自分にたいして次世代があり、「前」が存在する。次世代にも次世代があることを知ったら、変わらない自分の必要を感じた。お子様、というのではなく、デパートなどではそう感じたら良いが、人として立ち向かいたい。そして、夢とかそういう価値観もないのに自分以上に価値高くなって数字も塵芥になり白っぽくなる人がいる。それを「トシヨリ」と言う。歳を重ねていれないから。思うのだが、古来から持つナンバー文化より、黒人の人は関係者を探すよりも当人、また当人が、価値観があるかないかを見るだけで相応しいと思う。

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  • 地球ワープ説と、別件て火星隔離

    自身の思念が現実だと他人に押さえつける限りは、

     

    理論の前に精神があって、理論が、その人の精神力に尽くすから、地球がワープしたとして「人と人が別れたこと」が有るかは、「私」の中に存在している。こんな優しい世界で虐げられる人とは?とうに火星人とか地球外生命と呼ばれ、私達が星を見て砂ばかりで貧しいと思う「面」に位置して、惑星である火星の美しさとは関係がない。悪いことの美徳、卑しいことの美しさ、そういった価値観もないのに価値をちょっと取って上っ面をする。こういうのを初めて、盗みと言う。

     

    ギリシャ人はローマに美術を奪われたけど、「略奪」には得も言われないいやらしさがある。「盗む」は次の皿と書いて感謝のないやつ、意識のないやつ、と書く。何と品性のある方がそういう人を気遣ってそわそわしていて、こういった美しさから、同じ美の位置から物を言う間抜けさが「信用度が上がる」それを理由にたった100年前から祭りを始めている。何かを祝う為にしているまつりとしては、東大全共闘が50年前で、平安時代が1000年前、100年前なんて歴史にしては浅すぎる。「祭りを始める」には姿勢や意志も、位も違う。散々、隣の堺市を荒らしている。のに、こっちには今でも「よろしくね。」とCMしている。この人たちは、前世でも大阪城の書庫を外から勝手に来て焼いている。昔の偉い人だ、と自分たちのことを考えている。

     

     

     

    以前、ムーを観察していた図があるが、役に立つかもしれない。こういった人を「盗み」と言う。

     

    こうして自分を癒やしていた。最近の「脅し」では、ナカミを偉そうに希望するらしい。人間の中身のことだ。

    そして、ナカミ故に痛みを敢えて要求する。俺はどうせ大丈夫だ天人だと言う為の免罪符になる。血塗れとか、文化ばかりを空っぽに取ってくる。

    「おいら、知らないね」と、とこかの気っ風を背負ったふりをしてそれが個人なのに、個人じゃないと言い張って来る。優しくしたら最後まで、の言葉のこと。

     

    神殺しの祭りとして、興しを思ってるそうでおじいちゃんが興奮している。

     

     

    男のもう一つの顔

    2022/01/08

     

    日記・ブログ

     

     

     

     これは「客観的な電球」と云って、下の斜線、スキャナーを持って居る。

     

     

     

     

     

     

     

    気に入った女を、スキャン(好きやん)する

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    スキャナーから幽体を伸ばす

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分をすっぽり包む、世の中の恐れがなくなる

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    可愛いキーホルダーを付けて完成

     

     

     

     

     

    バンダイたまごっちに「似ている」。

     

    こういったものを知っていないだろうか?

    私は、小学生の時に「選ぶ柄がカッコイイ」として知っている事を知っている。またもやアッテルをお懐かしく思う。

     

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  • 釈迦の値

     

    苦しい時代だと、パズルゲームぷよぷよをしていて気付いた。

     

     

    仏陀は、

     

    喝、と言って気合い、頑張れよと言ってもらえた届かせた、これに感謝、躾、社会や家族でも社会の中、これはあかん、駄目とかこうだからこうある、とか言って来たんが仏陀。日本古来から。

     

     

     

    戦国、今と同じように頭がよくて考えていて、世界があるとか世界が丸いとか知っててこのままでは崩れるとわかって、戦わなくてはいけなかった人、

     

     

    その中で、武将も武士も自分のことは良いからって、豊臣も徳川も皆で戦って結局徳川が江戸幕府を開いて平和を300年続けた。織田もその中で十分無になり花を考えた人。全てが許されている、「許し」として故に物語は、自分以上の客観視を持たない生命が許され「大神」だ、という詩もある。

     

    だから、死にに行くっていう兜が皆あんな美しくしてて、戦国は、ただ城を立てる為に戦った時代じゃない

     

     

    江戸時代は、俺らにもそうゆうのはわかるけど何か虚しい。天上天下っていって、母も、父にも感謝して偉そうにするぞっていうのが釈迦、価値観の始まり。

    心だけで自分が偉いとわかるんじゃなくて理性、理解でわかってる。釈迦を何となくわかるっていうのが菩薩様。

     

    あんた、お釈迦さまだナ、お釈迦さま。と言って、自分の方が釈迦だとこういう古い気まずさによく長けている。位を、太秦っていう。自分では、能の翁や金色。

     

     

    文化が地続きじゃないから、ニヒリズムを受け入れる上で美しい何かを立てると高度なものはわからない孤立したものだから、ただ綺麗な心と繋がる為に立場が弱くても良いから戦士としては頑張りたい。

     

     

    自分にとって前に押し出す文化、国が必ず他にある。

    文化的にフランスでも、ロシアでも、偉い人はいて、

     

     

    風紀がムーいても良かれであり、モラルを守る。その自分が目くらましという

     

    この客観性のもとに。

     

    生身としてずっとやってきたイギリス、肉体の高さ。何をするでもない。

     

     

     

    今思うと、江戸時代は貧しく人間関係も古代のイメージよりも仏教だから今みたいに映えず、自力で生きることが多かった。これを考えると、父母への感謝を、平和的にするけれども本当に考えてみると憎しみが多いことを知り、それを解決するには過ごす以上の長い時間と、精神もいる。

     

    聖としているアメリカ人は、バチがあたるよりも責任があるので話を砕いている。

     

     

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  • 「心の中」3

    「話の下り」何度でも使える!引用可!

     

    そばにいてムーで一向に苦労したのに、何も相手にしてくれず普通の顔をされる。

     

    メモると衝撃を低くする

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  • 「心の中」2

    「どっちでもええねん募金」

     

     

    皇室の本などを購入して、来た本が注文と異なり悪い言葉と思ってしまった時、

     

    注文をちゃんと返品して、

    「どっちでも良い」と言う。

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  • 「心の中」

    自信ホルダー

     

    (用途)心配事のしの字も嫌だ

     

    あまり集まらないのが長く持てて決め手!

    何か定番を起こしている人が、それを受けた人に何を得たのか聞く。

     

    使い方

     

    自信ホルダーやるから帰って

     

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  • 足しにならない

    昔、絵を描いてた友が悪魔だとして自分を宥めていたらムーと同系列のムというそのまま危ないムーはムーとは種類が違うがムーと呼べるだった。奥にお侍さんがいたのだ。

     

     

    美しさを裏で、ムーの様に裏でムーから「表現」させた詩を何度も読んだ

     

    「あなたは、これが書けますね」

     

    如来はそう仰った、

     

    わたくしは、アーティストがなんで空っぽなのですか

     

    ゴリ代のムーは絶対に出しません

     

    アイスいただきます

     

     

     

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  • ゴリ押しの自由

    きっかけは何でも良い。先が有るから、自分の探求に進むのだ。

     

     

    これは、ムーの事だと思っている。

     

    当然、ゴリ代もおる。ムーのカップルである。「思う」と自で思うなら、そう決めるのが美しい恰好。

     

     

    乱雑な詩が楽しい、と思っていた自分を見つめて、眼の前の人がまた、詩の方が伝えやすいのではないか?と、同じ目線に立つことが出来た。引っ張って行くテコとして、目指していた美術上で、キャンパスに何かを起こすその練習、デッサンに於いて頭の中で無意識を独自に感じていた。

     

     

     

     

    これは、何と仏語の無意識界と言う極みの言葉だと知ったのは後。

    それは、自分の顔(モデル)の光線、日が部屋に指すこの光の関わりで有る。一人の時の研究で、背景と対象の関係をこう正す為に自分の心の無意識まで取りに行っていた。

     

     

     

    この文章を読んで、どうしているのが自分か、どれが自分が、即ち自分という解釈は出来るだろうか?

     

    自他が良いと思った時のこの構造的な自我の奏でた、何か音のあるこういった偶然性が伝えたい場合に最も伸びる事、作品制作とは別に様々な博物館や土地ウォッチングをしている。自分が描きやすい描き方を春画、歌舞伎絵、こういった日本的なもの、つまり霊性を思っていたら、私がもともと一人っ子で夜の九時まで母が働きに出ていたので絵を描く時間が長かったのはたまたまであり、油絵のでかいキャンパスで絵を作っている時、筆を持ったら「一で百」知る自分がいるので人も同じだと思う。何で油絵って言ったら、洗うのが面倒くさいからと、生の色彩に触れるからである。仕来りがあるとして、零れた色の雫が、どこで溶けるんだとか思うんだと思う。これを固く言わないのは、間に自分で学べる箇所が多く存在し清くは言えなかった。目立ちたいだけでは勝手に顔が緩む世界。自分も緊張感してみたい。

     

    ある時、自を言わない事が凄い。そのスピードが早い。と、人に言ったら、スピード欲しかったらスニーカー買って走れ。と返ってきた。

     

     

     

    日展は、たんに練習量を見ている。こういった簡単に開けてくれない、それでいてあっと驚くものではない、腐っているのかと思う絵もある。佇まいが「無」だ。

     

     

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  • なくならないムーの理由

    工務的に言うが、

     

    人が拝んで上がって来るムーを見ている間に、

     

    人がムーの仕組みを覚えるのを手伝う。

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