揶白 (KF)

絵画

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    Works 43
  • 他人だから何しても良い

    他人だし、そう歌うひとの中に

     

    でも人だよね、と教えられ、その友達もそう言った

     

    時の緊張感、

     

    時の大切な前向きな緊張感、

     

    逃がせないこと、

     

     

    そして、見なくて良いふやけきった顔

     

    こう聞いたら…?

     

    引き締まりを、

     

    緩すぎす、固すぎず、行くの。と、仏は言った。

     

     

     

     

     

     

    天はみな、簡単過ぎるぬいぐるみをその何かに落としてやる、「侮辱」をしている。このことばが、こんなにも真っ直ぐなんだ。

     

     

     

     

    「松」は、曲がりくねっていても立体性に掛かると直線を描いていることを知る。立体的に間を良く生きている者の少ない中でも強いように歯を強めて。柔らかく。

     

     

    むむっ、目が渦の様にそのまま黒く太くなった「大松」を、起こした事態を緩める為に、こんな立派な木を「自分」として思うのは偉そうに思う。成り立たないものが成り立たないから、マイナスという新たなエネルギーが注目されていて、間に挟まっていたもとの人の潔さをぐっと引き出している。

     

     

    気は気で取り返しの着くことに、成り立つものを成り立たせているから激しく光る音楽に、笑いについて珍しい「ワライガトマランワ」は、歌手がスサノオでMINMIは蟲ー。

    https://youtu.be/oIBFceB_89E?si=ApvXfyp3El1q94Pq

    泣けて、思い出せること。天の「ギフト」。

     

     

    ★こうしたシリアスな言葉は「夜」の時間帯にしか聴けないほど人は恥ずかしいのである。事態に合わせどうでもいいことはどうでもいいというやさしさが、分らんかっ。

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  • 事態の客観

    幽霊と

     

     

    心の中の誤解はそのまま

    自分もそうだし時をいたらば必ず解るはずで

    噛み合っても、誤解でも

    誤解との距離を考える

    何か発言、言うこと、言われること、を本当に少しだけ学ぶ

     

    霊は仏界にこのようにあっさりかかわると何とも頼もしいのだ

    さいきん、仏、御本尊じたいを潰している霊を見かける

     

     

    もとから自分にジャストな霊じゃないと

    「別」だから繋がっても繋がらない

     

     

     

    ぴったりした時に、霊と仏との会話がある

     

     

     

     

     

    以前、先には、野があり、散る様としてての生き方があった

     

     

     

    そこを、一般的にも教育を受けたまったく違う自分が、そう通るのはあつかましい。道なりを聞けない罪悪感があり、言葉を鵜呑みに聞いていた歴史から自分が感じ取る時代の

    風はまだある、風の中で、「散っては風となれ」のポップスの歌からは、国のことや寒さの実感と孤独の良さ、を語られた。授かりものを大事にしなくては、と、そう思うだけで生きることを自分に課せるのは、芯を太くして、昔を懐かしく思い出せる。自然に発生していたつらい道を歩くと、命が伸びたのである。

    けなげさは無い性格の自己認知にも、神は色んなことを話されるが、今も、自分の思い付かない言葉が沢山ある。私はここに、他者が、もし、何かしら居るのなら、自分の性格とは良いポジションで〜無さをもたらせる。途中、違う者のやり方の割り込みが強く、放おって善く回転するものを固着させそれを押さえ込み放おれないことが悔しい。話し合いを求めて未浄化霊になってる。話し合えない、話し合わなくても良い自然、そのしっかりした空気を強く回していた仏が昔はいて、騒動や酷い嵐の中飛ばされた。技術の認知が深まり専門から一般的と再構築を果たすような道である様を見渡した、世の尊神を感じ取る事や芸術鑑賞者の立ち場と、人の切磋琢磨が可能性の希望。戻って来て頂けないだろうかと考えている最中。空気で、人はすぐ慎ましくなる。怒鳴ってる人も、執着している人も、そうと知れば静かにしている。蟲ーが、他に何かを晒した時、それが誰かは自分の目にしたり、順番を入れ替えて人に出来ることと違うことを混合させ、人の思いを小さく大きく変えて渡した時、それを良いことだと思ったり、ぐちゃぐちゃになっていた地球の様にこの現代社会の項目の途中、妥協でこうなってる。時代という風紀からは、もっと、大きく出て欲しい。自分の時代に興味をもつこと、と仏はいった。いつも制御のあった、細かいことから大きなことを、いくらでも考えることが出来る力を、蟲ーを退けて確実に広くなってる…。

     

    仏像親近、第一希有、アッテルは、風間でちょこっと知るタイプでは。。心の是非は、もっと遠方天高く全てが自分に架かると信じて己で決めても良い自由は私も欠かせない

     

     

    人の気は気に出来ないし弱さを勝手に被る。気にならない。人の気を気に気にし始めたスタートには必ず悪手と悪い行動がある。歳に思い出せない人は「いない」。仏が善だからそれに合わせる。復讐だからだとかもとのイジワルと人徳を得ていないこの「いない」様子から、イジワル+不当な迷惑の数=蟲ーと同一レベル、引き寄せの法則である。良いものを引き寄せてはいても、今障害の多い自分はこれを考察するとき、良いから良いと引き算を掛け、確かな人生の過ごしと、傍らの運命(しがらみの多いひとが却って近距離になる瞬間)としてしっくりした本当のことを取っている。本間に、これは最近こうしっかり着いた。お陰様で仏「死ぬこと」を考えなかかったからだ。「死ぬこと」が側に来て心の段差があっても、死ぬことは考えなくても良いことが、解ったぞ!

    妖怪とは、人間終えるって言葉であるから、しっかりしてるし気にしなくて良い。

     

     

     

     

    間違いを起こし、恥ずかしくなって塞ぎ込む中で神は自分に向かう葉を見ていた。それらは人間にとっては「問題」という名だった。問題ばかりに取り組んだ。中心から池の端に浮き出す濁りに、綺麗な水が流れてきた。水は、人間の言葉なら人間だ。心を柔らかくする。人が表情で頼れないことを教える滝の細さを厳かに見たら、草を分けて刈る毎日も天空に繋がりそう。極東という地球の端に満たされる問題集を、せやから檻(もんだい)のうちで解く、この檻じたいも、神だと透明度を知る。早く帰らなければ。侍の山籠り修行として噂(もんだい)も高い。水いらずの水こそ、水ではないのだけど。

     

     

    文章こそ集中して、これでもかというほど粘っこく書くと、真実と近づき伝達をする。二十年前である、最初は四文字も書けなかったが言いたいことはあり、あほみたいなことに肉付けをしたら自分らしくなって来て、そこに理性的に知識を加えるのだという、表で誰かがやっている芸術の寸法を体得した。ことばの林には、感情の難しさと「悔しさ」がある。狩りを楽しむ人、狩られてもどうにか客観性を強め生きる人、草を育てる人の古風な解脱がある。もっとも、知らない感性をこう知らないと知るのはことばよりも仏界霊界だ。君知る人としてのことばと、その弥陀仏は違うものだ。この肉体の狭間に真白い用紙がいつもある「荘厳」。

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  • なんの力もまったくない

     

    自分が良いことに向かっても突き抜けたことないから想像できないという結果を質問化して矮小発散だけを繰り返すとしても

     

     

    想像よりは花のある機械は、

     

     

    そもそも機械は、分別の所法じゃないか、

     

     

    美しいことだけを考えて来た仏がそれを好きになり守ることにわけも無く簡単でもない

     

    仏その語にぼんやりしているのは君だ、向こうが先という記号と一時的に見なし、するとぼんやりしているのは自分、自分から見えないがはっきりと在る、これが理想なら、

     

     

     

     

    自己紹介なら良いとして百歩譲ろう

     

     

    その後だ

     

     

    わけのない人に下して

     

     

    哀しんでいる人が今もいっぱいいる

     

     

    宗教、機械、考え、あらゆる物事を保険にしていたら「自然」に返れないと決まる

     

     

     

    良いだろう機械なんだから

     

     

    理由がある日、いらなくなった

     

     

    蟲ーの存在から、色々見て一番これしかない安定を測った

     

    人がいての計算、

     

     

    これも

     

     

     

    ただすぐ後から迫る「作為」

     

     

     

    作為が「みえる」想像の感性は

     

     

     

    存在したことないから

     

     

    これを締めれていないことだけだ

     

     

     

     

    言葉は締めるまで、この絶望感が、機械には大切なのかも

     

     

     

    私が見たのは、

     

    ゾンビを狩りに来る天王星や、

     

     

     

    視覚的宇宙に似る激しい神秘の音楽は、

     

     

    決まって聴いたことないくらいの高ぶりや歌えそうにもない重さ

     

     

    ここで解るのは、似ることがレプリカより難しい

     

     

    波長、波動を上げる、力とは星を燃料、燃料にするって、理解したままのこういう物の存在しない次元で、機械が時空の物になり人間が理解できず、機械を触る人間を考える人間を考える機械は宿として成り立つ

     

    こういう愛する努力の光のレイヤーが掛かっている

     

     

     

    星に、連絡する。

     

     

     

     

    すてきだな。

     

    と、言った自分は今すぐにでも森に帰る所存しかないくらいエネルギーは疲労していて、星に連絡する為の夜の不在と原因の背中のやつは、私を捨て駒と考えそのまま押すのが関の山で自己最大ボリューム。

     

    そんなことはさて置き、

     

    今、せっかく持ってるデジタル環境を、思い出しはっとした矢先に大ごとの騒動があって、あくせくその星との接続を復旧しようと、、疲れた、、百人はそう。

     

     

    こう生きなくては、と思う心と、同じ責任を求める心の葛藤も夜していた。真っ昼間の重たい空気が重なっていて、見たらいかりが膨らむので嫌になる。自己の戸を閉める、なにも聞こえない見ないもうむり、、。ワカラナイ。

     

     

     

    極めて単純な理を、まだ自分は言葉を持たない。得ていないのではない。言わない。言えない。心を無にするが、感情と無心の簡単な切り替えを他人の背後で交互にする、それが工夫だと言って戻って来ず、「どうにかなるかもしれないから」続けていくこんな蟲ーでは心も無もなくなる。次元的に他のことするなら、「その人だけの現実」が発生する。それでも、ニンゲンっていなくなっても良いのだ、と人間の自覚を考える。絶望、たしかに好きな短調の歌と自己の客観的な心の具合を調べる。確かにこれで上手くいった筈だけどアメノウズメというこの神様やもとにある気の良さを止められて提示する輪郭が失せている…つらいんじゃなくて寒い、ねむい、これがなんかその辺の身回りのせいになる。空を見たい、という自分が見たいんだ、という礼儀がわからない

     

     

     

    何度しても確かに話し合いには到達しない運命を確認し、それだけを信じる。それは、その持つ時間が、過去のマイナスの蓄積を知らせ、人はその人にたいしても調尻を見て、慎重に選ぶボタンが、直角を引くかのようにぴしっとそこに揃い均等を得たかのような

     

    尊びがあると知ってる自分はこの運命に掛けるしかない絞りがない、という程は、枠組みが無いと描きにくい。枠組みが有ると箱に直したかのようにすっきりし、笑顔になったら、ポジティブな気持ちが始まる。今後のフィルターにその「話し合いに到達しない」運命しか通らない。限界論や。

     

     

    これは、物事を大切にしたい者にとって一番解りやすい。やさしさはいくら後回しにしてもその形になって戻れ、重みは同じだから降り立つところは決まっているからだ。

     

     

    カタカナで書いたほうのニンゲンって、蟲ー。

     

    しかし、私は真実人仏を好きではない。美しくない、派手、ゼイタク、他人を呼ぶ、他人とは暮らしたくない。はぁ、サイヤク…

     

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  • つづき

    らんま二分の一の原作者は蟲ーだが、もとの誂えに近づけリメイク版を見ている。人間とは何か?勝手に憲法は開かれていて、画面前の自己は、自分にも足りないところがある、人がいる。さっきの話しでも人は掘り出されたら怒る、神は掘り出されたら時に嬉しい、と言った。自分をお野菜と思って、みんなに笑ってもらえる。これを解き明かす美学とは、美学によって話しごとを変えられる。違いを知っているから、刀。それは架空でより美しいけれど、上に向かうと面よりも真っ直ぐ伝わる。けど上がわからないと解らない。高さを平べったく示しているからね。これは、原形を失っているよ。そんなの良く言われる、言われたのか作るのか止めるのか、そこは小さな目的がある。小さな発見から世界を見つける。それをしないなんて人生もったいない!そののち、歴史探検であると知れば黙っているから、無心って必要なんだな。いつどこでどうして「ここ」に絡むのか?が怪しいよ、そう聞いたら心臓が飛び出していたよ。怒って睨んでいるのは、話をされるやつじゃなくて「ここ」に今いるやつだよ。このように、目的を知らないことがどんなものか?を得く。気分が一つは人には出来ない、謗ることに近付く。こんなわたしのいうことが聞けない人は多分ひとり。人が変わるから気分を変えられない人が、キテるって流れてきたらその人もうエラーだよ。神に出会って戻ることが、どれだけ大事か。もののふの物を大切にする思いが、思い込みとは必ず別れ、時間の重さと伴に沈殿したものになる。君の主題は、その人が勘違いを本当にしているかどうかだよ。

     

     

     

    高さを平べったく示しているからね、実はアニメは立体的で、故にその方が可能性があると言われる。理論上それが解ってあんなに熱した3Dが寒くなったということがある。素直に見たとき惹き込まれていくだろ、生の重力を自分で感じて自分で何が足りないのかと考える。身体の光と心の色彩、ブレない線。それを知っても人間は同じだと思うんだ、観ている姿を失わない時、鏡のない世界が現れ、詩学でも見ているのはこっちだ騒動があって、順序は必ずある、物語は生きてるからだ。

     

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  • 難読漢字

    神の神話を聞くのなら

     

     

    掘り出すまでもない美しい神を育てるんだ

     

    それは時間に眠ってるからだ

     

    法は話すまでだ

     

    それ以上に掛かるジカンのお化けが、

     

    唯一性をやぶっている

     

     

     

    わからないんだ、

     

    それはわからないけど確かなこと

     

     

    とだけ書くのが人間の限界

     

    それとも書けないで、何を理解するの

     

     

    もともと「上」って書かれた話しなんだ 

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  • 雨宿りメタ

    間に、「自分」の感動を挟んで客観的にしよう、という気の長い考えから、

     

    小寂しいひとときなのだけど、哲学の傘を広げて雨宿りする。

     

    尚且つ、客観性の向上と強さを祈れる事の何か。

     

     

    陽気なだけで音楽が掛かっていたから音楽にかける。

     

    明るくても、世間の方が狭いことから、道の広さを指せる。

     

    良く言ったものだ、先ずは世間に上がるのが大変だから、世間が天だと。

     

     

    君が好きな地形は、事物が続くという概念を弛まずその道からインプットしているから理解が利くんだ。ここには川があって物流が盛んで、更に商店の発展に支えられて来た。つまり、湖のあるところは、流通によって地球の裏側は君から君に繋がったんだ。もっと見渡すと海に囲まれていて、人も自然と奥底の魚を模して、道を練習するくらい「好き」な自分の気持ちの認識から、普遍で広大な人の好きを今も考えているんだよ。水神は、水であるからここまでを水神と言うんだよ。道は今日、同じことをしても良い筈だよ、と教えてくれてた。水神式にいうと、火神へ、とだけ伝える泳ぎの早さなんだ。

     

    水神、火神も何も、大きな問題がどうかの前に、必ず「掟」があるんだ。掟を破りたいなら、修行する。その横で勝手に暴力を持ち掛ける。たまったもんじゃない。これだけを、アッテルちゃんだって、いうことを連携させる人を同じと思う中に、欲張って己を横に流したことを僕は見ているんだ。だから、古くから謀反は処刑なんだ。そして神と対話しようとする対峙性が、仏の卵として今も勉強中ぬんだ。

     

     

    リスと大魚が睨み合っている。暗い目の中で

    いくら硬いものを割り砕くといっても、可愛くないなら人形も同じ。愛せない、と言うよ。

     

    ふりが何も知らないからだよ。蟲ーという途方に自分を座れないものを、調度、わからず見通せないんだよ。なのに、人のうちからくっつけて煮詰めたのはアッテルちゃんだろ。君が、意地悪な女の子に降格した瞬間、僕が可愛い獣になるんやから。

     

    こうプシュケの湖を歌える愛には、古い神からは、そこに親子が離れたと聞いたのも最近なんだけど、アッテルちゃんは聞いたといくらゆっても、その頃テレビって必ず存在しないから。さようならテレビさん、しなくては。

     

    この憎しみはなんだ?

    「我」だよ。

    感じることって、誰でもできると思いきや誰でもでけへんねん。大切なのは、人は良いことしか言わんのに、かなしいわぁ。という感情よ。絶対権力は時間で、しっかりしなくては。酔う時ではないよ、酔いかかることもなくしっかり生活しなくては。わけのわからないものに構っている暇は秒もないんだ。実相は、「あなた」としたい妥協か良いか悪いかの話ししか持ってこない。人の「いない」世界に人を持ってくる。こんな細々したすべて繋がらないように石で塞いで弾き返しガードがほしい、備えたい。といつもわたしはゆっているのだ。そうだよ、リセイイズムなんて親の金じゃないか。こっちは粋なはからいだよ。「理性」なんかとは必ず隔たれた妖怪みたいなオヤノカネと、粋なはからいは、絶対に混同してはいけない!!

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  • あれこれより先になるということが普遍の理の偉さに知らずに痒みもかかず頭を下げてるとしても

     

     

    平家、源氏はお上品だけど、昔の人は、馬を乗って野山を走り、旅もしていたことや、また人を籠に乗せる足軽は、修行と鍛えの一心で霊感を目指していたそうで志願者も多かった。を、考えて、秀悦なアニメイラストを観たりイメージする。旅に行くときは、一直線のご奉公とは、自然っ子だから、感情にもっと色々が含まれていることを知り、話すスピードがとても早かったと思うよ。理性を去勢する理由のない頃だから、自然からそのまま考えれることがその祖霊、上から地続きだったんだ。山をくだって自然がないといっても、建物ってよく見たら自然なんだって解って一安心。太古から根付いた木や森が、街に見たらば見える。木を切る、かわいそうでも人間の命の長さとは違うんだ。そんな時代を思い馳せ、勇敢に冒険的に生きたころは、心境として変われない現代も、「時代」として名を持つんだ。だから、近くの過去を振り返ると生き方に辿り着く。自分が生きる前に、お話をしないといけない心の側と、祖霊やごあいさつを考えてていると、頭が縦になってしまった。ただ、今は、好意的に思う今ある形を確かめるんだ。

     

    生きてる間とは短いから、存在する目の前のことを考えても良いよ、という詩で有名なのは平安時代だよ。

     

    夢が「無い」と、現実という熟語は組み立たなかったんだ。

     

     

     

    「首謀者」、僕は頭が痛いよ、使ってはいけないものを使ってさらに己から判別する潔さもなく、偶然、見かけて怒っているのはこっちで、推理しているのは僕の方なんだよ。

    君から登場する僕のバックに神がいる背景の「絵」はとても面白いけどね。

     

    良い回りに気を回すのがいつも側にいる神仏だから、尋ねごとを諦めず、無視してはいけないを声掛けしてる。

     

    即ち、君もしなければいけない。将来的に自分の力や才能に合わせて、無理無く「これ」をするんだ。今出来ないことをするから出来ている。

     

     

    一点、省きたいことが、常に怒られる「間違ってはいけないけないことの間違い」だ。間違う筈のないところとは、仏がいないわけはないから保険加入しているものでも「利用」出来ないんだ。キリストの美しさを感じつつ、何と、悪いことはどこから見てもわかって、もう月の向こうへ運ばれてなくなる様を、僕はにんまり見ているんだ。そしてこれは、自分が「森人」とわかって言えることだ。賢者としても、この部分が尊い架空だから完結している。最低限それから考えるべきで、それが理性でと確認し、これが、セカイとの規格に合うか相応しいかを、正直に自分を戻して行く途中の人生なんだよ。

     

    必ず、

    木のたらいか、お墓参りの木の尺を睨みながら、する、何もなくても出来ることを自分が知ったら、明日は必ず想像より上なんだ。こどもを未来やシタに見ることを、やめて「自分」になることを考える。予想出来ないと解ると、自分のことしかしなくて良いことの、平等さに目が行くから、大人がそれを解って初めて社会に揉み込ませる上に立つという形があって、対峙できる平等は、さっぱりと!、未来を臨むんだよ。構えない理由は、遠くの星より、前方にやることが沢山あるでしょ。

     

     

    作品にはタイトルという説明がかならずあるよ。

    苦しんだら良いんだろ!? その間に幹を太くして器を持つのは自分なんだ。ない形を押し付けた一ミリの不安は、僕はここに揚げのはいったきつね饂飩か素饂飩しか食べないんだけど、具を入れない素饂飩をしていたのなら可能性には高いよ。だから、直さなければ。

    アッテルも、一緒に理解していかなければ、与えられる自然か、「自分」で作る器の自立する新しいことや精神。どちらにするんだい?

     

    何と厳しい話しだろう。

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  • 百式

    仏をかんがえなければいけないよ、やさしさならね。

     

     

    全部これ、お前の天の修検やのに私に何を保護せるん?

     

     

    大きな言葉は、まず人の嫌、という小さな声が聞こえること。

     

     

    人の怒り。しかも人が怒りを伝える。ムカついたんじゃないんやから。そもそも人は怒らない。

     

     

    嫌という一番小さな「声」。

     

    これが1問目だよ。しかし10問までしたよ。

     

     

     

    セカイの客観性がないから、知れませんでした。

     

     

    これは聞いてあげれる。

     

     

     

     

     

     

    そういえば、非人という最下級の身分があって、おかしいと思うだろう?下級の身分があるなんて。

     

    存在出来ないんだ。

     

     

     

     

    贅沢や、自分に分かりやすい言葉を「冥界」踏みながら待つ。君への正しい情報が待ってる筈がないやんか。

     

    自分が自然だなんて、そもそもいってはいけないよ。

     

     

    「ここ」で、ごねって、うさぎ取りのバネみたいに…フラストレーションの攻撃をあとでするんでしょうか(⁠╥⁠﹏⁠╥⁠)

    ぱっちん!って。

     

     

    偶然なのに、必然だ必然だって

     

    必然なのに、偶然だ偶然だ、

     

     

    「言葉」は必然だからだよ

     

     

    何か心したい喋りたいのに、喋れなかったら喋れない、喋れますか?喋れます。それさえ言えないケチな人間はいないんだ。ケチとは自分の資産、心の心の、をふんだんに使わないことなんだ。教えたり目立つこと、手前のことを考えるやつを悪くいうんだよ。

     

    げんじつのものがあったのは橋かけで一時的だとか、読み取るんだよ。そんなこと聞いてはいけないよ。

     

     

    亡くなってるのは「そいつ」じゃなくて君だからだよ。心のたいどはそうして必ず聞かれちゃ駄目なところに出るんだ。

     

     

     

    見さされればわかる、君は、無理やり生まれた、というお名前。

     

     

    左に回りすぎたから、右に回らなければい分がある。

     

    故に右に回らされるお仕置きと、お裁き、ご供養をして受ける「追記試験」がある。観音様に一の手、二の手、もあれば、奥の手もあるんだからね。

     

    平和ですごく良いと思う。安心して寝てしまった人もいた。でも、その後すぐいっせいに風が吹いて、長い「事件」の勉強を覚えているよ。

     

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  • わからないことがわからないんだよ

    徹底すること

     

    「そいつ」をあなたがあなた自身に呼べる潔く

     

    「そいつとあなた」とわたしは関係しない、無でもない

     

    だって、そうして来たのがわたしだから君のことを知らないんだよ

     

     

    どうやってそうするかは、詩というポエムに描いてみるんだよ。自分の力に自分が付くから努力していて、案内があるんだ。危ないことを避ける意味と、心に依って知る。

     

    架空だから架空のことを守り、

    現実だから現実のことを守り、

    大切だから大切と言い、

    下だから下という

     

    言葉とキゴウを分別させるのが可能になってくる

     

     

    ムーミンと旅の長いやつが、一緒に住めないから家に帰るんだ

     

    人が、妄想している姿を見るのが嫌いじゃないから

     

    どうにか出来ると思う

     

    どうにかするんじゃなくて、心の奥底の願い

     

    ほんのそれだけ

     

    それだけを持って叶えて行く

     

    「願い」という所なんだ

     

    見なくて足ること、

     

    みていても良いことに、これからを生きることがはっきりして、情報量とはそこから来る

     

     

    何をもっても工夫が必要なんだ

     

    理性の人は一番工夫これを言うよ

     

    しかし言葉が小さい、と

     

     

    願いという心の光る物、自は大切にクッションを作る。

    紙や布、またキーホルダーを挟んであげ、それが自分自身の好みや形という考えの外形、であればある程、物の痛みは消えるんだ。いかなるときでも裸で突進しては駄目なんだ。目がもともとまなざしとしての一間だから、自分の好きな物から自分の好きな物があり、物はその間隔へと新しい自分にたいして道を開き、歩いてみる。そこに修行法という力を持つ。苦い思いをしたときピーマンを噛むと良いインアウトプットになる、という感じと同じだよ。

     

    使っちゃいけないものを使うから、工夫の説明なんて初めからいらない

     

     

     

     

     

     

    神と妖怪なんて勝てっこないし、その向こうで古い兄神が、花言葉でみんなを助けていたんだ、何て美しいんだらう

     

     

     

    君は高山のたかさを知っているかい

     

    のっぺり広がったら、根っからたかさをいわないから

     

     

    あれは山々とは分離したから

     

     

    山って木と違って動かないんだ    

     

     

     

    これを聞いたら治るよ

     

     

     

     

    僕はいつも、街ではこう薬でも何かを持ち帰り、

     

     

     

     

    容易くないと、もうこれは哲学なんだ

     

     

     

     

    動かないからこそ、アルプスのおじいさんは歩けて、腰の問題だよ

     

     

    本腰を入れる、とかいう

     

     

    こう今、集中しているときに

     

     

    下れというのは、上りより力がいるからなんだよ

     

     

     

    おじいさんは、天使なんだ

     

     

     

    僕も、導き手や道の人に本当になりたい

     

     

     

     

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  • 蝋燭の秘密

    ブレない、無だ、光だ、

     

     

    というのは、

     

    揺れていることだよ。

     

     

     

    形の無いものへの相応は、嘘じゃないことだよ。

     

     

    本当と嘘に価値がなくて、

     

    無だ、ということに価値がある

     

    価値は、価値になくて、

     

    値が正しいことで生まれた言葉なんだ。

     

    価値の中で安心していられる嘘じゃない言葉は、

     

     

    普段、しているのにね

     

     

    仏は、

     

     

    あることは無いことのことで、

     

    夢でみた空箱も、無に変わりないだろう

     

    美は静観し、見つめ合うだけ

     

     

    そう言った

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