揶白 (KF)

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  • 鴨が鳴くそのルール

    2024/03/26

    動物と虫

    手も足も心も凍るような思い。わたしの心では悲しみだけが青く光っていた

     

    掃除をしていたら、木屑になった自分の気の姿をみた

     

     

    日で治るので心配はなかったがただ悲しかった

     

     

    その日が経って、いつも通っていた駅を降車して一日バイトに行った。京橋は大阪ビジネスパークのふもとにあって、大阪城から京橋と名が来るなら身に合ってて、足りない物を付けたなら面白い。

     

    沢山の光があったがわたしの心に映ったその1つの光の源光を、その辺の道で頭の中から取り出すことができた。もっといいたいことがあるが出て来ない。が、これはその光の編集した総てだろう。本があるとすると辺となる思想が違う。光に向かうために、それぞれが繋がり纏めて見る、とは、一ページ一ページが何の関連もなくこれを連続性といってわからないが理解する詩性。よって自然な物の繋がりや防音、数と体を分けて分離している。ゲンジツを密封して壁が少ない文章で置くこれは、無印ケースに分けて入れる小さな螺や木片の事。昔の文章はこんなふうな段取りが、その文章になる前の一瞬の捉えられる想像が存在していたのを古本屋で見た。これらこの夢を達成させるのはアルバイト。

     

     

     

    誰も何もつらいことを抱えさせないことがよくわかった。この意識が火星にいるようなカッカした細い心持ちは、感謝というそのものだけど、一人でどこかに行っても時間に帰らなければ、金銭は十円も手に入らない。時間は過ぎている、縮めたり仮に加えたりして直すことは出来る。感じていた元の形が、自分のものかどうかが、成長という記録が生まれ育ちよりも壇上なら十分だ。

     

     

    ことばが迂闊に、何かに引っ掛かったまま冷えて、重苦しい何かのこの目の川に浮く過ちのものから、その死体から、私は十円が私の家に見えてきた。

     

    派遣の登録に外に行くが、仕事はない、と言われた。星を願う五分一杯の気持ちで、二分三分を取るいつもの階段だった。これを私はすてきな石段だと思っている。重力に力を込めて降りる。霊感とは全て自分で知っていく高いものだが、トンネルにライトを当てる様に、まず聞いてくれたので言った持病の統合失調の寛解は、まず、神木というのがあって、髙い木もあるし、低い木もある、自分がわかって、自分に出来ることはありますかを親に聞ける。それを、まず受け入れる。

     

     

     

     

     

     

     

     

    「わたし」という一円、わたしという十円の留め金で、恐らく膨大な書物から、頼もしく学んでいる。

     

     

    わたしとして対照化出来た考えが留め金の発想や作り方が自身にあるから神仏は話してくれない。

     

     

     

     

     

     

    色んな恋愛があるのだろう、と

     

     

    「「もう離さない!」はムリだった、つづく」

     

    町人が買う架空の本、

     

     

    一旦自分にたいしてクッションを敷いてあげる、これをメタといって、空や間取りの大きさをその大きさに切り取る声なのだ。こんなに自意識と闘ってる。

     

     

     

     

     

    私は、街歩きしやすいTシャツの販売など色々を待ち遠しくしている。

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  • 価値

    2024/03/26

    動物と虫

    人はみなりじゃない、この言葉を見出だし

     

    楽しいと思うもの自体に間違いがないことと問題、二つを両方並べて、やって来たことの正しさがわかる。

     

     

     

     

    仏に目が許される。見比べることの、

     

     

    自分の行為の全貌である。

     

     

     

    この間には、「わたしの悩み」が抽出したようにそう言える一人の心、治まった、納まった、修まった言葉、こういった静寂なものに辿り着いた。

    文になった。

     

    抽象化、という一つの方法論そのものなのだ。これが誰でも出来るという事は、やや精通していない。

     

     

     

     

    この調子で、

     

    儲ける、儲かる、が代わる。

     

     

    言葉の掛かりの主語に定義が在る。先に生まれた神から、それを知りに行く生魂(いくたま)の道がある。

     

     

    東京と大阪を見ても、精神自体をとするか、精神上のものをとするか、

     

    また対象とする言葉が、画にあるのか数にあれのかをいってもそこに蝶がいることには変わりがない

     

     

    文性の違いから儲け方が違う

     

    ちょっと貧しい時、

     

    金額を、気ままに為りに合わせる

     

    縁起に角をつけたまま、

     

     

    夜には、

     

    体を売る、この言い方が良い人や、どう言い方が良い人や、悪しさが良い人これらは、ワルい人とは異なる。

     

     

     

    「価値」がそもそも仏道にしか発生しないのは、言葉だからだ。だから、「両」のしたに容量があり、そのねだんの上に値段と書くことが、出来るのだ。 

     

     

     

    ワルい人は、対面にして下だから下だ、みさげて怒らなくてもいいんだよ、と、説かれる両の壇上は、何と資本論。

     

     

    これを理解している態度を、「了見」があるとかないとかを冒頭にして始めにコミュニケーションしていたのが、江戸時代。会話の成立は、体的や歌やお経で長く流し向かう平城~室町よりも初めてに差し掛かっていた。街の出現から月光のような自意識にたいしての闘いが今にひたすら続いている。自分が対決する相手がアニメの美少女、といったら、大和がわかるだろうか。

     

    価値からは、愛については冷静さを習う。今日の総体的にこういう元の考えを人間性に携わって考える、性が立つ、そして出来た。

     

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  • ほんまはそうや

    2024/03/21

    動物と虫

    もともと、霊界は癒しの空間だ。

     

    きらきら光り、力なりに優しく自由に出来るとこだ。

     

    悪化性が流行ったが、悪化表現、悪意は力からは剥がれ落ちる。

     

     

    力がないんだ。

     

     

     

     

    たった右左を間違わなければ、

     

    癒しの空間、とカッコのある言葉をさらに啓蒙していた筈のやつは

    、そこで笑ってた筈だ

     

     

    制する力には、力がないといけない。

     

    人を黙らせる、人が鎮静する、人が安らぐ、これは、どういった意味だったけか、

     

    自分を砕いても言うことをして来た。

     

     

     

     

    そのあと、よく大きく感じるが、例えば自分を吸いとったり自分を取り込むような奴にそんな大きさは存在出来ないのが理屈だ。

     

    心は、霊界だ。すぐに自己を見つめて、自己領域に迫る程の

    鈍さを冷静に告げる。

     

     

     

     

     

    これが、「ホンマハ・ソーヤ」の冒険である。

     

    私もその修行と取り組みを続けなければいけない。

     

     

     

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  • 古代神の憧憬

    2024/03/21

    動物と虫

    元の気、空気に触れず、元の気、空気で避けて、

     

     

    神のときこそ、これを出来る限り守る。自分からする神の見栄えが良くなる。

     

     

     

    今ここに、題目の「蟲ー」がいる限り。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    だから、蟲ーの事故は、自分が悪いならともかく、出来るだけ気にしなくて良いよ!

     

     

    謝らなくて良いよ!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    通称「ご先祖」がこう言われ、仰る。

     

     

     

     

    良い人を殴り付け影から嘲笑う、そんなやつと思われたらどうする

     

     

    「無償の愛を試している私」とはただ事じゃない

     

     

     

    愛という時点で、

     

     

     

    横滑りを防ぐ。

     

     

     

     

    横滑る奴にこそ、単に横滑りを防ぐと言うのではなく、横に滑る奴を防ぐ、と、人に目を合わせて、人に言ってやれ。

     

     

     

    「愛なんて何の役に立つんだ?」そう言って聞けるのは、古代神だけだ。私が今「ジブンそれなりに頑張った」というときに、「自分をそう言う風にいうのは失礼だ」と告げるあの、

     

     

     

    冷たくされても、聞きたい。

     

     

     

     

    こうだったんだと、

     

    腹にする、腹に解ることが大切なんだ、この上さらにそれ以外を持って、持ちすぎて霊界まではみ出るヒトの目には人はもういないだろう。しかも、何もわからない程遅らかっているだろう。

     

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  • 直していくことに寛解という

    2024/03/20

    動物と虫

     

    寛解は、解りとか悟りへの興味とか

     

    幻聴は、聞かなくていい

     

    有色の幻聴、無音の幻聴、幻聴は蟲ー、

     

    幻聴が在る、この無の意味まで高めよう

     

    時々、助けてくれる「声」は専門的なことじゃない

     

    「声」になるには許可がいる

     

    許可は、よく神仏と話し合いある日、その形が解る。従ってカタチに表記されない。わかりやすく伝え現すことは研究中出来る。

     

    悟りは仏のだから、仏が霊であることから霊界などヒントになる

     

    客観性と自意識が大事だから、失敗すると痛い。3日耐える、自己で反省する気持ちで、直してほしい。実際頭に怪我した人は、頭は心だから癒して強く心に揉み合うことでは治ったからそうしてほしい。抽象的に聞くが意外に、頭は心だから、想像とは形豊かに、手のひら、目、(わたしの記憶、たいせつな気持ち)から溢れている。自分のたいせつな気持ちに傷の付いた人は、自分のじっさいの頭上に話し、謝る日課が良い。

     

    心は「アタマ」という肉体視より上部なので、また次元性に包まれ、ヒトや蟲ーには見えない、こういって守りがある。心が特徴的に広いと、困った霊を龍が運んで一時的に入っている

     

    たまに気を食うようなやつがある。おそなえ物を食うとか想像する、備えている、備えとも書く。墓を荒らす→何か人目から隠す過ちごとがある、ヤサシイかお。この認識が大事。

     

     

    神に力を告げなかった、もしくは蟲ーのような障害があって告げられなかったのか、このことから、今に伝え遅れを感じている。大穴牟遅、大国主の「もうひとつの名前」として伝説がある。

     

    何で、こんなに祈りと神像イメージを誘導出来る程しっかりした所が、硬いのだろう?と思った。世間的ゆとりも必ずある、心を味方と思って、自分のを開いて行く、人間に向かう。街町で、あり余った程の力が暴走して歩くようなイメージは不安、こう意味したんだ。

     

    半月が、カラッポの窪みに嵌まってムーンライトが光るように「声」になる。驚いて口が開く。心を味方と思って人間に開いて行く、落ち着いて出来ることが2れしかない。私の半月の石は「大穴牟遅、力が開いて伝わっていく。言葉になった」これ。

     

     

     

     

    今、思い出したけど、

     

     

    何かがあって、30年後出会い、創建するのに50年の年表を歴史館から見たことがある。

     

     

     

     

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  • 神の木と、高木と低木「わたしに出来ることありますか?」

    2024/03/18

    動物と虫

    神話の名画があって、

     

     

    人間が人間としてこう与えられているのだよ、

     

    同じように、気張って伝えようとしたよね、と考える

     

     

     

    それ以外の緊張感ぎいらない

     

     

     

     

     

     

     

    工業都市、美しい仕組みや螺自体を心の中に感じても

     

    心が光るほどちゃんとしたことは、ちゃんとした自分じゃないといけない、この意味は、

     

     

     

    ちゃんとした自分じゃないと、対象に目が会わなくなる

     

     

     

    学問、これがそうだと言葉を続けるには一人では繋がらない、届かない

     

     

     

     

     

     

     

    技の素材となったものを、教科でいうなら恋愛

     

     

     

     

    それが恋愛だとは解らない、

     

     

     

     

    未だに解らない

     

     

     

     

    解らない、とかろうじていえる

     

     

     

    考えが限られている

     

     

     

     

     

    ずっと悩んで考えて、その中からこれだけ教えてあげよう、と伝えてくれてる

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    魚もにくしさを覚えている

     

     

     

    その目は信用がある

     

     

     

    魚という自我で、人間が考えている

     

     

     

    ひらひらしたひれはなくなったけど

     

     

     

    その川にずっといて、寓話を聞きながら

     

     

     

     

    自分が動物だった時の神様と、

     

     

     

     

    形の変わったわたしとは

     

     

     

     

    川神に、「そいつを殴ってください」といっても、

     

     

    といっても死人に「口」無し、といって

     

     

    自分がそうしないといけない

     

     

     

    ひらひらしたヒレがじぶんじゃない、とわかったあとそこに日々が続いていく感じ

     

    昔とかわらない

     

     

     

     

     

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  • 心の冷たさはやさしさでは変わらない

    2024/03/16

    動物と虫

    一回、一回、左右確認後の大声はどこでもお勧め感がある。

     

     

     

     

    自分に風を吹かすのも、人の存在が自分を変える。

     

     

     

     

     

    人が、自分のために役立つのではなく、

     

     

     

     

     

    自分一人が、人のために生きている

     

     

     

     

     

     

    反省をすることのピースが、

     

     

     

     

     

    理想から、足りないのではなく、

     

     

     

     

     

    自分一人、というものが足りない

     

     

     

    を、教えてくれる

     

     

     

     

    言葉がするする出てくる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    心の冷たさは、その土が水かもしれない雨かもしれない。少なくとも心を主語にしている。それに苦闘したこともある。

     

    冷たい水は人を柔らかくして、バランスを思い出させる。

     

    しかし主題は、心でも何でもないものの蟲ーだ。

     

     

     

    私は、私の心に侍。それは、鳥かも知れない。更に水分の多い黒い岩場の鳥ならば、肉体としても主題が違い、話すことはここに昇る人間にない。

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  • 音楽から成り立つ

    2024/03/16

    動物と虫

    縦社会、自分で決めるところ

     

     

    横社会、仲が良い

     

    自分が消えるイメージが多かったっ思う

     

     

    「音楽」が本当に主題なら、蟲ーバージョンのたった一つの曲が奏でられる

     

     

     

     

    蟲の高さが、これまで運命とされていた。

     

     

     

     

     

     

    神がいるとは知っていたが、神がおでかけするような、面白さや可笑しさが、

     

     

    それは捉えれなかったと思う

     

     

     

    不在、としていた

     

     

     

     

     

     

     

     

    一番クリアに思えた国境いのない、想像をするために、自分をよく知る土から、

     

     

     

    よく聞いて、

     

     

     

    自分一人が、「国」という言葉そのものの理解をする為に、

     

     

    国から考えても、最初に考えていたことを想像できる足を生やそうとしている。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    こう見ても、「簡単に話せる、成り立つテレパシー機能、地球にある」

     

     

    を使用するには、精神的距離がだいぶかかると判る。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ほんとうに自分の手間だったら、実際の機器で通信をする。

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  • 夢を叶えるには

    2024/03/16

    動物と虫

    夢で前に進んでいくなんてへんだ!

     

     

    気付いてくれ、

     

     

     

     

    良いものが見つかった

     

     

     

    「関西一円」という言葉、これは文学に偏るが、

     

     

     

     

    変わる私、せいかくが変わる、

     

     

     

    こういった恒常的、○尋常な空気を受け入れる

     

     

     

    理解が上滑らない、理解の一定を守ることに、

     

     

     

    一円は、自信と言う。

     

     

     

    誰かと、人とわかり合えたこと、わかり合うことを叶えた自分というのが、それまでの自分の理解や努力にあることを、

     

     

     

    伝える。

     

     

     

     

     

     

    急ピッチ🔧💦

     

     

     

    成長や愛や善に、あくよりも傾きがあるんだ。それは仕方ないんだ。善悪を語る心にも。

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  • 蟲ー修行

    2024/03/15

    動物と虫

     

     

    誰かがしてるから自分もそうする、

     

     

    この行動の原因が、

     

     

    人を

     

    保つか、捨てるか、

     

     

    は、全然違う。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「関わり」は、もっと人は過去を含んでるから、

     

     

     

    精神的なを意味する縁はない

     

     

    画面から何言っても伝わらないのだ

     

     

     

    自分で作った話が想像と言えないからだ

     

     

     

    よく見かける平面歩行を、出来てもしない、こういった倫理から

     

     

     

    ひたすら続く蟲パターンと、ひたすら変わらない蟲

     

     

    を、読み得く

     

     

     

     

    いつの間にか当然

     

     

    あたまが自分とは違って、分裂した言語たち、

     

     

     

    目をよそに向けるのは違法で、

     

     

    その分心配を増やしてる

     

     

    そんなヒトを見たことがある

     

     

     

    耳を澄ます

     

     

    何も聞かないのは定めだ

     

     

     

     

     

     

    見立てるものがないから、知られない

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    比較的見易い蟲ー、または圧され飛び出る蟲ー

     

     

     

     

    自ら修行に及ぶ

     

    自分を変えて、ねちょねちょしたひと、変なひと、素材にし一点集中をした、はは、わりと日のストレスにたいしては、強くなれる、マイナスにはマイナスを。

     

    直面したもののこの見方、対処。

     

     

     

    私の肩から湯気のように浮き出ている字体や靄のようなもの、自分から離れるヒトたちが静かに表される

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