揶白 (KF)

絵画

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    Works 43

揶白 (KF)

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揶白 (KF)

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    Works 43
  • 睫毛と目

     

     

     

    身を鍛え、造り出す道のことを、

     

     

     

    切り拓くといった良く動きのある言葉を、背負い込む。

     

     

    刀を持っていても戦えず、毎日途方に思いその日を暮らしていた武士の時代がある。

     

    毎日鍛えに励むが、輝きには考えを思う事のない限定された籠こそ空を舞っては、意味を持つ者を一筋の光から覗いた時、長い辛抱と悔しさが単なる水たまりのようでも心には浮かんだが、まるで話しかけ、

     

     

     

    本当に一筋に繋がっているんだ、と知れる。

     

    嫉妬というたがわない絵の具を、どこからやってきたのかどんな鉱物を取るのかを鬱屈した焦燥と逼迫の中ともプライドとも、回想とは光を打って、何だか無意味な、不思議な絵は指輪を探して行くのを堪らえている。水滴を「見る」為だ。

     

     

    何もない空間を、大きく縁取るあなたが、

     

    「言葉」でもなく、今だに憶えていることを、あなたの方法で聞きたい。私がわかるのは、何だろうか?を問う態度が基本姿勢が道に掛かってる。

     

     

    歴史は、私にとって意味を感じさせる時は、愚かさのことを考えている時で、優しさに繋がる何かとも違う。大切なのは今だ。

     

     

     

    馳せる、ただそれだけを理由にして受け取るのは、自分に解らないことだ。そこに秤り知れない何かを見れる。これが、同時なのだ。

     

    意味を忠実にあらわす腕力を鍛えている。

    言葉が、内容化する瞬間を、色としてか、形式としてか、こういったモノクロームの美しさがいくらでもしたたる。

     

     

     

     

    睫毛と目、滑らかに繋がる身体の像が、今は「みんな」を表してるように見える。一貫、と言う言葉だと思う。

     

     

     

    佇んでいなければいけない方のその理由がわからないように、「私」の顔は初めて輪郭を取った

     

     

     

    譲れない誰かがいて、対して自分がいる、鏡の中の、

    運命と言う敵でも、鍛冶屋は闘いに行くのだから。だから、気派手な容貌より棒を持つ人の方が映えている。

     

     

     

     

    行動に一徹を諦めないのなら、現行一致が心に宿るように、角を見做す。平面の誕生の瞬間をキャッチする。毬のスピードにまた対して筆とは響く。キャンパスに野が色付くときは、十分の歩数に意が求められる。何も描かれてなかったら、破綻したということが、何もない中では人間だというパスになる。形のあるものと、音楽を師とする様な形のないもの、これを自由に想像するこのある道。

     

     

     

     

    方法は、同じだが嵌らない石と輪を気にしている。彼が本当に唯一の相手なのか、今世、分からないのは、

     

    存在するかしないかを、説明を要する赤道のようにして、私は、こういう地図がある、イラストがある、アニメーションがある、こう平面がある。これと、実際不確かな地球の形が、丸であると知っていて、自分がこう関心があり夢を見るこの想像は、現であることとは、事象二つとして、赤道は存在する、と思う。

     

    詳しいことはわからないが、この増加の感じが、自分、私にあるべき生活を温めている。たとえポリ袋であってもそれが卵のように包まれた感覚。自分からわたし、という羽化の過渡期だ。仏に頼む暇よりも悲しみを感じている方が、無意味という題にぐっと近づく。ぐっと「かつて」の自分を引き寄せる。

     

     

     

     

     

     

     

    自分の想像では、

     

     

     

     

     

    サカナクションの「ルーキー」という例えば詩、があって、

     

     

     

    「行かないで」という国旗に、

     

    ・見渡して

    ・思い出して

    ・羽撃いて

    ・口づさんで

     

     

     

    という、この「私」の腹が、野にいるずっと昔からの祖から聞こえると知った。

     

     

     

     

     

    自分が早解りの為に、巫覡(ふげき)と言ってまた神意を伝える人々という責任を持って、これは巫覡の中でも巫女ではないが、そこに広い広いコンタクトを感じながら、己を知する。

     

     

     

    子供の頃に経文を読まされていた。確かに音感が良くなった。

     

     

    「己を知する」とは、昔から良く伝わり、緊張した言葉だが、間隔の実感とともに有った躾として、こういった流星群を読み聞かせる。説明ではなく、こういった礼儀の手ほどきが空間を拵えた上に備えられる。胸を打つ。

     

    必要をだけ携える。

     

     

     

     

     

     

     

     

    阿弥陀を唱える念仏の心の人も、自分で試したいのだと思うのだ。

    宮か役場なら、役場から打ち出す書の方でも、それが集大成になる様な、働く黒い蟻と思うにしてそんな者ではない。

     

     

     

     

     

     

    躾は、いくらやっても、動かないカラダとは、もともとあるべきものだけを吸収するからだ。「カラダ」というないこと、と有ることは似ている。総体として心の筋力をつける時間を大切にして欲しい。

     

     

    スピリチュアルメッセージという私の霊をまた一つの平面という次元の認識をすることを限定に、説明書など色々搭載している。

     

    こんなに何もしなくて良いトイレの存在を知ってるだろうか?これは、ウォシュレットといって蓋を開けるのも閉めるのも自動でしてくれる。是非、着目したいのは手間をなくすより、何でも一つにしている感じが、目をはっと驚かせる。

     

     

     

     

    感動は、こうなってる、自分の目の前にこうなってること。それこそを鵜呑みにしてしまう。踏み込む石と石が遠いって、入ってるんだから責任持って飛ばないといけない。飛べないんだったら、飛べるように。

     

    何故なら、それからどうなるかを、あなたしか誰も知れないから。

     

     

     

     

    私からはこれにて。

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 大阪の写真

     

    上アッテルと、私たち

     

    (実際どんな話かはまだわからない)

     

     

     

    部屋花火

    https://photos.app.goo.gl/ETsQfA5WqY7o2PUY6

     

     

     

     

     

     

    かなしい。…ごはんがお父さんになる、

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    俊寛、過去三ヶ月の我々の気持ち。色んな理由を知ってはいつつ、わけを聞き、黙って置いてけぼりにされる哀しいような美しさ。

     

     

     

    私はこんな風に、昔からあった金箔の文様が憎しみの線を書きてと感じつつ癒やした。これは缶だが、缶って不思議な気持ちがする。

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  • 無の階層

    私に何をしようとその人のやることはその人全てだから自分とは無関係と言うことだ。例えば、良いことでも悪いことでも、

     

    良いことがその上を行くならもうそれは友達なんだろうけど。

     

     

     

     

    センチメートル… 使ったことがない。

     

    そんなもんが、通用したらおかしい。というのは、刃先が下になっていたり、無関係な死体と親しむことにたいして、生命力によってからかっているのは、全く違うからだ。私のようにあらかじめ抵抗力も強くないのだから、早く、はやく、死んだ人と喋るのをやめさせ、分けてあげてほしい。分別をさせてあげてほしい。

     

     

    「誰に向かって」その自覚が大事だと思う。

     

    地に向かってる人だろう。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    私はどこまで行っても、そいつが非在だと確認したい。周りは私を単なる揺れてる火と気安く理解して、私を受け入れてほしい。

     

     

    どんなにかたちか変わっていても、何の違いのない顔面が点在している。これは、人と異なって一律価という。

     

     

    木を見て森を見ずと言い、

    肉厚が何かを言ってても、自分の願いがすこぶるノイズでも、私を含めて森を見た時果てしない平等性が広がっているとわかる。

     

    私がここでこれらに何をしても、“そいつ”は既に法を破り犯している。人の命は取り戻せず、人の人を守りたいという私の気持ちは、あなた が、そいつを私の身と混同せす剥いだ時、空に飛ぶ。

     

     

    その人の自由は奪えない、というが、どこまでも干渉がない、どのくらい干渉がないかと自浄し、自分を崇めるといういう意味で、不必要なことばだと思う。そいつの姿が、人とか自由の討論には入れないと思うオーバーサイズであるのを見ていたからだ。

     

    見て、ひいた。 震えた。

     

     

     

    それっきり避難することに端に寄ったことからでも生命力で道が開けていることが解った。分かってもらえないと言う悪夢の下でぺちゃんこだった。その次に凄まじく襲いかかる憎しみは、なんでこんなやつも見つれないん!?または、私を見つけれないん、という失望だった。

     

     

     

    「私、自分自身」の視線にたいする誤解を恐れず!

     

    を念頭に置き、未知なる無の修行向上に取り掛かっている。

     

     

    ただ在すると言う言葉を、チャレンジする内心の自由は、相変わらず変わっていない。そこにある悪意に自分を溶かし身の光を養うのだ。

     

     

     

    誰かが、何かしている途中かもしれないことをもし見ても、悪口を言うなら本人の前で、と思っているし、

     

    この間に「キモい」のは、小言に違いない。

     

    そういう思いにたいしてはいつも、緊張している。その時に、自意識のなかの、いらんもの、が解り、オープンに徒歩ってる。

     

     

     

    ・その力強い気持ちを無理矢理、何かではなく必ず人が止めている「気がする」のは、みればかなしいからだ。嫌だと流されず天に聞いているが、こちらを見ている。

     

     

     

     

    心からすると、表、があり、

    私はまだまだ優しさが表に現れる、優しくなる過程の中だ。

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  • 私の強い主張

    法華経の自分なりの朗読 https://video.fc2.com/content/2021060872gtPsht @fc2videoより 

     

     

     

     

    昨日のはなし。

     

    女殺油地獄のはなし

    https://video.fc2.com/content/20210531SztgMGFL  @fc2videoより 

     

     

     

     

     

     

     

    約束されてんのに、気にする事のおかしい箇所を主張する。

     

     

     

     

    ペースを落とす段取りを組んでいて、なにが解りか、何がセカイのテーマなのかを自分なりに考える。意味不明のなにかかわからない中で自分で片付けられることを一人で目一杯探しても、それだけはひとつも無駄にならない。良いことなら、いくらやっても良い、という言葉を思い出しつつある。

     

     

     

    正しいなら堂々としてたら良い。いくら何でいようと、気が気で、ちゃんと持ってるのなら。腐ってしまった自分がいるのなら、謝り拝み続けるのも知識になる。

     

     

     

    神がいる、ということはソンな幸せじゃない、ということで、私自身、穏やかを約束する。

     

     

    古来中国ではその名を、「福」と言い、差し引かれている。文学的にして初めて色んな意味があり、圧に抵抗したり、大切な何か、それらを守るが意識だけでしかやっていけないんだ!、ふかい深紅の理由の背中を橋や塔の途絶えていたこの隅から私は教えたい。この掛け軸は、鈴のようなテレパシー、とも出来る。こういう二項は懐かしさがある。私は色んなアニメがそれを聞く素養だったが、そういう事が本当にあって、伝えずにいれなかったのだと思う。纏めて「伝説」と言うのを新しく知り、歯が立たないカンジでいる。「これもあるし、これもある。」というタイトルには、「あれか、それか」という手が着かなさそうな外来書物が置かれている。後者にそれが、まま価値の高い物で、身を縮ませた師範がある。そこからは、永遠に論議がなされる。

     

    こういった循環論法は、幸せの憧れである。日蓮僧侶が早朝三時の勤行で、四角いお堂をくるくる周りながらお経を読んでいるが、ああいうとこで、天霊は遊んでいる。「達人」というレベルに史観が強くあった、その想像が取り戻す事が出来る。上手く取り戻せる…。息呑むが単に優秀として、ただ人民として、人種関係なく道力は運ばれていることをかつて知ったんだ。私はそこからわけもわからないのに涙している。

     

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  • 歩く税

    妄想が自分の想像に絡みついて、どれがこうとか、妄想しても、力とか元気を失くした。いくら妄想が下らなくても、悪意と違う。良いことなんやと、わかって嬉しい。

     

     

     

     

     

     

    「私」は、ろうそく火。ここに客観性の意味としての影を除き

     

     

     

     

    塚という地名が土地にあって、大国主がいて、テイシキという神があり、

     

     

     

     

    死んだように見える人でも、陰陽で言ったら陰とし、

     

     

     

     

     

     

    Q、どうしても私が、悪いのは何やったん?

     

     

    悔しかない。一焦ってる。

     

     

    A、あなたが持っている、すてきな数珠を失った。

     

     

    このとき、

     

     

     

    →起こることと、

    起こり得ないことがある。

     

     

     

     

     

     

     

     

    踊躍がない変哲のなさに怒ってるんや。

     

     

     

     

     

     

     

     

    それは徳である。道になる。

     

     

     

     

     

     

     

     

    チームワーク、それ以外は途方にない。

     

     

     

     

    先に限界を定め

     

     

     

    自分が税。

     

     

     

     

    和国を表している

     

     

     

     

    九次元役場

     

     

     

     

     

    役場…感じががらって変わっている。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    こう起こってる!

     

    こう自分に起こってる!

     

     

     

    その、背景。

     

     

     

     

    ・そいつぁ、目の世界じゃない

     

    ・見届けに来た

     

    ・精神上、心とした体のなかで「非在」

     

    ・毀笑

     

     

     

     

     

     

     

    街では「墓」で通っている。

     

     

     

     

    逞しい争いが古来あって、そこにはわざと捻りがあった。終始沈黙した、長い長いキスのような昇華。

     

     

    まるで、時空のそういうものがたまに心に映る、

     

    同じ世界にいる。

     

     

     

     

     

     

     

    ずっと何の勇気をもなく、へいきじゃないからカッコつけて生きている。自分と混同出来ないその人の人生まではさわれない。知れない。何かと溶け合わすこともなく、くっきりとした愛や次元から、吸着されるような形ではみ出ている。いくらその人を上にしたまま避けるように動いても、その人の紙の平行感や、その紙が受け取る光や、反射する光の量は、変化しない。

     

     

     

     

    どうせ関わりがないのだから。思い切った省略が、洗練となっている。

     

     

     

     

    心が満ちて、求めてない。

     

     

     

     

     

     

     

     

    祓い   が、漢字(難字)。

     

     

     

     

     

     

     

    自分だけが良くいて、

     

     

     

     

    相手がめっちゃ働いているようにも見える。

     

     

     

    こんな考え(大行)をしていたのは、昔から。

     

     

     

     

     

     

     

     

    住吉神社…方位、自分の生まれが南西、星が東、養いが北。北が北故にいま夜となって閉じられていた。

     

     

    を、あるきながら思い出す。

     

     

     

     

    住吉様は、ムーを五行的に含んで修めている。

     

     

     

     

    ムー…方位、というくらいの付くのだから、未満として含まれない。

     

     

     

    「天王星」「冥王星」が見つかった。天王星が見つかり、冥王星の意味がわかった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    プラス、善悪の勉強をし、耐えた。確かな歩みがある。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    士農工商穢多

     

     

    導き(士)と、生きとし生けるものの、執念(農)によって、求められた(商)これからの(工)

     

     

     

    漂っていて問題がない(えた)

     

     

     「えった」ともいう。 被差別身分として固定化されたのは、江戸時代以降のこと。 「穢多」の称が一般化した後も、関西などでは「かわた」、東日本では「長吏(ちょうり)」などと自称した。

     

     

     

     

     

     

     

    学校では、士農工商えた非人、と身分を習った。 えた非人が部落にいると昔ながら聞いていた。非人以外、並列の関係をするのだと、考えてわかった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    趣味は利器となる。思いとかくりと合わさった時、何か光がする。

     

     

     

     

     

    利器からいったん遠のいた過去がある。固めてる…一旦、途絶えた道があり、それを歩いていると

     

     

     

     

     

    龍とかほうおう(は、別な気がする)は、あれは多岐。種類が多い。天狗とか、松系の太秦、龍の龍、

     

     

    感覚的な昇龍の。

     

     

     

     

     

    摩(マー) 世間の自分、という覚醒の、そのままの様子。

     

     

     

     

     

     

    自分を知る名称は、みんな勝手に自分とこで知る。

     

     

     

     

     

     

     

    一金五円 ヨソンスジンに騙された人

     

     

     

     

    犬の方が偉い→犬は偉いで

     

     

    道をさしている。逞しいと思う。犬の毛はしっかりしている。

     

     

     

     

     

    「そんなんに負けたん?!」

     

     

     

     

    女が名を馳せようと待機していて

     

     

     

    ある時についた傷を、知らんうちに治そうとしていた。痛まないように柔らかくいたが、自分を知らない何かもわからんやつ(?)が、

     

     

     

    伝え押し拡げようとした。(普段、一笑に伏す出来事だった。)(自分だって責任があるからどれが何かを)

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    薄情…「色んな人」を感じる。

     

     

     

    ないことを追っかけていたが表現したいのは、出来る出来ないじゃなくて

     

     

     

    伝統の「証拠」がなかった。

     

     

     

     

     

    …ムーに当てるやつ

     

     

     

     

     

     

    客観性だけ。信愛がないが、違う定式が律になって土着してる。〜完璧に書く意欲で堺

     

     

     

    人、という主題で含まれる虫みたいな私。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    高津神社…地元。

     

     

    〜こうやったは絶対ないからな。

     

     

     

     

    日本橋、長堀橋から見て城が向こう。侍がこの辺から構えてる。いろんな心に突き刺さる矢が

     

     

     

    満身の心に混ざって虐げられてもオタクになりたい、という気持ちにさせる。

     

     

     

     

    強靭な摩擦熱によって生み出された主義、を、がそこにあるのを自分は本当に良い意味で感じ取った。いくら人間の性表現を精神にしてても、そんな内部構造はない。

     

     

    そんなこんなとは

     

     

     

     

     

     

    全く異なる実存、 の説明

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ・正気じゃない!…五、とだけ読む。それが不健康とは違う!

     

     

     

     

     

     

     

    続けなきゃいけないし、易くそう出来た。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    今、という時間はどんな理由にも連結しない。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    普通に聞き入れていて良いことがある。

     

     

     

     

     

    …これまでに、何か有った(人たる覚え、辛い記憶)の明見。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    学的なもの、とゆうのは聞き手、受け手の気持ちが偏る。

     

     

     

     

     

     

     

    これがこう、見定め、をするのは意外とカンタン!踏み込めば付くというものではない。どうしたかは今覚えていない。

     

     

    開き直るのは難しいと思う。普通は是というのを、感じるが、自分とこのテコや括りに「だめ」と

     

     

     

     

     

     

     

     

    ・感動が重い

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分に足りないのは、勝手さや。心の中の集中力。

     

     

     

     

     

     

     

     

    ちゃんと陽気な人にたいしても、過分がない。

     

     

     

     

     

    精神が健康だったらと言う理由で、地道な

     

     

     

     

     

    ムーは自分がムーと必ずわからないから、どれだけ楽に受けれるかをせよ、

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「だめ」が、否じゃなく、

     

     

     

    しゅっとする、その時は、資本(物以外の物)

     

     

     

    …たんに妄想とか、水を切った、解

     

     

     

     

     

     

     

     

    ストレスが溜まると体が透ける。…何のイメージ喚起もさせないムシューダのメータのような自分。

     

     

     

     

     

     

     

     

    妄想が自分の想像に絡みついて、どれがこうとか、妄想しても、力とか元気を失くした。いくら妄想が下らなくても、悪意と違う。良いことなんやと、わかって嬉しい。

     

     

     

     

     

     

    「私」は、ろうそく火。ここに客観性の意味としての影を除き

     

     

     

     

    塚という地名が土地にあって、大国主がいて、テイシキという神があり、

     

     

     

     

    死んだように見える人でも、陰陽で言ったら陰とし、

     

     

     

     

     

     

    Q、どうしても私が、悪いのは何やったん?

     

     

    悔しかない。一焦ってる。

     

     

    A、あなたが持っている、すてきな数珠を失った。

     

     

    このとき、

     

     

     

    →起こることと、

    起こり得ないことがある。

     

     

     

     

     

     

     

     

    踊躍がない変哲のなさに怒ってるんや。

     

     

     

     

     

     

     

     

    それは徳である。道になる。

     

     

     

     

     

     

     

     

    チームワーク、それ以外は途方にない。

     

     

     

     

    先に限界を定め

     

     

     

    自分が税。

     

     

     

     

    和国を表している

     

     

     

     

    精神的に役場

     

     

     

     

     

    役場…律ががらって変わっている。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    こう起こってる!

     

    こう自分に起こってる!

     

     

     

    その、背景。

     

     

     

     

    ・そいつぁ、目の世界じゃない

     

    ・見届けに来た

     

    ・精神上、心とした体のなかで「非在」

     

    ・嬉笑

     

     

     

     

     

     

     

    街では「墓」で通っている。

     

     

     

     

    逞しい争いが古来あって、そこにはわざと捻りがあった。終始沈黙した、長い長いキスのような昇華。

     

     

    まるで、時空のそういうものがたまに心に映る、

     

    死んだ感覚がするけど、

     

    同じ世界にいる。

     

     

     

     

     

     

     

    ずっと何の勇気をもなく、へいきじゃないからカッコつけて生きている。自分と混同出来ないその人の人生まではさわれない。知れない。何かと溶け合わすこともなく、くっきりとした愛や次元から、吸着されるような形ではみ出ている。いくらその人を上にしたまま避けるように動いても、その人の紙の平行感や、その紙が受け取る光や、反射する光の量は、変化しない。

     

     

     

     

    どうせ関わりがないのだから。思い切った省略が、洗練となっている。

     

     

     

     

    心が満ちて、求めてない。

     

     

     

     

     

     

     

     

    祓い   が、漢字(難字)。

     

     

     

     

     

     

     

    自分だけが良くいて、

     

     

     

     

    相手がめっちゃ働いているようにも見える。

     

     

     

    こんな考え(大行)をしていたのは、昔から。

     

     

     

     

     

     

     

     

    住吉神社…方位、自分の生まれが南西、星が東、養いが北。北が北故にいま夜となって閉じられていた。

     

     

    を、あるきながら思い出す。

     

     

     

     

    住吉様は、ムーを五行的に含んで修めている。

     

     

     

     

    ムー…方位、というのだから、未満として含まれない。

     

     

     

    「天王星」「冥王星」が見つかった。天王星が見つかり、冥王星の意味がわかった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    プラス、善悪の勉強をし、耐えた。確かな歩みがある。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    士農工商穢多

     

     

    導き(士)と、生きとし生けるものの、執念(農)によって、求められた(商)これからの(工)

     

     

     

    漂っていて問題がない(えた)

     

     

     「えった」ともいう。 被差別身分として固定化されたのは、江戸時代以降のこと。 「穢多」の称が一般化した後も、関西などでは「かわた」、東日本では「長吏(ちょうり)」などと自称した。

     

     

     

     

     

     

     

    学校では、士農工商えた非人、と身分を習った。 えた非人が部落にいると昔ながら聞いていた。並列の関係をするのだと、考えてわかった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    趣味は利器となる。思いとかくりと合わさった時、何か光がする。

     

     

     

     

     

    利器からいったん遠のいた過去がある。固めてる…一旦、途絶えた道があり、それを歩いていると

     

     

     

     

     

    龍とかほうおう(は、別な気がする)は、あれは多岐。種類が多い。天狗とか、松系の太秦、龍の龍、

     

     

    感覚的な昇龍の。

     

     

     

     

     

    摩(マー) 世間の自分、という覚醒の、そのままの様子。

     

     

     

     

     

     

    自分を知る名称は、みんな勝手に自分とこで知る。

     

     

     

     

     

     

     

    一金五円 ヨソンスジンに騙された人

     

     

     

     

    犬の方が偉い→犬は偉いで

     

     

    道をさしている。逞しいと思う。犬の毛はしっかりしている。

     

     

    九次元役場、

     

     

    役場…感じがががらりと変わっている。

     

     

    「そんなんに負けたん?!」

     

     

     

     

    女が名を馳せようと待機していて

     

     

     

    ある時についた傷を、知らんうちに治そうとしていた。痛まないように柔らかくいたが、自分の知らぬ何かもわからんやつ(?)が、

     

     

     

    伝えようとした。(普段、一笑に伏す出来事だった。)(自分だって責任があるからどれが何かを)

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    薄情…「色んな人」を感じる。

     

     

     

    ないことを追っかけていたが表現したいのは、出来る出来ないじゃなくて

     

     

     

    伝統の「証拠」がなかった。

     

     

     

     

     

    …ムーに当てるやつ

     

     

     

     

     

     

    客観性だけ。信愛がないが、違う定式が律になって土着してる。〜完璧に書く意欲で堺

     

     

     

    人、という主題で含まれる虫みたいな私。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    高津神社…地元。

     

     

    〜こうやったは絶対ないからな。

     

     

     

     

    日本橋、長堀橋から見て城が向こう。侍がこの辺から構えてる。いろんな心に突き刺さる矢が

     

     

     

    満身の心に混ざって虐げられてもオタクになりたい、という気持ちにさせる。

     

     

     

     

    強靭な摩擦熱によって生み出された主義、を、がそこにあるのを自分は本当に良い意味で感じ取った。いくら人間の性表現を精神にしてても、そんな内部構造はない。

     

     

    そんなこんなとは

     

     

     

     

     

     

    全く異なる実存、 の説明

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ・正気じゃない!…五、とだけ読む。それが不健康とは違う!

     

     

     

     

     

     

     

    続けなきゃいけないし、易くそう出来た。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    今、という時間はどんな理由にも連結しない。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    普通に聞き入れていて良いことがある。

     

     

     

     

     

    …これまでに、何か有った(人たる覚え、辛い記憶)の明見。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    学的なもの、とゆうのは聞き手、受け手の気持ちが偏る。

     

     

     

     

     

     

     

    これがこう、見定め、をするのは意外とカンタン!踏み込めば付くというものではない。どうしたかは今覚えていない。

     

     

    開き直るのは難しいと思う。普通は是というのを、感じるが、自分とこのテコや括りに「だめ」と

     

     

     

     

     

     

     

     

    ・感動が重い

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分に足りないのは、勝手さや。心の中の集中力。

     

     

     

     

     

     

     

     

    ちゃんと陽気な人にたいしても、過分がない。

     

     

     

     

     

    精神が健康だったらと言う理由で、地道な

     

     

     

     

     

    ムーは自分がムーと必ずわからないから、どれだけ楽に受けれるかをせよ、

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「だめ」が、否じゃなく、

     

     

     

    しゅっとする、その時は、資本(物以外の物)

     

     

     

    …たんに妄想とか、水を切った、解

     

     

     

     

     

     

     

     

    ストレスが溜まると体が透ける。…何のイメージ喚起もさせないムシューダのメータのような自分。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    要って良い力がある。

     

    ・自分でも気にしたあかん自分、自意識、客観性、この強さによって、ひめてもない力を付ける。

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  • 凍てついた神、須佐之男

    気持ちを簡単に送る

    2023/06/22

     

    ニューワールド

    生命磁気(回帰)のオーバードライブ。

     

     

    という凄い言葉を、漫画で拾った。実際、そうなのだらしい。

     

     

     

     

    スサノオがそこにいて、凍りついていた。その中に「私」は籠もって凍てつく心を神の剣に治療させてもらった。

     

     

    「摩」マー、

     

     

    という古い言葉が、ある。力こそ世間の中の自分、自分としての世間。

     

     

    いいか世は体。

     

    悪い気持ちには、高鳴る心をぶつけ、

    良い気持ちには、掴んで対応に向かう。

     

     

     

     

     

     

     

     

    人を試す、この事がなんで失礼か

     

     

    物し付け

     

     

    「あなたはどうですか? あなたは、どうしたの?」

     

    と声を出していちいち自分に尋ねる。

     

    他人に心に湧く感情にたいして、

     

    まず自分自身の頭上に「あの人は〜ですか?」と聞く。

     

    いつも心許ない。

     

    あとは香を立てる。

     

    煙を、浄化グッズ。

     

     

    これが、整えとなり、

     

     

     

     

     

     

    全てを届けてくれる。

     

     

    この煙を、朱雀と言う。

     

    自分の気持ちを他人に伝えようと、中途半端に念じても、

     

     

    その人は、あなたの重い気持ちを肉体に背負い込んで受け止めなければいけない。

     

    何も届かない時間が流れる。

     

     

     

    気遣わない冷たさが、そのまま重たるさとなるからだ

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  • ムーが持っているノ~ト…

    ということは全然夢じゃない。

     

    夢でも何でもなくて

     

     

    人の夢はいい加減。

     

     

    目標と夢は似てるけどちがう

     

     

    目標はずっと追い続けるけど

     

     

    夢と目標は違う

     

     

     

    夢は現実にしたあかん

     

    夢の職業につきました

     

    そういう人は、上を目指しています、ってなるやん

     

    大体、夢を職業にするけど

     

    趣味を夢にする人なんかおらんわけやんか

     

     

     

    現実にあったことがない

     

    いつかそうなりたい、でいいやん

     

     

    現実にあったあかん

     

     

    それは夢やから

     

     

     

    夢を見たとき高望みがあって、守りに入る

     

    夢はおっきいところにおいとかなあかん

     

     

    追い続けるんが夢やから

     

     

     

     

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    爆発

     

     

     

     

     

    光影が重なって、きらきら泣いている。

     

     

     

     

     

     

    しゃーない、仕方ないと思って生きていると思うそこのあなた。

     

     

     

     

    教育を受けたんが初めて、

     

    重い鞄を毎日持ったんが初めて。

     

     

    悪い人と混合させ生きているひともおる。

     

     

     

    何かいたらなんでもかまわず自分から取り除くのではなく、拝みかけるのも修行。

     

     

    いてくれたから

     

     

     

     

    何でも「今したいこと」が強い。

     

     

     

    私はこう思われてるかも知れない、そう悩んで、

    念の残る人は、小さく紙を用意し、そのまま無心で手で破くと晴らせることが出来る。

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  • 自分の明朗(あかるさ、くらさ)

    何かを見れる才能があって、自分が自分に、何か手伝うことがあっても、それはありがとうとも、能力があったら私もこうする。とか、重要なのは、能力がないことを、能力にし、大事に持つ。

     

     

     

    高次元や、そういった心は、危険を感じたら自分の間隔で自分の心を閉めるとしても、自分の心のスピードを聞いてくれる。たとえ苦しみでも、揉まれていることをよしとされ、それは人となんら変わらない。

     

    輝きではなく、光。光は、単なるいつも見ている光のこと。

     

    アッテルはエネルギーが高いから負ける。力を高くする。

     

    水と火は溶け合わぬが、火のほうが、水を見つめて扱うことができれば、変わる。

     

     

     

    水は、不浄に強い…アッテル

     

    火は、嫌いもまた力

     

    これらは、光を定義にしているので、

     

    鏡にぼんやり「誰か」のシルエットが映るイメージ絵を見たことあるが、

    聞かされてた、という気持ちにも興味深いが、今は自分の心の姿勢に差し出がましさを感じでストーリーを追うのをやめた、まさに鏡。

     

    イメージの具体化、っていうイメージがあるとも知らなかったし、鏡についての絵をもっと描いてみたいと思う。

     

     

    高次元や、強さはまた、私は岩からして小石になる、

     

     

    わかり合う心とか、例えば気高い動物の毛を思いうかべる。ごわごわとしっかりした感じ。何でもいいからやることやりたい。

     

    柔軟な自分に、嫌だと断りを入れたい時は、存分、存分、存分、と目に戻り、初心に返り、「好き」を軸にそのまま見てあげようとする、真剣な、心読。

    志望。様々な色が間合いにあるけど、込みいらず許して行く感じ。

     

     

     

     

    日は分刻みで回らないから、ほっといたら物凄く逞しいやつになっていた。と、ぽんっと成長する。

     

     

    気を高めて登る人も、何かを求めているんじゃなくて、登る人も、見ている人も、同じ気によってそこに震えがある。

    ふもと、足元をいる人も、続けていきたい何かがあるからそうしてるわけで、

     

    間をとってしまううちに、引いてしまってたが、そこでも心は動くものがあって「じゃ、行ってくるわ」の挨拶で、心は安定したものとなる。

     

    間に合わせてちゃっとする。

     

     

     

     

    人生の時間、それを考える態度も変わった。子供の頃思っていたより、良い姿勢になった。

     

    自分が自分の心を合わせて

     

    自分と同じだ!という認識もあるが、友達が新しく出来るような。当然のように思ったり、忘れることがないから、締まった。

     

     

     

    孤独で良いアッテルもいる。その理由はいくら理屈がわかっても、辿り着いていない。  

    、、、という、丁度ふさふさした山脈を遠く眺めるような視線。

     

     

     

    自分に立ちはだかる高次元。

    透明な空がそこにあって、そこに自分の霊を描く。天の態度で、気持ちでは放つ。

     

     

    目前の歩道も、詩的さも守れる。

     

     

    人が前提でなお且つ対人じゃない、有るべきフィクション世界で、その天ぜんな空想の規格を使って、自分の霊感(こうじげん)を使って、もっと良いタイミングで明るいギャグくらいのフキダシみたいなん、を、いれて気持ちのまま、ずうずうしく小さく弾けるのが、拝みや浄化なのだと思う。発信する口を柔らかくし、それこそ投げつけて良い。そこで、どれだけ早くもとの姿勢に戻れるか、どれだけもとを保っているかも、精神の鍛えになる。

     

     

     

     

     

     

     

     

    高次元は、

     

     

     

    アッテルはエネルギーが高いから負ける。力を高くする。

     

    水と火は溶け合わぬが、火のほうが、水を見つめて扱うことができれば、変わる。

     

     

     

    水は、不浄に強い

     

    火は、嫌いもまた力

     

     

     

    鏡にぼんやり「誰か」のシルエットが映るイメージ絵を見たことあるが、

    聞かされてた、という気持ちにも興味深いが、今は自分の心の姿勢に差し出がましさを感じでストーリーを追うのをやめた、まさに鏡。

     

    イメージの具体化、っていうイメージがあるとも知らなかったし、鏡についての絵をもっと描いてみたいと思う。

     

     

    高次元や、強さはまた、私は岩からして小石になる、

     

     

    わかり合う心とか、例えば気高い動物の毛を思いうかべる。ごわごわとしっかりした感じ。何でもいいからやることやりたい。

     

    柔軟な自分に、嫌だと断りを入れたい時は、存分、存分、存分、と目に戻り、初心に返り、「好き」を軸にそのまま見てあげようとする、真剣な、心読。

    志望。様々な色が間合いにあるけど、込みいらず許して行く感じ。

     

     

     

     

    日は分刻みで回らないから、ほっといたら物凄く逞しいやつになっていた。と、ぽんっと成長する。

     

     

    気を高めて登る人も、何かを求めているんじゃなくて、登る人も、見ている人も、同じ気によってそこに震えがある。

    ふもと、足元をいる人も、続けていきたい何かがあるからそうしてるわけで、

     

    間をとってしまううちに、引いてしまってたが、そこでも心は動くものがあって「じゃ、行ってくるわ」で、安定したものとなる。

     

    間に合わせてちゃっとする。

     

     

    竹刀は、こういう形になってる。こういう形になるまで時間がある。ただの棒でいいように思う、人の手間がそこに入ってる。何かを受け入れ加えることを知る。それを大きくなって「抵抗」という自分が向かっていくものの言葉になった。

     

     

     

     

    人生の時間、それを考える態度も変わった。子供の頃思っていたより、良い姿勢になった。

     

    自分が自分の心を合わせて

     

    自分と同じだ!という認識もあるが、友達が新しく出来るような。当然のように思ったり、忘れることがないから、締まった。

     

     

     

    孤独で良いアッテルもいる。その理由はいくら理屈がわかっても、辿り着いていない。  

    、、、という、丁度ふさふさした山脈を

     

     

     

     

    透明な空がそこにあって、そこに自分の霊を描く。天の態度で、気持ちで放つ。

     

     

    目前も、詩的さも守れる。

     

     

    人が前提でなお且つ対人じゃない、有るべきフィクション世界で、その天ぜんな空想の規格を使って、自分の霊感(こうじげん)を使って、もっと良いタイミングで明るいギャグくらいのフキダシみたいなん、を、いれて気持ちのまま、ずうずうしく小さく弾けるのが、拝みや浄化なのだと思う。発信する口を柔らかくし、それこそ投げつけて良い。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 祈り(記述中)

    みんな的に祈るなら、昔を昔と解けるとき、みんな同じく今他の人と同一だった、つまり、諸元が愛で出来ていることだとしたら、違う育ち方をしているという現実に興味を持った。現実に掴まれば動く範囲を伸ばせるのに、私は思ったがそういう話じゃなさそう。

    天地の話になる。本当に陸が割れてこうしている、としても、自分には五行で土気が良いとされ、それだけの存在と思うが、出世と言う御守りの存在によって、まだ現前、降臨不可なのだ。巷で聞いているワードと国を手掛かりに運を読んで、発散すべき心を消費してる。私は心の損保という高度なことにチャレンジ中。
    愛想だけのそういうのがあって良いと思う。何故なら親を守る為、

    アッテルの様子がもし見えたら、その姿を自分と重ねることが出来たとき、そこに自分がいて、そこに知らない人がくっきり彫られているのがわかるだろうか。知らない人を認知する。

     


    大事な話を、色んなことを吹き込めて後ろ向きにさせず、自分はただ南無と感謝する形が良い。興味のあることチャレンジすることは、案外もっと違うことなのかも知れないから。

    アッテルが祈っていた「潤いを大事にする」に十字をきり、キャッチすることが出来た。

     


    別れると言ったら別れる恋が動力じゃないらしい。お

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