ブルー将軍
2024/01/18
「所謂雑念のジャンクフードを相殺」したら、
ドクタースランプあられちゃんのブルー将軍を三分まで観てる。澄まし顔をして漫画という「物」と対峙するのが、心の広さを伝える。能しようとするから能動力と言う。現実との混同をして棒が当たっている様子を何度も見ている。物自体を愛す、としてあらゆる嵐をクリアし尊さを守る道が、生産パーセン的に高いものだった。
内容は、
必ずいるおっさんが、秘密を明かし誘導する。
何かを探しに来たぽつりといる男性を歓迎し、
「何と、わたしの正体は!」と、瓦を拳でわろうとする。が、割れない。
説明したい箇所があるが、
アニメだから良い、決して飛び出てこずやさしいまま佇んでいる。アニメ自体が擬人になる話も聞いたことあるが、高度な精神や、哲学の技術的な、漫画それ自体を絵画と見なす気持ちと同じだ。もともとある視覚的な歪みが自然に形骸化され、デフォルメといった作業で月に映るから、自然と現実に近い。感じたり思ったことのある現実イメージや、これぞ欲しかった詩。
現実イメージ、と言い直すと、創造的現実とは言わないが無心は世に合わせられ今なら特に夢を見て、夢を含んで「現実」と考えるのではないだろうか。
アニメを製作したい、と絵画的にする時、
一分目より三分目で、まるで二枚の絵画があるような感じで、仲の進展が捉えられる。
本来のストーリーやキャラ意識以外に物語性というレイヤーが絵の上にあり、精神的に立体感を受け入れている。
厚みを持った二枚の絵画という構造がある。その外部でアニメが人物などでもなく漠然とさせたままの視覚的魅力、こういったこれから自分の人生に何かが起きる!というような元気、それをそのまま観る。
ただの絵から、アニメになるという「動き」が付く大きさ、その感動が語られるのをよく聞いていた。
冒頭で、私の観た内容はこう、と始めるが、
あなたの観た内容はどう?と聞いてみるのも面白い。
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