揶白 (KF)

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  • 方法論150,151

     

     

    母子の間合いはやや広く、魂で良く闘っていた

     

     

    一人親を私は十代に亡くしたが整頓付いたとこに近付けられ近づくと、

     

     

    「いける」と思うのが悪い

     

    「あなた」だ、と告げる辺をはみ出して来ている破っているやつがいるけれども

     

     

     

    「自分」こそが辺で、

     

     

    自分で処理出来ないことはしてはいけない

     

     

    などをいわれ

     

     

     

    無視でも、ゆうでも、ということはいかなる形でも御冥福を祈ることは諦めていない

     

     

    お主の、母への思いは誠か?

     

     

    有名な神の問いかけだったのだ

     

     

     

     

     

     

    母は以前、「死にたいんじゃない、消えたい」といっていた

     

    私の安心したのは、いなくなれないということだ

     

     

     

     

     

    擬人体験、、、軽すぎる場合、留まれない

     

     

     

     

     

    これが、魏志倭人伝という伝説なんだ

     

     

     

     

    ぎし⋯仁義、意志、「志」はこころざしと書く  倭人⋯人間

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分は、意識では楽で、生きてるに違いなくて、昔読んだ文で、「痴漢の人は、彼は、蚊に刺されたと言っているのです。蚊に刺された様なことで訴えること、これとは決して混同しないように」「そうである」ことと、「そのような」ことが全然異なるのがわかった。意識を認めてもらってないとも違うんだ

     

    その背後にはオン タラーク「アーティストと歌手

     

    歌手とアーティストは違う

     

    歌手とは何か?

    私は、アーティスト

    上手く言えませんが歌手とは、人の表現を自分なりに理解して、さらにそれを表現する人たちなのかな?と思います

     

     

    ただ、私はアーティスト

     

     

    歌手とは何か?歌手の方から聞きたいな

     

     

     

     

     

     

     

    意志の高さは人も昔と同じだけど、水星より地球の方が広かったから、考える尺度や寸が異なるが、意志の高さは変わってないんだよ

     

     

     

     

     

     

    母を考えた時に

     

    母の変顔が気になって考えている時に私を薙ぎ倒し込む気配がある、

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    それが天人だった

     

     

     

     

     

     

    大人になるために生まれてきたのに、母へ自己を任ねるのは、“大人しかいない時に”一人でない自分とは心細い

     

     

    母では巣立ち、父では翼、羽ばたきを名目とするのは島人の特長か、

     

     

     

     

    どこの人でも、心の飛躍を願っています

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    あと、

     

     

     

    亡くしたときに、母とずっと暮らしたい!と 思ったことがある

     

     

     

    「思った」ことを、前提的に見ちゃいけないこと

     

     

    それを、自覚しておくべき

     

     

     

     

     

    考えることにたいして控え目に気遣って退いたり引いたりする

     

     

     

     

     

    「考えてること」だというスペースはなくならないんだ

     

     

     

    だからそこでいくらどんな形で考えてもそこから引けないし抜けないんだ

     

     

     

     

    だから人生にロマンスがないんだよ

     

     

     

     

     

     

    「想像」は、まったく常套句と違うから

     

     

     

     

     

     

    違う違う、駄目だ駄目だって親に言われてきたことをもっと愛すべきだよ

     

     

    あれ駄目、これ駄目、

     

     

     

     

     

     

     

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  • (追記)進化 

     

    善悪を語れない「私」が

     

     

    善まで、というリミットで、

     

     

    「?」何ができるんだろう?建築では、これを使う

     

     

     

     

    I am  も良い

     

    歩くことも出来る

     

     

     

    神仏に許されている!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    空間は、いいたいことと、夢が上手く噛み合ってると形成できる

     

     

     

    いまいえない あとでいえる

     

    夢は自然の成り立ちのまま夢に置き横に 続けない 

     

     

     

    パズルパネルと思って

     

     

     

     

    現実との間隔は、ことばの空いた詩参照、

     

     

    リズムだけはわかりやすい

     

     

     

     

    何やってたんだろう?何を思ってたんだろう? も、人間の歴史だから、よい

     

     

     

    人間⋯自分から感じる心の様子

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「猫」

     

    家猫として、一緒におる

     

    何で人間として一緒におるんや

     

    詩でゆうたら空も難しい

     

    趣きがあって、宇宙とか小梅太夫は色々考えたけどただ“自分が”家猫であるは、ニュードア、人間が空を本当に好きになる時、

     

     

    空にも感謝

     

     

     

    “あなたが”いなかった

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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    森の考え

    2024/01/17 ストーリー出待ち四

     

     

    バラバラなものを、バラバラに持つ、から学識的意味自由をいつも通り我慢し、そこに、普段のわたしがちゃんと有る。

     

    有るを、有ると言ってほしい。

     

     

     

    半開きの窓辺のわたしと道行く奥行きは、

     

     

     

     

     

    ①窓辺のわたし女性

     

     

     

    ②わたしの家、緑、木々、

     

     

     

    ③わたしの友達たち(動物、神、空)

     

     

     

    ④ここは巨大な森

     

     

     

     

     

     

     

    となる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    映画「もののけ姫」を見て良くわかった。

     

     

     

     

     

     

     

    森だと尊びと、町という考え、

     

     

     

     

     

    “そう”生きてみないと、ムエタイなどは、わからない。

     

     

     

     

     

    そう思い出す。

     

     

     

     

     

     

     

    日本は、元は80~60%が森だと書物で読んだことがある。そして、重大に思うのが今構築された街に森がそのまま住まわっている。建物というのが自然だからだ、考えられるただひとつの一点から、ビルを見ても、落ち着きを見ても、森が死なない。森が死なないのを実に感じていた自分を知る最中だ。建物が自然、「難しい」のが共存をするという惑星、大きなスケールの地球の特徴と言えそう。この様な大切な情報が、大切に諦めないことで木の実の様にころっと零すことが詩性に繋がれ出来る。

     

     

     

    だから、街(もり)と言っている。街(もり)が、守りを望むから本当に上を見れば開示出来る。

     

     

     

    昔の字にみまもり、という意味で似た字からこう書ける。守護という「言葉」となる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    麻布を伸ばしてピンと引っ張り張れるような緊張感、その余白が出来る。

     

     

     

     

     

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    本当の本当の現実

    2024/04/22

     

    ストーリー動物と虫五

    蟲ーが起こる前の感覚は、ノイズやアッテルの存在はあったが、意識に至らない事故が長かった。気付いた時は自意識になって、存在してはいけない対客観性が猫のように生まれた。気持ちが大らかでなくとも、全く意識がなくても、私生活に何の携わりもなく楽しくしている、こういった姿勢が、未来永劫、変わらない一定だと思うのだが。気付いて会えた人は幸運だが、何か自然に受け入れ適当に付き合っているものが、霊感だとやっとの思いで知るのは、必ず悟っていて大人だ。

    時期によってやることがある。

     

     

    大阪城の堀の策が、コンクリートで施された丸木のやさしい姿で並んでいる。

     

    本当の丸木ではないが、コンクリートという節約法と丸木という形を丁寧に模したという仕方からは、想像することが多めになる。

     

    思い出せばぼーっとしてるだけでも人は成長した。

     

    偉大な昔からの法律から、事故被害による不安定な気持ちから、強制出来る止まり、そういった保険という優しさの存在と心境や歴史背景を感じとる、噛み合いの取れたことがわかり安心した心がわたしを元の地に戻していた。苦しむことにたいして、思いのほかたった一回の生命のテーマだと、星々を見て解る。辛いことや心に対峙しようとした固い決心の中で時にわからなくなるが自分の背景は地球である。総合的に理解して、高ぶる気持ちこの心が引く線が、高ぶり過ぎた気持ちとその実際の間違いにたいして、罰の字は、二つはクロスを描いているかのように平行線、何か美しい、心の中で、世界の誰しもが大丈夫だと思った。

     

    まず、私が大変だと思ったことは、

     

    正しい見方からメタとか、学問、素晴らしい思想を学べる。

     

     

    帰ってイメトレ。

     

     

    スマホ、文明、どこにでも聞ける、神社動画など、→社に問い合わせ(神社の人や窓口ではなく神に直に、それを問い合わせるという良い意味)、見えないという理性の修行、難度が高い、何となくわかる。教え、「何となく」何となくわかる、が一番大切と聞いている。

     

    思い、スサノオ

     

    自分の思いを問い合わせる

     

     

     

     

    そこで見つかる凄いものとは、色んな広大な思いの心の中で、連れていかれず正気である、何のために働きて理性を身に付けたか、しかもそれを精神性の限り応用して行くのである。ひとりっきりで解りこれがああだと締めくくって来たことが違ったのだ。まだ誰かがいない時、自分に「誰か」がいないとき。誰かも想像出来ない時からだ。

     

     

    供養欄

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    私と神

     

    別ではないけど、全く別  神言葉=難字

     

     

    キャラクター、手に収まる距離ならそうは言えないし

     

    キャラクターになることの出来る「自分」に異なる神が潜む

     

    彼方の名前を現す語だとしたら

     

    形が「無い」ことで神という言葉は同一だ

     

     

     

     

    「私」の、上に控えているイメージは久しぶりだろう

     

     

     

    至って、精神とはを問い続ける「天」の存在がわかった

     

     

     

    天、という言葉から、ぼーっとしたり衝撃など派生される線を各々に自己セーフを獲得し、これを自身で育てるに一心をするが、また軌道修正させる神も現れる

     

    それらの箇所から新しいあなただけの役立つ知識が必ずある

     

     

    それらはクリアだから、物事の分別思考は避けられないのかもしれない

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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