揶白 (KF)

絵画

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揶白 (KF)

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揶白 (KF)

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    Works 43
  • 外側と内側や、人間関係

     

     

     

    コリスが、大きなしっぽを丸めている。

     

     

    究極に考え、研いだリアル像である。普段の生活で趨くこの、

     

    普段研ぎ澄ましていることが、その安心感と、

     

     

    自然体が人を頷かせる。

     

     

     

     

    私の人間関係までは他に一切現れない。もしくは、目玉からは顔面の面々が存在しているだろう。

     

    覗かれるフラット画から、見返すフラット画へ。こうも受け止めることが出来る。勝てるたたかいを「私」は、望む。

     

    道の極意の一つに意図がない、とある。

     

     

     

    故に、男女関係なく糸間はない。

     

     

     

     

     

     

    私とは、山旅行中に流れてくる指導員である。出会い別れなどは馴れていて愛想はないあの人って感じだが、自分を強く客観的に見れば見るほどそうなのだ。

     

     

     

     

    世代に伝える自分もまた世代であり、

     

    何かを受け取る、としたら、世代に佇むことだろう。

     

     

     

    早く帰りなさい!帰るべきだ!と言う意味でも発散的に書いている。

     

     

     

     

    瓔珞となり光っている人は、帰った状態の「無心」なのだ。

     

     

     

    たまにそこに付着している、生力のツキタ人がいる。

     

     

    好手なら、そこに、このもっと他にいるだろう!

     

     

     

    何か珍しいことが自分に起きる、珍しい来客がある、私はこれをつと言い何であるか知っているので、相手としては本当につまらないだろう。

     

     

     

     

     

     

    子龍には、親様がまたいる。私はその中の髭であり、それは続き、続いている。人も髭で繋がり、だから髭なんだと言いながら、浮かんでいる空で遊ぶ。

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  • 未来

    明治維新、外側に向けた姿勢を立てることに成功した時期がある。しかし、心が興奮して、方針を間違えた。方向のことだが、あれをあれだというには途方もなく時間がいると、体感的にわかった。失敗が、動くことの出来る幅を広げた。

     

     

    迷惑をかけてはいけないと子供に伝えるも、失敗をしてはいけないとは言えないでいる。我慢して、自由にさせる。

     

    「おったらいい、いたらいい」この自分の感覚を思い出している。

     

     

     

     

    埃が被っていたに違いない。

     

     

     

     

     

     

    自然を教えてくれなかったから、私はこうなった。

     

     

    べつの誰かも言っていた。これは質問だと。この質問に、何を言わずともそして新たな問題と立ち向かう姿をいつも見ている。

     

     

    標準以上だ。

     

     

     

    「〜です。」「ok」、伝達する方向が違うのではないか。

     

     

    私がヒールを実際に履く人間ではないと見抜いたのだ。男と走り回っている。肉のように私は吊るされている、艶めかしい、そして手に掴む感覚のリアルさ、そんな詩である。

     

     

     

     

     

     

     

    好きなものがわかってたら、ボーッとした生き方をしてもじりじりならないのだ。自分がわかる、好きなものと付き合う、それを知るのは、時間が欲しいんだと思う。

     

     

    私は資本君。この資本という噛みごたえのある字や主義にくるまるように、大きな資本君、色んな資本君がいて、友だちと横並びとなっている。

     

     

     

     

     

     

     

     

    ハイブランドに身を弾ませ生きている本来の自分であるが、古着を花にしてやや客観性と自意識の為に、自分をバタ臭く装う。

     

    と、

     

    思い豊かに創造もする本来の自分と、何の花こそないが、あるものの認識をしながら黙って季節に漂う。

     

     

     

    これとこれの大きさが同じだ、と、説明してくれる博士は、幸せな時しか現れない。

     

     

    幸せ、ある観点に自らが到達する、今からでも真面目にやってればその日は来ると思う。その予想は必ず出来ない。

     

     

     

    一本と思うが、人がそう言うならそうしなくてはいけないそんな業は、昔と変わらない。

     

     

     

     

     

    自分たちだけの未来ではない未来にも未来がある。

     

    先のわからない時代も過去あり、苦痛をそれそんなに知らない時代も過去世代通っていて、自分の思うことの先に幸福はあるが、自分のフォルムがリアルなら、

     

     

     

     

    こう見越せば、何か方法が定まるはず。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    心の奥は誰にもわからない。歌では昔から言われてる。

     

    映らないここに全てに輝く仏の存在や、

     

     

    「顔」がそもそも見えないものだ、形ではない、それでも大切な。自意識があっても意識してはいけないところに緊張がある。身体と考える物理主義を私は心から慕う。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 清々しく

    体を体として立ち望みたい。

     

    激しい感情を好きじゃない方は、そう空のほうに言って入国などしたら、向く風を、めっちゃ探してくれる。

     

    まず、こういう身体的に空に近いようなものをする。このことで、

     

     

    こう言ってくれたら、自分は喜びを得るんだ、と、思い出している。ビルの谷間の砂が少し吹くように、はっとする。

     

     

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  • 水星の警察

     

     

    上からものが降ってくる。誰かが、助けようとしてかえって私を危機にさらす。

     

    ほとんど悲鳴になると、ダレ?かが現れ更に踏んづけて行く→この客観的視点に引っ張る事に留まらず、世界の悲しい記憶を、

     

     

    聞くことが出来る音で、話してくれてある。

     

    でも、助けのロープのようなこのパターンを主体が得ないと、伝えることが弱くなる、だから客観的に見れたら、ひと回り大きくなった。ということと、

     

     

    しかも、この時に悪魔的小魚を大量に私に食わせている。修験的運動なのである。

     

     

     

    これとは別に、この間の苦しい記憶が、仲間を得るという自分にとっては絶望的な美を結果的に生み出している。

     

     

    す、す、す、水星は凄い。大きい。

     

     

     

    受験勉強、わかち合い、絞った生身、これらの感動。

     

     

    手に擬宝を見つめる不動明王のように、私もムーの中から何かを見つけ出す何万何億の先があるのかな。

     

    見渡す限りは、

     

    宇宙が、惑星が、時間の中の自分を指す。その間に“出来ること”が、許されていると言えよう。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 心臓に刺さる森

    黒髪を真っ直ぐ整えていると、分離していくアッテルを感じる。このあたりのアッテルは分離することを楽しんでいる。

     

    浮き出されるのは構造。

     

    主体としてもっと内実的な自分の主観、世界に誰かがいる。

     

    「私」と大きく括る、もし決まった誰かなら強張った通りがある。道で一人二人会うだろう人にたいする言葉には変わりがないだろう。

     

     

    愛によってという、そんなパスワードをいつの間に手にしたのだろう。

     

     

     

     

    因果関係の詳細もう天うえにある、ただ限りがここにあって上手くいった。

    陸と海に時間差が有る、人がつくったのかわからないが、こうあるのでそれ以上動かさない。仮止めをして覚える。歴史の興味だ。

     

     

     

    掃除機になったみたいにしろくないものを何でも除去する悪魔に追われ逃げ込んだ大國主の城から大阪城に小道から繋がっている。私の顔もアンバンパンみたいに欠けている。見えないものを手にしたときその大きさとは自分だけが埋めることが出来る距離だ。

     

     

     

    嫌なことについての心の用意を考えた時、陽は岩になり陰は苔になって黙っている。良い苔を龍の髭という。小さな龍である。

     

     

     

     

    浪漫的にいうが、形ある自分の容貌が決して届かない百点をとった自分の一回限りの人生が、

     

    もし自分にあるとして、それは置いといて良い。この先、過去という身体、過去を包容した身体、即ち、連続したこれらの、故に私は対一としていて今に向かうこの十分がある。を、備える。かかとも手も一個。作られた文脈に現実は納まらず、連続なる切り込みを入れるのは、ありのままの心を捉えることに、フィクションではない確かな、がある。

    主体としてあることに、そして、その都度浮かばせた詩の数によって、当り障りない平穏な顔を「自分」をタイトルに彫っている。何にも気付けない、それくらいの美術的向上心はあると信じて欲しい。

     

     

    そんなことより肉体や運動らしい。肉体的美を果たそうとする。

     

     


    常人としてコスプレを楽しんでいる人と、超人になりたくでコスブレをしてる人は違うだろう。

     

     

     

     

     

    一転して、もはや肉体美なんかどうでも良く、交差をすることに勝手に出来たり、人が作ることの方の関心がテンプレートしていて、

     

     

    それはつまり、

     

    生々しい敵対者が、ライバルという新しい名前として気持ちを変えている。

     

    普段の心がけや、頑張りによって昇格した仲の関係。

     

    不思議がっている。

     

     

    敵よりかはライバル概念に希望の影がある。

     

     

     

     

     

    では、希望を拡大図で大きく見たいとしたら、

     

    運動に取り組む精進が身体の理解を高め、心の安心と健やかさになるなら、切羽を詰め、

     

     

    身体の強壮ばかりが、身体の進歩でなく、精神的な執着心が、必ずしなやかさとなる。即ち、困らなくなる。

     

    考えなどが、肉体から飛び出したりはみ出ることがなく、肉体に納まる。これが、美しいと断定している。

     

    困らない思考を得ると言えよう。それが、肉体作りに影響を及ぼすのは、知るところである。

     

     

    受け手(肉体意識に偏る)に留まらず、飛んでくる言語にたいする真面目な受けて行く防御。究極に易いもの、心がごもごもして今すぐは見当たらないが、

     

    もっと軽くて、一人で動きを変えず持てる様な、洗練した棒。

     

    色んな映画に見る剣さばきなどのイメージだ。

     

     

    ベルセルクみたいだ、と、爆笑している。このとき、アイツはどこなんだろう?

     

    離れて一人でいるところを、リスが肩であらゆる運命を含んだ俯瞰の構えで身体は光っている。

     

     

    長くやって行けそうだ。

     

     

     

     

     

    セカイ系っていうのは、鏡が無いということだ。その中を歩いている。

     

     

     

     

     

     

     

    「すぐれものになる」そう目指して世間に開示されている限りである!

     

    それは、

     

     

    つらい、狭い、やさしい、そういう世間人として、統べてがあっても真っ当にある。

     

    無限性の許可は案外ここで降りる。

     

     

     

    己の街に黙って話しかけてみよ!

     

     

     

     

     

     

     

    ここへ、はたまた陰陽の何たるが確固としてある。

     

     

     

     

     

     

     

    ・霊格

     

    言葉の音感を受け取ったままに言う情報=地球と言うのは、

     

    「自分」にしか手に入らないから。

     

     

     

     

     

    ・失望…はまた月言葉のような感じがする。「叱り」を意味する。

     

     

    「絶望している」そんなふうな気高いままの言葉の塊の葉の、

     

     

     

    赤い頬で走り回ったあの日から、私は言葉を話し出している。

     

     

    東京怪童の、ハシと若かった私の心を重ねて思い出す。

     

     

     

     

    無人となった私の穴のような顔が、

     

     

     

    陰の難しいのは、本当に形無きことを、それとする清潔な気心。

     

    性質の違う人がいる、と仮定する。

     

     

    形を持っている。この認識の視力の奥には、静けさがある。自分の哀しい滅びを正したキャリアである。つまり、直立する姿勢をやめない。

     

     

    友は、塊を持って、そしてこの旅は続く。

     

     

     

     

    体を体として立ち望みたい。激しい感情を好きじゃない方は、そう空の方にゆって入国したら、めっちゃ探してくれる。全てがこういったことのレクチャーだったのだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    霊世界の動作の進化には霊格が必要なんや。

     

     

    ぬめぬめした人が来て、それが現れる前に何か起きたからだと想像もしないで、ぬめぬめしていた私は何の間髪も間もなく「質問に答えろ」と言われていていた。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    普段ぼんやり映す瞑想が、丁寧な水切りをすることによって、現実を水彩画のように暈すことが出来ている。リスがくるみを噛んだ!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ムーの闘いと覚醒から、回想

    どこでもない森「厳しい人、優しい人、怒られたこと」

     

     

     

    雪だるまに似た毛玉  大切な

     

    にへら笑い、人と人との比較、中途半端な心のままの傍観

     

    これが大切じゃない観点がやばいのは本当

     

     

     

    誰かに変な感情のたかまりがある。こちらでも失敗しているのをよく見かけたが、祖の力で、先人とは賢いから自分などが扱える難しさではない。

     

     

     

     

     

     

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  • 心の煩いこの工場

    瞑想で感じることと、

     

     

     

    内面にある想像が

     

     

     

    全く異なる

     

     

     

     

    考察をするから瞑想といって

     

     

     

     

    これでいいのかなぁ?に

     

     

     

     

     

    止まっているから

     

     

     

     

    表現世界を超えて

     

     

    人間と一線を画したのだ

     

     

     

     

     

    カースト制度から村社会を辿ることとなった

     

     

     

     

    釈迦は

     

     

     

    想像というものの範疇を

     

     

     

     

    一切はみ出さない

     

     

    私に触れず

     

     

     

    架空に立存しているただ

     

    (否、架空に立存しているのは私で

     

    お釈迦様がただいらっしゃる)

     

    南無妙法蓮華経(物凄く分が悪い)

     

     

     

     

    どうぞ学び取ってくれたら良い

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 目指す花の旗を見据えて

     

     

     

     

    性がまた運命的であると

     

     

    自分から覚える潔さ

     

     

    こういった人間の親切が

     

     

    悪い暗さじゃない、必ず

     

    無意識が想像出来るくらさをしない

     

    この差異に性があるのだという感性は

     

     

    人間たちというよりは風を巻いていくような昇心だ

     

     

     

     

     

     

    私の

     

    理解者はいる筈

     

     

    自分が求める本当の意味では

     

     

    何者とも通じないだろう

     

     

     

    何だかそんな諦めが裸の白いバスタブのように

     

    思えて

     

     

     

     

    一般的に家族もいる

     

     

     

     

     

    心でぴこぴこしないから

     

    何事もわからない、としているよ

     

     

    見えないから、という動機がわるいのは

     

     

    けものとの紛らわしいことの認識が出来ないから一番嫌われた

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    運命的であることのほかに

     

     

     

    ぴこぴこと鳴る

     

     

     

    私の運命が心こう、で 

     

     

     

     

    段々と落とす水墨の色彩を引く

     

     

    いずこに向かわぬ

     

     

     

     

    神とことなるという自分についての考察

     

     

     

     

    を未だ私はしている

     

     

     

     

     

     

    やさしさをぐつぐつ浮かして

     

     

    毒を飲んでるばばあ

     

     

     

     

     

     

    私は、優しくなりたいらしい

     

     

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  • 各々の解を辿る

     

     

    せつない

     

     

     

     

    到底言えない言葉をむしゃりと噛んで

     

     

     

    一松、格子、空の彼方に消していく

     

     

    おもむろに感じた「硝子が壊れる様な」描きたい絵は

     

     

    だれかの

     

     

     

    心が開かれているほど

     

     

    色々なことを経験するものだ

     

     

    色、色んなことについて、

     

     

    どれほど真面目に考えたのか私はわかる

     

     

     

    また私の通った道は

     

     

    その帳尻が取られるだろう

     

     

    私は顔を見せない

     

     

     

     

     

    誰に物いってんの?

     

     

    自分が誰かを問うたことによりこう思われる

     

     

     

     

     

     

     

    劇化するこの心も

     

     

    怒れる感情だ

     

     

     

    簡単なからくりそれは

     

     

    真面目に生きることだ

     

     

     

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  • 藍は蒼よりも青し

    わたしは目指してた考えの上にいる

     

     

    自分は人間という霊長である。それが物にしろ心にしろ。故に天は広いと言われる。

     

     

    先読みができる

    落ち着きがある

     

     

     

    心は話さず愛想をつかして鳥になった

     

     

    ただまだ居るというくらい大人になった

     

     

    好きにさせなければ私なんて簡単に壊れて

     

     

     

    父はいつまでも父なのだ

     

     

    父は日本人だが着物が嫌いである

     

     

    自分の反骨が勝ったから天の川になって

     

     

    古典劇を見ながら

     

     

    揺蕩っている

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    心はじぶんに明け渡されない

     

    父はそれで良いと言う

     

    心とはその食い違いを生きたのだから

     

     

    飛び立った姿が綺麗だった

     

     

    私は何も変えず理由に埋もれるが

     

     

    愛するものならある

     

     

    好奇心を如何様も思う父にして私は

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  • 鉛筆

    話は芸大の頃に戻る。気楽に行った私立である。

     

     

    伝えたいことが凝縮されている→Are you ready MINMI future RYO THE SKYWALKER 

     

     

     

     

    ものごとを解決するのに、人に口を出して自分の目的がわからなくなるなら、字で覚えても良いが

     

    可愛いシールをキャンパスに貼って活かしたらどうだろう。

     

    工夫を馬鹿にするなと「ヒミズ」でも

     

    ゆっていた。

     

    何であってもごった返す中で本物を見つけるんじゃないか。

     

     

     

    自分の憧れるもの。歩いていた時代は、頭の回転が違ったろう。自分はさもねずみ色に染まって小さく生きている、そんな気も十分するが、

     

    アスファルトを「見て」みると良いだろう。四角い石の道に、グレーの柵があって、あれこそ江戸時代の器なのだよ。驚きだが、

     

    戦争後、傷跡のある地球である。人は自分探しの最中で、良いものや文化を深めだろう、だからその継ぎはぎとしてのアスファルトに心を見出す。何かを隠さずはっきり残す精神である。

    何の愛想もない道が、百年、いや三百年、踏みしだくとどういう美しい姿になるだろうか、、。今、わかるだろう。結局見抜いていない自分がいる。

     

    茶道の観点で、本当は許されなかったようだよ。ゾッとするね。

    そう、一度壊れたら終いなんだ。

     

     

    私が「全能」であった時、それは大学時代。これとは、十代の色んな反省を経て論理を手にした瞬間に変わる顔だ。

     

    歩いていた時代に返そうとする奴は出現するだろう。しかし、案外道理を伝えればわかる奴だろう。

     

    世阿弥も、二十の花は物珍しい、誠の花ではない。

     

    とゆっていた。

     

     

    彼が手にしているにせものの花、好(う)いこそあれば。

     

     

     

     

    継ぎはぎのある惑星、男のように傷痕のある地球さん、めちゃくちゃかっこいい感じ。

     

    さっき言った道路の事のこの辺にいるのが、少名彦という神で、

     

    もう自分はいなくて良いだろうと、いったん私たちを怒る神様。

     

     

     

     

    運動、身体能力。自分はねずみ色で身を焦がしていても、いうなれば江戸時代の人は土地霊だから、細かいことなら解ってくれる。

     

    おそらく全然背も高く、マッチョで着物を着るから道理的で、

     

    やはり身体能力なのだ、と私は悠久の憧れに手掛かりを掴んだ。

     

     

     

    その自分と自分の距離である。

     

    手に持った鉛筆から関心への射程距離がどのようか、画家のようにして。

     

    広がっていく視界。

     

    手っ取り早いのだ。

     

    学者は、絵にすることが、手っ取り早いと言っている。

     

    お高いものではなく、それを指すのではなく、刺したくもなく。

     

    お高いものから隔離した真っ平なキャンパス。

     

    自他のない世界に関わらなければ。

     

    そんな焦りと裏腹に、仕事がそれだと言う人間も見た。

     

    その自由や理屈、私は相手に了解される手立てを拾ってしまった。「しまった」、

     

    こんな事の為に気が思いやられる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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