揶白 (KF)

絵画

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揶白 (KF)

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  • テコ

     

     

     

     

    人の纏まりとは、

     

     

    まず人がバラバラである。性格がある、それを、それを解るとか、間隔が解る、とか世間体を一本の綱のように持ち、

     

     

    母が世間が天だという言葉を、世間に上がるまで苦労するから、と説いていたが、

     

    「世間」をよく外部化するが、

    だから自分が世間で、自分の中にあるもので、この解釈だけは上手くいった。

     

    物作りに親しく、簡単な鞄を作るにチャックを取り付ける時

    に、一度に全て縫わず三センチ程ゆとりを空ける。オモテ(革布)を取り付けた時にこれを縫い正すと、綺麗な形になる。空けた意味が、古いが「遊びを作る」ってこと。

     

    最初の解説に戻る。

    許される性格、許されない性格を言うは、社会だが、世間と言ったり混同を解消する。

     

     

    バラバラなものを、バラバラに持つ、から学識的意味自由をいつも通り我慢し、そこに、普段のわたしがちゃんと有る。

    有るを、有ると言ってほしい。

     

    半開きの窓辺のわたしと道行く奥行きは、

     

     

    ①壁の窓辺のわたし女性

     

    ②わたしの家、緑、木々、

     

    ③わたしの友達たち(動物、神、空)

     

    ④ここは巨大な森

     

     

     

    となる。

     

     

     

     

    映画「もののけ姫」を見て良くわかった。

     

     

     

    森だと尊びと、町という考え、

     

     

    “そう”生きてみないと、ムエタイなどは、わからない。

     

     

    そう思い出す。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    麻布を伸ばしてピンと引っ張り張れるような緊張感、その余白が出来る。

     

     

     

    角を綺麗に曲がることが叶う。羽衣や鳳のだんじりを観察して思う、岸和田は蟲ー。

     

     

     

     

     

     

     

     

    ばらばらの自分、泣き言がない、自然体

     

     

     

     

     

    人に見られることと、迷惑とどちらが恥ずかしいか。それを選ぶと

     

     

     

     

     

    自分の高さに合わせた声を描く、この文の練習はなかなか面白い。

     

     

     

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  • カオスの光から学べること

     

     赤い口紅  '19/08/31

    君のような銀色の雨が降っているよ。え傘?浮気ではない、インタラクティブな魂の活動(陽性)よ。
    それに、愛らしげな利害のリカオンに君は何と一意に戯れ、荒く、あでやかでありあなたは、これのように、切なく鳴いているのかね。俺は一向に問題を定義しない海と共に、お前にも反逆し、愛のない愛へ、熱意を取りに行くよ。人の気持ちを信頼し、豚のような肌色の町から自分を追い出すよ。も、ついてくるな。
    云うておきたいのは、私が君の言う君の過去へもっとも、かわいく焼きもちを妬いたりしないのは、物足りないからでは無い、それはね、男は果がうずいて、重力といったものが言葉の音階へ誘っているからで、あなたを傷付けてしまうのは私が鈍いからではなく、故に自由だからです。ホラ、証拠として私たちの魚はすいすい泳いでけものに汚染されずあります。その為に花の嘘つきにもなりますから。
    ビールを呑みその、あけすけの気持ちは、私は戸にファン・ゴッホとチェキを貼り付け、あなたに突き出し、私は私を高尚に彩り、塗り込めた、後に転ばされ、ああ、そう今もサーベイの紺色の椅子のかなしは依然としている。あなたは雷雨に鼻をうずめる。咲(さ)あ今日は麻婆豆腐だ、食べよう。ミンチ肉の私は栄養を取る。咲あ呪いをかけよう、弱いものから、500℃の太陽に手を伸ばし這う、姿のエロティックに対して私は栄養をとり、一緒に青空を見ようで、軽蔑を与えられ、よく食べ、それに何も奪われず木の花になり。そして太陽が登る日、この目の握力計から耐水性のかなしみを沢山滴らせるんや、尿意が紅の淡い隙間に鳥の鳴き声と。そう、反逆をして、この夢を見るには石鹸とガスマスクとアルコールが要るので、おっかない姿をしている、暗い夜にはもう怖いほど。あ、ガスマスクをした為の、女に惚れるか惚れないかと、そんな瞬間もない時は柔らかく劣る粒の種の様やよ。今は未来を告知する灰色の実想う。孩児をな三日で取られたから復讐してやろうと思った。死のうとな。でもな心配せんとって。区役所に行くだけでな人生には勝てるから。例えばあなたを私から忘れさせるとしても、愛がその淡さで一筋の落ちたそらを、雲の如くにおわりに10年を、なら早く走って冷たき風を。こう、噂で君の離婚を聞いた。今も君が欲しいよ、あん、もう伝わることは無い。

     

     

     

    お産とは別に自分が、一千度の太陽に焼かれる感じ、を想像したら、めちゃくちゃ簡単に疲れが取れる。試して欲しい。

     

     

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  • 全ての地元のひとへfor you

    勇気が湧いてきたのは外で働いてからや。
    下手(したて)の接客はこころがこわくてふるえるし
    怒られ、冷たくあしらわれ、
    それでもうまく廻ってしまってる。その中で笑顔を続ける。

    怒鳴られ、悩み、答えを探す。
    でも、自分が出した答えの頼りなさ。

    例えば自分の答案を丁寧に述べる、受解された草の砕きを。


    感情的に思うことや愛されたことは目に見えてしい。

    なぜなら、
    自分が置いてる身でしかものは解釈出来ないし
    別人の目の中で同じ事が起こるなんて事はあり得ない。
    それまでの過程的記憶も違うし、そこでインプットされる言葉の、目の中に起こる事象は人に異なっているはずだ。

    「こう見えた。」「こう思う。」そういった枠を超え、世間はだから、そして様々であるようで、身体や精神にの何かに抵抗する努力のしさに理解が降りるなら、希望だらけだ。
    人と自分の考えに差異があるなんて知ったのは一昔だ。その関係するところを世間といって、

    そこに立像如来が浮かぶ。人間の中に浮かぶ。そこが素晴らしい。
    話し合いの無い、無心である態度。


    こんなことがよくある。

    解決しない、話が解決しない。

    会話って出来るんだろうか。途方もなくそんなふうに思う時。


    そして心の奥は暗い。

    心の奥の暗さを認めるのは勇気がいるものだ。何も元気は陽気なだけじゃない。

    陰気(インキ)とは、それを指してるとも思えない。


    だがまだ、奥底で現れる人間性だ。そういったものにドラえもんのように頼られたフィクションではなく転換されない現実の星が顔を出す。

    対比し、
    元の顔をどこかに留めない2次元性を宇宙に名乗ったあつかましさを、この塵、
    それを何かしら許した
    甘さがブラックホールだ。厄神。
    白いキャンバスに掛かる小ハエ。考えない虫。
    ブラックホールは…自分の中に存在する厄であり、
    なので、だから、わたしは死精の、或る刑を肯定する。


    空が晴れている。
    雲も見える。

    うたのある景色だった…。工学は創りたかった。
    声を失うような孤独を初めて聴く。


    自分をキャラと重ねる

    画面内であっても精神レベルで事実であっても既に真実に関係がない。と意識的だ。
    こういう、人の、人種(ひとだね)の精、考えを扱える、とどこかで断言することだ。
    ナノに及ぶ二次元的脳の顕示欲 名の 名の 名の 名の 名の 名の


    別に、アニキャラはまるで、いやらしさをに高める挑戦のようだ、ピンク色に対する果たし状と申上げに思えてならない。

    そのようなことはダンスし切ることで果たし、私はそれその行為を「わたしのエゴ」の対象とし、かつて有名だったアイデンティティとしたい。





    7月7日 平成30年

    毎日が勝手に動いてるようなたらくの日々
    連続性といった難しい((do)難航している)世界理解

    マリオ、御前に会うのはホリデーだった
    ホーリーペンのように光っている。日々





    何か脱出するリズムを保っている。気にしたら酷い。
    外に出る
    でも雨だ
    思いに行かない

    今日さっき、昔の倉庫からゴールドの額縁を発見した。少女がきっと絵になる


    少年が絵画でパズルを太枠内で考えたんだ。犬みたいな少年あいつが手作りの絵の具で油絵にしたのはながいいち小説だ。儂はむずかしくて読めんのやけど、
    日を追うことにパズルが埋まって一枚の絵のピースが成立するんや!日めくり可憐(カレン)ダーみたいなもん。
    儂心のむなしさを話せば
    お前の絵を見た時、儂の思う明度じゃない、こんなのは偽物だとなんどを聞いてもらった。
    調べると重めの貯蔵のものやった。
    スタンスがアニメの少女ってやつに変わり、ひとりひとつ、一人でストーリーを持ちはった。
    用事にいったん仕事を切り替えましたのか。
    神戸のギャラリー1(当時は一年目で、年毎に箱名の数字が増えるっちゅーやつや)に、訪ねたら
    「そりは、全然知らん。」と言われたな。
    どんぶらこ
    儂が笹に蝋燭を流すのと、つるんとした水面に朱(あか)りを散りばめるのと。
    儂はピザみたいにいっちょ上がり、と言って仕上がる一枚をフリカケの袋のパッケージみたいに思た

    「すず、ご飯食べてるか?」

    お腹が減ってしんだんや

    香ばしく味の切ない子供の、遠足に行くような。
    あの山道も、自分の歩いてきた道のりは忘れへんし、何がって、感じてきた気持ちや感情が確かにそこにあって、何事に事実ちゃうかなぁ。


    図られにしろ、このそばにある縦社と自炊計画を立ててどっこいや。その一緒うや

    どんぶらこ




    生悦住

    マリオ、主人公1から
    おがみが玉にうつすアガスガタだ

    阿が羅でけうなら

    妾が妾で凪ぐのじゃろ

    儂の顔つの出ね和しと

    浴びては水に落ちる意識

    わっしょいわっしょい聴けてら夜もかろじて聴けてら

    アタマを向かえにいくのやな
    なっかなっか酔(よる)わ

    みどりの五月蝿い葉すっこ椿のね

    オッマエ優しいの

    表情で何か見抜くゆうのん

    儂はどろで正直磁石くるっきー濡れても退けても"冷(め)た"と放っととおいて

    私のほうがねたぶん好きやって


    定時に於いて。




    マリオ、思い出すらしい。酷(こく)摘み、ということば。つらいときの。優しく克つ冷たい字書の昔のチラシや。江戸時代の。
    三井住友のセンタアに見た。誰も通らへん。
    花のお守りやと、想い想ってひとに勧めはする。

    10567 : [返信]  コテ ('18/07/09 15:02:48)

    田中修子さん

    山口県で話を聞くことを学びました。
    最近買ったアメ村老手での買い物袋に、幾数の、唇のロゴマーク。しゃべくりがいかなんだ。あかんはせーな。
    しゃべくりにピントを合わせた視線が己を知らし、笑い過ぎていられる。あるいは詰まらなそうにしていられる。話に生きていて良かったと思いました。体に回らされた客観の糸。しい鮑熨斗の気持ち。そのうち黙ることを知る。語彙が怪しすぎる。観音さまもこの数少ない運命を活かすチャンスに係らないことはない。

     

     

     

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  • 過去(上文)と現在の比較

     : ベビーピンク  コテ ('19/07/04 10:41:43 *13)

    (名言 黒はイマイチだわさ)

    彼女が幾らかくれた寒い答えに、

    そこにいくらかぬくもりがあればUFOはまた来てくれる。
    星空の高い、争いとは関係の無い大学院の
    我々の百点を示すゴーサイン。
    それを照らすことが出来る太陽の才能で花もまたたくま再び咲いて、
    その頃土なら良いけど花の下は嫌だなと思い、
    夢幻の薔薇を噛み砕き、本を図書館の窓口に返してなぜかお金を取られる。
    私は言った「何故金を取る。この本から私の心に薔薇が届かなかったのではない」
    職員は「それは良い。いいや、日本の薄情さだ。」
    「ちょっと待ってください。」
    という談話、を
    しながら
    日が暮れた。
    誰か他に談話と解決できる人を
    呼び込むしすてむ

    彼女の
    涙から溢れ



    二人で夢と
    忍耐
    してる間に、わたしの方から「ちょっと待ってください。」という一言が出てきたのはやっと朝だった。

    しすてむ、という生まれたての
    あるようでない、無いようで有るガイネン(概念)を
    わたしは彼女のこの作品を
    「モウケマス」と名付けるのだけど

    あまりに毒で
    というのは私は彼女に恋をしていて、それはうたかたの同情であり、あつく溶けそうなたかい低空の飛行だ。そしてあの黒いシルエットだった。
    そういうわけで目覚めずに起きたら夜。
    こんな日は続くのか。
    屍になり筆に粘着したわたし。
    「キャンパスの中に正しさなどない。」
    「無知であってはならない。」
    これは全てではないか。ロミオが言い、
    私は謎だらけのいつもの道に戻る。
    そこで考える。
    わたしはあなたを
    殺すのか。
    「苦悩は
    それだけで
    良い。」
    ロミオ、人は、君は何を持たないで
    歌わないのか、それだけは言えない。
    私はコルセットに胸を縛り立ち止まる。
    「この学は それでいい。」



    夢を見ている間に逢瀬の理由を忘れてしまう。それは偉大な理由である。

    彼女の、わたしにはあんな作品は果てしがない。自由がこの目に映るだけで悲しい。


    に眠る?
    全くのアートだろう
    藝術、スピリチュアルとは…
    語るまえには闘いがはじまり、語ろうと
    した直前に打たれた。
    花になり
    その時
    既に散った
    コカコーラになり
    わたしの自由は散った。
    黒は
    黒かった
    この色を
    彼は
    奪われたくなかった。

    自分に私は泣いた。



    自由とは…
    日々の研究で才能ではない。
    アーティストが何を残すのか、
    アーティストが何故そこにいるのか、
    わたしには不思議だ。
    真空は迷路だからだ。

    わたしは田舎で土器づくりに精を出している。
    どうだいまだ途中だけど、
    ずっと途中かもしれないけど、
    だって土器であるから中途半端なんだ。
    この重い壷を、
    見るなり、
    焼くなり、
    誰かが完成させてくれると思い、隣が捏ねた形の寸法を辛くも毎日図って居る。
    けれども土器は沢山あまってしまった。

    わたしの命を救ったのはアートだ。
    藝術であることを外周に置けばいくらか自由が手に入る。
    世のオリジナリティーが無心に食われるその時に、残るオリジナルとは何であろう。
    そう考えたとき、コピー製品だってアートなのだ。

    芸術はこの難解な趣味を「考えたい」という条件で明け渡す。
    猛毒に侵されたわたしの一つの狂い方と安売り。


    アートが夢の中で募集した夢の解答用紙がある。
    古びた紙面に生産地が記されている。
    それにどうしようもなく恋をするが、絵に書いた餅もまた餅であると私は花の騙しを決め込んだ。



    陽だまりの匂い
    雨上がりの空
    与えられたのなら受け止めよう
    見逃してしまう 歓びの種を
    暖かい大地で育てましょう

     

     

     

     

     

    咲いたら消えるヒトは数多いと、それから知り、私の心には深緑が震えて増えた。

    天部が一億五年の、帰線を引き、公民は戻れるのなら

     

    仏の仏となって。

     

     

     

    上の記事から変わり、粗を磨き出し、

     

    歴史の最なか、

    決して、死なない森がメメント・モリになって、変わった。

     

     

     

     

     

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  • 大体の人が考えていたことの文章化

    悲しみの花 

    表情のわかりにくい性質を自覚し発言しないとならなかったんだ。
    歴史を誇らなければならない傾倒する、その様にどうしても老いてしまう者に与わる、若返りの秘薬を「あげます。」と、古いものを純粋なるものを意固地に空想をセールしなければ間に合わななかったのだ。これは歩くべき足をせめて形だけでも残す故、何やら気高い所人間の祈り、何やら神への謙遜。

    「わかってるんだったら先にやっててよ。」と言うジェネレーションのプレッシャーに今当たったのだから。例えば遠足に行く時は動きやすい格好が当たり前だ。心地良い。

    青く暗い空と金色の太陽の矛盾が調和していて落ち着く。
    神と仏は全く相違があるのだからインドに近づいてはならない。
    朝のため息、落ち着く。
    「格好良いですね。」「可愛いですね。」
    一人の小さな喜びから平和が始まる。
    自分をニュートラルにする色が国々で違いましょう?たったそれだけで興味が湧くのに、一度なけなしにしないといけない、寂しさを越えたら、亦会えるのにもかかわらず、ねばねばとだらだらと人間関係に陥る恐怖。感覚的な計算がある。
    勇気と、運命で僕は生きてる気がする。恋愛は淡い恋愛で、先にいるとわかってるあなたのことをよく知らなくていいんだ。悲しみ抱えれば、不幸さえ抱えていく意思があれば、必ず戻る。あなたというしさを辿るまで、そんな仕合せの中で、猛り、故に悲しみに吠え、胸を弾ませ、朝を祝い、淑やかな日蓮を崇め、そして笑い、出来事を伝える術を見つけに外出する。そう日々の繰り返しがどこにいても愛しく思うのに変わらず、故は、人間一人が、その中で少しだけ変われば良いのだから、それをその成長を見逃してあげないように優しさは射精して。
    そう、サイケデリッカー、青い硝子の破損が第九の如く。
    共によく識って来たと思う。それはワンダフルで、目が飛び出てしまう程だ、僕は歓喜している。表情の線が細いので不気味でも、底に有る事はある、雲海が誇らしげに、我がにとっては煌びやかなのである。島が想像を思いただてさえ今にも夢幻に連れてかれそう、なのにそれでこそ道徳を持たねば、、。そんな西洋だかどこだかわからない混ざり合い、相止めの、文句をひとつボヤいて、今日の朝が始まり、「道徳、道徳」と云い忘れないように牛乳を飲み干す。見る夢は、昔見た通りの夢であること、それに別段新しくないこと。そう思ったらはっとして、昔、見せて貰えなかった参考書や、大工に排他された子供の敗北感、等を思い出し、大人であるからいまあらゆる理不尽を流し込む。
    騙し騙し且つ真面目に築いてる幸せの人間を、地獄から理解出来る事は少なく、寧ろその蒼さや早さを望んではいずに。それに、あまり驚いたり、しい朝は駄目で、権力がないというのも私の半分には優しい。それを話せば、何かそれで有れば良いや、良いではでないか、と呆気なく流れて行くのも日常的で重なる幻想の優れを見、とたん努力すべきことがあっても、こうも世界と分かり合えてしまうのなら、其の話には続きがあるという事であり、例えば追い抜かされる事には焦燥があっても、今は我慢の方が高いと学びけり。
    信仰を一度捨てた私は日蓮様に名前を消され、ここから大きな悲しみがあり、そうして、その事が一遍の終わりではなき、あの戦争だって、ひたすらに人が神や人と学(あそ)んで行く「落ち着き」を願われるのなら信じようと。故の今になってわかる結ばれた天井であり、私たちにこの上ない報いを、大和の国はしさにして茶碗を作り続ける事を課せられ、そうしても上人は職人として成功するように、真面目に智恵と教養と崇拝は君臨す。私は超越されたものを苦みながら信じ、卑しく、高く、上手な人間である様に、不真面目であることをある程度に肯定をし、こう、ダダを持ち、今戦後を受け、貴重な敗北を生き、破滅を退き死して行く。死して行く。愉悦、自惚れ、見下し、言い訳、考える事、良かれ、それら気高い事態を。私は目の奥から、花の中で、其れを見守る愛の如く、女。

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  • 自分をお腹ぺこぺこや~というあのコへ向けて

     

    蛾の鮮やかさを視覚化してみよう。
    蛾の鮮やかさ、その柄や鱗粉に注目して私たちは初めて視覚化を果たす。
    私たちは既に物を「見て」いるが、彼らがどれ程実は繊細なお洒落者であるか、
    術学校に通っていた経験を活かして説明したいと思う。
    一方は蝶の鮮やかさである。の起因するところは心だとして、お洒落の起因するところは物てある。心や物、へばりついた数多の連想
    からいったん目を閉じると、どちらもが、差異があったとしても、どちらもが何と知性の限りに於いて拡がる宇宙であると、感じるだろう。歌う為には、ファッションには規律が有り続けてこそ、自由であり、色を削ったり増やしたりして構築されるのが、作品である、その白いドレープや、切込みや苦心が、身体という額縁を受け入れ花になる。これが世界のパノラマ写真である。

    心のしさとは何か?
    心のしさとは何か?一周してもそう問える余地を残して、完璧には出来ないし、
    完成さえされない私の住む町の事を思う。
    アゲハチョウの幼虫の姿は醜いのである。

    それを意識して、書きたい。

     道路には鉄板が敷いてある。
    雨が降るとつるつる滑るが、
    何年も前からそれはずっとそのままである。

    道に面して箱が置いてあり、その箱の中には月々の工作が飾られる。
    三十分、一時間くらいは、爪楊枝や木で出来たオブジェの前で感激している。
    到底自分には作れない、心の豊かさというか、そんなものを感じていた。
    食べてるものさえはっきり違うだろう。

    母が職場の病院から持って帰ってくる昼食の残りを素直に食べる。たった二人の城で小さい黒い魚とご飯にふりかけをふる。
     お友達から青い花柄の封筒の手紙をもらった日、中に手紙と、クレヨンしんちゃんのテーマパークの割引券が入っていた。とても魅力のある内容だったので、「行こう!」「あかん、遠い。」大体心は不自由で、自分が喜ばなければ、誰かへ喜びを伝えるのは難しい、誰かへアクションを起こす動きを取らない。あまり傷付いてこなかった。
     プール、阪急、温泉旅行、私は与えられるままその中でまぁまぁ楽しんで生きた。
    ひよこが猫に食べられて死んだ。
    猫をおばあちゃんが学校行ってる間に捨てた。
    亀に毒があると噂に板挟みになり、おもちゃ箱に直して殺した。
    私も(心が)死んだ。
    母が肺癌になった。
    おばあちゃんも亡くなった、おばあちゃんの友達が泣いていた。「おばあちゃんは歌舞伎とかお祭りとか派手なんが好きやのに、もっとましな葬式したったら良いのに。」母が病室で話していた。母が死んだら、私の愛は、後は一色の虚無である。
    母を墓に入れようとして、その日伯父たちが私を置いてけぼりにして行き、そのまま遺骨がいつまでも家にあって、そのうち思想書とかを読むようになるでしょう、カニバリズムを知って心を痛めて、母の骨を開けて食べた。灰だった。勘違いしないで欲しい、体に母が生きていたと染み込ませ、自分が今を歩いて行く為、変態じゃない。
    変態は、考えられないから変態っていて。考えるって何なのかよく考えさせられたんだけど頭が良くなる事じゃなくて、よそを想像(かえり)みることで、それが大人ってやつで。
    母は一心寺に入れて、と言っていたけど、伯父は久しぶりに会った私に自分がこの家に来てどれだけ辛い思いをしたのかまず話そうと、口であかんと騙す方法である。
    母はまた女であったし、タカラジェンヌになりたかったのに、はしたないからとおばあちゃんにあかんと言われ、どら猫みたいに私というのは、たらたら生まれた。

    別れた父に増して寂しさが深まる。が、父の望む白無垢を着るような結婚以外にも、色々手放せないものが有って、一緒に暮らしている伯父の握る凍った紫陽花や、色彩を飲み込んだ私たちの文化もゆくえが有って、宗教だって持っていたい。その中で身体の自然をかんがえると、私の魂は私の内側にある奥深いグラフィックに謙遜するだけだ、蛾を、蛾でさえしく、勝手にそう見なすことは出来ない亜熱帯の優しさ、亦植物の豊かさである。「藍は青よりも青し」そこにを私の積み重ねて来た孤独がやさしさ以外を選択する力になり、私毎日泳いでんだよ、とも言える。
    ごっそり抜けた感情の色彩たちと、蛾と、月が、良くしい。

    一週回って、この内容の方に発展したら、知ると、本当にみにくいことを見つけてしまった。昔の感性が瞼として思え、悲しんで布団にすると良い。


     この路地を進むとみかん町がある。
    優しい月が登り、真闇を覆う。
    最初からだ、人の人生のようには生きれないと思い、ちょっとへこんだけど、何を喜ぶとしたら、人と義理が有って、それだけを守ってれば良い。原付に乗ろうとして、地面に落ちていた去年のセミの透明な羽は、まるで龍の滝壺からやって来た太陽と真鍮のようだ。


    過去ログ No.652 の

     

     

     

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  • 昔書いてた文(2)

     

    このように自分から逃げた挙句、ひとへ恐怖を押し付ける事も、有るが、こう云つた嚇も、嘘をつくと云う陷穽も、己を理解する態度こそ他をわかる故に中旨のきぼうが有る。のろまを待つことは、大人だと許されたひとのものでそれ以外は存在を夢見たまだまだ子供である。民主を理解して居ない。

    偬のファンタジーの話をしよう。神を落第し、とうとう人間の最低ランクをいった者が今の妖怪であり、虫であり、偬は怪な身分や、豚、と云う醜い言葉を初めて思うが、此れ、の、亦醜悪さえの範疇にないものを云う。亦「私」とまつたく乖離した糸(いと)もうつくしい言語を実存主義の内に思う。
    正し、本物と呼ばれる物よりも、殺人など醜さが愛されるのは、人間が真實の光景を掴み損なって居るからだ。人が醜い、と云うことでは無いのだ。

    、など後天的な話をするが(子供はそれをしさだと云う事を知らない)
    「自ら然る」孔子
    うちに、身体は靑を増し、複雑になつて行く。性(しょう)が有り、奥深くなつて行くのだ。

    「街文化」

    新しい。江戸時代なら華やの云われて特別であつたが、人々が気軽に街に住まうと云うのが、魅力的な言語の、コミュニケーションの円滑剤となつて居る。

    一人が全体と云う個人の事も有り、仲間が一つだと云う事も有り、全体がひとつで風になつて繋がつてゆく事も有るだろう。いずれにせよ、人間が居ないと大人と云う成長、なにかに精を出す働き、啓蒙はいずれにせよ、我慢をし合うのだが、敢えて凍てつかない事である。だから、ナルシストは嫌われる。善悪のものを超え氷は水で溶かせる。人の感情の冷たさが却って人をぴちぴちと元気にするのだ。マルチ商品に踊る事も生活として楽しく有り、健康は即ち自分と云う分量を計る事のことなら、精進は必ず三日以上続き、増やす事も削る事も研磨で有る故、あてども「道」は伸びるだろう。そもそも生きることに宛てが無いように、同じように哲学に沿うて道も黙つて在りし。だから、歩こうよと呼びかけるのだ。スマホを使う指も、光を知る感覚も、汎ゆる身体が木として揺れ、歩くのだ。社会、こう云つた戒律の中に居ても自分とは、大抵必ず見つかるもので有る。思想にゆとりが無いのではなく、文壇や芸術の白さに緊張が有る。見破りつつ、天地をあがめよ。


    昨今、私は苦しく思つて居る。絶望なら絶望で良い、原因など探す事では無い。それがこの時、前に倒れることを意識すべきである。祈りとはそう云うものだ。ある此の一歩を、我の温度を、家の中高々と踏み出す。反省などこの先もずっと抱えるのだから今は何の思いも恋すらも捨て、深く前に倒れて、ぐっすり眠ることだ。未来に立つて、やつと恋すればいいじゃないか。
    人の心から、何せ次世代にも次世代が有る。時間とはこう云う繋がりをするんじゃないかしら。
    朝、太陽に礼をする。

    人間という言葉が出て来たのは男女が巡り合ってからか、愛に気付き始めた時から、“同時に”生まれる前から有るものだ。

    豚は戒律であるが、

    靑い頃は足を取られて全然違う方に行つてしまい、彼女にとつて「人の云う事」とは、自分より儚く憎しいものである。まるで、あどけない少年に気を取られ、見動きが出来なくなつた花女のことで有る。
    お釈迦様は思考の芸術で有り、あのように鍛練を経て、祈りを人間の作品にまで昇華せしめて居らした。芸術が優れているのは、人間の想像力がたわいのない優しさで、そこに荒涼と静寂が有る為だ。

    接(だから)愚かで低能な、自分を見てあげなさい。此れを許して認める愛は身体と云う身体から吹き溢れ、守る。

    神に何かを願いなさい。




    注意を思いたい事が有る。精神患者に隙をつくるな。見失つてはいけない、本当に傷付いた者を、傷が「私」を養つたように、「私」を含め同じように隔てよ、病気になつたら、医者に合わせ、医者の精神力を学び取りなさい。

    花女、と書いたが花は、その時の花は一時の物珍しさの花で、誠の花ではなく、それに落ちこぼれることのないようにと風姿花伝に書いてあつた。稽古をしている途中でも雨が振り、風が髪型を崩すが、崩れた時に顔立ちがしゃんとして居るかどうかだ。

    己もまた誰かのたゆまぬ努力の冷静さのもとで弁解をさせてもらつて居る。詰まり、お年寄りが人生の終止とみるのは、只今の自己の運命の末路が目に映つて居て、実際のお年寄りは優れて居る。偬は、これを早めに伝えたい。天地が分からないで世間を捨ててしまつては、何もかも遅いのだ。

    革命の失敗者をニヒリストと云う。

    菩薩様の衣を倣い慢情せる銀、
    心の一粒を、汲みに書物を読むのだ。

    今は、偬は小虫のこころなど知らぬから、どうで世間の腫れ物は、少し踏めば破裂され、ふやけた毒を垂らして。運気と色盲の、刃物のような骨で。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    感想

     

     

     

    え、人間ってそんな悪かったの。って言うのが、この詩にも伺えて、白い月がどこにあるのか中に探したりします。煙と添えてあって非常にしい。その元で絶望だっいう噂をする。ペヤング ペヤング ペヤングと云って帰って行く「無常」の。その方向にいつもの常の、周りのおろおろしさを読みます。
    親を思って胸がきゅんとじわっと痛くなったりする暇がなかった。親を忘れるとそこに魔が入って来て、
    人の神は、佛が親だったり、母が親だったり、
    詩が親だったりするわけで、
    (人間は)少なからず夢を見るものです。親から一度捨てられる事はあっても、こちらには親を捨てる権利が無くて、自由はそんなに自由じゃない。なまえをたべたなまえ様には年上ながらに色々考え(感じ)て欲しいと思いました。


    私は音があるところ言語だと理解し思った、恋が始まりで、ノウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカと云うのは、タラークで、何て言うか、言語に意味があるのではなく、意味に愛があってニュアンスで言語が伝えられたのが、音があるところ言語だと理解し思ったのが言語如来の空の起源。これが中々続かなくて。ソワカという、「です」は、古ではなく、古来の品を伺えしいと思います。菩提を離れてペラペラ喋ると、
    「おお、坊や強なれや!わたしキャラもんや、…道頓堀にて。」でも密教って言っちゃいかんのですよね。真言は詩ではないけど、骨格ではある。何故なら、乳がどこから来たのかを私は思う、考えると云う事を単に思考ではなく、感受と云うのなら大した事だと思う。マントラが詩を超えて居て、我らを叩き落とすために「真言」の梵字(詩)が光る。故に周りの人がどうあれ愛(恋)の向こうに行けるんじゃないかと思う。学ぶことが一杯ある。

     

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     お洒落は 自我を殺すことやと教えられています。
    けれど相反して、
    こころ弾(はぢ)けることに、私は身をまかせる「トコ」「コト」がある。
    やりたいことより、やってみたいことをするべきだ。

    と彼女は言ってたけど、

    濁って出来上がらない自分とは何なのか、気にしている。
    自分の家は茶を出し、菓子を配り、浮世の免罪を受ける。このように便利なものはないのに、お金もなければ面倒臭い、私はシルバーを飾ってクラブに行きます。

     最近絶望の噂ばかりを聞きます。むしろ滅びたいと言う。
    確かに何にも何にも宛に出来ないな。 「私は桜の花が嫌い、すぐにほろほろと散るから」という詩を読んだ。感想は、儚いものはしいかも知れない、喜びは目立たずにイメージの壁に御託が出来て、私の書く詩も時々そうですが、喜びを表現することこそしないけど、それがまた善的なのが酷い毒で醜く過ぎたのだろう。
    喜びは本当に努力しなきゃ感じられないものだが、本当の努力がわからない。何に向かえばいいのか、どこへ向けばいいのか?
    いずれにせよ、性格の本質正せばこういうセンスの鈍さはしかも普遍でプルプルしている。
    何だか毎日怒りが有って。。例えばつよい中絶反対運動に違和感を私は感じる、結局それを言う多くが自己愛の新規なオヤジ頭で、そう、人間がいついつまでもピュアーである筈も無いし、もしピュアーだけが祈られるキレイゴトに女がただ責められるのなら、それが世の明るさとか成長との何の繋がりを持ち、もしそれが成長なら、脱成長論とか読んで居たほうが良くないか?小ざっぱりしたら良いじゃあないか。思い切りがない。心なるものは道頓堀のように亦黒く濁り切って居るだろう。亦日本人が特別に嫉妬深いのは本当で、
    一つイザナギという男神のくにである事もあり、二つ、嫉妬は「色」であり、どこか愉しさやしさを持つから、無くならないのも無理はないんだ、他人の欲にさわり、うらみもないのに相手を火の渦に「落とす」力です。
    その為に全体が「自分が劣っている」とは決して云えないから、インドとか、天使の白さとか、優れた方、優れた方につまづいて転がり続ける。そうゆう環境で心の底の闇を理解して、受け止め、馬鹿だと知って、凹み、やっとふつふつ自信が湧いてくる。
    ちなみに中国と日本は、大陸と島で体の骨格が違って、言葉の一つ一つが違うように、親しくあっても価値観が違う。この事を良い意味で理解し誠の理性で持って、さらに間合いで仲良くなろうとしなければ4000年を超える優れは不可能…。「漢語」は話せない。舐められるのは普通だとすら信じない。韓国に対しても同様。我々はナーンにもしないで怒るだけ怒るから、嫌われる。
    もし平和に対して忙しいのなら、頭の中で世界の立場に逆に立ってみてそこで育った自分と何も変わらん人の心に手を伸ばしてみて自己の影を知らなければ。何の意味も無く、キョウイクだけで人の心をあんなに怒らせるだろうか、疑ってみる事だ。他も自分もみんなが思っている、「私が正しい」のではなく、「私が間違っていた」と思えたらまぁ、成功。。
    「怖かった」「イメージ悪い」とまでしか思えない私たちは、私たちでそれなりに正しい。そうじゃなくて、悪が立つ事が多過ぎるから世界からクズ視され、それに対して色んなことを腹立しい、と思うのが韓国の精神性で
    私たちは、怒られているんです。

     家庭はドコも一緒で、友人関係もかわりばえがしない。そうとは云えども、そこに有る物事は、社会(ステージ)の為のトレーニングだ。

    (と、自己に言い聞かせすぐに立ち上がらなければ、「海」はもとより厳しいのである。)

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  • 懺悔の答え

     

     

     

    懺悔は、こんなふうに、ノートみたいに書くのだったら良いけど、人の裏から人に投げ捨てるように、

     

    そうした後の焦りはまた嘘だと思ってるなら、希望的だが、落ちてしまうその彼の、それが本当で、命や人生がもっと長いなら、笑わないことや、追うのを堪えることにも修行を見出だす。

     

     

    恥ずかしいことが残り、自分に残るから、投げて捨て落とさず、

     

    人間らしさとして「剣」はやや重く、そして持ちやすく、今後も磨いで行けるのだ。

     

     

     

    市役所の窓口、街の相談センター、ブログ、自分を括り付けて歩かない。

     

     

     

     

     

     

    0692 : 賢人の浅はかを強くありませ。  コテ ('18/08/28 12:19:46 *5)  [Mail]

    わたしがいてもいなくても。


    漫画の方にあるが、ぼくはこの言葉が好きや。

    カフェ屋のとっぽい子が孤独についてゆうた。その時ぼくに、

    「お前がいてもいなくてもいい決められへん

    私には、決められへん」

    ぼくたちは芸学生で、作家志望の端くれやった。
    僕は中退した。
    彼に絶望している時、
    その頃2005年頃九条、学生達で「answer展」という要はだから希望政治みたいな絵画作品イベントがあった。

    どこぞの賢い子やから、答え、なんて難しすぎるわ。
    あほか。

    それとなくその展示会の招待を受けた。参加しようじゃなく自分も出来るのに、招待を受けた事に傷つき、会える楽しみと恥ずかしさを一杯にして向かう前に胸をはち切れた。
    渾身の気持ちでふらふら洋服を二三時間かけて選んだのにそれほど小綺麗じゃなかったことも恥じらしく、嫌で、時間を過ごしてしまった。大きな岩を転がすように行ったから、閉まってることを知った時は町は暗く、部屋の中は明るかったが開けて入っていく勇気などすり減らして残っていなかった。
    展示場の前に飾られたフライヤーをちぎって鞄の中に入れ、ぼくは酔って気持ちをなだめるほど錯綜してたが、りんと鳴った気持ちがあったので市政の穏健に気を立てた。少しドラマ性に酔って家でも千鳥足で歩いて、その、約束に背き、途絶えてしまったゲンジツが頭に登場する毎、彼に会うのがいよいよおそろしかった。
    それからという日、引き込もっても生きていたいので朝から晩まで寝た。幸せだった。ぐっすり眠った。
    全てから自分を隔離して彼が、手を差しのべてくれることだけを待った。それもまた、世間的には不自立で恥ずかしいことだったので、因しない跳ね返るように抑えられない現実逃避や砕かれた自尊心の固まりという、死にきれない恩情はパリや、ミラノのファッションに転げアガった。光を食べたかった。光に包まれ、愛を確認する。表現する。構築する。彼には二度も逢いたくない。存在したい。
    なんばCITYの一角にインポートショップを見つけ、二、三流とはいえコレクションされ、コレクションに埋め尽くされたその店自体が美術館だ。
    棒になってる私の前を流れるように見せてもらう次々の洋服の一一の芸術性に首が折れて、いつも汗して慌てて何か買った。
    めっぽう型破りをしないぼくの泣いたこころ。
    もっと、"そう"なりたくて灼熱したこころ。

    ぼくは思う。それが、答えではない、解「かい」
    という名前やったら、これアートやねんけど、「カイカイキキ」ってカンジでちょっと被ってていいんちゃう?
     

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