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2024/02/18
お祭りや、ステージとしたものの為に光が通るわけではなく、
蟲ーの為に光が通っている。
「塚」を知ってるだろうか。
昔の割れた土器や、ゴミ、骨を捨てるところだ。
私にとっては、白い貝のようなイメージだった。何か手掴みのある美しいリカイが落ちてる筈なんや。
家族以外はほぼ皆がらんどうのわたしの家である。そこには徂霊、髪を二つ結いにリボンの様にした土地神だ。倒れる巨獅子、云わば神の結婚がある。
思える何年その地にいるかである。知見したときは言葉にし難い程本当に美しいと思った。老いた巨獅子が転倒したおれ、それを千脇ての奥に、その大屋彦(オオヤビコノカミ)が酒を持ち渡し微笑んだのだ。物や木に宿られる。
人の気を痛めた方、いませんか。
昔は伝達と神話で、中国と良い仲があり、また蛇壺といった詩によって、天女が悪い人をほかし、壺は、知や抵抗を授かった。
江戸時代ほどの幽霊の自分が何かを言った後がっかりしたのは、中国の人の後悔や表情だと思った。
あなたとは、遥かから感情をかわせて嬉しいので、苦しまないで下さい!o(^-^)o☆ 私には、喜びごとがあります。
何事かの時、大切なのは天への愛想。
古代の彩飾と、光絵がすっきり繋がる。十二神将、海使いである。
宮毘羅(ku bi la) 伐折羅(ba ki la) 迷企羅(me kl la) 安底羅(a n te la) 頞儞羅(a ni la) 珊底羅(san do la) 因達羅(i n da la) 波夷羅(更新ha to la)
摩虎羅(ma ko la) 跋折羅(ba sa la)
ここに足りないのは、人の心配しない心である。
悩むならちゃんと悩む、気になるならちゃんと気にする。
私は、低くなった声にこれを見つけたんだ。
「直感、」
心を傷つけない為の方法、心の護身。
見えないが感じ取る間合い。それを行動するのは案外と理性だ。こう言葉を灯らせた咀嚼した。
ちなみに咀嚼(そしゃく)、物事を噛み砕き理解する、動物の強い歯のことを、
昔は五才児から、耳に言ってあげていた。
ややこしい所に生まれて生きてるけど、退く、一度離れる、そういうシンプルな世界もある。
日を手に翳し、浴びると、「人」のありかが分かる。
物に触れたり、板でもコップでも、あと仕事中に人間を感じたり、人は何かは考えるが、
単調にだけ話す蟲ーが、こうして一発でわかる。
セルリアンブルー、あれはブルーじゃない。
ものを媒介に「もの憑く」になったヒトと、霊媒師はまったく違う。
運も、幸せも、心も、顔も、行先も。
物の力の感動から、そのまま右左を間違い狼狽している人がいる。
心から降って来たり落ちてる物の、二三曲がり以上の手間を持って、あなたしかしらない「能力、心読」となる。
心読のプロの武士霊を見たが、一見もせずに移動を行っていた。
こういった、大切な気通りを阻害しているとすると丸々バレている。
続けてしまうと、良いことなどひとつもない。
蟲の向こうには、天に向かってきっかりすべて返される「宙」の部屋があるが向かう。
心が無量無辺と在り、日もあり夜空もある。未来もある。ただいてるだけで良い。
だからおこらなくても、考えていると良いのだと思う。
それが、怒りの表現になったりして主旨を取り戻すのだ。
怒りは赤、
性欲、追及、強くなる気持ち。
オレンジは優しさ、
身体自体を動かす、
黄、腹の声、心の奥からの願い
緑、癒えているか
青、交友関係性
紫、守り
赤から、足~頭上となる。
当然、蟲ーは無彩色。抵抗も反発もないから、人が落ち着いてしまったりする。
だから何も言わない、輪廻と因果律を仏と拝み、
区間に調査をしている。
わたしは十分!
ヒカリ君、守護、日。
オオクニは、コンサートと思って覗いたけど、何かどうやら違って、
神は実際そう入って行くが、
そして、出来るなら個人の本当にに一人の体当たり作品を光で見れるなら、
心を休めるなら、供養となり立派な陰徳となる。
①仏と話す
②神に方法を聞く
③やってみる
④仏と話す
これだけでも、人離れしないからそうすると良い。
煙を空へ届け、供養を祈る。
亡き母が、本来の生活や娯楽、学問の一生懸命、生きていること、これを供養と言うが、
それが出来てないから出てきてる!
何で罰されるねん、と聞こえ爆笑した。
私のたとい誰であってもそう思うこと、善神にたいする意気込みと、苦難の中での前向きな祈りを聞いてもらえたと思う。
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2024/02/06
平行世界があって、
互いに手をこちょこちょ出し合っても
、
上手く、長く行くのは、熟考で生んだ腹の言葉しか役に立たない。
今まで、自身のペースが響き合ったのだから、
こういった心に大きな木星事、歌など。
勇気を持って感動を伝え、
この世界に留まる。すると、、
「ヤァァァ!!」と打って、行ったら戻る、
これだけで、未来が違う。
心の棒を持ち、ヤァァァ!とかかる。
打って成功する、
走るこころをすぐに体を来た方角に向け、
棒を握ったまま、視線は点線上の自分を睨む、
「敵は自分」。元気。
これを何周でも繰り返してみる。
基本の稽古だ。
もう一つ、
光を見たらくっと抑えられない心の感情は、
「覇気」と言うが、両手、両手のひらに一杯に、手を合わせて、頂く。
合わせて、腹にぐっと引く。
清々と心が静まる。気持ちで出来るただ一つの
心のブレーキとも、与えられない留め金とも。
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2024/01/30
実は、
拳は胸元、
声や、光る霊、光る言葉、かたち、
心霊でのこれらは、
脳ではなく、手から起こる。
それより上部に、考える頭がある。
修行が出来ていず、
示すこともなく、流れて同じように肉々しくぼさっとしているしかなかった。
脳であれば肉体の解釈をするから、
からくりとしては、心に想像があり、そろが即ち次元である、
次元は、イメージとして御歳を言う。
そうして松の木から言うと、身体が心なら
こういった想像の力は、手に集まる。
それも、精神から、
心の目の開きから始まるから、理科は別にしてそうなんだと思う。
探求中だ。
なにより、何でも気持ちの強さが大事、
気持ちとは元の自分、
その思い。
手のひらを見つめると、やはり気持ちが一気に、
勝手に、手に伸びる。
身体の上の方(脳、頭)で使うと普通、思いがちだが、
手身近、手短いところにある。
だから、頭は他にあって、
地球の自転や縁により、肉体的な霊はすぐ剥がれている。
曖昧で、想像的で、幻のように、
無心に過ごすのみ。
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2024/01/18
「所謂雑念のジャンクフードを相殺」したら、
ドクタースランプあられちゃんのブルー将軍を三分まで観てる。澄まし顔をして漫画という「物」と対峙するのが、心の広さを伝える。能しようとするから能動力と言う。現実との混同をして棒が当たっている様子を何度も見ている。物自体を愛す、としてあらゆる嵐をクリアし尊さを守る道が、生産パーセン的に高いものだった。
内容は、
必ずいるおっさんが、秘密を明かし誘導する。
何かを探しに来たぽつりといる男性を歓迎し、
「何と、わたしの正体は!」と、瓦を拳でわろうとする。が、割れない。
説明したい箇所があるが、
アニメだから良い、決して飛び出てこずやさしいまま佇んでいる。アニメ自体が擬人になる話も聞いたことあるが、高度な精神や、哲学の技術的な、漫画それ自体を絵画と見なす気持ちと同じだ。もともとある視覚的な歪みが自然に形骸化され、デフォルメといった作業で月に映るから、自然と現実に近い。感じたり思ったことのある現実イメージや、これぞ欲しかった詩。
現実イメージ、と言い直すと、創造的現実とは言わないが無心は世に合わせられ今なら特に夢を見て、夢を含んで「現実」と考えるのではないだろうか。
アニメを製作したい、と絵画的にする時、
一分目より三分目で、まるで二枚の絵画があるような感じで、仲の進展が捉えられる。
本来のストーリーやキャラ意識以外に物語性というレイヤーが絵の上にあり、精神的に立体感を受け入れている。
厚みを持った二枚の絵画という構造がある。その外部でアニメが人物などでもなく漠然とさせたままの視覚的魅力、こういったこれから自分の人生に何かが起きる!というような元気、それをそのまま観る。
ただの絵から、アニメになるという「動き」が付く大きさ、その感動が語られるのをよく聞いていた。
冒頭で、私の観た内容はこう、と始めるが、
あなたの観た内容はどう?と聞いてみるのも面白い。
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2024/01/05
余りにとって普通にしているが、
何かあれば、そのまま疑問を紙に吐き出し、
仏像(話やすい、画像、像)に、どう伝えたら良いか、を、相談し、方法を神に聞く。
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2023/12/28
用意するもの、雑に我が倉庫を出すが堪忍。
油絵の具
キャンパス
美しさを知りに行く
・要確認
①実際の色の良さと、著名作品の実際の上手さ。
②色が、合わせられなくて困ること。
③西欧人は、合わせやすさ、持ってる色彩。それが本当に馴染んでいること。
こういった、「器」に蓋を作り保存する作業。有るべき心をはみ出ない訓練、道の苦。
描けない、描けなくなった人は多いだろう。しかし、色彩と遊ぶ心も、色彩を美しいと思う感性は誰だってある。そこから消えかかる尊びやその幅や距離感、それを知るところを先に、出来るだけ取りに行けたら「楽しい」だろう。
安心を得る、と解るだけでやる気の出る人は多いだろう!
作品説明が、ちゃんとした何かの説明に変わるより前に
「私のいいたいこと」を先に絵に作と含めて書くと、
「作品」ではないかも知れないが、
サロン的傾向を壊しておいて(よそにしてという意味)、案件のよくわかる
誰でも発信出来る纏まりを、玖(く)べられるのではないか、と思う。
情報にごったがえる、書物や本が一杯で散らかる様子のは、
大きな圧縮機がないからなのだ~。
極めて鮮やかなイラストを日本で目にしたことがある。頑張ってる最中には羨ましかった、技術的に超えることの出来ない事も感じた。
それ以上の、
高い発色など、見たことのない色に私は唖然とし、
「とろける絵の具」を現実にダウンロードしている。
こういった凹凹の段差も、リンシードオイルの感覚を掴む時は、上手く誤魔化せる。
サナダは、色んなものをそこに混ぜていた。出来たものはピザみたいで本当に美味しそうだった。飴が平べったく食べれないまま止まっている。
例だが、上手くいっていると思う。油性色彩が嵌まっているのを初めて見てびっくりした。色彩にたいして男性的な考えで、こういった直感のない中描くとき、「醜さ」にたいしての意が私の水分をすっぽり閉じ込めた。醜さとは、定義が美なのだ。太陽系のそと、はやはり「論外」なのだぜ。
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2023/12/28
私の頭に水をやってくれたのは日蓮様だ。
早いとこ言うとかないといけない。
「早いとこ言うとかないといけない」、伝えたい言葉だ。
何もしない、この中を背を屈めて生きる面白さに、この極意がある。
道聖(ひじり)の神様だ。
私は、何か相手にされなかった時何故かを自分で考えれなかった時を思い出す。
こうだと思う、が、答えではないからだ。
答えが、誰かに渡すものではないからだ。
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2023/12/25
方位違札というのがある。
こういった修験道は、見る限り格好が良く、厄除けといっても、邪(ヤヤ)でもないものを攻撃しない、不動なる無心の力がいる。厄を得るから厄を取るのだ。そのために、不当な厄と、自身の受難なのかを見る。
あるがままをリスペクトしてたら、理想としていた霊波動を身に感じる。それから何日何年として、何かをする、というわけではない、零!を確認している。
そこから、
何か間違って引っ掛かってるように思う霊というのがたまにいて、その中で悪いやつを連れてくる、厄(わざわい)というやつ。
色んな方違札があって、
鬼門を味方につける。聖(ひじり)の方法。
住吉神社の方位違札は、
何と色めかしで、お顔を出して言葉の安心を話す。
何と色めかしで、お顔を出して、言葉を言い、聞くことを指す。
蟲ー疲れの時から、方位に邪が入る意味により、こういった距離を描く、
目にすれば、
過去、未来が繋がる。
楠珺社木札(大)
(なんくんしゃきふだ)
というのがあって、多分アッテルがしゃきっとする自己他の高めとして使う。
楠珺社紙札
(なんくんしゃかみふだ)
ご利益:商売繁昌
というのもあって、こうちゃんと神前のまえで了解を得る、とこの安心が修行を活かす。楠木さんが、釈迦を感じとる、楠木さんが、私から学ぶ紙となるようなものを用意する。そんな気合い。
上の、過去、未来から、今として、自分のやり方は、
ただ、普通にこう書き、
「大和言葉のために、ここに置きますね。」
と一つ挨拶をする。
八方美人が嫌なの
私もそうですよ
おめでとう
ありがとう
画像
こんなんはどう?
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2023/12/24
嬉しがってふざけてたら、隣の親父に頭をどつかれた。そこで空気が止まった。
道理以上のことは簡単に存在する。
それが、
道理以上に存在するモラルなのか、
道理以上にいる惰性なのか、
二つははっきり別れている筈だ。
ここに、女将さんにお武士騒動「ふりむかぬ」のわけを届ける犬の存在があるかしれないし、
師、主がほかに「わたしは武士」もあると言っているがこれはわたしもよく聞いたことがある。
何日か前に、男神女神を陰陽師で考えた。
男が陽、女が陰
道徳の上に存在するこの武道は、
する側、させる側、
優しさの力に純朴になること。
願いをそうすることと
これはつまり理想に願いを合わせていく試験と、
物思いに連れる横着は、
はっきり違うのでご心配なく。
これは、ソニーサイトで拾った画像だが、
どこかで生活環境の整ったこういうロボット、と私をイメージしてほしい。
捨てなくて、菩薩になめられている。のだ。
「ゆとりを食うのと
気を良くする
壊滅した顔面のその人に
入らない躾を」
これが水星式旧来悩み
自分に有る欲を全部愛してから、
今は、気持ち一本で拳の出来る方法論がある
いくらも使って環境破壊を進めない
私はせいぜい良質100円ショップで気分をアップするマカ道具を集めてる
神棚は、魔道具も同じだが手を込めて、これというものにしか叩かない
これと思う通常のテンションも、底辺のクオリティー肯定に心は裂けて閉ざされる
他人の命題だなんて自分で気付くし、ほっといてほしい
躾や善が、悪ビトのために生きてない
善
悪
図の登場人物を人や人格として見ず、
状況の豊かな説明として見てほしい。
客観性の発想から
村から解る理屈
イタイイタイ病、水銀被害など正しく整理する四日市市を越えると、何と三重だと知った。
物作りの壺の市場があって、
これはひょっとすると市内からの輸出があったのかな…
高所にあって奥まり過ぎた話の壺をわたしはするけど、手の届くところ、世の中が街で、自分で博物館や店舗を歩くことが藩を養ったことがある祖からの委せの一つ。
街が、見れば埃でもない、「孤独と私」の在り処を掴む。
空気中に存在しないアホを体内で分解して浮き出し落として作る、
真っ白なTシャツと洗剤(センザイ)
分解力の弱い人がいる
ドクバリ、という浄化可能の一定的に帯びる業がある。
静かに起こった水星事件から、
煙草の爆発、逢瀬の際の「犬猿の仲」
良いか、
あなたに降り注ぐものが、
雨だろうが、運命だろうが、
留め金などがある筈もない
ここまで、この理解だけを耐えるのは、
きっかり端から見て心といった長所で、「~かもしれない」程度にしか解らないことに手を出さず、間違えたら気を払い、
何があってもそうし続けることで、
早い足を映えさせるからだ。
菩薩や、仏から、
あなたの心を
決して留めない
この理由が
自身が気付く間違いをあなたに渡さない
留金を、他人に譲る意味があり、
菩薩が間違いを気付かせるわけない
上文の通り。
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2023/12/24
本和院は母のこと、為
私の骨削る
何か老廃的な小人に狼狽したとの理由
私の施しと供養→私を恩人と示す
本和院の知見は、示すこれのその時間が削除されたことによる
つまり、これまでの時間が削除されたことの知見が存在する。広大に誰に聞いていいかわからない一目である。
天でも人としての霊でも「約束」にたいしてのことだと
罰を受け入れる
これを読める、激しい葛闘と話し合う
気になる一線を引く
蟲ーの理解
を導く
理解以上の想像を
蟲ーは最初の敵、
一番強い
きつい、嫌や、そう言う者に何か自分の理屈を押さえ付けるエネルギーをそれに注ぐ。こうした重力で私は出来ている。
「心のブレーキ」を学ぶ。
こんな優しさで良いだろうか?と思い悩むが、これは世代の親とした題であり、自分事と思う。世代に関わるのは自分だから。話しかけるタイミングを時に待つ。
やさしさを諦めていないが、精神は精神にしか繋がらない。
制限的に自由を表現する。光となるのは、普段そうして悟りの中を生きているから。その中で、へそ出して寝ている様は目立ってよく見えている。
そこに紛れている正当な人もいる。
いくら天でも上の母のように悪さをすると、強く飛ばされる。
条件が自分の前にある時間としての今を受け入れざるを得ない、元論に
罰金の量質が伴う
閉ざした所で解るところに慈悲がある。
「明日のことは判らない。」
目の前にいる人、すれ違う人、その人と自分が何を感じ、その人が自分に何を発するか判らない、と言うことだ。
明日のことは判らない
だからぎゅっとしててね
今を守れない人のために天中に佇む者と、
頭をより低く置く姿勢とは、
私に来る前には必ず努力が出来て
天は、仏道増して我が自身抜き打ちで来られる、
と教える
遊びの気持ちが欲しければ
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