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2024/12/11
ことばで言うことに理由のある人は、存在しても段階の前では、
空間とは関係だけの話が先に来るの中で
優劣をはかる間に一線も二線も否定の信号があり、時間も存在している
感覚的に関係するようにみえても、その空間を仕切る大枠から位を見比べると、「通じない」と表示されるからチェックする
こころの中の相関性と連想して引き連れて、空間をなくしてみよう、とするところに「無価値」が起こる
人間の腹は変わらず笑うことが出来るが、未来ってどんなんだろう!希望で一杯の時にたいしては、それが見当たらない「ヤミ」を当てられ骨折の気持ち
これが、これまでの空間の中心であり渦を起こしていたのであった。問題にしていた分が、あまり知することが出来ないから気にして目が向かう面白い日だったのだ!
この「モンダイの渦」へと汎ゆる「悪」が噴出した。「あくとう」この名前を持つことが出来ないことが世界人の証になるだろう
「人間」を気持ちまで、気付かうことだ
我慢、悔しさ、これはしても現実的に使える
間が一瞬合っても、四方の神とは、地にも憚りがあるから「気に出来ない」。気にしてる間にセカイは必ず動くからだ。距離値の強い日、通常の青い空、違う曇も、天ならばあり、気にしなかったら、「良い」リズムを知れるのに、という意味
魂にあらゆる意志があっても、良いなら自分を早く自神に使わせるように
仏や大霊を、お導きするために
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2024/12/11
したいのは、
実在の人物とは関係ないとこにいながら、且つ、どれだけこの四方にたいして礼儀が正しいか
擬人の感覚なら、本当の書物に触れていた方が良い。空想を合わせるなら、本当の心の可能性一筋にもっと触れてみた方が良い
今、気付いたが全体的に「影、夜」を見くびった分、行じる隙間がなくなっている。これらが「ヤミ」にすり替わっていた
考えのいる現実、考えなくてもよい空間、こう必ず想像以上より立体的に存在していて、「空念」と言ってみたら何か尊い。いずれにしろ、どんな予想をしても空間には苦がないのである。空間とは苦がないのである。
これを叶えても良いんだ、嬉しいという声もある。
緩やかな人道の延長上に神仏はあるものだ
延長上なら、誰や何にであっても道から離れず、「延長」という元を始める。入り口は入り口に戻る。手向かえ人道。神から下るこの動作、過去を抱えた主題の今へ自分を落とし込む。これを即ち初心と言い、道法に置いて必ず得ければならない基本。どのように持続する心の「どのように」を受得る特訓の段階。真の新しい「段」。それだけを迎えて入れている。
日本でも初心は言葉はあれど概念をまかり通さず最も酸っぱく言われるくらいに大事な語である。必ず記憶ほど覚えて置くように。
大事のこの量にしては、初心を説明して良いときがある。過去を抱えた主題の今へ、空洞では覚束こと無い時空そのものの潔さ、これを観察する為には、人間という一定的な日の心地が必要である。だから「もっと見たい」という言葉はこうした精神そのものの問題なさが、説明に掛かる。
ちなみにわたしの初心は、神が聞いてる間、として形をエレメント土(水神)と間違いを睨むこれを破りあいに帰るところ
何かとてもぴったりした靴のような想像を思っても、何を大切にするかである。続けれずにいて「幻想」という正しい想像へと出来るのは現実の事実てあり、全ての自己と「タイミング」が打ち立っている形が存在して、更に「客観性」とは、複数の面を人間が持てることを知る意志なのだ!
相異なる
人間が、争いを求めたまま進むと、自己矛盾として存在出来ない。さっぱり人間でもなくなる。
「抵抗」となる意志は、神使いしか、理由がない。
心に戻って、
感情に客観的なこころはない、この一つを大切に
自らの「心配」だと見つめ見直し、心を配る、と書く精神として、対する「不安=ねじれたもの」を心の中から徹底除去する
客観的なこころ≠客観性(客観性なこころの自に取り組む後に引き摺り出す)
神との修行、二面性この達成とまた神
豊かな現実、家、物、これを信じれずいて「空想」は出来ない
神は、人間ならば、難度の高い「熱情」は、ことばにならないはずだ、と言う。人間は、彼と途方に違うと思いながら、石、良い意志だけを持って、近付くこともある。
総合して、これだけを考えていれば上手く行く。全てが「上達」の為である。
以下は、ないもの。
語を達成しておらず、満ちていない「物欲しさ」とは、以後、人格を考えない。動物が、人格以上のところの格であるからだ。人間以下は、量が多い少ないの話をし続けても一瞬はこう「点」になる。
敢えて、知らないホトケガオ。そう言っても選択のはかなさ、この上記の点の至らなさが必ずあることが、見つかることが普通はない。
はやく一掃してください
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2024/12/11
大学の頃の良い文
オン タラーク
まどの先生
2009/10/12
日記・ブログ
たしかに彼女の描く人形はどれも生々しく、愛らしく、どこか悲しい。
彼女の何重にもなった妖艶な目と人形の目はどこか似ていた。
そして、よく小さな妖精が見えるといい、枕元でピョンピョン飛んでるのといっていた。子供だったわたしは、妖精が本当にいるのね、ティンカーベルかなと思ったりもした。
そして今でも枕元で跳ね回る妖精がいるんじゃないかと疑ってる。
彼女はあまり来ない私をいつでも覚えていてくれたし、喜んで迎えてくれた。
わたしはそこに居心地の良さを感じながら、孤独からは抜け出せなかった。
彼女の夫もまた画家で、もう描くものがないから死んだのよと、彼女はいったらしい。
わたしはその時、犬がほしくて、犬の絵ばかり描いていた。単純すぎるのは今と変わらない。今その絵はトイレにある。どことなく、今の犬に似てるような似てないような。
その頃も、今も、きっと、考えてるようで、なにも考えてないのだと思う。
ヤノマミ
2009/10/11
ヤノマミというアマゾンに住む民族の女性は、平均14才と若くして子供を生むが、
生んですぐに人間として育てるか、精霊として、シロアリに食べさせるかを
生んだ本人が決断しなければならない。
同じものはひとつもなくて、一度外にだしたものはかえってこない。
精霊として差し出した女子の家からは、たいてい、その夜、泣き声が響く。
それはもう二度と生まれない、たしかな命だったことを表す。
消えてしまうことは、消せないことのようだ。
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ec
dc
座るための石は重くて冷たい
2009/10/10
映画を死ぬほど観る時は、なにも考えたくない時、自分から距離を置きたい時なのかもしれない。自分にうんざりすると違う人生について考えてみたくなる。現実に戻る前に、すかさず違う人生を刷り込む。映像を流し続けることで、非日常への一歩を踏み出した気持ちになって、夜の夢を見続けてるような感覚から抜け出せずに、時間の感覚もズレはじめる。そういうのを繰り返して今のわたしが形成されいて、ようするに、無茶苦茶なのかも。
だけど、沢山の時間をかけて、自分が本当に愛しているものを蓄積すれば自分が何者なのか見えてくると思う。
昨日みた映画にこんな言葉があった。
「若者は完全な愛を求め、
年を経た者ははぎれを縫い合わせ、色の重なり合いの中に美しさを見いだす」
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2024/12/11
人様なんて思っても、形になっていない思いを、
他人の思いの中に手をつっこんじゃ駄目だ
セカイは良い、なんていわないし、悪ければ言葉はないはず
いいもわるいも無い
それは、解ってる
「そう」なっていない、と思えるし
気が気なら言葉として、「カオ」は無い
同じ夢だと前へ向いた瞬間、もっともっと遠くの古代や先人を見るものだ
そこで、花や、努力、を知り、
「天」という言葉がわかり、知りたくなる中で途方に地を、自分がみわたす
「生きる」そのことを深める
運命論だけではないよ、地からの力で物をいう
複雑でしょう⋯
彫刻の複雑さを、見上げている
有るとは無いことのことで
夢で見た空箱も
(難解書文なにかわすれた)と同じだといえるだろう
人の中に入っていくのは嫌で嫌でたまりませんが
私の中には何もなかった
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