揶白 (KF)

絵画

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揶白 (KF)

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    Works 43
  • こう思う

     

    霊やから他人とも何とも思わんで良い。霊が困ってなかったら気にしなくて良い。根っからそういうのを取り締まる神がいて、霊は付いても人から人に移動出来ない。人から人に移動出来る霊は力のある霊。自覚がなかったら悪く映るけど。こう感覚ではなく理性的に考える「モン」で、頭でも心の中でも大切だから大切というそこに、思い込みがパーセンテージを締めてて必ず心は想像以上があり、存在した。だから、物事を客観的にする為に、想像以上だと心(けいさん)にいれておかないと。豊かさの掟。取っ掛かりとして平和、とあまり言葉にしないのは動物からしても当然を指す。彼らの相貌から繊細な言葉の意味やニュアンスを読み解くには、動物の人間いう視線から動物に立った目で、古来の対話を未だ続ける。

     

     

     

    蟲ーが沢山いて知識がガタガタだった。「物」を霊って理解していて、霊って潜在的にわかっていて有る物有る物事へ向かいゆったら、驚いてさらに正しい理解こそがすんなりしたけど、ことばにしないのはマイナス面ではなく、それこそがその道であるから、だから、事の長さや丈を示し、暗黙というこの有る言葉にしてこのように世間が通っていることが現されることそれは、それが即ちその物自体の良さであり、それを讃えるという祈りの為。

     

     

     

     

    こう話してもコトバか、言葉か、それを自身が追求しよく考えてるから伝わる。

     

     

     

    「自分」には考えられないことがあって、考えないことを守っていると、

     

    「物事の年数、こういった地形が軸になり考えられることを想像するが、意識をしたことがない、そういう底から始まる、星のプライド始まっている、、国が、こう存在していて、驚いて納得された。」

     

    聖兄「せいき」の意味が芯からわかってきた。

     

     

     

    世界に存在する考えを空想する、

     

     

    掟のもとでそれらを考える。

     

     

     

     

     

     

    内側を考え外に向かっていく男性感

    、情緒的に内へ向かう女性感、

     

     

     

     

    「性」は

     

    両側ないと、表現するときに片方に細まると自分からズレて行ってしまう。性をこう武士道はずっと考えて来たんやなぁ、と思う。同感覚の人間を達成すると、掟の中の安定した願いを続けられる。男も女も背が伸びてムにならず、縦に伸ばすことで無を作る。「こうしたかった」が現在になっている。

     

     

     

    そうして体力を測れ、びったりした重さの剣を携える、そんな夢がある。

     

     

     

     

    言いたいこと、が、膨大な情報の素材からで、ではそれを作ってみる。「表現」これは、自分なりに整えて行く実の過程とは古来から変わらずしていた生き方である。

     

     

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  • 右も左も蟲ー、その次に

    何かをやり終えたらカードのようにはっと霊が出てきた。

     

     

    猫ぼうしの鉄車


     

     

     

    昔は二の手を破っただけで、あっち

     

    こっちしゃ寒いで、荷台の自分はおじさんにとって毛布にならない、そういったことを何の為に耳付いてるんや

     

    置いていき、ト、若い兄ちゃんカギを部屋の奥に投げる

     

    自分だったら偉そうと思う

     

    おじさんは猫帽子から掠めて前を向く、鍵の弧さえ見える輝き、おしゃれ

     

     

    自分は止めろと言いかけた。似合っていることを、自分の佳(よし)で止めていないだろうか?

     

    「俺と喋れるのかい?」

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  • きぼう書

     

     

    次元とは心の歳

     

     

     

     

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  • 主義主体、とはなんぞや?

    注意しないで出来ない…見えなくなる

     

    主観意識が不安と混同してやさしさになって合わせていく

     

     

    人が、根をあげる問題もあるから、その力仕事の者、石かつぎ

     

     

    武士の正体…華のあるような美しさは、

    いくら小さな自我でも、道理があり、道理をみつめることには甲斐がある。道は、意識や意志にどんどん沿っていく様を見る

     

     

    自分の中から合わせられるものだけを主観にしていて練として選び取るということの意識、何もないとこで線を引っ張る才能

     

     

     

     

     

    話したいことと聞いたいことのウマが合うから、神仏が通してる

     

     

     

     

     

     

     

    古典に見られる兄弟とは初めから神聖の心学を通していてかんがえる関係はありませんよという意味にゆとりがついている上品さ

     

     

     

     

     

     

    鬼母神

     

    自分が出来ないプレッシャー

     

     

     

     

    自分の疑問

     

    例…仕事

     

    自分の南方より心についての「疑問」の良さがようやく灯るむ

     

     

     

     

     

    制限

     

    真面目に真面目に真面目に、それを繰り返してやっと、タイムマシンとかを持つ

     

     

    色んな気持ちがこそ時によるとまでは、わからないとき

     

     

     

     

     

    無二の仏

     

     

    釈迦様が人間、といった頃には人「ひと」

     

    白い円と黒い円、曼荼羅の

     

    歩行のようす

     

    南無釈迦、南無釈迦

     

     

    久しい、想像以上のところに誰かと、おります

     

    人は、想像しか出来ないからです

     

     

     

    暮れて、

     

    漢語が少ないと説き、「自分」は遅れてると読みます

     

     

    良いもの

     

    朝日や、パイナップルの海、熱帯雨林、を目線の目印に

     

     

    だけをして、毎日毎日暮らすだけやのに

     

     

     

     

     

     

     

    (たわけのそれら)

     

    対して、遅らせられるも理性ははかどっている

     

     

     

     

    歳の問題

     

     

    有格、格のない

     

     

     

    これに一線があり

     

     

    「難しい

     

    一答えはある

     

     

     

     

     

    スタート地点

     

    蟲ーの解決から、すべての理解がこれほどすんなり平らに始まってる

     

     

     

     

     

     

     

    まったいらであり、何でも縦積みにすることを叶える

     

    普通なら転がるもの、「敷く」という可能から上下が生じていて

     

     

     

     

    力にごさを考える時の精神のもと、心身こもごもはっきり別れてること

     

     

     

    自を知るときを限界に、心眼から表現されている法律のこと(自我偈)

     

     

     

     

     

    話しがないという話だ、(仏語)

     

    これらを伝えないときに落ちる

     

     

     

    「知らない人」…知ってる人と思って“何でも”頼る

     

     

    知らない、此時だけが神で、

     

     

    他はクズの“相関性”

     

     

     

    こういった四神、龍天

     

     

     

    これを理解したときにはじめて知らないが利点になる

     

     

    木方としての正しさを持つと、勝手に難しくなる

     

    色んな柄がある

     

    それが決め手になるので他を見ていられない

     

     

     

     

     

     

    阿弥陀運は潔さ

     

    自身にこだわることである

     

     

     

     

     

    未知の孤虎、白虎(コトラ)

     

     

    運が落ちるは、はっきり言ってない

    これはシビアかシンプルなのかはっきりして分からない。人が成長し切ったかというとこう聞かれてもわからない。過程という言葉を思い出した。

     

     

    迷惑をかけて、現実なら人がどうにかする、冥界じゃ無理。自身の蓄積ごと、いや、悪い忌みの冥運…

    心の中から祓い給い、という

     

     

    一方、霊は、目の中にあるものそれを「言葉」と言う。神秘の才能や、布の才能、あらゆる自を自覚したのち次なる工程に削る、触り毎日からツルツルにする、こう組み上がってる面々の想像から造形していく。球根からどんな言葉かな?とわくわくして自分を育てる。勝手に咲いたりめちゃくちゃに咲いたりもしない、この何か知れない球根、〈現実という精神上〉にて根気よく!

     

    光はもっと偶然を含んだ奇跡として咀嚼し、

     

    字の自然にたいして四角く書けばテトリスのような強い光を思うが、スケールが世界より小さいから

     

     

     

    力の自覚の早かった人も、一人で感じていることがアナログパズルのように発揮される。この強力な力に自己の軸を傾けたとき、ひととようさんの木星のうたを聞いても、私はひとりじゃない、と意味にした深さは私はひとりじゃない。けど孤独のこそひとりじゃない!これを強力な力という。この中にいてさらに深めていくと、誰か年上も言ったが溺れていた頃より、今、“泳いでる”ことがわかった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 権利

     

     

     

     

     

    必要なものより、

     

     

    致し方なしと取る

     

     

    また会える、光の起こる人か、

     

     

    滅減を意味する背後霊(8150)か、

     

     

    どちらにするん?

     

     

     

    嬉しいことが好きか?

     

     

    悲しいことばかりしてないか

     

     

    物を手から捨てたり、省いたり、ある壁をつきぬけたり

     

     

     

    必要なものより、

     

     

    致し方なしと取る、

     

     

    究極の詩はいつもいつもこう出来てた

     

     

    選択出来る、という意味で、

     

     

    即ち選択権がある人のこと

     

     

     

     

     

     

    '

     

     

     

    町では大きめの魚が沢山泳いでる

     

    自覚してたら鰭とか付いて魚だとはっきりわかり次のこまやとろ? ができる

     

    どこかにお祈りしていない

     

     

     

     

    江戸時代の描き方だが

     

    鹿島神宮(カシマ)

     

     

     

    明(スマホ)で見たら、行くもわかる

     

     

     

     

    回らないと、自分とこの昔さえは教えて貰えない

     

     

    ン。。、腹ららヤ

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「うちにわかってもらえて嬉しい? 良かったは、良いかもしれないじゃない」

     

    隔てなく一人でいれる宮の孤独は、國の幽を境にいづこも文学するという酷の坂は酷摘みといい、偉い品(ほん)

     

     

    目に見えることの無い夕陽ケ丘も、やっと「優柔不断」という熟語を覚えたんだよというやさしさが、旅人の歌によって知らされる。

     

     

     

    自分こそにあるものを信じそうして来た古来と変わらず、同じように

    時代と足並みを揃えて、自己の奥に未知なれば。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 方法2

    もう一つの方法

     

     

     

    方法での感情の自然や、身の感謝、感じ切ると、白か透明な気持ちを引き出し、天が邪や悪霊としっかり分けてもらうことができる

     

     

     

     

    対義して、白っぽいもの

     

    よく間違う、

     

     

     

     

     

    もっとはっきり違う理解

     

    区切りがつき鮮やかなもの

     

    対して、燃えかす、白っぽいもの

     

    普段、心の躍動がないから腹にうみをため、そのうっぷんを受けている感じ

     

     

     

     

     

     

    逆境があったとき、問題にしているのはこの時で、人生の経験をすると覚えたけど、堪える方法がある。その方法をするのも一つの手。

     

     

     

     

     

    そして、早く

     

     

     

    思いの奪還をしたい。知識をもたず、触れれる気持ちを丸にし間違ってしまう。心自身、境界を鏡文字として実際のげんじつは逆の意味をする等、間違ってしまった方も息をとめてしまった方もややトラウマがある

     

     

    ほか、成長が本当に入ってもう変わっているのに「自分」とかいってひっぱって調子に乗ってくる

     

     

     

    邪がない、というと気弱になる

     

    邪神は、邪の上で意地と意志として守ってる

     

    邪が無いくらいに感謝するといえども

     

    私は、危険なところに行ってしまった、これが自己否定を起こしているキズである

     

    邪は、取り払っても残るのが関の山であとは自分で抵抗力と胃で消化する

     

     

     

     

    蟲ーは、人生中ずっとムッとしている。嫌とか動きがなく抵抗感がない。感情の目で一線だけのそれを見つめ、勇気がいるが、そこを触ったり、仏と祈って月の向こうへ飛ばし、これが祓いの気持ち。人や神を嫌うから気配だけでも消える。

     

     

    方法はここにも書いてる。

     

    擬宝珠と祈りhttps://creatorsbank.com/yohaku/diary/?category=116365

     

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  • タネはないものと知ってくれい!

     

    タネはないものと知ってくれい!

     

     

     

     

     

     

    特訓

     

     

    ①嬉しいや、悲しい、

     

     

    感情のひとつには二つ以上の感情が必ずある

     

     

     

     

     

    有るものを有るとする訓練

     

     

     

     

     

     

    ②字のように書けると、嬉しいと高く抜けるような気持ち

     

     

     

    それを止める

     

    出来るだけ自然に

     

     

    止まりまでには、内側のものが外に発揮されて

     

    ガマンがない

     

     

     

    止まらないように止める、まで上達する

     

     

     

     

     

    ①、②の観察を繰り返す

     

     

     

     

     

     

     

     

    ヒント

     

     

     

     

    ・過去がなけ れば、今がない

     

     

     

     

    神心、人心、二つある

     

     

    どちらにも感謝

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 星空の詩

     

    「板」と言われてもわたしという事態はカラッと乾いており、燈籠の釜を見ても人間と虫も同じだと思う。川かあり渡るところ石があり、地球にはこう足を動かせ躍動するところ場所がある、自然一体となり「竿の先に鈴」、揺れてやかましいよくしゃべるものを静かに鳴らし涼しくする。

     

     

    自分は体力

     

    ・“一人で感じ取れない”ことの意味

    ・どんぐりをどんぐりだけ、と、木の実と色んなもの、葉、こう才能を言い直す

    ・一番身にわかる技法の理解、油絵

    これら感覚を求めること。

     

     

     

     

    きらきらした薬袋、の言葉自身のように本当を理解すると、死ぬも生きるも無く、生きている

     

    …心の便通、

     

    何でも抵抗がいる。感情の抵抗、過去の抵抗、体の抵抗、池じゃないこと川なこと

     

     

     

     

     

     

     

    意と思いを、心から分けたい

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    建見方主神(たけみなかたのかみ)

     

     

     

    耐えることを習えば、話したい人と話せる。耐えることを知ると理解することも増えなければいけない。耐えなくても良いことにも耐え方がある。

     

     

    人が元気の時に、自分が病いであった。難しい、老格の話にある、繊細な者にたいして、「!」じぶんのことやねんと話す、。ここからでも、感情についてはいくら高振り詰まっても前には一番簡単に用意して下さっている物のことに時々遭遇する。神宮にいらっしゃる男神。

     

     

     

     

     

     

     

    知らないひとに抱きつかれていても、安心しないし嬉しくない。地のほどもともと一緒にいない、これを信じれるようになってから、一緒にいることが出来る。知ると良い。知ってるひとに会いたいから。

     

     

     

    買うものより履いているもの。これを言うと混んで歪んでしまうもの。だから、順序規律がありその合間はアリガト〜口笛を吹く気持ちだけで良い。本当に至るところには必ずありて存在している言葉のことだから。言葉は、言葉が言葉になる前の思い見えないところに力をかけたい。

     

     

     

    亀のように、低く歩くと「何が知りたいん?」と聞いてあげたくなる。能、狂言、土着文化上に最も存在する池の亀。

     

     

     

     

    「強くなる液」

     

    私は死生観に興味があった。「影だからかゆみもゲンキに飛び跳ねる」ノミがぴょんぴょんする気持ち、かゆみ。ここに汚いことがある時に抵抗があることは、まちで「死です!」と言ってもコートから裸で掛かるような変態になってしまう。思いの事の間はそう思われ辛かった。経緯はことのほか、強さでしかなくなってた。きたなさの好き嫌いではなく、自身の強さにたいして見つけが行かないと損だぞ、と言う縦掛けの言葉。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    大國主

     

    若者を見てまだあやふやな出で立ちのようすを、近所で話す。「自意識がまだ出来てないから。」自意識、客観性、自意識の治まり、色んな言葉があっても、“緩い”かと思う時、自信が過剰で過大しているかを友人に不図聞きに行く。ようそんな細かいことは聞いて回れない!そう思いを、振り向いて先の言葉にしてみると全くゆとりがある。

     

     

     

     

    わたしの一言メモ

     

    嫌なことは、見ない!聞かない!くらい強さの、聞かない!!という注意。

     

     

     

     

     

     

    雑草図鑑

     

     

    一輪のお花、これをおへそに留めたいから、おへそから引いてずらせた所に置く。

     

     

     

     

     

    いまの「ここ」に、太鼓の周りにいらっしゃるからリズムが良いと説くこのような神様はいない

    ことは、思いに懸けて意と思いを違わせること生じ、言葉はやりたいこととやりたいことの上にやりたいことを二つ重ねられている、やりたいこととやりたいことをそれをするその逆をたしかめる確認をせんねん

     

     

    それは、嫌いとあらわす死と死が同じ重さとなる

     

    別れてしまった長さと哀しみのことばが同じ強さとなる

     

     

     

     

     

     

    放ち、言葉たちを逃がすには、

     

     

    神を諦めない、

    もぐさ、萌える草、薬王、煙(けむり)

    応援しに団扇を持つが、

    どこも研究中、

    どこも哲学を経て越している

     

     

     

     

     

     

    須佐之男様、私は人間です。ついに出来なかったのだ、彼の言うの理解の思いに至らします。ここは、負けてくれませんか。ややゆっくりでお願いします。できるだけ早く、これの合う長さでお願いします。

     

     

     

     

     

     

     

    横入り

     

     

     

    横入りされて、心のへやの風景に例えるとこのように部屋が散らかっている。部屋のどの物のどのような表情を、見たいか。これからすると手前に散らかる何をどのように片付ければ良いかが、やっと、見えてくる。

     

     

    絞ってこれと言ったのに待つ方が長く早い。

     

     

     

     

     

     

    この気持ちが、可能でも不可能でも思いは外ではなく、無関係に自惚れに似た惰心と邪はアクイとして意を成さないから。対象があり、自身の徳を神から「アクイ」で告げられることを覚える。

     

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  • じぶん

    自己だけの世界

     

    他人はいない

     

     

     

    自己だけの世界だと

     

     

    他人の世界が成る

     

     

     

     

    “他者”がいなくなる

     

     

    ジブンの世界ではなくなる

     

     

     

     

     

    実現して数万年

     

     

     

     

     

     

    これが精霊界(ぶっかい)で、込み入った話を空から出来る

     

     

     

     

     

    自己が見つけられなければ、

     

     

     

     

    他人が判らなければ、己を求めず、

     

     

    己を求めなければ、他人が解らず、

     

     

     

    こういった事から、隠れた日々が

     

     

     

    今も光っている

     

     

     

     

     

     

    こういった時に、神と知識が合うはずないなぁ、

     

     

    量の無い同じ世界

     

     

    見ることの出来る仏の「イメージ」は、自分が経験して死んでを何度も繰り返した人。見えない目を、こう書いて留める

     

     

     

     

    優しさも厳しさも

     

    “優しさ、厳しさ””

    昔スピリチュアルを聞いて、知りたかった意味を感じれて嬉しい。

     

     

     

     

     

     

    鞄を持ってスマホを打つとポケモンのようで、それこそは仏の構想。

     

     

     

    慎ましい。

     

     

     

     

     

     

     

     

    よそに、

     

     

     

     

    馬鹿の世界がある

     

     

    「心が」汚いんじゃなくて、よわすぎる

     

     

    呪いはれっきとした犯罪です

     

     

    のろえばマシになるとかじゃない

     

     

     

     

     

    「文神社に祈る」

     

     

    何かのいいわけで、人を馬鹿にした

     

     

    自分の目を前から逸らした

     

     

    そんなやつが仕切ってる

     

     

    運命を無視するな、私は馬鹿以上になるしか道はなかった

     

     

    外れているなら、他者だし

     

     

    他者以上なんてのは無いに等しい

     

     

     

     

     

     

    じゃあ、無視された間は?

     

     

     

    まだ時間だけはある

     

     

     

    ありがとうが無いから、ごめんなさいも無い

     

     

     

    見放されたような世界で見放されておらず

     

     

     

    無償という言葉の「わたし」に息をつくことが出来る

     

     

     

    信用も信頼もならない、思いの裏切り

     

     

     

    こいつ、

     

     

     

    これだけをただひとりと読みます

     

     

     

     

     

    私この一人は詮索しない

     

     

    使い分ける靴に楽しむ思いと、

     

     

    きらって分けるほどに、大きくなるまりは

     

     

    すきもきらいも無い

     

     

    触ると饂飩になって滑りが良い

     

     

    正直に話すと紹介ともなる

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    月読みの勉強をしなければ。

     

     

     

    ツクヨミをみんな持ってて、思慮のある民のことなら、道でそのままむにゅむにゅでもあっさりした霊格になると思う。他の考えも聞きたい。

     

     

     

     

     

     

     

    色んな仏像があり、夢の牛に“乗り”暮らすような想像や、縦に積む知識、普賢仏のような理想。

     

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  • そして今の仏道

     

    霊界のよさ

     

     

     

     

     

    今、生きている唯一、これが誇り

     

     

     

    誇りは小さい力

     

     

     

    「誇り」と言う

     

     

     

     

    どれがそれかを問う声かもしれない

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    人のこと、希望を抱き続けることができる

     

     

     

     

     

    霧がかった山がある

     

     

     

     

    さんさんと輝く高層の日のようなオレンジ、世界はここで終わりだと思った、

     

     

     

    と話した。

     

     

     

    とたんに、地球の形を理解する気持ち。

     

     

     

     

     

     

     

    異なることはあったが、それを見る「今」は異様ではない気持ち。

     

     

     

     

     

    人だと唱える大仏も、仏教徒なのである。

     

     

     

    努力して初めて来れた仏道は悟りを開くのではなく、

     

     

     

    既に開かれた悟りをもう一度自分たちで開かない。千と千尋の神隠しというジブリ映画があるが、しゃゃなくてこれじゃ仏隠し。

     

     

     

    顔とか理想やいまの想念を抱く前から冥界があり、中には本当に善くなる可能性の無い悪い人がいて、「七日」があり、この冥界を仕切っているのが仏様である。仏とは、何と死んだひとを拝むことが解った。

     

     

    話しかけても呼び捨ててはいけない

    めちゃくちゃにしたらいけない、変に覚えられる

     

     

     

     

     

    好き嫌い、この心知る者が時間と詩(ひと)、この一番運がある方を良くしり保って通る感情(こころ)自体の世界。それは、見えない光だろう。

     

    そして、光速の方が良いから精神を学ぶ。「好き」この言葉を物失くしとそれにつく誤解も多く実際には知らなかった。

     

    事前に悟った者の世界、聞いたことのあるお仏壇だった、と、こう結う豊かな霊界を、はやく取り戻してほしい。

     

     

     

    平安時代、門の焼ける様に鳳凰がまた霊的に現され、

     

     

     

    こういった時代の祝いが存在し、

     

     

     

     

     

    今、カビゴンのような重い岩が、また霊的に現れている。

     

     

     

     

     

    岩は、見えづらい。

     

     

     

     

     

     

     

    思い出せても、意図的に消される。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    人だと唱える大仏も

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    無欲である

     

     

    自分はこう

     

     

     

     

    それをそうとして無の自分を感じ取りながら

     

     

     

     

     

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