揶白 (KF)

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  • なくならないムーの理由

    工務的に言うが、

     

    人が拝んで上がって来るムーを見ている間に、

     

    人がムーの仕組みを覚えるのを手伝う。

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  • 勝手を身に付けて

    誰かと、仲良くなれるかを頭の中で細かく考えている。この大切な活動と、対面した場合は自分のメルヘンとは打って変わって正気をリードしてもらえるだろう。既に想像は自我を持ち破壊すべし敵が、この恐ろしい味方が、「客観性」だと見破いた色透かしなのだ。

     

     

    気には「心の人(補助霊といわれる)」と、「ハイヤーセルフ(アッテルなど降りてくることすら決める)」と、「守護霊(あなたは誰ですか、とそのまま高く聞いて行けること)」

     

    丹波哲郎の霊界探偵や、江原啓之のスピリット霊界本を、高校時代激しく読んで興奮していたので友達には拒否られていた。

     

    次に、これは剣道の腰の入りを応用するが、進めるこれを足よりも腰を前に立てるイメージで、

     

    人と仲良くなる入りは、親しく思うことと顔の見えない相手だと言うことを同時に持つ、瞑想したりメモったりしてすっかりしていること。愛しさを発散するおじいちゃんと「心の中」で怒鳴り合う。人と人には軽い憤りが必ず有ると、信じていることだ。

     

    詩的なことから言葉が独立して、「知る」などの一語がこんなに進歩して、美しい。水っぽく干渉しないのが都会の性格だ。個人は一蘭ラーメンのように区切られ、丹味して、話すことも出来る。仕事中心なので干渉しない。それが本当であるから芯から冷たく、死ぬほど悩んでいたが、水や川が力だと知ってからはすっかり頬を薔薇色に変えピチピチと、断ったり受け入れたり、傷付くとかよりも水を跳ねて泳ぐことを思い出した。そんな動きを動きとして受け入れる事が出来た。

    「鬱」が逆に字で、心に支えさえ有れば精神的な強壮を得ることをメンヘラ精神が流行ることから理解している。何をしていたのかというと、こう書いていても頭の動かし方は工務で、新しいボルトクッションなどを楽しんだり、街に客観性が有り、街が客観的な気が強いのだと新しい発見をして自己を探求している。よく見渡せば、物凄いスピードで人が趣旨選択をする。

    これが「街」のイメージとして、10分110円で借りれるチャリだが、

     

    ルールが街を含むがルールの前に街が有ると、前に論証した事があり面白い発見となっている。

     

     

    おじいちゃんは都会人を下に見ている。しかし、おじいちゃんは冒険家なのだ。

     

     

    自分の市には、何で街が出来ないんだろう?

     

    次にするアプローチがこうだ。

     

    郷土史は、図書館に有るのだが参照すれば地道な事だから自分自身の興味を引き出す事が出来る。自分の性格がわかり、必ず理由が見つかる。

     

    私がもともと瓦を作る、という地味な町の出身なので悟りの有る話はここまで。

     

     

     

    空白におばあちゃんがちゃんと世間的に私から距離を置いて、がっつりおじいちゃんといるのがわかるだろう。計り知れない何か力が、自分の足腰に有る。

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  • 日本の仏像

    心を痛ませるからという理由のもと、人は口を閉じて言いにくいことが有る。

    心にそんな彩色がなければ、薄ければ、人は「自分が強い」としか言えず、言葉の視界も、その現実さえも違うと思う。悪い心の人の意識自体が、意識そのものが、強い者にへばり付いた自分の感覚から離れる事が出来ず、自分自身さえ忘れる。睨んだのはそんなふうな奴だ。

     

     

    理解は同じで構わないと思う、そこに自身のオリジナルが無いから。

     

    言葉の勉強をすることの如来、菩薩、明王、天部。

     

     

    「位」とまた書いてあるが、

    如来を磨いた時期が長い方である。たんなる物でないので、弥勒菩薩がめちゃくちゃ整理している人で有るともし云えるように性の豊かさと然り、我もまた菩薩と云えて、云うのも楽しさにたいして上下の比較のない、無。

    解りの世界を、ほんの一縷、一秒楽しむことの天部や明王との関わり。人が、人と話をする為の無心を続ける地獄(しごと)の大切さをは、仏に感謝。

     

     

     

    地獄と悪意は違う。悪意には仏がないからだ。明快に、仏が有るかないかであった。悪意は「無」から縁遠い。

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  • 安倍様を想う

    蟻の自分の力強さとか、人にたいして客観的にわかってもらう。自分にとって、恵まれた持ち場を意識する。

     

     

    「霊」と言う死と対峙しながら、

    必要な哀しさとを自然と区分けている。安倍首相は、心蔵に銃弾が直撃したことで、心真っ直ぐ生きた人だと思う。それでも哀しいし、私は母を今でも思っている。これで良いのだ、という心理が供養になるのだと思う。

     

     

     

    古くからは、神道はインテリジェンスではだったのではないかと言われている。ここで天地は、知識だと説明する。

     

    この世で悪いことを、知るそこに線をする。これが、天地を見る、という言葉だ。

     

     

     

     

    成仏は、この世から「消える」というよりかは、道に帰られ自身霊の心のクリアに励むこと。浄化と言います。地に趣きのある諸霊も、天を目掛けることも一緒だ、逆も然りとして、これを限りなく一緒である天地という。聞いたそのままに耳を澄ます。

     

     

    郷土や文化は、地。茶碗の柄は、天。

     

    別ではないものとするのは自分だ。

     

    ムーで、人が詩的になって暗雲の期があったから、このことが広く分からない。

     

     

    何か悪い物事があって、雨降って地固まるような時もある。その中で、悪い事をは悪い事とする。定めを付ける。それは物事なのか人なのか仕分けていく。ここに柱を立てる。透明な線が見えるだろうか。

     

     

    こう思い続けている緊張感が私で、長さのせいであるならば誰でもやり始めれる。

     

     

     

    悩んで生きていると、心が燃えてくる。ある日、走り出す。君たちにもそんな日が有ると思う。

     

     

     

     

     

     

     

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  • 虫の美しさ

    火遊びをすると寝小便をする、火遊びをするとおねしょをする

     

     

    If you play with fire, you’ll get burned

     

     

     

    これら、子供に向けた言葉。

     

     

     

     

     

    悪いことをすると生まれ変わったら虫になる。

     

    虫…虫という語を人にたいしてこれを戒める言葉が有るが、

     

    この意味とは全く異なって、

     

    例えハエにしても賢くないとああいう繊細さを持つことが出来ないのです。純粋な力、知性的な純粋さ。間を省かない考え。これらが虫の美しさであり、唯一、地球を識る者かも知れません。

     

     

     

     

     

     

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  • 映画「君の名は」

    君をまだ知らないという慎みが有る。縁は、意思に関連して紡いで行くか、行かないかの判断だ。「君の名は」映画で観た、色んな色を、鮮やかな、糸を織る様な。風の国では、固く結ぶミサンガのジュエリーの様な綻んだ笑顔のことだ。

     

     

     

    もっと一人一人が平等であるとか、逆に特別だとか勉強は必ずそれぞれで、多岐であり、他人を私が心の中から隠すのはその人の良さなどは、自分の目が知る事だからだ。気強さは内心に収めて、自身がどのような上かを人と話を説明する勉強をしなければならない。逆に神道ということを知り、道から逸れること無い「道」の概念が解って来る。ぼんやりしていることをぼんやりしていると認識する、これが道。

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  • ニ色ムー、人がムーにしか見えない

    小室さんなどみていても、人にお優しい方だと思う。しっかり自らの位置する所におられて、私たちを心強くして下さる。

     

    ニ色ムーは、ムーで悩んでいる人の事でムーにしか見えない人である。ムッとしていてムーの事ばかり考える人の目つきは、人を隔離させる。しかし、その目つきでいる事や暗い気持ちは、人には必要な時間じゃないかな、と思う。この点、隠れていて良いことと隠れてこそこそは全く違うから自然体、つまり影になる時間帯と笑える日と空気が有る事をこれを含める事を大切にするべきなんだと思う。

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  • 言葉の質問2

    「こう思った。」を伝える時、

     

     

     

     

    美しい様子を見たので感動しました。

    美しい様子を見たので見習います。

    美しい様子を見たので負けずにそうなりたいです。

    美しい様子を見たので癒やしにします。

     

     

     

    思った、どんな副詞なのか、言葉の正直を鍛えると主体が身に付き、主体が影になって自分を守ることが出来る。主体が身に付くと逆のブレた客観性から自我を守る。

     

    後は、具体性。言葉を噛む!硬い言葉を噛むのだ。そうして養われる骨。具体的だとは骨格の事なのだ。ただの言葉をカルシウムに変える。

     

     

     

    どこに敬語があるのか、を考えている。

     

    言葉までにしなくても自分を大切にしている態度が、すっと敬うの字を立てる事に感動している。

     

    アニメ絵を描いていた昔、笑われた時、BLに没頭するストレスのあった頃、高校デビューしてしまった時。自分の暗い方を考える。こういった黒歴史、シネ、もさってる、ムー、一見下品な言葉でも泳いで行こうとする思いや意思、あるいは歩いて行こうとする意思。

     

    山や川はそんじょそこらにある。私は野を走る。

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  • ムーに対抗する時代

     

    購読しているのだが、ムーという同名の不思議月刊雑誌がある。

     

     

    宇宙ミステリーや、UFO、古代オーパーツなど面白い不思議な研究をしている。月刊ムーのCMにもなるので、普段でも「ムー」という言葉は大きく使って欲しい。もともと私が悪く使っている方のムーは、大國主と卸した言葉だ。大國主は武士に縁があり、一人で何かに強く対峙しなければいけない時力を引き出してくれる。色の柄など当人の気がよければ言い当てる。のほほんとした武士が背中にいる。つまり、今のこの私自身なのでそろばん教室での読み上げの如くメモるのが良い。いずれでも「こう構える、こう躱す」というのを私も練習している。

     

     

     

     

     

    ムーを無視した人間が悪いんじゃないか、と良さ気に思う。

     

     

    人は正しいと、何度か確認したことを、マイペースに実践して行くだけだと思う。

     

    小学校の頃から(気にならないが)少し意地悪だなぁ、と思う。

     

     

     

     

     

     

     

    〜に対して

     

    何か素晴らしい事に対して、自分はどうか?

     

    「watashi」は、省くことで研げて行く。アニメの女の子等を、思うとよく見える。余計に打たれない!これを学ぶ日本の霊性。キリスト教の言葉を加えても、ムーに対抗する心を、考え方を、貰っても不利だ。不利なのだ。

     

    悪い人は地球と逆走している。逆走したのが先なのか、何か嫌な、悪いことをして逆走をしているのか。神は、ムーが神になることをムー自身に対して叶えるが、人が人で動いていくという輪郭をみる。ムーが自身を偽るから現に怒られて、天使は、祈りの丈も長さも有るから始めから御使いなのだ。悪過ぎると惑星からは自然と振り落とされ、気持ちの良い「かゆみ」となる。星は、処置が自然で、ムーには怖さがない。善とは何だろう?「私」と言う私が、生まれる前から有った星や、夢中になること、悪を考える思考も、自我を成さんとする哲学も、宇宙の神秘も、文化も。

     

    精神的に、「ムーがマイナス」を覚えなくてはいけない。自分自身が創造する「無」とムーと異なる。ムーがネガティブという言葉に相応することをわかったとき、無がポジティブなのだと仏のフォルムを探した。

     

     

    ・最近のムー

     

    東京にいた分かりにくいムー(悪い人とムーが混ざり合ってる)

     

    武士のムー(このムーがトントン拍子になることを塞いだ)

     

    武将のムー…武将や弁護士、複雑な仕事にムーはいない。ムッとさせる所ではないめちゃくちゃ気を悪くさせるが、次から色んな事が必ずラクになる。

     

    奈良のムー(全ての主要が短冊箱揃一式纏まっている。手袋をして丁寧に拝見)

     

    デリカシーのムー(デリカシーのムーに対応するアッテルが手に届く所に置かれる)

     

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  • 惑星が好き

    強い力とは何か?

     

    自分より生まれる前からある歴史や、惑星である。強い力とは、それらが続いて行こうとしている姿である。物理的な意味の「強い力」である。

     

     

    昔から星空や惑星が好きだった。そんな趣味を要はムーに押し込められ、忘れてしまった。努力してプラネタリウムに行っても、視界に映るのは物々しいムーの次元ぜろの低世界。

     

    宇宙の始原、ブラックホール、天の川銀河系の外のまた銀河系、それが何なのかばかり考えて過ごしていた。地球とは、何と木々ばかりではなく建物を創造しようとしている。

     

     

     

    海には仕切りが有る。これは自分を押す力と自分を引く力のこと。「人を仕切る」という意味。建物は、木を切って作るから自然と対比されているが、共存するものである。

     

     

    続いていこうとする自分の意識について行くと、意志的なもの、哲学、こういった形ある自分に出会える。

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