揶白 (KF)

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  • 何かあるとき

    英雄な、何もない時ではない

     

    英雄的に、街も建物も、森も有り

     

     

    「そこに目は目が気になる、

     

    目。

     

     

     

    火を打つ者はおらぬか

     

     

    もがいて、押したり引いたり、

     

     

    やっと「軽い」

     

     

    こう言われたとわかる。

     

     

     

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  • おそろしきもの(枕草子の妖怪伝)

    西北の風を受け入れようとしていたが、

     

    昔からこういった疫病など悪いものだったらしい。

     

    ボケる、ぼーっとする、

     

    やむをえないことや、元の気が違い遠い事に関心を持ってくれない。気持ち悪い。

     

    蟲ーじゃないか?

     

     

    あまてらすの社角にあたることから、繁栄に不利とし、避ける方がくとしなければいけない。

     

    もともとフランスに来た海賊が、フランス人に化けいいふらしわたしたちを襲う。

     

     

    金品を身に飾った有頂天は、蟲ーが一回するともう覚え、はなさず何かいうと言い責められるだろう。

     

    昨日のえん怠阿弥陀が語ったことと瓜二つだ。わたしたちはそれをちゃんと嫌った。

     

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  • 自分に挑戦

     

     

     

     

    大和人は、牢獄の夢をみた。言葉、感触、その良い心地、良い物を良いと感じられない、そんな心を掬う、もうとうに感じとれる、ということが出来ない心とその自分。森から、野から、どこでも“行った”

     

     

     

    「おーーい、」

     

     

    向こうの人までそう呼び暮らす、発声も筋力も現代人と違う、失うことはなかった。

     

     

     

     

     

     

     

    ある日、大陸へ行った。

     

     

     

     

     

     

    ここから、どこにでも行ける、わたしは。ずっと、その悟り

     

     

    外がある。観世音のその存在を知る、大きな感動には「外国」という重んじとは世尊の文化と名残りの継承があるだろう。

     

     

     

     

     

    天照、

     

     

     

    あの戦争は戦争じゃなかった!魚は、人間を点とし、「大きな心で」人間に構えさせる。だとしたら、この本当の景色と平和は目から感じ取れるだろう。目から感じ取れるだろう、悪いけむりの間に霊性だとか霊感はもっと早く受け入れられていたのだった。実にある天運の名残が言葉を生みにモロたちに触れ、きっかけを渡した。

     

     

    本当に長い者、地球の知者、魚

     

     

    本当に美しいジンベエザメの、その横に銀色の群れ。王族の騎士のような姿。

     

     

     

    私は思う。あの人は苦しんでいないだろうか?

     

    あなたは、私にそんな心配が出来ますか?

     

    君は答えます。誰が、よそ見をしてるのですか?

     

     

    シテンノウ!

     

     

     

    悪意が勝るとしんじる、安直になんでも出来るゆるされる、あきらめる、

     

     

    そう思わない、その事を屈がえせない。態々しく映っても、そう見えても。

     

     

    皇族は、もっと思いを思いにしている。

     

     

     

     

    実際にあるゆとりが、あると知っても知らなくても同等だ。運も無い、必然が一生、生き上がって来るのだから、知れることなんて遥かに無いぜ。腰を低める引力なんて筋肉なんて無いんだろが!!

     

     

    惹かれるまま、手で掴むことがだいじ。惹かれないから気になっていくまま口が開く、私は余計な思い出はとうに無い。

     

     

     

    サルメ、

     

    サルメって書いてるし

     

     

    わたし笑う、    「かわらぬ世は、嬉しい?」

     

     

     

     

    わたし「解った」

     

     

     

     

     

     

     

    初めての気持ちは、海に素潜りする、とか、プールで泣く園児とか、そんな高鳴りが「森」からイマジネーションがこだまして星間を蔦い。大人であってもある。確かに乗り越えた難しさを、今度はちゃんと一人でやってみよう。

     

     

    友にしよう、

     

    祈り、「イノリ」。

    手をかけるから、手間とも拝みを「オガミイザナギ」とも、自分のこの手を!

     

    必死で謝るが良い。

    ・やめるのと、自分で答えを探すこと、これが謝る。

    ・わからないから聞く、何日も聞く。人にする同じことを、それを難い方へ。

     

    デジタルに向かうのは手製だけだ。努力はいつしか汗をふるい弾いて、人の目を覚ます。だから、香しいのだ。

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  • 霊界でイタズラは、冥界にイタズラをしたと同義語。同じ扱い!

    心には、

     

    映らないものと、

     

    映したい部分がある。

     

     

     

    守護霊の立つ所に他のヒトが押し入りなりすまし、指示や注意をする。

     

    悪いことをして逃げる力のバウンドは必死だからわからない。本人に自分のことをを自分だったらと想像しても捉えれる。逆にそのヒトは私を想像出来ない。

     

     

    心として引力に逆らう生きる抵抗力がないから客観視点の現実的に自己未消化な欲望という「現実出来てないのに、別のよそで本願を大成しようとする。」小さい端に詰められ、そのヒトがそう存在する中、本人は全然関係なく紛れているが仏徒として生まれの餓鬼から観世音菩薩のイノリ仏道一本だから仕方がない部分も必ずある。

     

    人間の高い想像力を、自我も全てを放り取った本能の逃走により、顔の一番前にする。

     

    拝んだり、自分が向かって復旧しそうな自我とそのヒト自身の縁、は、こちらからみて地続きだ、しかしよく見ると、蟲ーの視点とうに二つに別れ切り別れている。

     

     

    仏(見えないセカイの達成)が実際なのだから、その行為は実際の現実なのだ。

     

     

     

    人でも、何が理由かは知れないが、守護神のように本人を止めたり、注意したり、カンタンにイヤな気持ちで心上に庭のように思ってタスケたり、

     

     

    絶対、権利はない。リロン上でも心と心は遠い、手に取ったりは出来ない。

     

     

     

     

     

    だらしない心の隙にそういう仏に遊ばれ苦しんでいるはずだ。元の天やその天に怒られている。

     

     

     

    黙って苦しみ、自分の元気を養う。こうして七難即滅、という人も多い。

     

     

     

     

     

    冥王星があるように、冥界はあって、リアルに惑星があるを知る、ここが昔より強度が上がった。

     

     

    いくら苦しんでも何の力も授からないヒトだっている。こういった世界が憎しみのトビラの向こうにあるがさらに一億万年の功を描く。冥王。

    その欲望だけの人間の間の間のない考えを、お前がお前に許したんやろ!

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  • 愛の文学

     

     

    上本町の駅の端にあった。

     

    上本町は生魂神社があり、上町台地という山ではない大阪の場所。一筋で四天王寺さんに参れる。新しいyufuraの向かいに古いハイハイタウンがある。一休みをするのは近鉄百貨店。

     

    直木三十五記念館のある谷六の家からほど近く、通っている。

     

     

     

     

    小さいあなぐらし 

     

    精神上に登るやつを眼力で見るこちら心上。心上という拳を結い、負けないことが解った。影、人の背から法や気を破り捨て、自己主張をしたり、はたまた確かなこの間のすべて己の行為を私にふりかけてくる。こいつらは小さな小さなあななのだ。私はそこに暮らしている人。

     

    立ち向かえる事のひとつ、という文だが、 

     

    視線は猿田彦。

     

     

    猿田彦といえば、猿女を持つが大阪城もその侍の神でありただ芸能と言われた。タルタマの生み出す祈りはこの様蔦い、御所を結って「猿女君」とはじめて囲いが着きて、いま心前にいる大屋彦神のシシよりサルメの属が前だとは、上下ではない。菩薩をする言葉を前にその相撲を楽しみに待つ意思を残し、ゆっくり倒れる肉塊を私たちは見るのであった。それを「大屋彦」と言うのだった。

     

    何にしろ猿田彦神が早く、順序を正すと回りが良くなるのだ。

     

     

     

     

    動画をよく見るその御利益は、有るものに満足を知り一本仕掛けを整える、これを固めという。

     

    こんなものに立ち向かうとは思ってもみなかった

     

     

     

     

    皆で立ち向かえば、

     

     

    構わないことも、術の最も。

     

    色々準備、心のガードを強くする、

     

     

    道の術

     

    心の感情を自覚にんしき、このとき天辺は必ず理性。縦に積む、己の湧きいずる気持ちを辞書を調べて引き熟語を縦に積む、

     

    頑張っている自分などが、見て取れる。見えない世界の修行として大事に。しかし、この方法をこの位置から他に誰が思いついたか。

     

     

     

    私の持っていた手持ちの示しは、「苦しみの中で心の奥から真の言葉を吐き出す」誰がいったか、蟲ーから聞いたがメッポウ聞くもしないのも、批判の気持ちを抱くのも対象化。人間の役割である。

     

     

    もう一つの示しは、同じ本人から「心に流れている感情をただ見る」私はわけがわからなかった。嬉しい、楽しい、感情を見るような言葉に自我が存在し得ようか自身の目を超え、自我を失った暗い眼は。

    無知の定を間逃れる事はない。

    感情が、もっと複雑に別の物が合わさり重なるのなら違った。後から読むと、摩訶不思議な精神をただわくわくさせ誘う言葉だった。

     

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  • どうぐ(普通の悪霊退散)

    今日、茨木の比売神が魚とエイリアンと遊びながら、バスから銀行や警察や道まで、狩りをする様に大きな群れの銀の魚のような空、私に渡した、私は話しをした。

    神は気迫が強かった、羽の中から着地したときは

    ずっと先にいて、今はお願いが出来ないことを知ってたのだ。

     

    きっかけのある日を知ってた、その時な「○○ますよう」言える。

     

    どれも本当の神様

     

    みためほど悪くない

     

    生身なら、きっと受け止めてくれる

     

    もっと楽しい。だから話したい。

     

     

    霊術、もし森のみんなの好きなことならそういえるほど分かち合っていないから形セーフ、もっと早く人は気付いていたと天部がいう。

     

    それは、優しく強い親しみのある空気、警察の方から考えて下さった。

     

     

     

     

     

     

     

    Arigatou

     

    アッテルいつでも、ここにおいで。

     

    Aかrかiかgかaかtかoかu。言うのが遅くなってごめんね。

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  • 気付いた考え

     

     

    蟲ーに対して、

     

    幻想の人格、埴輪とか、もっと素敵な設計文学

     

     

    「私」がこの時という時間のあいだに対象としたのが蟲ーであって、それが勝手に映す実在的な人があり、心として空やセカイの繋がりを感じていてもただし蟲ーがいると思う自分は、現実に存在する人より壁の起こすズレに愛着を持つ。時間を以ての人の証に気付いたら、構成できる想像。

     

    人の性格とは基本的ベースは、悟りとして変わらないが、鏡の奥を覗くことが出来たとしても家家(やや)が歴然と存在している

     

    蟲ーのいる過ごした現実のほうが曖昧であって、摩可のせかいである。こう理解することに摩可がある。現象学と歩みを取るような、概念そのもののあたらしい出現である。

     

    蟲ーを伐採して、咀嚼してから起こる理解である。

     

     

    こうしてから、云(ウン)に渡せる可能な幻想作品、この場合作品と言ったり名をするのは私自身の発達とか、人事(ひとごと、ひとのこと)に完結している、

     

    これはアニメ的想像を初めから考えていることがわかる高度な芸術、その古え(イニシェ)の理想は神を歩むときに初めて想像が現代人と重なる。

     

    努力と、仏とする種だねの分別。つまりほんの小さなこと。このリカイの後に。

     

     

    この美しさは、世尊とは、世の中のずっとずっと先輩とは、

     

    自分(自の分、自がもつ)としての努力と、仏とする種だねの分別。つまりほんの小さなこと。現在ご本尊とする諸行分別なる言葉は言語力などを言い、あらわるこのリカイの後に。

     

     

     

     

     

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  • 猫の世尊、あと

    たるたまの一生(わたしは後、生魂神社参拝)

     

    石の重い神

     

    不動明王供養

     

     

     

     

    ・たるたま、或る格社にての光

     

     

    光の中から出てきた狗 敗れ

     

     

    月読みこと

     

    「わたしをご覧せずに感情に傷付きました」

     

    塚 灰封神

     

    能 冥を人間の前で能じて調子に乗って調子が乗った様に戻らなくなった

     

    どこ? 実生活

     

    宇宙人顔を上手にしていた

     

    「顔を前に」

     

     

    物が足りない、女体ではない

     

    猿田彦 誰だか知って見れません、祝

     

     

     

    「お面ヤァ」

     

    ほげー

     

    わぁー

     

    ウィーン

     

    ナァー!

     

    メーーン

     

    んがー

     

    オギャー

     

     

     

     

     

    これを朝から晩までして、晩に部屋で宇宙人の面能を最後にして

     

    ほかした

     

     

    内容https://1drv.ms/u/s!Aq19_JAhIKs1aliJIMVSYeKNRvs

     

     

    椿の花壇に置く、明くる朝埋葬

     

    願い事…灰化するこの塚に訪れた珊瑚を椿にたくし花落ちとして繁栄を祈る、

     

     

     

     

     

     

    ごそそうがなかった

     

     

     

     

     

     

     

     

    ラーメンを買いに行き、道の途中神とずっと目を合わせた

     

     

     

     

     

     

     

    おみくじから、狗を守護にするもの相続の、または基盤の、その行くの占いを更にし

    方角を決める際に、その神弥勒菩薩に必ず訪れる

     

     

    受動している

     

    神に自分がこういわれているというのが、少しでもぼやーとした気持ちならそこに考え事がまだある、という意味。

     

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  • 猫、「虎のようになる夢」

    猫の世尊

     

    悪魔のこころ。人間だけが悲しんだその涙、その雫のように私に上がっている。精神の取り組み、この神の悪魔の力と私の浄化力にぴたり一致がある。一ヶ月は小さいままで目を離せない。あんまりどこにも行けない。お猫せんせい、よろしく。

     

    ポスターの様やね!

     

    わたしは、猫は、人間にずっと焼き餅を焼いていた、そう“話”した。

    猫、政治家、アーティスト、クラスメイト、なんら存在を間近にすると苦しみを受ける。良い苦しみ。

     

    面、面が私も欲しい。

    お面を捉える。

    これがこういう風に当たる、こうこう出来るかなぁ?こういう風に教える。ちゃんと説明すると子供はわかったぁ\(^o^)/よく聞く。この場合であっても孤独の方が必要だろう。着地点が必要なのだから。

     

    ちゃんと自分の手で温めたものだけを渡す。だめだだめだぁー!の感情でも上手くそうしていると、野菜みたいにむしゃむしゃ受け取って百倍強くなる。実際に野菜を食う心の苦味をアウトプットで上手く記憶する。人間にはもともと精神力があるから自分を受け入れる器さえあれば落ち着きと視界を持つ。多少の波立は抵抗力になる。アウトプットの記憶は歌でもそうだ。

     

    人間だ、偉い動物だ、もっと純粋な自分の視線だけで伝えたい。人間こそ動物なのだ、動物の人間わたし、一緒に言葉を取り戻しに。

     

     

    猫の様に飛躍的に走ったり、丸く座ってじっとしたり、人間はまだ出来ない。

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