揶白 (KF)

絵画

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揶白 (KF)

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揶白 (KF)

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    Works 43
  • 気にするところに既にいないひとを目掛けて尚且つ前を見る

    朝が明けると明るくなり、物事がよく見えるようになった。そうすると、夜に言葉に出来ないことを考えるのは、強い理由的だ。と、思った。

    自分達が表現可能にした私が、何だか物凄い高さを持って時に映る。

     

    裏では遊んでいるのではない。話を聞くのに黙って必死に付いて行ってる。地球についていってる。

     

     

     

    おしえを考えていたけどちゃうかったんや

     

    (顔みて話さないから主観が強くなる、それはそれでしかないからそれでいいと思う)

     

     

     

    もっと耳で聞いて、取らない

    (取るって何やねん)

     

     

    円滑な思考、

     

    当たり前だと思う人もいるし、

     

    自分は、嫌だけど手を取ってきたことがいかせている。

     

     

     

     

     

    思い違いを踏まえて

    教えてあげる

     

     

    ノッてるときに声かけてくる。

     

     

     

    それ良くないをどう教えてあげれるか。

     

     

     

    内向的だったが、

    明るいペースを取り戻せそう。

     

    自分の守護やスピリチュアルメイトなどもっともっと守って欲しい

    もっともっと心を大きくしたい

     

     

    面倒臭い友達という想像。

    人は大事にします、客観性もあり、

    互いの間隔など調整しましょう。

    それぞれ守りがあり、既に弾きがある。邪魔する力って弱いから意識であんまり臭いものを嗅がないように。自分の心に与えられているものは全て自分にいけて、


    まぁ、その続きなど。

     

     

     

     

     

    ただ言葉の力って大きいと思うばかり。

     

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  • 猛勉強

    仏世界の覚えはどうだろうか?

     

    誰かを思うだとしても、お開きなら、好きな人とずっと喋っていたら良いんじゃないか。そこに試しがあって、豊富になった自分が世界を回す。もともと脳ってそう出来てるんじゃないか。

     

    今までが苦しいかったけど、是と正しさはしっかり覚えている。

     

     

    ハーフハーフのはふはふの覚えで、目をつむっていても自分に関係のあることなら棒にあたるから、几帳面に考え過ぎて苦しんでいる人もいる。

     

     

    数の誉やは、私は考えないけど、花だと思う人もいるし、また違う考え方もある。色んな人がいて世界が回ってる。

     

     

     

    趣味でブログしているから、それを固める意識でいるほうが書き続けやすいし、自分は女性だから。

     

     

    道が見えないことが、平成ではよくあって、その後の今で、ピンと来る言葉が本当に見つかった。道士である。

     

     

    苦しまなあかんかった。とも言える。

     

     

     

    毛先をころころ変えるから、「今」がわからなくなる。

     

    今までの自分が良かったからこうなってて、

    何が始まっても、その時こそ、

    これまでを変えたら

     

     

     

     

    何でもほっておいたら、気が代謝して誰でも良い方に進めることができる。今わかったことが遅いとも思えないが、何か裏で何かしている人が映っても目もくれず、私たちが大切にして来たものをいい加減な人たちに壊される前に。

     

    「~より早く僕が空高く天に投げよう。」という詩を読んで感銘を受けたことがある。

     

     

     

     

    殺生は嫌いだ、人が哀しいと泣かないように守ることは、自分たちに出来ないがもうそれは完璧なことだ。それは裁きとは全く180度異なる表現だ。

     

    私にもやらせて欲しいことがある。写真を撮らしてもらって乗せるくらい。本当に悪いことだから責任感がある。

     

    私はこつこつ自分で欲と自分が思ったことを削いで来た。本当に地道で理屈的だから。

     

    心置きなく、暴れれるように実家に作ってきてもらってるから、顔を見せに帰る時も難がない。

     

     

     

    ご先祖様が、以前

     

    生きてる人の話やろ?死んだら終わり。

     

     

    と全体を応援してくれていた。

     

     

     

     

     


    仏道が日頃の自分の目の前なら、

     

     

     

    心の鎮静会なら、

     

     

    自分の全意識を固めて佇まなければいけない

     

     

    武士が背中にいるから、思ったように猛勉強したら良い

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  • 地元で練り上げられた

     

    ・気流の合い

    ・黄泉的な物と

    ・自分の気質

     

     

     

    観察…自分の運命と気が沿っている

     

     

     

    性質のために拝むことをしていた。初めは写経を書いて神社にお焚きあげしに行った。

     

    仏霊がつく

     

    「このように人を優しく思います。お願いします。」

     

     

     

    自分は女性だから留まることではなく、加減をもつことだから、

     

     

    気分の大事さをしっかりしたい。

     

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  • もう助かった

    心の中に誰かが入って来たら怖い

     

     

     

    間違えて入っちゃった、ごめん

     

    ならわかるしすぐ元に戻ってくれるが

     

     

    そして、誰も「入って来てない」自然なのだ

     

     

     

    条件が心なんかになくて、暗いところに他人が浮かんで来るのを見てかえって何か丸わかることもある

     

     

    しかし、目を閉じて

     

     

    瞑想する

     

     

     

    何かを思った時触ってくる

     

    気も心だし、体も心

     

    心に触って来たら、拒否なら無意味で腹立つパターナリズムがずっとその人に流れる。これも誰が何をやっているのではなく重力関係でそうなってる。

     

    誰のことをいくら何を思っていようが、自分に来ることが来て、漫画じゃないから誰が誰とかとくに知らない。

     

     

     

     

     

    心なんて動けなくてそのままにしている

     

     

     

     

    そんな心に事実なんて映るわけない。

     

     

     

    物凄く怖い。

     

     

    タスケテ

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  • 緊急的にお願いしたい

    人を選ばなくなった時、色んな人を見渡すことが出来る。

     

    精神成長が叶ったとき、人を見渡せるようになる。

     

    精神がどんなものだろうか想像をしていたが、思っていたのと全然違った。

     

    動物が精神そのもの自体だった、頭で考えたら大きすぎて

     

    人をみていて考えたらとうに説明がついていたはずの事が、全くされていないし聞いたこともない。

     

     

    動物園に行って実際触れ合ったら落ち着いたけど、眼を磨けば話すことも出来る。こっちよりは親しんでくれている。

     

    この方法で、精神とのつきあい方を考え直して欲しい。

     

    と言おうとしたが、観察したり話したりしてると精神そのものはわりかし狭いところでもいけるが、

    心が字の通り別のもので、言いたいのは生の心との付き合い方を学んで来て欲しい

     

    心が美しい、とはきっと希望を形容したもので、私は心の良いところと悪いところを張って持っている。優しさでもない、それが形ではないからだ。

    自分以上の高さを目指し過ぎて、自分をほったらかさざるを得ない人も多い。

    優しさを言葉で私に表現して。言葉にしたら、は?ってなる。人と人で心は生まれていたが、もう何でもかんでも感情を更に合体させて含めているのが心だと、私は研究したよ。木が太くなるから。やっぱ自浄作用だと思う。どんどんそのままの自分を自分にたいして流さないと。それをしたのをもう理性と言ってしまって良くないか?

     

     

     

     

     

    ムーで挟まれていたのが動物だそう。

     

     

    いままでの精神概念だと、強くなりたいで止まってしまう。

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  • 二世です

     

    禅師が一世代。二世代の私からすると一世となる。

     

     

     

    自分らもする、したいと言っている流れがある。

     

    良いもんほっちらかしてぱっぱ新しいこと新しいことする。

     

     

    昔もしていた、自分としてじぶんだけが大切に置いておきたい人がいることや、何で全然空気じゃないことを

     

     

    二世代が言葉の冠をつけて成り立っていた。禅が有ると聞いてから数年五年、色々ある中少しだけ整えられて「一世代」の名を知ることが出来た。

     

     

    こうと決めたらこう。夢は有るが生涯二世をする。

     

     

     

     

    私たちは手を出さない。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    前に

     

     

    Q&A質問サイトで、エホバの証人二世です。

     

    痴漢した病院の先生が、

     

    と話されていて

     

     

    私は被害を受けてしまったと話す女性の事を読んだ。

     

    目を驚かせたが

     

    回答はこうだった。

     

     

    彼は、蚊に刺されたと表現していて蚊に刺されたようなことで、途方もなく悲しいというこれは決して混同してはならないのです。

     

     

    Q&Aサイトである。

     

     

     

     

     

    「許されている」という言葉を聞いた時、自分は心は笑うことがある。それだけが、緻密な質問だった。

     

     

    人がもの凄く小さい者を見て、「下を見る」ことになった時

     

    地獄とも言うが、色んな花が有ることを初めて見ていた。

     

    妄念雑念が生きているうちにちゃんと自分で削ぎ落としていて初めて、宇宙がバランスを取り出していて綺麗だと思う。本当に思った。

     

    あとは、やるだけや。懐かしい言葉も聞こえた。

     

    いいですか、 全ては許されています。 愉しい。 奥床しいし い思想が、未だ無いからです。 茎を伸ばしておきますね。

     

     

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  • 真剣

    精神を襲う悪いやつの存在を猫で描いてもらっていた。本人がキレてちまなこで真剣に作ってくれたと感じれる。ちゃんと見ると何だか楽しい思い出のアルバムにも変えられる。モデルは死した猫のニウ。彼自身の性格はけっこう派手だったと思え不安に泣いたが生涯のほとんどは大暴れではじけていたんちゃうか。

     

     

     

     

     

     

     

     

    普段からこうだったのかもしれない

     

     

     

     

    きもっ

     


     

     


     

     

    マフラーみたい

     

     

     

    既に自分のものにしている

     

     

    入れ歯がこんなにもちもちしていてふっくらしている

     

    痛くなさそう

     

     

    どこに存在してるんだろう

     

     

    ヤバい人にあたってる

     

     

     

     

    ちいさいのに頑張ってる

     

    似てる

     

     

    普段から程よいんだろう

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    こんな感じが一瞬夢の中に現れたのをうっすら覚えているが今では気持ちの歪みと諦めた

     

     

    こんな夢をみたが本当にこんなんだった

     

     

     

    けわしい

     

     

     

     

    何か気持ちが凹んだ時にこうなる

     

    上の人

     

    それその構えとなる。モチーフが彼の中から激選され綺麗に置かれたうんこ

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    感じたことない笑いとなっている

     

     

     

     

     

     

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  • 教え

    どうしても難しい以上に困なんだったことを覚えている。前提的に弱くないことを告げないと、話にならない。私は弱いんです、と告げれたらじゃあ守りましょうとなる。じゃあ全然弱くなかったら、共倒れになったり精神に響くことになる。顔が見えないからわからない。用意している人としか会えない、勇気はだれだって重いのは全く違いがないような気がする。思いは重いというが思いやりがないから踏みとどまれる力が浅い。ちょっとおちょくって何かを聞いて帰る人のほうが何らでも強い。これだけは出来るこれだけは思っておかないとをめちゃくちゃ感じているから表面に出ない。

     

     

    注意を考えたところ、精神なんかを有料で丸ごと変えようとする、今言葉にして思ったが天然でそう思ってしまったなら、もうそれにかけることにした気迫に威圧さえを感じられる。人のそれぞれも語れる。

    何故なら自分でしか生きて来ない自力のところに味わいがあるから、精神上で許容がある。許容されるからある。何にも知らなかったら何にも知らないんですけどまで言葉化出来ないと、ある日一切その人とは途絶えるに決まってる。やりにくい人はいるけど、良さ以上の何かが存在する。縁を自分の趣向としよう、本当に夢中だから無心があり、精ない雑念や煩悩って番号的に思われ捕まる。時間もかかるし、お金もかかるから少なくなった。こっちは何で繋がってるかと言うと光運転。今なくても諦めて、自分の縁を信じて行く方が結果的に速度があるよ、的なことを伝えて自分もあなたも執着し合う心をひとまず去ってもらって、今は光で伝わる。自分次第だから限りはある。

     

    自分の心を見回してみると、自分がどこにいるかと聞かれたら、自分が現時点最も大切に思う位置には自然といてるそんなものだが、何にもしてない人が社長で、会長はムー。上手く行くだろうか。そんな所が在り処だ。

     

     

     

     

    たとえば人を使えるようになるのに十年はかかる。当たり前に面するたび動揺するがこれを目の疑う光景といって、そういうのが当たり前で光として届いている。

     

    光とは、自分しか知らない好きなもののこと、その研磨。

     

     

     

     

    注意するときやしない時とは別に決まっておらず、分かっているのは万人と思わないのが個性だと成り立つ時があるということ。伝えかたは平等に与えられていて、自分を極端に荒らされればいないも同然と気持ちが傾くのは宇宙の決り。

     

     

    自分の中に繁栄させるべき感情や気持ちがいくつもあって、それは自分しら知らない。

     

     

     

     

    社長…えげつない不安感

     

    それは悪意や、誰がががというだけ。内容の抽出。悪意が抽象概念ではなくてめっちゃはっきりした形だった。自分に悪意があると感じないから自分より小さいから自分にはちゃんと形になる。

     

    形以上の感情の中に誰かがいるときがある。あっちからは注意力が浮かぶらしい。視界が形以下と見えるが天辺が何にもしない人、本当にもっとして自分は解りがあるのに、見落とした景色が山ほどある。それで私でも人を使ったらいけないよ、とゆうたってほしい。私は会いたくないから。自分の感情だったら、そりゃ間違いはあるだろう、そっちの角だよと話す。

     

     

     

     

     

    意識…あなたがあなた

               私が私をもっと透明に研いだ時

               もっと一人(いちにん)として悟る

     

     

     

     

    「門」

     

     

    他の場所が在るとしたら、

     

     

     

    自分以外の比較とか

    一章目をとうに終了していること。

    それは確かに難しかったけど、難解難中といってそれじゃ入れないことは事実

     

    境がいが、見えない値としてある。

     

    こう存在するにはこうでしかない仏の運命感が有る。

     

     

     

     

     

     

     

    ガジュマルでも木とは歩くし動くらしい

     

     

     

     

    佇む心とはもっと抵抗している

     

     

    広大無辺。

     

     

    考える前の表現と、言葉としての表現が二つ有る

     

     

     

    角にあたって、自分の中に一度受け入れ、

     

     

    死ぬほどつらい中でこそ、絞り出した言葉は必ず光ってる

     

     

    受け止める、という言葉がこの時展開する

     

     

     

    何が出来るかはいつもわからないけど

     

     

    始めることで「私の言葉」が

     

     

    歩いて行く

     

     

     

     

     

     

    ・苦悩がそこら中にある。賢くなろうとしてもうっとうしがられる。賢くなることのことを悟ってる人もいる。散々否定して歩んでも全く別の答えもある。それが「賢さ」だったり、優しさを人にあずけてばかりでは一人(いちにん)にはなれない。壇上に上がれない。自分の時間がひっぱくする。自分がそう言ってますよ。としっちゃかめっちゃかに光に伝えている。

     

     

     

    これが実際の形は、もっとスケールの酷く高いものに思うが今はまだ見えない。

     

    妄想を想像に展開してきた身としては、その間が愛であるから、自分の念でそう治められることに気付いた。それが分ける力のあるものだともともとの事にも気付いて、それまでは、自分から脳が飛び出ているのかもしれない、そうじゃないわ、とけっこうはっきりもするが、眼識でネズミに耳をかじられたドラえもんがと、誤魔化して思っているのかなと思ったら全然間違っていなかった。

     

     

     

    ケチが多少もないと、クオリティーさえ意識しなくなる。

     

     

     

     

    ・互いが抵抗しあって抵抗しあったのに、心にまだ居てる。今、ある言葉が輝いていて、それは事実、本人の言葉以上だ。

     

     

     

     

     

    語り出さないこと。

     

     

     

     

     

     

     

    ・「語り出さないこと、浴び続けること、否定感性が湧く前に」

    「語り出さないこと、否定感性が湧く前に浴び続ける」

    上の言い方って音楽だったん。

     

     

     

    ・やりたいことに逆らえない、とyukiの「スタンドアップシスター」の詞を読んだことがある。

     

     

     

     

    ・いくら入り組んでいても挽回できるのは、最初に鉄板を自分でこさえていて、

     

     

     

    ・芸術とは、一字である美術を諦めさせる力がある。

     

     

     

    ・妙っていうのは、何かが妙だとか、

    それが、古来はずっと考えてたを知った今としては、

     

    ずっと前に、いつかもわからないけどソレをやるとなったら、きっとこうだ!

    と表した妙法蓮華は、

     

    古人の夢の中から書いた人や、想定を思う。

     

     

     

    ・人のあれが良くない、これが良くないと実行する人は、買い物を決定するのが難しい。良い物を買えない。

     

     

     

    ・過去でも、禅師とか、達磨禅師とかが、世を風靡したことがあるらしい。その方が、心に言葉があることの正しさを聞いたら、公式だと言っていた。

     

     

     

    ・たわごとならインターネットで話し合えば良いじゃん

     

     

     

     

     

     

    ・責めないキャラで、岩に来る者を啓発していかないか、そこにメタが在る。メタとは自意識だったのだ。何て賢いんだ。自意識を客観的なことにからめて併合して更に表現出来ると言うのだ。自覚的なことから噛み合わせてうんと内部化したものを表現しているのだ。悩みなき小宇宙ではないか。

     

    音楽にちょっと砕かれながらメタはさらなる旅路をする。

     

    知らなかった人と、興味ない人と、やってみたい人が、ムーのせいで心的に間に合いがぐちゃぐちゃしてて薄い存在なのが続行となる。

    一辺、辿れる人が増えても良いとはなっている。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

               

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    トラウマは、精神上で誰が誰とか人の言葉だよとか言われたことがあるが堂々としてよう。と、こう書くのは釈迦でさえ葉に言葉を書かれ思考されたのだから、自分が鍛練をしていなくて暗算とか何をしているのだろうと思う。

     

     

     

     

     

    トラウマは、精神上で誰が誰とか人の言葉だよとか言われたことがあるが堂々としてよう。と、こう書くのは釈迦でさえ葉に言葉を書かれ思考されたのだから、自分が鍛練をしていなくて暗算とか何をしているのだろうと思う。

     

     

     

     

    ・精神には森とかがあるだろう、迷いにくくしているが、行き方は自分で考えるから、あの森もその街もどんな作りなのか教えて欲しい。

     

     

    ・教え

     

    教えが、このような意味をもっていてこんなオチだなんて、

     

     

    かなしい方面もしんなりしていて、

    愛されていて美しい。

     

     

     

    ・声に力を持って、発言が高い

     

    じゃあ言葉の方法って、こんな風に感じているよとか自分が他の壁になるその自覚、壁になるを描く。全く自分自身にたいして表現するなら、もっと優しくない自分。

     

    伝達方法も、(ちょっとノリがあって)良いと思う。

     

     

    こんな風な優しい言葉が後で残るとしても、善意であればそれで何かがなくなったりへったりしても、人だとどうにでも出来る。

     

    このことに思って、昔の戦争の考え方がわかる。

     

     

     

    ・震えたりする人は、もっと言葉な壁を超えれたらと思う。自分だってその壁はある。

     

     

     

    ・重荷働いていたがあらゆる主役と思えない分けられている何かがあるのは自分の中でも自然で、

     

     

     

    ・受こたえなどあれが気にしているよ、こっちが気にしているよ、と言ってくれ繋いでくれる人もいる。

     

     

    ・人の想像を知ったりする権利のない人もいる。そんな人は惑星とか方法、経典の中では誰なんだろう。

     

     

    アダムイブはキリスト教では省略系、

     

    菩提では、失礼&失礼。

    漫才コンビみたい。

     

     

     

     

    ・つまり自分が神なのだ、と言うなら自分たちも見たいし、

     

    神     というのはタイマン的な相手の事であると言う。

     

     

     

    風を持つ時間返してくれ。

     

     

     

     

    ・神道は、あると思った時にある。

    ありがとうと、言われてる。

     

     

     

    心構え

     

    勉強する気持ちと遊び(対人的な期待)ははっきり分けている。

     

    どんなに何かが動いていようと常に誰かに決められるわけがない。選べる人なのだから順番を希望に沿わせる。

     

     

     

    ・何かあったとき、うすまり方こゆまり方が全然違って、

     

     

    動物を見たら、何か高いものを人から

    感じても、精神は確かに何か高いものを指すが、精神ってそんなところになくて、

     

     

    精神的になればなるほどくらくなる、旧らいで、「想像を誰かにとめられる」じゃ伝わらなくて

     

     

     

     

    ・ゆっくりとは絶対なの言わないからもっと人に合わせて、

     

    それだけでいたら良いと思う。

     

     

     

     

     

    考えの多い社会人も、誰にでも任せて素直に泳ぐ感じ。

     

     

     

    もともと上達のことだし。

     

     

     

     

    ・全体が、散っては風となれ、と育って来たのでそれぞれが気楽なところがいなめなかった。

     

     

    ・反省や後悔を、風に語りかけても無意味だとわかる。

     

     

     

    ・ただ数々の良い意味での心配があって、その人が個じゃないから街が教えてもらってる人いた。そのありがとうがありがたくなさすぎ~と街が言っていた。

     

     

     

    ・そう見えた、は論外で、縁を見ても、自分に起こることじゃないから何されても一秒で直る。コンビニの人が、話しかけてくれたきっかけから意味を取り戻した。

     

     

     

    ・犯している機械がある。

    それをした人のその後の怖ろしさを知った。その後、五億年後にレッサーパンダになる。ひゃー、と思う。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ・自信付けとかは自分でしなあかん。

     

     

     

    ・カオは、カラで見たあかん。

    あんたがそれが罪なら、こっちは並ぶしかない。「わたしをほっとかないで」っ言うから。

     

     

     

     

    ・詞を作ろう→もう曲を乗せてる

     

    二番で沈む。

     

     

     

    →曲を作るために詞を微妙に変える

     

    曲に乗せて→詞が消える

     

     

     

    もっとノれる…。

     

     

     

     

    ・アメリカは曲を大事にするから詞に乗せるらしい。すとーりがないせいらしい。

     

     

     

     

     

     

    ・神に与えられた、これがまた誰かの言葉でそれは必ず曖昧だってその人も良いから。

     

    これがまた私も一緒の気持ち。

     

     

     

     

     

    ・感情を南無妙法蓮華経で描いて、自他へのお願いしますと、自分の供養を込めて心の中に伝う。

     

     

     

     

     

    絶対こうするから!!守るから!!言葉を吐き切ったその時、しらけ、しゅんみり暗くする。そのいつかその時、が必ずあって音を立てない為にずっと考えてる。私が涙で崩れてしまわないようにする。

     

    友達が、ある日私に身も黒くなる様な筒を描いた。表情と姿がありありとしていたのでふーんと思って貰った。困っている私が良い子だと知った時、あんなに黒くなって自全動かしてくれたそう。

     

     

    ・全知は有るけど、全能がない。

    全能なら体が浮ける。可能性はあるがずっと遠い。全知・全能、どちらも道々としてる。

     

    (詩は、時空を有して色んなところを超えて行くから、遅刻も個の読み方も問題がない)

     

     

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  • 私の問題


     

    特に嬉しさもなく、自然とぴったり合う靴

     

     

     

    出来なかったら出来なかったでいいんだ

     

     

     

     

     

     

     

     

    どこか街に歩いて行くと良い

     

    新喜劇の前は考え事を相談する

     

    心斎橋では文章力

     

    キタでは考えを

     

     

     

     

    自然と心が開け、書き物がすすむ

     

     

     

     

     

     

     

    あれが出来てない

    気負いが悪い

     

     

     

    繊細ならもっと自分を包んで構えなければいけない

     

     

     

     

     

    武将とかみて思う

     

    もっと堂々としていていい

    出ないものは出ない(覚え書きではなく、もっと抵抗ある友達に睨む)

     

     

    自分が本当はどう行けたのかムー実のところわからない

     

    かえってわかるのは人間の厳しさなどではなかった

     

    天が晴れた後は、

     

    砂から砂金をふるい、探すように

     

    嫌いな歪んだ人間をただ見つめていた

     

     

     

    このひとと生きるに理由がないと言う全く同じスタートで、

     

    顔の歪んだ人間から

     

    おっさんが怒り出し、腹を立てていた

     

    腹立つ時というのは、それにたいして考えることがひとつもないからかも知れない

     

    感じ取ることが出来るのは天地などではなく、一兆光年の差だった

     

    もっと深い因果があると思った時、宇宙を丸ごと感じられるような気がして体ごと空に飛んで行きそう

     

     

     

     

    足の生えかたが全く同じなんて嘘だ

     

    生きることに対しての名言があって、

     

    深い息遣いや、

     

     

     

    色んな言葉があるけど、

     

    誰かが言った、止まったら死ぬで言えば、

     

     

     

    性欲が、欲であるとし減らすのは個人にかかっていて、

     

     

    自分が、生きた町やその時間丸ごと持っているものとして、

     

     

    性がこのことなら、ぐんぐん足を生やすことを見つけるまでだ

     

     

     

    そこに距離感が生まれ、私は私を深めることしか無いのだ

     

    両足の先に、冴えない緑が、カラフルに

     

     

    何かを大切にする守っていく姿勢は、決定した僧の姿勢と何も変わらない

     

     

     

    とうに自己から追い出て、形にしている

     

     

     

     

     

    上によその何かが乗っかっている感覚がするが

     

     

     

    自我は見えないらしい

     

     

    話しを戻し

     

     

    性欲を直感で愛だと悟る人のことを

     

     

    何と、全く知らない

     

     

    と知る!

     

     

     

    更にそれを知り続けるのだ

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    つまり決定なのだ

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    動物的だという人がそれが理性であったり、理性が心と別の場所にないから

     

    気が立ってることと理解量は違うから

     

     

     

     誰かの支えによって、

     

     

    私は一人だ、

     

    と思うのは成長の尊厳とか美しい詩的概念であって、いわゆる孤独とはかけ離れたものです

     

    寂しささえ、だいじにだいじに立ち向かって行かなければならないのです

     

    わかりますか、成らないのです

     

     

     

     

     

     

    三途日記

     

     

    どっかから何かが流れてくるが、それはもう土地の人じゃない

     

     

    物は気高いから、付着することはあっても宿ることはない

     

    浮いていて、

    自分で魂を抜かして何か乗ってるから、死体というんだ

     

     

    つまり普段の動きで自分が何をしてても心配がない

     

     

     

    たまに、神聖さではなく恍惚がぼやーっ

    とする

     

     

     

     

     

    牙を剥いて来るときがある

     

     

    普段色々考えてるが

     

    別に喋ってないから何を感じていても変わらないからだ

     

    何かややこしいことをされていても

     

     

    無視してほっとくこと、一人で出来るのはここまで

     

     

     

     

    我満することで

     

    こっちはこっちで勝手に成長する

     

     

     

     

     

    苦しみを認めてあげること、その人生である

     

    信心が全てを力にし、尚且つ弾いて

     

    追い出しもしないし

     

    受け入れもしない

     

     

    究極の状態

     

    我満するのは完璧な自分で、あっちとは関係がない

     

    まして、自分の人生ーカブったことがない

     

    これが無関係

     

     

    非常に動いても故意的に意地悪をしない

     

     

     

    本当に何もないのに

     

    間で

     

    あれこれ心配しながら内心を埋めているのが自分にとっては元のテンション

     

    スカッとしない

     

    それがかえって

     

     

    正解の型

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 中心

     

     

    良いと思ったらそうしたら良いし、言い方なんかどんどん取り入れて芸術性はいるけど誰かやってくれ、

     

    って思う

     

     

     

    昔は色々悩んだけど、

     

     

    昔悩んでいた事何てとうに失せている

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    100じゃない、という理由で対話は行いません

     

     

     

    人と笑うことが大事で、

     

    トラウマを治すことがテーマで、

     

    忙しすぎます

     

     

     

     

     

     

     

     

    今、詩が書けない    のが正しい

     

     

     

    成長したら光を感じるようになって、

     

    「私」にも、まだ何かわからないけど「私」の前に漂っている、

     

    見えるなら才能があります

     

    くうそうは、そのままでもポエムだから詩だし

     

    というは、

     

    「私」が

     

    くうそうと付き合ってるか?で人生に起こることが全然違うはず

     

     

     

     

    これから自分は

     

     

    ばかりを考え居ても立ってもいられない

     

     

    大きすぎる期待も、「こう思ってたけど、こうだった」この一文を考える

     

    誰がが言ったことが、こんな意味していてありがたい

     

     

     

     

     

    形を超えた形として、心だけの水鏡として、

     

     

     

     

    谷町六丁目に住んでいました

     

     

    四天王寺で買ったのが蝋燭立てだと思い、

     

    点けたら違っていて火が燃え上がった

     

    長屋だったけど自分の家だけで済みました

     

    神が怒ることは、人間とはレベルが違うのだ

     

    重くて捨てたけどピアノなど丸焼けの中で残った

     

    あ、有難うなんだと気付いた

     

     

     

     

    谷町と云う言葉があります、本当に本当に何かを好きで

     

     

     

     

    人に会ってたらコミュニケーションが出来る、経験値があるから、一方的だとか自分に興味がないとかわかってくる

     

    どんな人だか見てわかってくる

     

    100同じ人なんていてない

     

     

    人を遮ったり

     

    人が

    誰でもできる事をしないのは、プライド

     

     

    何も出来ないと聞こえています

     

     

    人を遮っている 

     

    そのことさえ気にならないひとは見ないホーが良いだろう

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    恋人でも自分が何かを言う責任があると感じていたけど、何も言わないと決めたところで諦められた

     

     

    友達はこうやって減っていく

     

     

     

    「マクドナルドで学んで、心が悪くなりますか」とかれは叫んでいるのだった

     

     

    人だから人としかいれない

     

     

     

     

    残機、黒い弧を一心に思ったあと、もっと賢い人がいると目指して、実家に帰った

     

     

     

     

    だれかも知らないが、

     

    あるひとが頭上から過去を何かと話している

     

    この話の存在すら薄ぼやけている

     

     

     

    横目で

    聞いていると、聞こえるので聞いていると、嘘と言い訳と無理解ばかりだった

     

     

    こんな場合その時になかったことなんて話にならない

     

     

    乗り越えていることと、その喜びと、仲間を失ったことと、全て持つ

     

     

    つまり両眼有ると言うことが門なのだろう

     

     

     

    喋りたいのに喋りたいと言わない人もいる

     

     

     

    問いかけなどが出来ない

     

     

     

     

     

     

     

     

    喜びは釈迦の名だが、楽しさってもっと語れなくて、透明である

     

     

     

    拒絶は相手にも必要だし、一転としていて拒否とは言葉にしても良く違う

     

     

    理解は、色々考える自分より

    何も考えていない時の自分の方が、理解している状態に近い

     

     

     

    誰もいない、

     

     

     

    空なら心細いほど良いだろう

     

     

    山なら何も見つからないほど

    良い

     

     

     

    川なら何でも出来るだろう

     

     

     

     

     

     

    思うよりも見えていることの方が見てることになる、、と誰かが言っていたが、

     

    強固なだけかもしれないけど、

     

     

     

    理由なんか知らないほうが良い

     

     

    どこで誰が救われるかなんて気にしたことない

     

    目に耐えれないから表現しない

     

     

    何があっても、耐えられない

     

     

     

     

     

    問題は抱えるしかないのだから

     

    他人の人生に関わらない

     

     

     

     

     

    自分が見て楽しんでいる、という現実を何者にも奪われるな

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