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2021/01/11
確かに人災と聞いたんですが、発端は反省・内省の一環としてあったらしいのですが、
その上に「憎悪」があって 天災
嘘から出た誠
学者が厳格な学問によって考えたのだが、考えてしまったことに失敗に変わり、
どこかは巫女だの、たぬきをあげて
その爪でいろいろ傷ついた。
「動物が感染する。」って噂が出たのが、境目だったんだろう。
救われたのは、ウィルスがあるべきものとして恒常的になったことだ。
大変なことになってしまった。私はこんな時代を生きている。
正月も手を合わせたり、祈りをしたり、人の動いてないところで動く事の気持ちよさを感じ、
悲しみも多くあるが入り込まず、この日を時を感じ、無心になれば、
正しく線を引き、尊べばかなしみ
何も見えなくなり
全てを見て、眺めれば天心
男の事、女のこと、
捨てられたひとに「女としてみられた」事の痛み。傲慢な、いかにも高尚な性格だが
これが一番無理で、ついて行く人なく、生きてしまう事の価値は
現在砂みたいなものなのに、思い出さえ
こんな時は自分の思い出さえ捨ててしまうものです
片付くことのない問題が、私の中にあって
居心地の悪さが情けない
詩文ですべてを洗い流すような穢れは
いまだに皿の横に
いつの暇も無い事は、
人が好きなら、空気が読めて、
それが妙法だから説明がつかない。
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2021/01/09
倭国は、古来の中国人が呼称した「日本」の名前だったんですね。
弥生時代、紀元前150年倭人が漢の王朝に朝貢してる。
七世紀まで、日本でも「倭国」と称され続けた。
二世紀に日本で紛争が起きる「倭国大乱」
それを卑弥呼が王になり鎮める、
これは不思議ですが、そんなこともあるっちゃあるでしょうね。
ちなみに邪馬台国は九州にあったとコテは考えます。コテ父方の祖が九州で、私も強力なスペックが有る。
大阪人からすると九州は豪酒、豪快など花があって、それに王朝、いいな、どんなんやったんかなと思う反面つまらないなと思う。
それから古墳時代(大和時代)とほぼ同時代が七世紀まであって、
飛鳥時代およそ700年頃、難波京が
大阪もまた大和朝廷のくだりがあり、邪馬台国の噂があるが、このことだったと思う。九州の花をつまらないと思うのはまたこの時とても一生懸命だったからだと考える。それは今でも強く称えられる。対して王朝は苦労と云うよりは、
男子はみな顔や体に入墨を施している。人々は朱や丹を体に塗っている。入墨は国ごとに左右、大小などが異なり、階級によって差が有る。
その風俗は淫らではない。
男子は冠をつけず、髪を結って髷をつくっている。女子はざんばら髪。
着物は幅広い布を横で結び合わせているだけである。
稲、紵麻(からむし)を植えている。桑と蚕を育てており、糸を紡いで上質の絹織物を作っている。
牛・馬・虎・豹・羊・鵲(かささぎ)はいない。
兵器は矛、盾、木弓を用いる。その木弓は下が短く上が長い。(和弓#弓の種類参照)矢は竹であり、矢先には鉄や骨の鏃(やじり)が付いている。
土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。みな、裸足である。
家屋があり、寝床は父母兄弟は別である。身体に朱丹を塗っており、あたかも中国で用いる白粉のようである。飲食は籩豆(たかつき)を用い、手づかみで食べる。
人が死ぬと10日あまり哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。他の人々は飲酒して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。
倭の者が船で海を渡る際、持衰が選ばれる。持衰は人と接さず、虱を取らず、服は汚れ放題、肉は食べずに船の帰りを待つ。船が無事に帰ってくれば褒美が与えられる。船に災難があれば殺される。
特別なことをする時は骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占う。(太占)
集会での振る舞いには、父子・男女の区別がない。人々は酒が好きである。
敬意を示す作法は、拍手を打って、うずくまり、拝む。
長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。
身分の高い者は4、5人の妻を持ち、身分の低い者でも2、3人の妻を持つものがいる。
女は慎み深く嫉妬しない。
盗みは無く、訴訟も少ない。
法を犯した場合、軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。
宗族には尊卑の序列があり、上の者の言い付けはよく守られる。
このように洗練されていた。
「ハイカルチャー」は自然と一体で、書かれている「殺し」の考えは、概念は、清めとも違うだろうし、広大な自然に包まれた運動神経や直感は、私たちは理解出来ない、が、自分がもし、本当にもしそこにうまれることが成っていたら安穏だっただろう、という普通の考え。
大阪の古い文献に「酷摘み」という難波ならでは難解(南海)な言葉があって、
この場合、難波京で一生懸命だった、古い、その場合の誉れに対して、
「私はそこへ並べる程の体力が残っていない、あるいはミーハーかもしらん」これが、わたしの分の「酷」の取り(摘み)方として、仲間認証をもらう。
このまるっきり忌むべき忌み(意味)がなく、もろともしない姿勢こそ、大阪の密かな初笑いである。
文献と仲間が先でいやらしさが後である。
すなわち、自分は出来ないのだから一生懸命な人を応援しよう!という考えになる。
「上方」は気が優しく、温厚だ。
その抵抗として気を強く持たなければ潰れやすい。
心根の良さを守るためには「誰かに何か言ってもらわなあかん。」その時には体よくある程度マイナスがあるのかも。
それを「勉強」と言ったり、工夫している。
私は字に惹かれて古書をよく読むのだが、
江戸時代とかだいぶ、筆で書かれた古いものだが俊越なのは、自己日記と計算を足して合わせ、お洒落に書いているところが、慣れているのである。
秀吉の大阪城の蔵には書物が何万冊も貯蔵されてあったらしい。
上方文学は、難波京後の平安時代のなりから、(時代が変わるってどんなんなんやろう、平安は貴族時代であるからそれを喜んだりもしたんかなぁ)興味はあるやろから、それを自分なりのアレンジで出来ている。
良い匂いの文具にこの心恋に落ちたことがある。【悲しみ】とは「私だけのことと違う事」である。いつから決まってたんだろう。
難波京のその頃、私はどうしていたかと前世なるものの思いを巡らす。
その頃いないよ、と霊媒師のおばちゃんが云うてたが、なんか動物とかでおりませんでした?とごねて、「かもしれないね、原子はここにあったやろうね。」
虫や、蟻か蝶々だったのかもしれない。悪い虫で蜘蛛に食われていたのかも。
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2021/01/07
明けましておめでとうございます。
大国主神社(大阪)と、生玉神社に行って来ました。
気付いていたことに障害が有り、忘れざるを得なかったのはもう三年前。私はあたかも寝耳に水のことで、何が後ろで動いてたかというと「魂の抜けた鳥籠」だったんですね。
、驕らず、
持った光は大切にしたいです。
私は今をけっこう楽しくしています。
コロナの絶望から希望をまって居たいです。
大変かと思いますが良かったことや良いことを忘れず。
確かに人災と聞いたんですが、発端は反省・内省の一環としてあったらしいのですが、
その上に「憎悪」があって 天災
嘘から出た誠
学者が厳格な学問によって考えたのだが、考えてしまったことに失敗に変わり、
どこかは巫女だの、たぬきをあげて
その爪でいろいろ傷ついた。
正月も手を合わせたり、祈りをしたり、人の動いてないところで動く事の気持ちよさを感じ、
悲しみも多くあるが入り込まず、この日を時を感じ、無心になれば、
正しく線を引き、尊べばかなしみ
何も見えなくなり
全てを見て、眺めれば天心
男の事、女のこと、
「女としてみられた」事の痛み。傲慢な、いかにも高尚な性格だが
これが一番無理で、ついて行く人なく、生きてしまう事の価値は
現在砂みたいなものなのに、思い出さえ
こんな時は自分の思い出さえ捨ててしまうものです
片付くことのない問題が、私の中にあって
居心地の悪さが情けない
詩文ですべてを洗い流すような穢れは
いまだに皿の横に
母の霊もまた、居場所でない時醜く映り、また上がって行かれる。
無理な事はしたくない。
情緒には流れと、息遣いがあるはずや
体はその考えと逆を行ってしまう
放(こ)く気高き灰の中に消え…
はい、もっと信じて頑張ります。
願い事…遅くともかなう
今年のおみくじです。
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2021/01/07
或る時 偬(わたし)は告白をした
諸々の美しさ
心の良い人
君は私を信じてわかりなさい
誠の言葉や
もう一度云ふ
君は私を信じてわかりなさい
誠の言葉や
此時、美しさと人と弥勒が一人と、白佛と、
祖の一ツの願望が有り
偬は信じ
此時、祖は知る
菩薩(美しさ)を止まらず知る
「私は此れを言う。」
「あなたは此れを聞く。」
愛の秘密や神の力は、
すべてが世のものであり
阿修羅に及ぶ
此の富からシャカが遠からず道場を開いてる 心に
良い心の人
以来偬は実に成仏した
量もなく辺もない、星くずの那由多
君も五億の星の那由多
於城で繰り広がる三千大世界
戯れ
小さなことは彼も何も云わない
東の五億の星の那由多
冱て城の下にみみっちい塵が有り
あなた 微塵切りにして
良い心の人 この心がわかったとして
これが世界や
校をはかって 思推して何が得か
それをわかり 言葉を発した弥勒などをこそ知りなさい
白いひとの言葉は
「この世界には量がない辺がない 計算されないことの
そこで知る事が 量がない辺がない
ああ、心に無い事は私にない 」
思察が不能で ツクらないことを厳かに知れる
偬は住む
先人の事は
あなたの世界で
量がなく辺がない
美しさ
良い心の人
今偬は灯りを
釈迦牟尼佛は宣言する
「この世界は若く 小さい 」
ふつつかなものを蓋にし塵にする言葉に
偬も一つの塵になつてしまつた
以来偬は成仏した
そこの人 過ぎるで
千億の星
自に従い 来たる
住むこの娑婆の世界
教えを設け
およそ千億の星の那由多
城は 変わらず
良い心の人
偬は 佛に燃えて
言を復す
魂の若い人は 私の所に来て
偬の目を使い
信じる等を云う
根は鈍く 所々応じて
自説を少々する
同じ名で
彼が喜ばしいのは大小で
再び現れ 同じ間違いをする
「ねはん」に入れなさい
種々を方便し 微妙な宝を説明できない
良い心の人
如来は人を見てきた
小さな心で
「徳の薄い重病人」
偬は少なく心
以来偬は成仏した
久方の若い人に方便し
人が人に教えた
佛の道に入らしめ
君は話をし
良い心の人
如来は演じて
皆 衆を脱させ
私のこと
あなたのこと
私の身
他の身
己の身をしめし
他の身をしめし
己の事をしめし
他の事をしめし
皆 ウソは吐かず
如来は知って
見てて
三つの世界
三界の顔を示した
有りて無い現実
若い魂を退け
若い魂を出した
世に有らず
滅びのたびに及ぶ
実に有らず
虚に有らず
私に有らず
異ならず
あなたはこれを汲む事に
如来の明見があり
貸し借りは有りて無い
人の所に
たねだね性(しょう)が有り
たねだね欲が違い
たねだね行が違い
たねだね億え、感じる事が違い
この生が命ずる
この諸々の善い芽を 少しの因縁と
言葉で 宇宙のたねを教える
遠く久しく
良い心の人
偬の本業は菩薩の道です
その所に良い成りがあり
今に蓋をされない
しっかり上へ伸び
今、滅びに有らず
久しくここに若い佛が住み
ここの世に薄徳の人がいる
善の根を持たず
貧しく下賤を漁り
貧しく五欲を漁る
不安を呼び
見えない網の中で
憶測をして居る
如来を若く見て
心は怠ってる
故に難に遭い
生が機能しない
私の心を求め 敬い
「如来」故
方便を説明し
比丘、繊細さの富を知る者のことを
佛はここに その価値を学ぶ事も可能だけど
いわゆる彼女は薄徳であり
千億の星の趣きを過ぎる
佛を見た 佛を見ない
こんな事で心を決め
がさがさと音を立てる
繊細な人
如来は彼女を見ただけで損をする
衆生から切りはかり 自分を
君の言葉を話す
ここに彼女は富を生き 難に遭う
佛は、
心を渇望させながら
心に恋慕を抱くものだ
良いものを使ひ
故に如来がたれず 滅せず
ここまで深く話さなければ森にまた迷う
釈迦牟尼佛の言葉は滅しない
良い心の人
所の佛、如来は皆宇宙 OK?
人の為に 真実は虚に有らず
良い言い方や比喩に依って
人は知恵を争奪する
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2021/01/06
ある時この時 佛は告げた
諸々の菩薩よ
心の良い人よ(この「良い人」に鼻糞みたいなひとは含まれません)
あなたは私を信じてわかりなさい
如来は誠の言葉
もう一度云う
あなたは私を信じてわかりなさい
如来は本当の言葉
この時、菩薩と人、弥勒が一人、白佛(象のこと)
祖先の一つの願い
私らは信じ受け
ある時この時、先人は知る
菩薩を
止まらず知る
「私は此れを言う
あなたは此れを聞く」
如来の秘密や神の力は
これらは世のものであり
阿修羅に及ぶ
この富からシャカが遠からず道場を開いてる
心に
良い心の人、以来私は実に成仏した
量もなく辺もない、星くずの那由多
あなたも五億の星の那由多
この城で三千大世界
人を使わし
小さなことは日本人も何も云わない
東の五億の星の那由多
さて、城の下に塵がある
あなた これを向けて蓋して微塵切りにして
良い心の人 この心がわかったとして
これが世界
校をはかって 思推して何が得か
それを知り
頭を使わずに言葉を発した弥勒などこそ知りなさい
弥勒など白佛 白いひとの言葉は
「この世界には量がなく辺がない、計算されない
そこで知る事が、量がなく辺がない
心に無い事は私にない 」
思察が不能で 作らないことを厳かに知れる
私は住む
先人の事は
あなたの世界で
量がなく辺がない
菩薩たち
良い心の人
今私は灯りをわける
あなたに宣言する
「この世界は若く 小さい 」
ふつつかなものを私は蓋にし塵にする
一つの塵
以来私は成仏した
そこの人 過ぎるで
千億の星
自に従い 来たるで
私の住むこの娑婆の世界
教えを設け
およそ千億の星の那由多
城は 人を利かして
良い心の人
私はこの間 佛に燃えて
言を復す
魂の若い人は 私の所に来て
私の目を使い
信じる等を云う
根は鈍く 所々応じて
自説を少々する
名は同じ
彼の喜ばしいのは大小で
再び現れ 同じ事をする
「ねはん」に入れなさい
種々を方便し 微妙な妙法を説明できない
良い心の人
如来は人を見てきた
小さな心で
「徳の薄い重病人」
私は少なく心
以来私は成仏した
久方の若い人に方便し
人が人に教えた
佛の道に入らしめ
あなたは話をし
良い心の人
如来は演じて
皆 衆を脱させ
私のこと
あなたのこと
私の身
他の身
己の身をしめし
他の身をしめし
己の事をしめし
他の事をしめし
皆 ウソは吐かず
如来は知って
見てて
三つの世界
三界の顔を示した
有りて無い現実
若い魂を退け
若い魂を出した
世に有らず
滅びのたびに及ぶ
実に有らず
虚に有らず
私に有らず
異ならず
あなたはこれを汲む事に
如来の妙見がある
貸し借りは有りて無い
人の所に
たねだね性(しょう)が有り
たねだね欲が違い
たねだね行が違い
たねだね億え、感じる事が違い
この生が命ずる
この諸々の善い芽を 少しの因縁と
言葉で
この宇宙のたねを教える
遠く久しく
良い心の人
私の本業は菩薩の道です
その所に良い成りがあり
今に蓋をされない
しっかり上へ伸び
今、滅びに有らず
久しくここに若い佛が住み
ここの世に薄徳の人がいる
善の根を持たず
貧しく下賤を漁り
貧しく五欲を漁る
不安を呼び
見えない網の中で
憶測をして居る
如来を若く見て
心は怠ってる
故に難に遭い
生が機能しない
私の心を求め 敬い
「如来」故
方便を説明し
比丘、繊細さの富を知った者
佛はここに その価値を学ぶ事も可能だけど
いわゆる彼女は薄徳であり
千億の星の趣きを過ぎる
佛を見た 佛を見ない
こんな事で心を決め
がさがさと音を立てる
繊細な人
如来は彼女を見ただけで損をする
衆生から切りはかり 自分を
あなたの言葉を話す
ここに彼女は富を生き 難に遭う
佛は心を渇望させながら心に恋慕を抱くものだ
良いものを使う
故に如来がたれず 滅しない
ここまで深く話さなければ性急な人が再び勘違いをする
私の言葉は滅しない
良い心の人
所の佛、如来は皆宇宙 OK?
人の為に 真実は虚に有らず
良いあなたの言い方や比喩に依って
知恵を争奪する
明、明かるさを練習し
その薬で病を治す
その多くの人には子息が居て
十歳、二十歳、乃至百歳に至るの
有る縁を持って 遠い私の国に至る
永劫回帰
あなたの子が毒薬を飲み
取り乱し 地面に寝転び
この時その父が あの家に帰るのだ
あなたが毒を飲み 本心を失い
世間を失ったあのひ
はるかの事を見て
父子は歓喜す
手を合わせ 色々聞いて
良い安穏に帰りなさい
ある子は
愚痴を、毒薬を、
誤ってのみ、癒やしと救いを願ってみた
さらにその寿命と
子は父を見るから
そこに苦悩が有り
あらゆる教えを着て
良い薬はないかと求める
色と香りが良く、味の良い
皆は既にそろってる
それを投げ入れ 和合しなさい
天もそう飲んでいるから
私はこの言を作制する
このとても良い薬
色と香りが良く、味の良い
事が足りる
私らは飲める
即、苦悩を除去する
人をわずらわしいと思わない事である
子の中で 失わず幸せ
良い薬 色には好きが揃ってる
病いの蓋を除き、癒す
天は失ったが幸せ
父がそれを何て云うか、様々を問い
喜んで病いを治してくれる
これ天の薬 私がいなくても大丈夫
薄徳の人により毒気が深く入り込み
これがまた心のために
好きな色、香り、その薬であった
私は美しいと云わない 父の意によって
みんな寝てる
その所の毒の中で
私は降伏しない
私は今方便の富を設けました
この薬を飲む事を
すぐにそれを言葉にし あなたは富を知る
私は現代、衰えて老いている
死の時 ともえに至る
この良い薬を 今留め 私は取る
憂いと愛を この星を教え作る
他国に至り
私がが父となる時 星は死ぬ
これらを、君が
あなたの父は、人は背を向け
あなたは心に大きな憂いと悩みを抱くだろう
それこそ私の念
神ある人 自分を慈しみなさい
古きは救い 護ってくれる
今 私を捨てなさい
遠くの 忌むべき他の国です
自は狐となりころび
古い侍は 常に悲しんで居ます
心に至り 悟りなさい
この色香美しい薬をすぐにとり
みんなの魂を癒やしなさい
神は聞きます
如来と人は 心に特に違いはありません
問うことに帰って来た
五体を使い、見た
良い心の人 何言ってるのかわかりますね
人が動き 有るのですよ
研ぎ 磨いた歯で
説明していた
こもうは罪でない 感じている
佛の語で「私はあなた」というのがある
以来私は成仏し
量がなく 辺がない
千億の星の那由多
この城、人の為。
富の滅ぶつど
有りて無い現実を
あなたの宇宙を説明し
ウソと 妄と 出すぎたものを
この拙い言葉で
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