揶白 (KF)

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  • ライヤー

    容姿端麗の方は、

     

    威厳がある日とない日があっていいとおもう。

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  • 心の会話

    自分の回りにしか学識や自分サイズはない。

    どうか、と今日は人のことを祈った。


    自分の恋愛や、空気でさえ、

    命が宿っている。


    命を大切にする者として、(どうか)ひとつよろしくお願いします。

     

    考えていないからって、蛇けにしくさってはならない。

     

    気を落ち着かせて、言葉を話してみる。

     

    そのひとのハイヤーセルフと息を合わせるように、縁が薄くとも出会ったのなら、自分にだって近いのだから。

     

    好きだった、ことも、

     

    批判、も、

     

     

    ちゃんと覚えていること。

     

     

     

     

    感情も、理解もすべて含めたもの

     

    それを「理性」という。

     


    嫌う人がいる、だから前に出ない。とかの判断である。

     

     

     

     

     


    大澤さんの作品である。


    たくさんある瞳が躍動している。溢れていくように。そいつら(自分など)の自由を守るのが作者の技術なのだろう。


    この万能の「心」というものを、それこそ、自由にさしてやりたい、

     

    自由は単なる解放感ではない場合もある、培う理も生きているというモラルもあるのだ。

     

    時間も回ってきた。私は自分ともう親しみたい。

     

     

     

     

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  • 悪意

    根は、山より川より良いのに、

     

    死の狭間にいても、

    気もあるし、肉体は生きているのだから死の場合は詩的に想わない理性はあるか?

    周りが死でも、それなりの想像力と人の助けで、どうにかやっていけると言うのは空想?

    私は精神科にいて、考え事がぐるぐる止まらない時にナースコールをしていた。


    ボタンを押すのも億劫で、勇気がいったけど、

    人と話すとすぐに楽になった。一度覚えてみると、歩けば、世界は広い。


    泥酔している人には水を与える。


    すぐ燃えるのは安い紙

    ポンプ式美容成分汲み取り器

    人間らしい見にくさ


    その美しさ


    自分の憧憬の卵を委託出来るビジュアル

    モテたい女の一心(たま)



    いつから表現者になったのだろう?

    歌いたい

    歌える場はない


    詩人から哀愁を入出力する冬の朝。





    震えているよ、いつも


    嘘がつけないから、木葉の間に腐っていくなら


    落ちるまで


    私は「孤独」だから


    人並みにいて、死ぬことも出来る


    だから抵抗することも出来る


    ただ、下を向いても明るさを思った


    ここの全員が「美人」だ     世中を見上げすぎて見下げてる


    私はいつも自分が実験台




    真面目にやってたら、躾けを聞いてたら、



    人としてそう言うけど、

    哀しいことかあっても、もし、ちゃんと君を覚えるよ。






















     

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  • 会話の方法2()

    2022/01/26

     
    上品な、 にかまけすきない。 一途に、それは会話というものを愛すからだ。


    愛しかたの定めによっては、単にLOVEとバウンドを押し込んだりするのだ。

    私は自分を失くす日が有ることを、惜しまない。


    昔、韓国人の知り合った方が、「聖書は物ではないからすてれる。」ような言葉を、ここに表現出来ないが綺麗な言葉であった、仏教典に触れず、経文を語った。


    経文が、ざっと人の命が一回きりだ、という意味で有り難く、悉く重量をもった。経文は重いが、紙質は定価だ。

    きんいろに輝く危うい限りの仏像を見せていただけた。しかし、綺麗だ。



    経典は、ただ単に引き出しや置場所に直す大切な物。

     

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  • 会話の方法(1)

    2022/01/26


    起きかけに携帯を見たら画像が編集され残ってる。寝ぼけると隙をつくるのだろう。

    自分にわかるような、ささやかに記号が入っていて、

    それには私の無残なかおが、フレームで飾られている。そりゃまるでコーヒーのように苦いような思いもする。


    時々、出会ったことも、縁もないのにとても恋しくうひと、ひとがいる。

    会えないことが哀しいとただ思い出さないから、いつのまにか私は単なるリンクタグとなって、

    少年から、いろいろ話ながら、「何てないことこそが絵になってる、今も変わらないよ。」と、気取りを合わせながら、

    導き出す答えの、

    くっと苦い味の奥を進行すれは、甘いムースが入っているのだ。菓子なのだ。・私もパティシェ職人のファンだ。

    私は火事に遭い、市内を離れてのんびりしているが、散策をしていても、町のケーキ屋さんも町のケーキ屋さんとしての優れがあることを、
    、全体を見逃さない。

    パリ映画が流行る頃のハイヤーセルフの存在とともに時折。

    曰く、驚きのミドリ色のエイリアンか宇宙人だか何たか知らないが、
    いろんなからくりを試している問、オーブンが爆発することも、空気、人の空気を感じることと、そうやってためらいをしっかり持って居る人は偉いから、
    何でもすることが出来る。不服。





    オーブンが爆発、住む大阪の壇がもしあるとして、漫画の中なら爆笑だが、漫画の中でも笑わない真面目なフランス人なら圧にかかって、恥ずかしがる。
     

    こっちのアホの味方をしなけれは結局のところをよそにわかってもらえない。
    アホでいることは、賢くないと出来ない。

     
    浮世だな、と言葉としてよく有るが、昔から有ってこの「浮世」が、わかっている大人の意識にたいして平和とかそうし厳めしいものを支えるから残るのだ。
    「正心としている」から、「浮世」、「流行り」これが、何とも大事だ。
    「流行り」は風として、従って強すきると良くないが、家の間が狭い国にとっては貴重な風通しの機能。


    楽しい、と思って居たら、

    あまり遠くでも「私もしたい」「良いものだ」

    となるそう。

    たとえそれが苦悩であっても。

    どこか、遥かか、大天使。人がそういうものをお産するために、胎盤として気を惹かれたとしても、臓とは、偉いのだ。

    人が、人がとうるさいのも、天にそぐう。

    南無(天にまかせる)というのも、死臭がしても、気持ちを変えてどうにか明るく唱てみたい、祝福をこそ。  経(そんけい)を明るく歌いたい。
     
    上品な、 にかまけすぎない。 一途に、それは会話というものを愛すからだ。
     

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  • 詩のいまの引き出し

     おやじいりゅうの云った。
    二度は詩を思えなくなってしまう。善の機能は、自分の最も高い精神でしかない。値段にして低価な、「」と云うことだ。Noizuだ。ノイズは、物の静態を却って探す。

    人は、同じ人ではなく陸を押しどける。
    海は人ではなく島を押しどけるのだ。

     

    俺は見たこともない漢字に出会って挨拶をする。
    へぇ、と一言。
     
    宝石と石ころでは、

    天地が叶わぬが、
    強さは無関係だ。
    石ころも丸けれは、強い。
    宝石は強いに決まっている。
    海を石ころは知って、いる。
    知らなかっただろう。一〇〇ある石ころのを。
     

     

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  • わなわなする2

    モニターでは無いが、

     

    どこでどんな人にあたるのかは、初めに決まった縁であるし、

     

     

    その人が、そいつが優しくないほど、

     

    アンタの世界が暖かく感じるだろう。

     

     

    心配するな、これは知識。

     

     

     

    アンタも私も、与えられているのだから、あらかじめの縁も、

     

    偶発的な、ここまでなら許せる縁も、

     

     

    受け取ろう。

     

     

     

     

     

    音声があるが、「トンッ」と、背中を押して聞くもん聞いたら帰ります、や、帰るように。という、システムになっています。

     

    強いドツキがあるが、祝福である。

     

     

     

     

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  • わなわなする

    私の男が、私の頭の上に乗って知らず知らず頭を踏みつけた。

     

    私は実際にとても痛いのと、怒って壁を壊してしまった。

     

     

     

     

     

    モニターでは無いが、モニターの中から見えるセカイと、


    モニターの内側の、心の会話中の世界は、


    別世界だ。

     

    よくその辺で、人が都合よく私たちに話しをしてくれるが、

     

    この人間と人間を、電話機にしてしまうやつがおる為の警戒なのじゃ。

     

     

    「話し」や音が流れる際も互いの霊の高域な了解があり、


    外のセカイの安全を守り、そんな私からも遠くの人の、同時に福を祝っている。

     

     

     

    お坊吉三のように、間に入って家族ぐるみの喧嘩の、全てが解決した。「人間どもよ、俺はいつか言ってやるぞ。」やるせない今という時に立ち上がるのだ。

    あらゆるやるせなさを三重四重救い取って、気を良くしたら後はこたつに戻る。高年配の人のダンスだ。

     

     

    ルール、ルールというが、人間なのなら実際にそうあれる空間があるのなら、本当にどうしようもない時だけ人の理に任せたら良いのだよ、と、私もいつか言ってやる。

     

     

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  • 目の大きさ、大きさの想念2

    大澤悠

     

     

    素人でも玄人でも、好きでもないものに触れたら、

    人が解釈の壁を越えることはないだろう。「理解」が出来ないのだ。

    そもそも、人のアート性なんて我々が信用するものの事柄からは全く枠外にされるものだ。全然、第三者の理性の方が偉いのだ。

     

     

     

     


    画家の心はは瞳孔の奥に辿り着こうと、至って静かな闇の中でも、明るい光に埋もれていても、
    自分が何か表現をする中で自他の目の成長を心待ちにしている。
    目はやっぱり大きくなるべきなのか、わからないが、

    純粋な心は、進化を思うのか、単純に「アゲアゲ」は、上に行くことがそれではないらしい。
     

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  • 目の大きさ、大きさの想念

     

    体は考える、という言葉を時々想像する。


    霊というのに語弊があるが、肉体とそれは全く別かと云われればそうではない気がする。

    それは、肉体がそもそも霊だという概念から始まる。

     


    「死」とは何か?

    かんがえてみることではなく、ひたすら想像がしたい。

    なので、死ぬことではなく、 死の概念を再びただす。


    こういう宇宙的なこと


    ハカセって意味の「宇宙人(如来よ)」。


    君や私、それらの人を集める無意識。


    蜻蛉としての私、指としての君。 

     

     

     

    悪い方向しゃなくて、


    善とか星の輝きの間に間に、吸い取られちゃうのが、流れというもので、


    道理とも云うんだろう。


    道ともいって、それを「考え」る。

     

     

        煙草を吸って体を痛めるという想像をしたのは、科学から数字を得てその様子を目で見てしまってからイメージが膨張した。内臓を見るという行為にいったん死を隔てるからこそ、
     「わからない」部分がおおいにあるのだ。

    確かに数字は有る。しかし美しい数字は心のショックなど考えてくれない。
    そんな無知な人間のことを私は信用しない。


    つまり、闇も有るのだ。「怖いと思う私」がいるのだ。

    そのことから目を逸らしたい人を同じように想像出来るし、気を配ることを忘れて居ない。
    確立せんとしている自我なのである。

    学問が解りにくいわけもここにある。それに感心しても有るし、「私とはわかりやすく伝えているのではなく、単純な気持ちで巷の熟語をお勧めしている。この詩的態度が、=モラルを守る。「愛してるもの」をただ語るのだ。ダンスしたいのだ。

    だから、漢字なのだ。

    心の会話でもどこでも、漢字であること熟していること、それを守れた時、それらは表現することが可能なのだろう。

     


    人は、幽霊に憑かれた私のように変な思考あまり辿らないだろう。

     

     

     

     

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