揶白 (KF)

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  • 哲学に於いての良文

    今更ながらカントを読んでいる。

    岩波の篠田英雄訳です。

    大正七年。

     

     哲学と云や詩的な性格も備えているためなかなか思えぬ事で有るが、此方のカントを訳し切られたのちの前書きを信頼した、そうゆう事が書かれて有ったのである。

     

    (「実践理性批判」に初めて接する読者ドイツ語を知ると知らざるを問わずに、せめてこの訳書によって原文の意味をできるだけ忠実に伝えるに努めることよりほかに何ものもない。このことを為すに当って、すべてカント自身の著作からの引用とはいえ多くの注を加えたばかりでなく、しばしば訳者の説明句を挿入したことは、古典の翻訳としては確かに不体裁を免れないにも拘らずこれを敢てしたのは、読者が相成るべくはその時、その場で文意を理解するに便ならしめるためにほかならない。カントの言うように、哲学は哲学的知識とは異なる、哲学は学習せられ得る学ではなくて、我々はこれによってせいぜい物を哲学的に考えることを学び得るだけである。)

     

    カントのこの本は純粋理性へ批判されるのでは無くなんと実践できる純粋理性が存在する、らしい事から書かれてあります。

    一ページを捲って、

    私は対象を哲学そのものとして、「純粋能力は実践してきた性のうちにあるのだ、」と自己の哲学それへ噛み付いて云うが、やっぱり「誠に実践理性されてる事は、言葉としてフィロソフィーと云うのしか得るものがなくて、フィロソフィーと哲学は違う」と思い、若しくは実践する主体が日本人は其呼称を抱いてわざと逸れているか、

    詩に似ている若しくは分かれない事柄である、書かれて居る通り何故か哲学は行うこと、で有るから「する事、やる事」ではあり得ないのである。重くあれど軽くあれど翻訳亦、学問はついやせばこう、皆で纏まらない言を一列としてくれる。

    時と神を友にし。

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