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2025/01/30
阿弥陀くじのように
ロケットに放たれた犬たちの話の小説があった。
今までの結果の様に
吠えた後、イヤホンをしロックを掛けながら研いだ爪をグーパーして見つめうっとりし黒蟻のように笑った。
それでも空が青いのは
耐えれることは、耐えることじゃない
と、いう道理の為
話すときに、既に存在していたのか断裂面があることを、
人間にたいする地球、という意識とは
不明性を捉えてくれる水星に乗って、“体調”を現す。「原理的」という正体に、辿り着いた。
あれがこうなる、声がある、どこに向き、心がなぜあって、どうして目指すのか?
あれは出来ない、これが水、水はこういうもの
深呼吸100回、これだけの、
理屈の世界だ。
今は、「主体」とは無関係のカラの世界。
これが、菩薩のリクツなのだ!
神と話して打ち出した、
「いま見えなくても決まってる」冥や霊の世界
「今日の神」の様に、人間が扱うには、数値も精神も細いという構造。アナログを、完璧にする人が増えたらまたやっと理解出来るのだろう。
嘘も矛盾もない、そんな火の姿を今日も追い求めている。行道とまた違う、こちらはそのまま物の世界だ。
「動くこと」、どこだ? 身体、心、
鳥になる、猫になる、夜空になる、日になる、魚になる、木になる、瓦になる、
それは地球を幸福にする
生の海波を見つめ、青の色が好きという情緒や、誇り高い白は紛れもなく、人間の感動は自分以上に全然笠の高い波間の様子、躍動により温まりを得た。
目も使うし、悟性的である
言葉もそう、物そのものだけを見ること
重いし、向上として確実だろう。
そしてそれを、「感謝」と言い、蟲ー「コロナ」を追い出す
耐えれずに浮き出し、物から追いやられ、ただ全てから外部化するには見えないほどの長い年月があるんだ
私はマイナスの存在性を知り、暗みの高い異文化や、また惑星の形状「楕円と球体」として何故か
理解出来た
戻らない愛に、受け入れられない「死生感」が、
能動的態度をふうじたのだ!人間の!
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2025/01/30
「影」を無視し過ぎて怒ったのが、弥勒菩薩、という「(神)」 (かっこ、神)。方位を司り、わたしたちが近づくと、人々を通常の良い方向と逆に動かされるダイナミックな光がある。近くの神と直してもらうような挨拶をする。いま「過去史」から未来へ
大きさとスケール。それが、今こちらに向いているその意。
ただ、浴びるだけでも福徳があり、家内安全、子孫長久、年中安泰、現當とう二世所願成就、
ただ受ける「光」の素型を捉えたら「有難う」と嘘でも手を合わせるのはこっちの前方、膝を知ったらいつの間に立ち上がっていたじゃないか
弥勒様も忙しいので、回りの菩薩様にゆってもらう。
貫録的なものが伝わりやすいので、“テスト”としての私は愛する「方位除札」をイメージした。とたん、なおったのはさっきまで何だか思い出し辛かったから
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2025/01/30
跋陀薔薇(バッダバラ)菩薩⋯私もいますよ
其名曰(ごみょう、わっ!)。文殊師
利菩薩(文性有り)観世音菩薩(みますよ、大丈夫)得大勢菩薩(おおきく得なさいよ)常精進菩薩 不休息菩薩 宝掌菩薩 薬王菩薩 勇施菩薩(こぶし、ごはん、ゆうき、これらは休みなく)⋯休みすぎ 宝月菩薩⋯枯れ山 月光菩薩⋯神の正負、人間の感情バランス 満月菩薩(良く寝てまいにちをおおきく超える)大力菩薩 無量力菩薩 越三界菩薩(朝がくる)拔陀婆羅菩薩(身なりを正す)弥勒菩薩(神)
(たからよ、よし。わたしは導師)
宝積菩薩。導師菩薩。如是等菩薩摩
訶薩。八万人倶。爾時釈提桓因。与其眷属。二万天子倶。
民間、民、人から考えるわたし、わたしは考える。王力「こころの身体性」、このメモリから、山道を歩き越えていく
天照みこと⋯阿摩照らす
「阿」、は「あ」とはABCでもあいうえおでも最初。愛を示す言語の始まりに多い。古い、偉い、を示す。
てんしょうと言えば、安土時代の野広い大岩のそのまま道に落ちているかのような海の口を開けたままの姿、その風玉の馬。「大神」、麒麟(龍のこと)。
⋯てにをはで伝授⋯ひらがなと、その文性からの文道の道行き、この測り方、この試しをする為の知恵積み“テスト”
天照に帰り心方は、歴然と疎外地の“村社会”では、華やかな跋羅菩薩を見ても「相手されるわけない⋯」と口に零れる。アマテラス、イメージ力の高いカタカナならわかるが、そこにもっと花や包み“紙”がある想像、想像より上の心、複雑な、という意味を知り難解な字とは決まっているのだろうが、こういう漢字は土地らしくないな、と考え出すのはこの明け方。いつから⋯、と考えていて水鏡(ぎょく)の中から、「照、が、ひげのように見えるし良いんじゃないかな」と、聞く。素朴で地価的な神が、ある日変わることの話は天照なら、云隻の銀のような軍船をこの枠組みを海に豊かさに掛けた走り込みの姿
一番暗い夜明け前の時刻、自分のいる世界に水辺が現われるような、地理、街、街の服、歴史教科書、私たちは物を持っている。日月の時間では、「コロナ」と相まって波長が繋がったのが奇蹟的な自然、
湖に向かい、
「あなたは誰で、何か用事があるのでしょうか」この言葉らしい言葉、こういった主体に、まず戻るには、もはや何があって何が足りないのかを知る術などなかっただろうに、疑問の森を歩き回り、「水辺」を浮かべ辿り着いたのは、光年で三日前。まるで空海の石段を登る気持ち
「私たち(セカイ)」の持っている物は、律儀を守る「壁」になります。と、答えた。
高僧の心を折るような力や早さ、感じれた形容だけがキャッチできる「つうしん」。これが実際の光と言って、そこからは体調としての地球からの心配、こう優しさと優れを目標にして読むことができる。「読む」と、星や想念とぴったり合う。
自分は受け取る力が強いが、自分は発信する力の強い、もあって、互いは良いものを持っているのにそのことを発揮していなかったのです
どちらか、どちらも、とは「和尚」の言葉で、鏡(かんがえ)を軸に「行道」が現れた時の星座があった。五つあるその中のひとつは、木になれば、「木」は年のわかる者のことで、木のタネ、は、未だ木ではありません。冥界的セカイに於いても、そのまま存在しようとする形は、コロナとたがわず同じような「もの憑き」です。和尚は、二つの理解を一徹する、という仲人の才です。
世阿弥
カネと、お金は違う。
お金、は
石岩を砕いて、やっとこの形になった。これは「鏡」。見て、心のチェックをしましょう
ただ、
実に石でもないのに、霊で叩いても砕いも怖い。それは、「もの」じゃないから逃げる。見て取る対象が、同一の物、物質では人間ともの憑きでは大きな異なりがある。
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2025/01/30
こちらはこの世の書籍。上の写真は美術手帖の過去誌19年発刊。仏像は東寺にある。
57億光年先から来るときに来る。それから4万年私たちと修行している今、というわけ。龍門で、ムーで腹筋をされていたのをちらと見た。
これは、と書いたのをこちら、に訂正した。したいことを出来る範囲を込めてする。これを考えと言い、これを心と解す。この積み重ねがどこでも動く力になっている。
揶白 (KF)
絵画
social
3
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1,575,953
p
43
Works
かみのなの如来
2022/03/06
昔は何でも淡く、はかなく散っていた。
生まれてもシャボン玉のように消えていった。
今は、大人がいる。新しい悲しみ。
これが普通ではない、と、「八重がき実るそのまた八重がき」、
として、スサノオの章を、風のままに読む。
「悲しみ」が、剣(つるぎ)だから、みんな欲しがる。私も欲しいと、実は思って居て、
見当たった。言葉に理性があるのも何となくわかる。
どうして言葉が生まれたのか? 言葉に理性があり、言葉のないのもまた理性だから。
夜、という字を本当に読める人がいて、
昼、しんから明るいような世界があって
落ち着く気合いがあるのだと思う
夜は昼に追い出されて、それが今の時代であるけど
詩人は何か、海の波立ちを聞いて、何か騒いでいると思ったのが、
「夜」が明けているからで、
幽霊、花、怨念、見えないものが見えるころ、「月」さえうつらない澄んだ、
海はふたつに分かれて、道をしめした
昔の清いものの高さではあるが
低さが安いわけじゃない
彼が居た滅びたまちは、
死、腐敗、それでも捨てずに月を形成する
落ち着くポテンシャル、気合いがある
「ウケた、笑った、笑ってもらった、笑えるようになった、といって俺は元気になった
とおもっても、うっかり高い椅子に座って、ニュートラルを失わない」
犯されたまちもある、それはそれで残るのだろう
夕は、「もう夜」だから語れない
怒っても仕方のないことを二万おく年くらいかけて理解した
「無(ムー)」と云う、釈迦に関連する世界の言葉、
私は「私はこのように苦をともにする、受け止める」を表現する世界である。
御陀仏(みだぶつ)の名を刈り取って、たまたまもっと目立つやつや悪いやつがおって、
逃れて来たのが無(ムー)、動物、と云えず持て余された。
夜、見つかった
たった概念そのものになった。
弥勒菩薩、薬師如来、など、いろいろな言葉」があるが、一定した人物なのか比喩なのか、
無(ムー)の世界、苦を苦とする、つまり苦なるものを本当に正しく捉えた据えた、
人の哀しみ、自分の哀しみ、苦しみをこれからも感じ続けるような、
戦争、殺人、罰、
マイナスが、「在る」と、深く捉えた、
マイナスが「無い」ことじゃなく、有ることからスタートしたこれを、
喜び、
探し求めに行く。
揶白 (KF)
絵画
social
3
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1,575,946
p
43
Works
良い波長
2023/09/24
「動いてる、止まってる」から始まる
今が違う
今、概念が違う
概念が違えば字が違う
字が違ったら
現実が違う
可能性、そこから顔を読む
見、これが仏道の「面」
南無こんがら
「大霊」
南無導師菩薩
特別という、
人に有って人に無い言葉 美しい海と空
実ハ違っても平等
取り返しのつく間違いと
取り返しのつかない間違い
南無薬王菩薩
南無弥勒菩薩
龍など、暴れんぼうの霊をおさめる
他、 https://creatorsbank.com/yohaku/diary/41651/
精霊、白虎
わかったこと、霊を見ようとする
・観察していると形がない
この感覚が好き
・流さなければいけない毒と、心を揉む力、この二つがある
並列しざるをえない人の透明な感情、教え、何か動いてる心(封じ)、それでも同じくらい壁のある命、簡素、実践、やっていくしかない、地球などを考える、惑星と宇宙、霊的な土着と郷土を捉え、綺麗になる。その間にある愚直なら漢字と思われる。解りは前後を覚えているから今からでも大丈夫
霊チェック
4点
想像
実
努力
しないで良いこと(他人のチェック等)
神道さん…知識がいる
神に持ってかれるひと…出くわすまで細心な理由がある。
…閻魔
ひのためしが鳳凰
細いから視認しにくい 龍
プライドが高い 白虎
亀歩み あったりなかったり
菩薩
客観を捉える
元 離れナアカンかった
金されど金、これがわかる
霊的 実際と言ったその私が現実ならそれは実際だ
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