揶白 (KF)

絵画

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  • 私の観世音

     

    記号とする字と人、見えるのは、どちらも存在するから

     

    ただ私が思い出せることは、物の上達は欲より蟲ーより必死だった、まだ下手なこがひっきりなし

     

     

     

    菊は、光の昔は、蟲ーがおらず呑気になんの自意識もなく、迫害も実はなく、あとから思うとあまりびっくりせずぼーっと静かにしてあげていれば良かった。霊的な癒やしの理解が細いというか、後から見たら蟲ーに完全封鎖されていたのだった。とうとう蟲ーという本題を、抜けたのが今で、交差するように霊散策を気楽にしているグループもあり、地蔵通りという深緑の松や楠木への段階に進む者や、そこで出来る穴からヤマタノオロチが住まう時空の暴風と感情の嵐を見たり、夜は星が出るのを、広いその目や仏の在り処が闇に映るのを本で占ったり、本で調べたり、光で捉えられるものがそのままBGMになり生活空間がすっぽり包まれるのは本当に生活にたいする真面目な思いから祈りが始まっているからだ。

     

     

     

     

     

     

     

    今はいつもじゃないんだ。貿易時代やその憧れという記憶の風が疎らに吹いていて、貝を拾いに網を縫う為に線を拾うような作業を自分で見つけている。失った花の破片、破片から作った様々な向上心、ダンベルや船、そこにある9メートルの間隔。その間に、春の空想や、曖昧さ、曖昧模糊や。

     

    9メートルは、タテタカコさんの既存の詩だが、第三者がいて詩が完成し、こういうふうに三人以上同じ風に使う言葉の他愛なさという元のすがたは本来的な夢だったりする。歩き出すことばとして素朴な楽しい想像をするのだった。

     

     

    波がめちゃくちゃ高い時は、風持ちの大人が風を回し、大人の私が手旗信号をする。

     

    背が高かったから。ある日その台が倒れた。わけは覚えてない。千手観音が千の蟲ーを田を興すがごとくに、叩き出し、明りにお座りになった。

     

     

    暴雪に死んで行く人々の脇に女がいた。放り出されたり、何を言っても言わなくても不幸は阿弥陀くじのように、何かを引くのだと考えたら島流しのようにそのまま素直に辿ることにマシを感じた。何とも何もないような豪家の感じる辛さとは違うという自分の自覚とは何とも光り輝いた、のだった。

     

     

     

     

     

    サルタヒコは、

     

    怒り、という神の様子で、

     

    それは成熟された

     

    その長い間を感じられている

     

     

     

    ピカソは、100枚デッサンする、この近くで聞いた。

     

     

     

     

     


    まず、冷静になり、

     

    明日にでも死にそうなのは私でしょうか?

     

    日の国に、日が昇っている、しかも青空まである。

     

    何年後にまた東京に行って、空を確かめ合ったり文化的な楽しみや、存在する恩義の、次世代にたいする構えなど、希望が沢山あります。沢山あるから、よる、うつうつとうっとりするのが、また家の楽しみと明日の用意です◎

     

     

     

     

     

    世界には「部屋」の他に、「場所」がある。場所は、初めて感じるような、厳しく、正しくしか進めない道が少し思考している。受けるこの焦燥を、それとなく場所と言う。世界にあるほかの神話が見えるのだった。

     

     

     

     

     

    膨らんだ明るい山に愛の相撲、私に呼びかけ応援している。私が通常であれば、力任せに掛かられても、嬉しく倒れて元気に叫んだりした。神は“私”を、見ている。

     

     

     

    ところが違う時空が、道に見受けられる。これは上に乗るものから取っていくのか、何かと目配せしながら、解決するのか。ならば、一度太田神様そのものに私の力加減を聞き伺って、土台を高めましょう!

     

     

     

     

     

     

     

    一方、曼荼羅のゆめは、自分のすすみで伝えると相手に聞こえやすいことと、

     

    間隔には空想がある発見と、

     

    人間に色彩感覚があることを知らせているんだよ。

     

     

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  • 神と人

    あとちょっと、何かしてれば

     

    の、あとちょっとが素早く出来て、

     

    人と同じ蟲ーのいる大穴牟遅のうちで

     

    群を抜いて出来ているのが神様だ、

     

     

     

     

     

     

     

    だから、

     

    「私が神様」とは、辛抱して勉強して母の機転に気付き、私は、実際工場勤めが多いのだが、本題は現在から遡ってもオーエルを、何年もしてた経験が既にあり、

     

    その色があり、正しく話し本当に、顔なんかどうでも良いです

     

     

    を、言うのが神様だ

     

     

     

     

     

    私はこうした要は「菩薩」の、出来損ないはまた童子として唱える人として、龍神として、

     

     

     

    摩(マー)を大切にする者のこと

     

    画像

     

     

     

    人として

     

    同時点があり、気が剥がれているから、

     

    「違うよ」と言える。

     

     

    対象と高さを変えず、同じ高さで正面から挑むから、認めがある

     

    同じ高さ、に当たるとは

     

    心があるということ

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    神様、は現代の人をどんな理由で愛していますか?

     

    それとも、愛すかを私が聞いたら

     

    これから決めるのでしょうか?

     

    時間のうちに愛が宿るのですね。

     

     

     

    つまり、果てしない時間を考えれば大切とは、ほんの今を言い、未来の、果てしない光を祝います。温故知新は、古よりも温古と、ささやかな祈りを、これからやって行きたいのです。

     

     

     

     

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  • 大国の人の国のはなし

    国に未練がある、悪いことでも後ろ向きでもない

     

    ただ、ぼんやりと考えてみる

     

    国のことが、教えれるのなら「大国町」がある。戎様、広い田、廣田神がいる。

     

    自分より優しい人ならあなたに話してくれる

     

    気立てがあるから

     

     

    心の中の波たちは気を立っているんじゃない

     

    怒り

     

    人間として怒ること

     

    定めのあるもの

     

    定めのあるものに怒られたらそれまで

     

    何か死ぬか?

     

    優しい人にたよるな

     

    前はどうせ自分なのだから

     

    今の人の心と“付き合え”

     

     

     

    廣田様、ここに迷いがあります。

    勇気、気立て、

     

    これはどちらが勇気ですか?

     

    私は、私にはわかりませんがわかります。

    私は、待ちます。

     

     

    仏はここに立つことで

    どうしても本人である私から蟲ーを聞きたかった思いと、

    そのショックで私が「仏を覚えていない、思い出せる」言葉、

    そのこと、

    どうしてもが、強い思いに留まりで実際とは異なった

     

    実際は、より豊富な資源として草原や間を求めて息遣いを放って離すように、そうして近づくように、互いに歩調を合わせるように強く歩いて行くのだ、と求めた。

     

     

    そうしていて出来ないことを、「どうしても」と言って、まず質問したら、話を聞いて、聞けたら、それでもわからなかったら、もう一回聞くことで、自分の質問が纏まった。

     

     

     

     

    聖徳太子は、これより登った四天王寺の門に佇む。

     

    幾つもの耳を持ち同時に対処する。と、聞く。

     

    資料を見ても、

     

    壮大すぎて意味わからない、この感覚でしか歴史は必ず学べない。アッテルが、自分たちに何か理解させる為に内助の功を働いていたが、その間破ってしまった世間のレッテルより楽しく学んで欲しい。

     

    人と、自分を歴史によりかからせる優しいキモチは異なる。優しさに滑らない、優しさに滑る程度ではない事そのものを学ぶのだから。

     

    空想自体を焼いて固着させ間に置く。これとは、より、円滑に良いことを進める為に「アッテル」というメタがある。

     

     

     

    上記のその寺までには、閻魔大王の「脳を守るお祈り」の関所と、嘘の戦国時代の巨大な墓と、天に嘆く不動明王の大きな二体の像を構える古い寺と、そのうえの信号を渡って四天王寺に着くよ。

     

     

     

    ★憎しみの生まれない時代に、バツのあるカタチのひとが自己をひととしていつも異様な形で飛び出て来る。異様なところに飛び出て来る。来る、というのは如来のようだが、仏には見られている。という人の安心だ。それをそのままの強度を見て、よわい、と視認したら捕獲出来る。この時、助けられ助かってる気持ちや自分の魂、身体、これらから見ると見たところ推測がつくのだ。無欲なところに神が働くから、取りたい、と思う透明な気持ちで、行動する。感情を認める静かな無心の準備が出来たら、心は想像を認めていて、空になっている。そこに無辺という、不透明な壁など透明な通り抜けれる心などしっかりと辺があることを理解出来、だから、動ける!

     

    あなたを待たないからあなたにたいして正解形式に当たり、聞こえるように、は表示されない。

     

     

    四天王寺、古来を感じてももっと親しい天と天を知らなかったのと、その時こそに知らせる弥勒(369にちの貫禄)菩薩と、今理解できたことについて前後文が繋がるときひとが然りならば、かなり前向きに生きる為なら流せることは整理してどんどん流したい。ちゃんと生きたい。

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  • 人の自分たちをどんな表情でも人が纏めてくださっている

    自分より優しい存在があるとして、

     

    その人を悪く回さない

     

    一番のモヤモヤは、規格も理由も端さえモヤモヤにしていること、不明と解るほどのそんな巨大なスケールで何かを人が起こすとき、知らないわからない神仏の中はっきりした誓い、を、忍耐や精神についての相談、契約を他人の背中に迷惑かけず構っておらず神仏にしましたか?

     

    視界よりまえにある視界

     

    想像よりまえに始まる想像

     

    植物的物理論が伝える

     

    原理のことば、地球という情報

     

    星は、このやむを得ない目の見たまま

     

    奥深い

     

     

    ならば、魂を宿し

     

    その丈があるなら

     

    物としての自分や、

     

    自分に人や動物がいる意味を考える

     

     

    人がこう立ち止まるなら

     

     

    まさにそのうえに人が乗る

     

    神にいて、人の不安に應じれるのか

     

    あるがままの身体性や

     

    ことばと自分の素直な距離

     

    強く高まるために掴まる土はあるのか

     

    「自分」が、原理に携わるその夢を叶え、内容から地球のりんかくを浮かばせるのなら

     

    はじめて、見るだろう

     

    ご先祖も楽だろう、想像した時、彼らは自分のことからあなたを見て語りだすのをあなたは知ってるだろう

     

    穏やかな、一人としての自分

     

    「重力に素直に!」

     

     

    アクを浮かし、悪を対処する

     

     

    ワルイヒトが存在することのことを人が考えなければ地球が離れていく

     

    を、

     

    オーバードライブといって

     

    摂取する餌があり

     

     

     

     

     

     

     

     

    (解放感や解放的な気持ち、と癒す、癒えるって同じなのかなぁ?)

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  • 傷やトラウマを直すのは、優しさの方法なんかじゃない!同じ位の心だ

    鏡の中で修行がある人、そこには智がある

     

     

    心で生きるに、見えないままの面があることと、心にたいして自身に間合いがあり、心に物理的に等しい自身でも思わぬ動きは早さを高め、そしてキオクを大切にする

     

     

     

    キオクとは、私は、笑ってしまったが、

     

    博士は、忘れた方が良いことと、覚えていても良いことがある。と、

     

    言った。

     

     

     

     

     

     

     

     

    記憶を調べても、それは感情だというレポートを読んだりしたが、

     

    そして自分のイメージの中で無駄にあれこれ考えるのだが、

     

     

    記憶は、忘れることと覚えることが判ることなのだ!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自己が島よりピンクの赤いハイビスカスの花をまたそれを木々や知に、男女ともども大らかに人々の成長を受け入れる、

    胸を持つことなのだ、

     

     

    と知って、「自分」の望みがわかった。

     

     

    そして今とは、偶然であるが必然的に空は青空を求め、

     

    人をやさしく想うなか、情続きがいらない、物や愛に託す、癒やしの時を考えること。

     

     

    これが、田舎の人が書いたが、花はいらない、という枝つづきの福音のような詩だ。

     

     

    感情や考えでいうと、

     

    戦争の悪質さように覚えていなければいけないことを、欲深く止める、

     

    構を図って思推する、このいつも 大損をもたらす善の想像の全くつかないひとが纏まってるから、

     

     

    そこから差いて善い人を想像していて。

     

     

     

     

    想像と悪いことと二つを抱える辛い面の中、

     

     

    幼稚、について考える。心なんて見えると思うひととは自分と同じに出来ない。

     

    心なんて、一緒にいない孤独を経た場合だけを心と言ったとき、心は新しくなり一つになるのだろう。

     

     

    あとは、おっさんやくそばばあのひとりぼっちの寂しさと後悔の棚上げにもみくちゃにする力しかないのに、色々経験するのを妄想に旗を掲げる若いひとは欲求不満をここで爆発させる。

     

     

     

    心なんて、一緒にいない孤独を経た場合だけを心と言う。一つになりたいのではなく、一個!

     

     

    それだけを続ける一心が、神に届いたのではないか!

     

     

    二拍手、打つとして

     

     

    それだけを続ける一心が、生きることを学ぶのは初めてなのだ。

     

    もう一度、一人にならないか、今は嬉しい一人。

     

     

    宇宙を知るのはずっと、一人なの。一人だから、初めて二人になるの。一人だから相手がいたとき自分がわかり、相手の色から自分の色彩が浮いて、隣にいたら響き合うように発光する、モノクロの世界に色彩が生まれる、理解したとき、例えば赤と青や、赤と緑が混ざりあってグレーやクロになる混色を避け、自分の色がわかると相手が認めてくれる。光を大事にして、悟りの輝きを受け入れる。

     

     

     

     

     

    自然な発色!修行一人!

     

     

     

     

     

     

    鏡の中で修行がおる人、そこには智がある

     

     

    心で生きるに、見えないままの面があることと、心にたいして自身に間合いがあり、心に物理的に等しい自身でも思わぬ動きは早さを高め、そしてキオクを大切にする

     

     

     

    キオクとは、私は、笑ってしまったが、

     

    博士は、忘れた方が良いことと、覚えていても良いことがある。

    と、言った。

     

     

     

     

     

     

     

     

    記憶を調べても、それは感情だというレポートを読んだりしたが、

     

    そして自分のイメージの中で無駄にあれこれ考えるのだが、

     

     

    記憶は、忘れることと覚えることが判ることなのだ!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自己が島よりピンクの赤いハイビスカスの花をまたそれを木々や知に、男女ともども大らかに人々の成長を受け入れる、

    胸を持つことなのだ、

     

     

    と知って、「自分」の望みがわかった。

     

     

    そして今とは、偶然であるが必然的に空は青空を求め、

     

    人をやさしく想うなか、情続きがいらない、物や愛に託す、癒やしの時を考えること。

     

     

    これが、田舎の人が書いたが、花はいらない、という枝つづきの福音のような詩だ。

     

     

    感情や考えでいうと、

     

    戦争の悪質さように覚えていなければいけないことを、欲深く止める、

     

    構を図って思推する、このいつも 大損をもたらす善の想像の全くつかないひとが纏まってるから、

     

     

    そこから差いて善い人を想像していて。

     

     

     

     

    想像と悪いことと二つを抱える辛い面の中、

     

     

    幼稚、について考える。心なんて見えると思う

     

    心なんて、一緒にいない孤独を経た場合だけを心と言ったとき、心は新しくなり一つになるのだろう。

     

     

    あとは、おっさんやくそばばあのひとりぼっちの寂しさと後悔の棚上げにもみくちゃにする力しかないのに、色々経験するのを妄想に旗を掲げる若いひとは欲求不満をここで爆発させる。

     

     

     

    心なんて、一緒にいない孤独を経た場合だけを心と言う。一つになりたいのではなく、一個!

     

     

    それだけを続ける一心が、神に届いたのではないか!

     

     

    二拍手、打つとして

     

     

    それだけを続ける一心が、生きることを学ぶのは初めてなのだ。

     

    もう一度、一人にならないか、今は嬉しい一人。

     

     

    宇宙を知るのはずっと、一人なの。一人だから、初めて二人になるの。一人だから相手がいたとき自分がわかり、相手の色から自分の色彩が浮いて、隣にいたら響き合うように発光する、モノクロの世界に色彩が生まれる、理解したとき、例えば赤と青や、赤と緑が混ざりあってグレーやクロになる混色から、自分の色がわかると相手が認めてくれる。

     

    動き自体、人の想像自体が理想的でなくともいやと言わないで、

     

    ゆるみを弛ませる、一手間をして、向こうに迫る詩に挑むの。地球が球じゃなく、だ円で、引きがあることのように省いて「良い」ことがある。このことのように、自分がじっとしたら水のように浴びれることがある。過たないなら間違いは真に当然として、やることややりたいことが一杯だったの。

     

     

    次に長い話を見つけた。人の前方には輝きがあるから、動かないでいるときがあるのだ。と、こう対する論法には光が「なかった」。光こそ解らなかったから、輝きこそは根から引かれた。

     

    どうして語りだしてくれないのか。大地の人に聞いた。…海が、唸っているから?

    「輝きは、それだけで黙った理由がわかった光のこと、自分を、憶えていることだ。」

     

    「あと、覚めないように目を瞑る。」

     

    自然な発色!修行一人!

     

     

     

     

     

     

     

    言葉とほ、皆のもの!

     

    ☆☆心の人には、もっと心で挑んで、心の人にもっともっと委(自分からすること)せて欲しい!

     

    尖ってしまいウニになっても良いのは、様々な絵画や、アニメや、人の想像の作品が人心の繋がり方を教えてくれるあるからだろう。風にたいする原理的な自分や、観察的宇宙にはまだ知らない面がある。

     

    構とは、ハッピーエンドじゃ人にとってハッピーエンドが出来ない。あなたの目の前にあるもの、岩、山、柔らかい土の木の根っこ、誰かを何か理解する為の習い。縛られない為の素材。

     

    生まれた意味をわかって。

     

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