揶白 (KF)

絵画

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  • 歌舞伎絵

    この、どんだけ着るんだろう感。これが大切だと思う。

     

     

     

    貧乏人のヒーロー

     

     

    座布団が翼にもう成っているのだ。これを構えるのだ。

     

    この美し方。観音と手十分。

     

     

    色合わせではなさそうなのだから、むしろこんな風な何でもかんでも見つめて前を見る大人になって欲しい。

     

    私はこんなお洒落を普段している。中に赤をあっさり来て紳士と遭遇する。コロナ禍でも服は迷って着ている。

     

     

     

     

     

     

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  • 彩色

    闇のバランスの取り方が難しかったんだと思う。

     

    ムーで知能が遅滞したし、そこで出来た細い道は人が発展させたし。

     

     

     

    闇を光だと言ったらたちまちムーの顔に。

     

     

    闇は闇であるが、黄色い月とか、湖のほとりとか、ゴジラとか、毒になってしまった僕とか、優しさの方である。

     

    昼型の人より高彩色なのは何でだろう?兄とフランス人に聞いている。

     

    黒でも、ピーチブラックやランプブラックがある。無色を表すのは、桃の実を焼いて作るつまり生活に身を溶かして行く人の魅力のことだか、有色である事が自分には「無」と説く人も多く、正道を何度も確かめながら言葉を集めている。燕の巣作りに似ている。丁度もともと気のよい燕が春を感じているみたいだ。無欲だ無欲だと言って、巣を払うような悲しみのないように。僧ブラックの人も、悪い自分が想像出来ないと子供を正しめるなんで出来ないでと言っていた。

     

    伯父とかお年寄りは、はっきり言って表情が有る、感情が多い。愛しい気持ちと怒りがすっぽり手の平に入ってるらしい。こちらは巻かれるのが仕事となっている。

     

     

     

    兄が最近蛍光色を軽く持っているが、あれは明度が高い、と言う。仕組みなんて聞いたらあっさり教えて貰えるだろう。持つものが少なかった年数だとか。

    アッテル思考は羨ましいけど、真似をしたら自分は何ににもなれなくなるから。結果、よくわからないものを何となく積んでいてごちゃごちゃしてるが、これが要って、掃除機的なアイテムやフルモダンな家が却って要らなかった。

     

    こんな動画がある。https://youtube.com/shorts/U1kB8wfmt5c?feature=share

     

     

     

    怖ろしいおじいちゃんとキリスト教の若者の姿だが、自分が観ている演目のタイトルが「極東」と娘と韻を交わしていた。

     

     

    キャンパスでしかも油絵でいっぺん描いてみ、とすっぱく言っている。あれが上手いとか判るのだ。大地を千年続けTシャツを着ているアッテルの色彩感覚は、シャガールやマチス、パリコレを見ても分かるように手が届かないのだ。しかし、同じ時代に生まれてお揃いのようにTシャツが現に着れている。オーバーサイズで十分「こんにちは」を言えているから気に入ってる。そもそも着物は、昔は花魁でもないのにこんな風に街では鼻血が出るくらいの色めきがあった。https://www.google.com/search?q=%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E%E7%B5%B5&client=ms-android-zte&sxsrf=ALiCzsaQcjH7S68wwCSOoI3gHlUoEobWpA:1663682378234&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwjsubHpw6P6AhXMGaYKHUAqBR0Q_AUoAXoECAIQAw&biw=1121&bih=2002&dpr=3#imgrc=3a-aLm6ql-G_yMそんなものはくだらない、と戦後は蔵に消したという美徳だけが要ったらしい。騒がせてすまぬ、らしい。

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  • 天の養い

     

     

     

     

    前回の日記とは丸切り関係はないが、陶器の柄を見て繋がって行った話を発表したい。

    格調には気品があり、この言葉はともかく「格」の話になってくるとこれはもともとあなたの頭の上にある仏界の話なので、理解や集収は出来ないこととなっている。

     

     

     

    物事の理解は、

    「何となくわかる。」何となく、このぼんやりしている時間が大切でこのまま頑張って行くのである。

     

     

     

    十八代目中村勘三郎さんのお皿、これが欲しい。花だと思い、エを思うと歌舞伎の精(お皿の主という)にバウンドされてここに持って上がる。

     

     

     

     

    青花。

     

     

     

     

     

     

    青を青のままこれだけ書ききってる。と、思うと凄い。

    句がある、と先程の歌舞伎の精が言ってた。見物している。

     

     

     

     

     

    青花の、これまた繊細なものです。私の強さとは違います。

     

     

     

    そもそも今から「私たち」の話をしますが、釈迦ではなくどこかに格が降りていて陶器を教養として見つめることが困難です。

    この狭い中に汲々に押し込める桜をは可笑しさと彩色的な希望があります。毒にしかなっていないのは、ぼーっと口を開けて生きてるか単に力量がありません。

     

     

     

    私は目を悪くせず深い青を見つめます。

     

     

    私はこれが一番好きです。

     

     

     

     

    こうされたことを覚えてるけど、ぼんやり月の様に思い、気持ちが宥められるのです。

     

     

    ですからこれくらいを取り、取ったら取ったのこの風情を心の楽しみにして居ます。この色からそんな心が光って来てうっとりさせます。

     

     

     

     

     

    これらを全部括って

    親父の心をも咲かせておる詩的おじいちゃんが私たちにはいます。

     

     

     

     

     

    道頓堀の様に見え、あれを湖と説きます。貧しいのです。

     

     

     

     

    ほんならこうで良い、と「はは」は云います。

     

     

     

     

     

    それに続いた迷う歪みを描かれます。

     

     

     

     

     

    これらのお話でした。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    おじいちゃんしかこう持つ事は出来ません。

     

     

     

     

     

     

    「わい」らは覚えます。

     

     

     

     

     

     

    桃のこんな日でした。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 長期に渡るミステリーツアー

    彼が、大國主を殺していたとして、

     

     

     

    一角が、

     

    隠れるところを目掛けて

     

     

    勘違いして生まれて来てる

     

    から、ここに来るのが偶然じゃない。中国人が、「中国人〜」というような人も中にいる。到達していないのに、到達しています顔を平気で崩さない。

     

     

    自分たちが名乗ることはない

    (地平で単に仲良くしたくないと思ったから)

     

    詩的言葉として、中学でも三年馬鹿にされ、高校でも三年馬鹿にされ、大学でも三年馬鹿にされた。

     

    「馬鹿にされる」はっきり言葉になった。

     

    (高いもの盗りすぎて)

    気がつっぱって

     

    すっぱい汗(見た感じ)のやつら。

     

     

     

     

     

    こういった古い日本の陶器の欠片である。顔を見たら漫画でしか見たことのない驚きのブスだった。ムーよりコミカルだった。これは、何とも戦術の光だった仁徳はんの作った不思議なラビリンスである。

     

    (ムーは最初から自分を昔の偉い人だとしんじたまま仏の顔でもなんでも良さそうなものを精神力のなさ故に無意識的に力の限り盗んで来るので社会ではトントン拍子があり逃亡を達成したらそこから自惚れのほうが美味しくて精神力がない故に一度の反省もしないまま必ず帰らないから衰老するまで一見誰にもわからない。)

     

     

    一方、ある辺はヒーロー気質な人がある。話すだけで「私の毒」を抜くテントウ虫である。

     

     

    テントウ虫は、他人のあらゆるものを取らず、赤くなって慎ましくしている。秋祭りがあるのでそっちに息をせいている。

     

     

     

    そいつは、ムーより上くらい。前には邪魔があり、八方とは時間のことである。それを消して考えないから「無」という在るが表される。無がなにか高貴なものだと話して来た上で人が一度無格なら、マイナスの話を加えると世の中の闇である「人間失格」が明らかになる。このラインだけを説明すると、言葉の尻をはしょって社会生活をし、行き先が上下運動しか残っていない。「(優しい、面白い、高い)ウケる、自惚れれる」の2点張りがひたすら続く。定型文とした優しい、面白い、高い、に及ぶ肝心な思考が本人たちをよく見たら綺麗にない。自分だと思ってる間、それを食べたとこの道順、覚えた味を懸命に定型にしてあとは探すだけだ。

     

    ウケると自惚れれる、大人になってこんな二点張りの無成長な人を、私は受け入れない。

     

     

     

     

     

     

     

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