揶白 (KF)

絵画

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  • 「心の中」3

    「話の下り」何度でも使える!引用可!

     

    そばにいてムーで一向に苦労したのに、何も相手にしてくれず普通の顔をされる。

     

    メモると衝撃を低くする

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  • 「心の中」2

    「どっちでもええねん募金」

     

     

    皇室の本などを購入して、来た本が注文と異なり悪い言葉と思ってしまった時、

     

    注文をちゃんと返品して、

    「どっちでも良い」と言う。

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  • 「心の中」

    自信ホルダー

     

    (用途)心配事のしの字も嫌だ

     

    あまり集まらないのが長く持てて決め手!

    何か定番を起こしている人が、それを受けた人に何を得たのか聞く。

     

    使い方

     

    自信ホルダーやるから帰って

     

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  • 足しにならない

    昔、絵を描いてた友が悪魔だとして自分を宥めていたらムーと同系列のムというそのまま危ないムーはムーとは種類が違うがムーと呼べるだった。奥にお侍さんがいたのだ。

     

     

    美しさを裏で、ムーの様に裏でムーから「表現」させた詩を何度も読んだ

     

    「あなたは、これが書けますね」

     

    如来はそう仰った、

     

    わたくしは、アーティストがなんで空っぽなのですか

     

    ゴリ代のムーは絶対に出しません

     

    アイスいただきます

     

     

     

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  • ゴリ押しの自由

    きっかけは何でも良い。先が有るから、自分の探求に進むのだ。

     

     

    これは、ムーの事だと思っている。

     

    当然、ゴリ代もおる。ムーのカップルである。「思う」と自で思うなら、そう決めるのが美しい恰好。

     

     

    乱雑な詩が楽しい、と思っていた自分を見つめて、眼の前の人がまた、詩の方が伝えやすいのではないか?と、同じ目線に立つことが出来た。引っ張って行くテコとして、目指していた美術上で、キャンパスに何かを起こすその練習、デッサンに於いて頭の中で無意識を独自に感じていた。

     

     

     

     

    これは、何と仏語の無意識界と言う極みの言葉だと知ったのは後。

    それは、自分の顔(モデル)の光線、日が部屋に指すこの光の関わりで有る。一人の時の研究で、背景と対象の関係をこう正す為に自分の心の無意識まで取りに行っていた。

     

     

     

    この文章を読んで、どうしているのが自分か、どれが自分が、即ち自分という解釈は出来るだろうか?

     

    自他が良いと思った時のこの構造的な自我の奏でた、何か音のあるこういった偶然性が伝えたい場合に最も伸びる事、作品制作とは別に様々な博物館や土地ウォッチングをしている。自分が描きやすい描き方を春画、歌舞伎絵、こういった日本的なもの、つまり霊性を思っていたら、私がもともと一人っ子で夜の九時まで母が働きに出ていたので絵を描く時間が長かったのはたまたまであり、油絵のでかいキャンパスで絵を作っている時、筆を持ったら「一で百」知る自分がいるので人も同じだと思う。何で油絵って言ったら、洗うのが面倒くさいからと、生の色彩に触れるからである。仕来りがあるとして、零れた色の雫が、どこで溶けるんだとか思うんだと思う。これを固く言わないのは、間に自分で学べる箇所が多く存在し清くは言えなかった。目立ちたいだけでは勝手に顔が緩む世界。自分も緊張感してみたい。

     

    ある時、自を言わない事が凄い。そのスピードが早い。と、人に言ったら、スピード欲しかったらスニーカー買って走れ。と返ってきた。

     

     

     

    日展は、たんに練習量を見ている。こういった簡単に開けてくれない、それでいてあっと驚くものではない、腐っているのかと思う絵もある。佇まいが「無」だ。

     

     

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  • なくならないムーの理由

    工務的に言うが、

     

    人が拝んで上がって来るムーを見ている間に、

     

    人がムーの仕組みを覚えるのを手伝う。

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  • 勝手を身に付けて

    誰かと、仲良くなれるかを頭の中で細かく考えている。この大切な活動と、対面した場合は自分のメルヘンとは打って変わって正気をリードしてもらえるだろう。既に想像は自我を持ち破壊すべし敵が、この恐ろしい味方が、「客観性」だと見破いた色透かしなのだ。

     

     

    気には「心の人(補助霊といわれる)」と、「ハイヤーセルフ(アッテルなど降りてくることすら決める)」と、「守護霊(あなたは誰ですか、とそのまま高く聞いて行けること)」

     

    丹波哲郎の霊界探偵や、江原啓之のスピリット霊界本を、高校時代激しく読んで興奮していたので友達には拒否られていた。

     

    次に、これは剣道の腰の入りを応用するが、進めるこれを足よりも腰を前に立てるイメージで、

     

    人と仲良くなる入りは、親しく思うことと顔の見えない相手だと言うことを同時に持つ、瞑想したりメモったりしてすっかりしていること。愛しさを発散するおじいちゃんと「心の中」で怒鳴り合う。人と人には軽い憤りが必ず有ると、信じていることだ。

     

    詩的なことから言葉が独立して、「知る」などの一語がこんなに進歩して、美しい。水っぽく干渉しないのが都会の性格だ。個人は一蘭ラーメンのように区切られ、丹味して、話すことも出来る。仕事中心なので干渉しない。それが本当であるから芯から冷たく、死ぬほど悩んでいたが、水や川が力だと知ってからはすっかり頬を薔薇色に変えピチピチと、断ったり受け入れたり、傷付くとかよりも水を跳ねて泳ぐことを思い出した。そんな動きを動きとして受け入れる事が出来た。

    「鬱」が逆に字で、心に支えさえ有れば精神的な強壮を得ることをメンヘラ精神が流行ることから理解している。何をしていたのかというと、こう書いていても頭の動かし方は工務で、新しいボルトクッションなどを楽しんだり、街に客観性が有り、街が客観的な気が強いのだと新しい発見をして自己を探求している。よく見渡せば、物凄いスピードで人が趣旨選択をする。

    これが「街」のイメージとして、10分110円で借りれるチャリだが、

     

    ルールが街を含むがルールの前に街が有ると、前に論証した事があり面白い発見となっている。

     

     

    おじいちゃんは都会人を下に見ている。しかし、おじいちゃんは冒険家なのだ。

     

     

    自分の市には、何で街が出来ないんだろう?

     

    次にするアプローチがこうだ。

     

    郷土史は、図書館に有るのだが参照すれば地道な事だから自分自身の興味を引き出す事が出来る。自分の性格がわかり、必ず理由が見つかる。

     

    私がもともと瓦を作る、という地味な町の出身なので悟りの有る話はここまで。

     

     

     

    空白におばあちゃんがちゃんと世間的に私から距離を置いて、がっつりおじいちゃんといるのがわかるだろう。計り知れない何か力が、自分の足腰に有る。

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