1万8000人の登録クリエイターからお気に入りの作家を検索することができます。
2025/03/16
生きてるから
“私の世界感”は重要です
汚いと綺麗は逆を向いてはいけないし
好きと嫌いは同じの方へ
あなたは過去、今日、明日はいらない
と生きましたが
今、昨日の自分を覚えていますか?
そしていつか自分を愛せる日
見守るように
あなたの身体は自分を高めるのだと知るうちに
外部、対比、対象を持つでしょう
こうした比較という難字ですが
心の扉を進むうちに、棘を
育てるは、柔らげると変わることもないと
如く
言葉を持つようになります
一日一日、大切に
飛ばして行くと、客観的なこころも伴って
客観性にもなり成長したときは「花」がわかる
のと
思います
これは何がなくても、純粋な鏡という
もののふの、ようは侍の追求です
昨日「いなかった」人を今日持ち越すこともなく
真っさらな自分を目指した失敗もあるけど
昨日を殺すような断煙のうちに
打ち消される日々にたいして、自分にたいして
能力は低下し
その人間は
その辺にないものを探しつつ
その辺のものに気を窶します
その辺の人ならば、それで良い
ただ人間はその辺にいないから
服が破れたらワッペンを買って
アイロンを駆ける
それを本当に美しい、と考え
歩み続けるそこに
嘘の無い歩数を現す
「私」を現すのは
他人ではない
他人は花びらのように
空虚という字を背負い
対して私だけは、、
重い地球を抱えるぞ
人恋しさを気張り
「引くと取る、が、どうして同じじゃない」
これは昨日と寸分も変わらぬ深呼吸をし、
大きくなったのよ、を
天へ知らしめる
需要と供給、という資本論は
需要とは、学生時の社会認識で
供給とは、今のこの力
すると、膨らみ過ぎたり、
はみ出したら、
嫌われる
何かを得ることとは、
静かに佇み続ける心には億劫もない
この感じがとても好きなんだから
きらきらの漫画みたいで
涼しいし
存在するかしないか、わからない程が
黄金比なのだ
ログインするとコメントを投稿できます。
2025/03/15
ブログはコピー、転載可なのでご自由に。
注意点は、大屋彦(コロナ)を天常立之神と自分で線をふってみましょう。解りやすいです。
変更のわかりやすさと、歴史の知ることでした。
ログインするとコメントを投稿できます。
2025/03/15
心は彫刻像のように複雑でなければ、シンプルも合点がゆかない
脳という答は肉体にたいする未消化があり、脳よりも想像が上にあり想像には時間が予め加わる
心は、感情も理性も行動も考えも、そう言うからわからないそもそものである
想像は色々どう違うか?
想像は、相手がいて、思うと書く、妄想は、感情を失うと書く
人の間が人の間である美しさを光に見る
了解がいらない
外敵視認もあるようですぐ失う
(守護神)
あるのは体と想像
つまらないが「ここ」は私だけ
たまに悪霊がしている妄想が流れ
緩和する心配が溢れて調子に取れる光の情報だけを上手く刳り取る
悪霊のその中に時折り「私と人間」を見つけてくれたら
・生きてる以上は構えない
セカイは後、セカイは全て外にあり!
⋯守護神に理解してもらうとこです
感知してしまった悪い光跡も、物を大切に思っている感謝する気持ちが、ないことにする力であり、
あることがあり、ないことがないから、白く輝くのだ
故に、意識は太陽であり、質は無垢で水のようで
実の気持ちとして側にあるのだから気付いてあげなきゃ
有意識までせずただ見るこということ
天霊は繊細だから
自覚に負けず本懐に全うする
上手さに每日每日近付けば、
「何があっても」、人が言葉に触れてみれたことを
喜ばないわけもなく
道力をたしかめ
現実に応える勇気が、悪いことを悪いと分かる
自分を知るうちに、違和感をあらわす影の様にそのシルエットをくっきりさせ
何事もない
他愛ないものを放置すれば良くなり
これば自分だけが人じゃないからだ
パーソナルスペース
迷い込む悪霊に気付いたら、好きだよ、と仏様に唱えて受けた安心で、ちゃんと
心も想像も、早く道に帰らせる術は
手間がいる
その工夫は、自己の理想の明るさ
自己がこれへ合わせるにはその間からを考える
知る程に
自己一つ、という手間は
全てを知る
その意識の説明さえする早さは
馬鹿に出来ないビフォーアフター
やってしまったらそこで終わりどころか、始まってもいない
これが霊界の良さだと、本当に思って貰わなければ困る
我が身の知るとこだろう
その安心こそだけが供養
楽しさこそが、供養
ちょうど、漫画を読んだり演劇を観る
生きてる人は呼吸が、下手だ
やってしまったらそこで終わりどころか、始まってもいない
水や月に
慣れたらすぐわかり、明るくなる
心自体変わらないから
一生懸命、現実的にいてほしい
そこにしか天霊も守護霊もいない
そこにある苦しみは、未来の霊界にたいしても自分にたいしても、
本当に優しい
こうした光を知ってるだろう
イメージがこう
忘れられれる精神力があっても、
いざと言う時、何か伝えられなかったら?
何か、良い光はあるけど厳しい、みんな一生懸命種種分別している
土地の守備とか、理由を汲む
誰かが、人間、結局関わる仏界的知識を
遠目でみて要るから
真面目に考えられる人が多く
風により紐解く
それが“偶然”の為に
そういう知識の日が私素材を通して沢山籠に詰めるように、と
「大神」
心の里帰り
人は人を純粋に心配するから、心配した人が私だった
あなたがほっつき歩いてたらこっちに来るやんか、は、自分は面倒くさいから人間的距離感でもコロナのことだと思う、けど、その問題。人間とは違う。
自分のパーソナルスペースに違いないから感情を自我意識の限り、自分のものにしてしまおうと。そのまま気にせず自分の心にセーフをかけることが身一つで出来る。誠ならば天にも連れられ全て御縁のもの、という言葉と均等な蝶と太陽の想像そのものは失せることもなく、もともと選べないくじ運からは、更なる方位の術を焚き、運に干渉せずそのまま変わらない自分のこと、こう肩の力を抜いて始める。差は、差を取ることでプラスを取るという教えからは思い切って任せる、思い切って暮らす。こういった老心の行動、心の行動だけは心だから残るぞ。人間の人生はこの戸締まり。
人間が善意を測らないから、自分に神を存在させるのは自分しかいなく、わりとも心とは共通しても共同でもないこの理屈は何にでも良く役立つ知識である。目途は、魂とゆってみてもそれは魂で、言語が存在する以上、異るのだという注意を自信にしていた。
天霊とは、
現代人は、膨大な趣旨選択を日々行っていて細かい考えが早い、これが如何に繊細に表せられるかということで、あとノートがあり纏めれる。
さほど特別ではないとわかり安心する。自分の優しさや負けず嫌いに加えて更に知識がある、ような感じ。目で見てない間は、無意識でも“それ”は人で同じだと言っている自分に気付ける。その時に、普段やっていた繊細な理解を現実的にすることで、霊界も現実もモラル感は変わらないのだ、と知りに行き、自分の怪しい箇所をしまう。人間でも、さほど他人のことを気にしていないし被害者意識もないが、哲学をするのである。
湖でも、闇の湖では
暗黙の了解であるから、間隔的に敬意を感知しても破ったまま見過ごすと、笑ってその死を見過ごすことに深い意味がある。
心の中の間隔なんてまして言えなくて
その深度が思ったよりも存在することを
守ってもらってないからお前は悪霊だ、といちゃもんをゆわれつつ、
未来の顔を確認すれば
悪霊を気にしても、
行っても行ってもテレビ画面に目を密着さしてしまったようにして対象は実は目以上に既に動いておらず、奥行きも生じることはない、次にも進まない。気配はこちらを心配する神がいて、悪霊も然たれば同時に存在し、それは平面といおうがそういう次元的なこと自体から仏様の工程的に放り出されている最中の様子である。“やる事”の合間に見える釈迦の七日、三十三間は、光のヒントでもある。京都御所虚空蔵の三十三間堂は現実にあり、実際にわけがある意味や、ほぼ白目の虚空蔵菩薩を見ることも出来る。
行っても行っても自分なら、その人は上のひと、という善霊になる。
人間パソコンにしても、心はパソコンじゃないから記憶は瞬時に直る。
シャワーの線から、故意は、余計なものは、地底へその運気の下降する様子と
宇宙へ行くが似ている
「コロナ禍」という一大テーマのアイデアコンパクト
気力の質が違うから、増して霊性の様な高みの中で、気力の相性が悪い
これが起こったのは問題の発見として分け隔てがつき有り難い。
エモーション、感情の歪みとは、エモーショナルというシステムのボタン音声に過ぎす見過ごせることであるのは、時間に耐えるのだという意味の心とは異なり満たないことを良くわかるだろう。
ログインするとコメントを投稿できます。
2025/03/15
芸術の話では、言葉の絡まりを説く。中に心の感情や、自己のうちだけにある奥行きへと問題は話される。自意識と間隔がゆかないことを見つけた。
感情の言語に、汚いは綺麗という。これに錯乱しているようにしか見えない。派遣で飛んだバイト人の空っぽの部屋を職務の恋人と掃除して片付けたことがある。その人は、布団をめくって素手で埃を取っていた。聞くと、「何で僕がこれを片付けなければいけないのか!」口は突いてもにこにこ笑顔だった。
仕事先を決めるのも、自分の身体性に従う。自分の感性を大体取って向くと良い人がいる。
技巧の曲、ヒップホップでは、声の大事さ、セイ、ウォー、も片目で答えることが多い。
人の名を取るほど欲深くないが、自意識の問題に取り組んだことはない。
芸術でも量の多い話になると、
言葉を独りで考えることに心を躍らせること
目はちゃんと隠れていることが世界の証である
老人と話すまでは間隔とは、どうしても解けない
老人と話した
良いこと、バランスを知った
また彼が成長中であること
自分は自意識の悪質を考え繊細に気を配っていたこと
心の跳躍が激しい人もいる
心は病気こそしなくて、理解で済むが
本当に事故を起こして怪我をしている場合もある
ストレスは、精神力にたいしてアプローチはするけれど、声を当てれば、心の揉み込みがそれが同じ強度で骨折と同じ数カ月で、治る。だから、患者も人間の深遠に共生して勝手に癒える。上辺の心ないストレスの感情ではない心のものであるから伝わり、伝わる錯誤の自分が生むストレスはそのまま心の治療である。わからないから、治った時に患部自体があったことに気付く。何回もいうが声未満の肉体的な攻撃は違うが自分が心で声以上に移動して見れば実体を見つける戦時中の霊だとわかって成仏しても、癒えないなら傷があるので神仏と近くの警察署の前で関わりの早い病院を天霊に聞くか水間観音にみちびかれるのも優しい。
こう生きたことを経て何が無しでも時間や感謝の方が増すから心は間隔を変えれない
緩やかな山では、自己に自分がスポットライトを当てる、心楽しさを純粋な思いと既に説いている。人間の情緒の発生をそれ自体こそそのまま理性と読むからだ。
行動的に思うことの口をけっして背後には思わない。武士道でそうあってみる、背中とはそういう耐性や生き方の考えを自己に柔らかめて押さえる水なのだから。
神業は、見えないくせに、時間失きものを浮かばせ、さらにお祈りをする。
自分に教えてくれた大霊といて、
そして自分の技術を磨きを邁進している。
ログインするとコメントを投稿できます。
2025/03/14
とても楽しいことを見つけると、西欧でも芸術家は一度隠すそうだ。
私のことばは鋭いが、
椎名林檎ばりの短調的な羅列は、“自分”に置き換えると本当は、愛しているよ、や、私は出来ないけど君は凄いよ、こういった天照系譜かも知れない。自分の“希望”にたいして真面目に合わせて行くことだ。心を漏らさず全て認めて言い切るには10年以上かかる。
「ほっといてよ」と言いたい時に、如何に自分にたいして適っているか
私は、実際絵画に触れた頃に自分の執念から言葉を身体性だと突き止め思った。日本は美術はあっても芸術は民的だから普遍としての実感数値と同じ様になかった。線を安全に破壊して行くこと、尚且つ行く先の幸を祈る、心の拡大まで。これをキャンパスに吐くなら、それらを網羅し美術表現出来ていても、ほどよいその心の表現にまでは満ちていないから足が向かなかったのだ。
絵の具を触ってもにさえ「言葉」がある。挙げ句、そこにミチが憚っている。素材は何が良いか? 聞くことは、アートを前提にした民間のそのことでしょう。
線の安全な破壊はもう完了していて、形ならば、どうなるのだろう?これは、私はどうなるのだろう?という作品である、これをちゃんとした落書きと言って、作品と言わないことは、出来るのだろうか?
一人の人間と、民、という間に成長がある。
そして、表現の場が、画面という紙なのか、対社会なのか、対人なのか
ことばと自分に間隔があり、適した距離感があり、自分にリズムがあり、ことばを知る前の自分にこそリズムがあり、それが言葉だということ。
自意識にたいして、ちゃんと気にして自分を見つめることが出来ているだろうか?
自分が、「良い」と思うこと
全てマインドだから激しく美しい、追求甲斐もある、良いと思い前向きになったから言ったことそう理由がある。それを知る自分に「自我」という哲学なる言葉、これを思える自意識に、自分を見つけるならば、ぴったりとして世間と亀裂を生まない。理性を重んじることから、私が“3番”だと判る。
自分以上の文化に触れてみて、案外にも歌が蔓延っているのだと天は光り、どうするかわからない自分を許していくという広大な霊を見て「信仰」を知るが宗教に関連していない事等である。また、宗は、ある程一定的に古いことを条件とし、名も「しまり」と読むから藩と同じく日本では縄文語の方である。もっと昔から始まる教えたいこと、伝えたい土地のことの勉強法、それらはもはや「私」でないという天声の驚きまでをいつまでも鳴り響かせようという運動だったよ、等の澄み切った声である。
そもそも言葉は長く、ギリシャか西洋哲学では、話し言葉と書き言葉は違う、という意味を一言で話す言語があり「エクリチュール」と言う。
若い時は、ことばに出会うと感動や興奮で怖くなるが、これはそれ程客観的にも心配ではない
いう言葉と自分の嵩が、等しく同じ背丈だから良いのであり、その「言ってみたいこと」は、これからももっと自分が詰まった時に言えるかもしれないので理想として置いておく。オーバーしたら、十分怖がっても良いだろう。
人間は、言葉を知らなければいけないよう。
CHARAさんの曲を突き詰めて悩んだ時に聴くが、いきなりCHARAを覚えず、もっとポップスを歌えるような自分の言葉へ気付けることから知りなさい。勿論、着物衣も複雑でこういう風に光るんだという塩梅と、集中して現に明るさのみを聞き取れること、何らかの知性でこういった空間性がある。「決まらない境界線、、なんか踏んで行け!」という要は対人関係の励みの如く、現実の日々で奮い立つ自分が大切なんだ。
ログインするとコメントを投稿できます。
2025/03/13
曰く、
考えると天は、
蟲ーには、その良き天霊を自分にたいして見つける
上はエリートの霊
発見したものは、ホテルマンの「エクスキューズミー」という良い躾で、甘さをひとりじめした
コロナ(蟲ー)だが、自分がゆってしまうと、周りが脅されるかもしれない
(今いえること増えた「誤が正だからだ」)
余計なこと、人を騙すこと、
またその装い、相貌、人の憧れを踏み躙り、己とする
“良い躾”と、捉えるとその天霊への道筋は光る
鈴虫なら、音楽だからサボテン
道尊なら、すべては漢字で一つと決まっている。友達と解決して、自分の事いじょう気にすることはない、
と出来るだけ教える、自分のタイミングで出来るだけ伝える
海波が、また「水」ではない
というような、
土着性により、自分の全ての性格であり、
文化により、自分を超えるものを知る
土はまたその温度、広さを図る
五行は、ただ水、土、火、ではない
それがそれではない
元となる
自分の簡単な言葉が一番広範囲で一番遠くへ向かう
「自分」の定義がわかり難い
いくら小さな言葉でも、それを繰り返し
大きな言葉に耐える精神を養うのが
每日である
古式が、何故甘そうなのかというと、
それにたいする努力の時間の長さ
これのみを現す
サンドマンアッテルは、
自分が目的としている知であるのに、自己を嘲りレベルを低く見た
頑張りの波を持ち帰り受け取って欲しい
心から心へこれだけの通学路
帰り道も己己で、
行き道も変えるかも知れない
若し、海岸という学校に
砂があり、土としての海があり、
海が土なら、水とは
これを見て、また通る人間だ
という時の、反発する全てのワードを抱き抱え
心から手足をもっと動かし生やし
泡の白さと毳ほど言葉を温め、手足を動かし
泳ぎ切るのである
海だけは、間近でみると思いよりも結構大きい
これを
触ってみるものがなかったら
道尊の話が最も大切だが、この声量が私の極度であるその意味を知りたい
こうして「禊」という言語の理解を行うほ
ログインするとコメントを投稿できます。
2025/03/07
私はまた細くなって生きるだろう
しかし、顔ばかりはしっかりとして
心に夢を描いている
何故なら道場とは決まって社会であり世間なのであるから
基の大切さ
人たらん調和こそ感性、そして
基が何か知るものはいない
基は基本の字、基本のこと
道義では、初めの基本所法は必ずで、
かつて、基本しかしない者がトップを得たという噂もある
一で一を取る
相手の無い世界とは?
竹の刀は鏡でありいつも自分を映すから
行ったら戻らなければいけない
そして、一番早く立ち返り前を向く
自分が映る
剣先は出来るだけ視線空彼方に祈りを込めて
構うものなく前に体重を任せる
走る
後足も前足とぴったりついている
残心とは、その心を残すこと
最後の毛先まで気を回し
気配に伝わる真剣さは気迫になるだろう
これが必要なのだ、と「何者」かは
言っていた
今こそスピードを上げても良い
自分を知りたい
この気持ち
この楽しさ
ただ、私は空手をしたかったのだ、
と後で気付いた
誰にでも開くことの出来る憲法。
鏡に憧れる自然やこの単純な人思いの純粋な法心と、心の服と、または形の可能事に向ける
足すやプラス、とwith このLetterCulture、Lettelture、今の道の世界地図はこの様子。本当は。本当に。本当とはインスピ。インスピは本当。でもいつも本当じゃないのは心のめくるめくは波の様子、これが本当。いつも本当を持ってはいるが、表明も表現もないのも本当。これぞ。インスピを太くするために要品は必須なのだとか。直訳するとインポータントブックと知るのも初めて。
https://youtu.be/RFYP-tY6xOg?si=j4X1hN0Ht7h6VXqd
「らんま」私の感動していた著者ではない原作者は蟲ーコロナ。
防具一筋を考える。忍者もまた黒スグリの一本道だろう。死に近いと言えし、ただ人思う一心こそは生きることで、私は即ち頭をスキンにし清さをまたレベルアップさせる、といくら投じてもカラフルな古着を纏わせ考え尽くすようなそれは雑念に似て非なる、自分にとってを考える眼なのであった。これが、上手くても下手でも清さを言いたい心に残った。何故かさえ解る。外見こそ内観であり主な客観性だという主題を叶えることに敵はいない。いくら求め投じることに現れた仏様のこの回答を繋げる自分としてがまんま解答の言葉になる事なのだ。仏が存在出来るのは私の望みの一心であった。それは、憧憬こそ神であり「わたし」が注目する衣という生活とは?この謎に直る自分の心のこと。下手でも上手くても変わらない。無、仏様と等しければ、完成させるのは君自身のことだと言わんばかりか私の望みを残して向けた。あなたが我唯一、わたしがたらしめん、異口同音、私は人だ、人間だ、辛いことを抱き抱える、言い直せればわたしはたらしめん。どうだ。人だ、とそれである、仏と同じ口で望むことはそれである。一期一会。直ってから、私と忍者と比べる、文化背景や身を足して比較という言葉、芸術の考えである。「自分」とどう違うのか?に行き当たる。私には楽しさの前にスポーツがある。それは、一色ではない、を、己の目が確かめることであるぞ。ここまで来るといくら張り者でもお伊勢さんもやっとうんと言うだろう。猿田彦神太閤殿、一人が神とは必ず一文字で言えず、この日本を丸々渡すことである。侍から伝えられ道順の方法を伝授して頂いたからこの出来る限り長い道へどさっと身を倒れ込ませる。目的はそして伝える者へと万人が成る為、その一つが日本国籍の条件だ。更に、国籍という空の構想から実感へと誘い(伊邪那岐、伊邪那美、といい合わせて「君」という始まり)強く、そして哲学深いのである、随時水星にしがみつくことから原理に変わるただ地球へと。この手を動かす。平和は既に勝ち取っていることを知らなければいけない。それこそが、未知なのだ。ことばにすることのナンセンスからこれを解るのであるから。
ログインするとコメントを投稿できます。
2025/03/07
国も知らない
相手が誰かもわからない
相手も同じで良いと思う
二人だと言ってるのに、自分だけの世界(フレルナ)
国を知らない
相手が誰かもわからない
十分わかった
耐えることが気持ち
耐性、地球に住む等
仏、要点
視界はあったが、辺こういった
内面的なものはなかった
(こうなりたい、強い気持ちを持つ偶然ではないか)
会いたい理由の真実
一つの真実は
時間に従い
鞄を普通は置いておく
早く鞄を持つことが出来た人が
支えの役割り
自ら自然になる心構え
鞄の中はそれ
誰しもが美しいと思う心構え
心構えが、あっただろうか?
自ら自然になる
この心
しかもその、構え
これがあっただろうか?
耐性、機械の耐性じゃない
その内面は、耐えるテクニック、テクノロジー
は、
語感からシステムである為、説明書がいる
アナログのガス、付ける、回す、
こうしたことを感じることが、大切
しかし
とても難しい、と言っている
これを行う技術が、なんとある
それが、構え
人には仏がいて心の内面に込むと仏間になる
鏡があり、伝わる意味が逆
嫌なら、好感を持っていて
良いなら、悪い
物ということで、格式があり
逆の理解も形を纏って硬い、高い
こういったことを構えではどうなるか?
人を人たらしめる、四神の言葉。尊重されるべき自分、前後がある、生きている厚み。
気分の落ち込み。
明かりが激しい。ポテンシャルが変になる。
世尊、神との対話のタイミング。そればかりはわからないから。
問題の頭が、どこもみんなコロナだった。ついて行く、や、高所に避難する、が大切だった。高所…ビルや金高さ。月の向こうではない。
祈りは、仕事ではない、仏仕事、業、それらではない
神事、この言葉の理解が上手く伝わる
勤めにより、学を科学に起こし、歴史を勉強している
900円をコンビニで引き出すには、100円入れて1000円になる
人の神の形が異る
上記の言葉は、かつて憧れた言い方
法に宿るが、たとえ目からでも
練習するのも良し
ログインするとコメントを投稿できます。
2025/02/22
kye is
I am ok sometime“ I'm confused” is true.
no Touch and no in to “pasonal space”
were cordiality air and body.
ThIs first. Most inpatient things the 1 when problems.
In to you came there rules is limited world.
body is only word "that for me" from oldest , This is even the tips of hair and the direction of it, and fight of all dose one.
also, I images at limit and keep before to front for dosent leauve , doing open my eyes,
ather say 「body」 is its
athers and athers front too with it not change is there no for me and Body in athers all from long ago to. I see Most recent "others" for the first time.
it to gone is he take life first with this all. for dont know
ログインするとコメントを投稿できます。
2025/02/22
i memories there is smile
there is fine
there can feeling for
but there can moral
coronas
when i human
is
then
where
Is this?
「This」catch and Through
in my mind.
it I do thank for
ask and talk is have to ran I about it .
there is smile
there is fine
there is tims it is coronas the end
God is
Say Is this?
I say to you
its one by one.
is I am 0 equal god is 0
god irs not angry is god ?
smile and kind becouse god.
than, what is this?
for
i am people
people is I can speak,
now when people is god
god is more before to because.
Is I say, hey I'm sorry
And I ask
human is god?
So this Do have be free
and be not score.
is ,
at little by little .
This we are understand it now
is human .
because".
Is your there found to you luck
Start was between to you is But
are changes Era
Heven luck your's are all around times, and there
I can live
to no change is we think before it this,
live is longer
longer is big things is same human and people
dose no leave to mind, my times,
this not changes to
future for my eyes
change and try
last war is my life.
too .
because what to do you found something, something is I
but is your true think, not
its 「something」. because for lucky I was in day, and time
this is most no changes the thing for never never thinkings.
Please say Miroku
Due to confusion
due to corona etc.
correct the direction
There is also frome in the sentence. When these are connected, it becomes a sentence, and here we get an expression of the time axis. It means that it becomes the power of the mind. As you approach, look in the opposite direction. ``Speak'' straight with your eyes
(I don't know whether to speak or chant. I will still try to speak from my heart in order to find it.)
369 he says name or
free come free.
ThIs God is from yesterday.
Gods who jump and have fun are made into gods. Maitreya is also said to be the last god, as the chanting starts with the vocalization. Also, although there are axes such as directions, it is also a good idea to write down the actual meaning for you in a notebook from the name and its main sentence.
What is predetermined requires no judgment. Because of this spirit, there are languages that celebrate the language and also use the word ``judgment'' as their main language to express self-mocking self-awareness.
ログインするとコメントを投稿できます。