揶白 (KF)

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  • いつ訪れるか光界隈


     

     

    センパイ

     

    男子

     

     

    時間、自分、心を束ね、有るとし「無」と書く。

     

    無の世界は、説明を求める事ものが無い、有滅不滅。空「クー」だ。

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  • 生活の向上

    美術と芸術の違うと言う、私は、

     

     

    アーティストとしては侍、

     

     

    表現したくない

     

     

     

    これが私のテーマです

     

     

    美術家は、表現性があるのだと思う、

     

     

     

    だから、会話としての人間に美があると思う私とすれば、喋っているは表現になる。自分、私の美術家。

     

     

    私の芸術家は、ただただ積み重ね見つめるもの、その想像の集中力をブレさせない

     

    その研磨に特化した目的が濁れば描く意味がない。断定して舌は噛みきっている。

     

     

     

    一難、一波が終わって、緊急のことばの意味がわかり、臨時のこの時を知った今

     

    早く漫画や絵を描きたい。

     

     

     

    先に時間がある、その中でいつもの様に光とやりたい。順序が合えば、それは見違える。

     

     

    本質的に、本来身軽に思えた想像と、ただ星を巡って話しを聞くだけの能力をはやく取り戻して欲しい。

     

     

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  • ヴェニスの商人

    Tシャツを持ってた

     

    「良い言い方」…

    東海道中四谷怪談より、

    ・殺すのは民谷伊右衛門なり。ソウキセイによって本懐を遂げてくだされ

     

    私が目立ちをする。早起精、早期生、草木性、草寄生、ソウキセイによって本望を叶えてくださいよ!!

     

     

    ・瀬を早み岩に急かる瀧川の割れても末に逢わんとぞ思う

     

    早くこの岩に来て下さい、龍が割れたとしてもあなたに会う、逢う。

     

     

    きょうは七夕、と人とも違う気軽さで笑う。

     

    妖怪水もらい、人のプー♪人のプー♪まるまる太った可愛いおっさん、チッチキチー、銭亀美容外科、ラーメン、ひつじや思ったらカリフラワー、道徳1(五段階成績)、お母さんのお墓アイスの棒、みみずくのほーちゃん

     

    →愛想 自己範疇で諦める行動、結果は自己を濃くする、血を濃くすると同義。

     

    人間の本質に変わりない

     

     

     

    こんな表現がしたい、こんな表現が心木の中にある。

     

     

    所詮、決めた態度は自分の外側から客観視的「眼」の立ち位置とは、仏語の中心を示す自から躱され、その足されない自分からのつぎはぎを引っぱってくるような「わたし」と言うからには、わたしとして自己確立を成したこと、アイデンティティーそのもののこの言葉、を更に伝達しようとする声たち、以っては怒り狂うのだ。

     

     

    目から通じる理想は、こういうリズム、無私、夢、

    いくら思い描いてみても、

     

     

    それは、身を描いてコミュニケーションや人の中で生きる姿勢の密接な自己との関わりを伝える、抵抗や厚みのある声とは全く異なってそうならないのだ。想像する、という言語に満たない。

    間に噛ますメタにならない。

     

    自分は何で需要に先に気付いたのか

     

     

    需要がなければ供給しようとはしない

     

     

    「銀行員」は退廃思想である

     

    人が求める需要の質は時代を越えても変わらない

     

     

    仮名に銀行員、誰かに使われなくて声量を上げていくのと、未知な使い方としてのこういった接点がないことである。

     

     

     

     

     

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  • 風を信じている

    「私を」、私一人を団体で守るわけがない。人を守る気持ちは当たり前だが、

     

     

    自分で生きていくんだ、が必要。そこで自力を学んでる人も多い。

     

     

    介護料金、弁償代金、そのことばかり考えて忘れず思っていたい。

     

     

    しかし、我慢している。我慢しすぎたから、我慢しなきゃならないとなんとか言って、ゆるせている。

     

     

     

    見る、という言葉が良く、簡単な言葉を、

     

     

     

     

    難関校の再挑戦だ、と意気を奮闘させ、理解に世界で励んでいる。

     

     

     

     

    死世界は、もともと長いものだから放っておこう。仏が回している。神仏に、ねほりはほり聞いてそれでちゃんと了解をもらわなければいけない。結果が悪くても話さないといけない。

    長く続いている私等はそうしている人。私は予習係だ。

     

     

    霊界に佇むと、正しいと思う道でも、さらなる山があって思いの不明な神がいる。

     

    そこで修行をする感じだ。心の中の城、と釈迦無二はいった。

     

     

     

    蟲ーはカタチや動き、行動や形はない。

     

    それがどれだけ大きく見えたとしても、一体は何か、長くとも突き進めると良い。

     

     

    前回の日女を、「悪事それを知っている」という言葉だが、全てをみなすと、本人が忘れられ流れて行ってしまう。

     

     

    そこを理解し貫く菩薩というものの姿が見え、仏はそんなに偉い人だったんだなぁ、と話した。

     

     

     

    こういう楽しいたのしい理解があって、

     

     

     

     

    ままま、良っか。

     

     

    と、余計なごちゃごちゃが逸らせてみな心が故郷に帰った。本当に理想的な村人に心はなっていた。波長が高くなった。

     

     

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  • 霊界の母が蟲ーみたいにきもい

    仏と話す、が、溜まった闇を祓う、業を支払う、となっている。

     

    霊界には、神や罪、罰の名前が鎮まっている。死世界だからだ。

     

     

    母の国は伏せるが和という。

     

    して、日女 半盗み、

     

    私の業…これを罰名を押さえる→自分の仏のしごとのこと、妙真…ハナサズは自分からもっと下

     

    大穴無遅、霊感はもっと早く気付かれた事らしい

     

    罰名と大穴無遅を足し、差に残る徳と、これから業と罰名を足した統計は、本人の業を祈るとなるに決まっている。

     

    昔からは、悪い人はワルイヒトとすぐならずわるい人と一度はっきり決まって顔を見知り、ピチピチわけもなく暮らす元気が機能していた。そういう元気が心にはある、と言う。

     

    権助(ごんすけ)って百姓もしたことがあるんだよ!自分の失敗で、人の大事なものを奪ってしまった人…。

     

     

    こういった面白さの人にあることを、歌舞伎の演芸美術や、さらに大韓民国の躍りや芸術で知っていた、

     

    豊かな味などを忘れないようにしようとしている。

     

     

    悲しみを作らないように注意しても、生きてる証拠。死世界は清いから、証拠がないと帰れないのかもな。

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  • 大阪城に、遊びにおいで😏

     

    信じて来たもの、信じているもの。太閤を感じてみる。

     

     

     

    ・赤い花、くまんばち

     

    虎だと思ったら刺されただけ、みたいになる

     

    どうにか受け流す

     

    ・鹿、熊

     

    かわいいと思ったら、危険がわからないと怖がられる

    狂信的オタクの相談なら話して見てください

     

    ・いぬ、侍

     

    拙者、ただのエロいおっさんです

     

     

     

    いつもどやす怖い人が自己の輪で怒られてると和やかである。

     

     

    タイトルは絵文字も漢字

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  • 供養は、自分の向上を含む

    蟲ーの立ち止まりから危険な摩擦が生じている。

     

     

    霊界 作った社会はだめ

     

    社会は、子供のときから家族が初めて社会となるよう家は一生する成長の大事

     

    社会は元からあるもの、出来て成り立ちのもの、作っちゃだめ、他人を混合してはだめ、霊界はもっとだめ、人の休むところだから

     

    はなす、と言って拝んだり、拝んであげたり、天や神仏を目に触れさしたりして滴々穿石(てきてきせんせき)、一日ひとつ磨ける石のように、少しずつ祈りがわかれば無券でもいける

     

     


    ★今、あるものだけで知れ

     

    解れ

     

     

    物から可能性のすきを思ってみても、好きな物なら、物自体それを愛しやつす。

     

    大切という字は逆に欠点を見つける。

     

     

     

    力にたいして、何事かの羅列は良識により一目瞭然、一掃出来るかも。

     

     

     

    一掃、を目指す!

     

    一掃の力。

     

     

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  • 稲荷様

     

    「ぼく」は、

     

     

    自分、と同じように

     

    なにかあると勘違いされたが最後。

     

     

    がんばりすぎるほどがんばったそれにしては

     

     

    万人の「私」は、これだけもつ嘘か、すごいなと思う。

     

     

    思ったより人間はやさしく間違いやすく

     

     

    思ったより動物は優しく

     

     

    思ったより地球は深い

     

     

    深さを示唆する道徳が、学問が既にあるからだ。

     

     

    稲荷神社とあって、各地にある。狐が門にいるが、

     

     

    迂闊に拝んだりしてはいけない手を出してはいけない、

     

     

    と伝えられる。

     

     

     

    動物の神様だろう、恐らく。

     

     

     

     

     

     

    「ぼくは、神様の難しさをしりたい」それからわかったことがある。

     

     

    「会話」が出来る、というのが、コミュニケーションてして初めてで、動物の俺は嬉しい、とそう聞いた。

     

     

    狐も狸も、騙す、化ける、化かせる、という性格の伝承がある。稲荷が神なら、総じて、目を黒くしてしっかりする必要がある。

     

     

     

    赤いきつねとみどりの狸は、昔から馴染んでいる。

     

    どちら側にしても、嬉しい、という基本を忘れないように。

     

    生き方については、ジブリ「平成たぬき合戦ぽんぽこ」が参考に。自然と街の共存を人は強く悩んでいた。

     

     

     

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  • 月の三十三間堂

    襟元のかたちが崩れると知って出来た緩い構えは、

     

     

    水のように滑り良く、自分に合わせて動きを勝手に見せてくれる。自分だけのキャンパス上、限られた物の上の、世界の幅のようでもある。

     

     

    わたしにふる悪意の正体についてこの絵を思う事が出来る。

     

     

    相手は、こう思いたかった、本当はこう見ていること。そして絵になっている私、自分。

     

     

    「友達」は、国から疎外され村八分の林でこんもり暮らす。

     

    「私」は、友達と思った者が石鹸でも溶けたかのように狐になっちまった。

     

     

    この二つである。上が、人生論で下が物語論というらしい。

     

    ちなみに蟲ー本人だが、字体も天霊がすっぽり包んでいる。

    独白人格一致https://creatorsbank.com/pachnoda/diary?page=2  2010/01/30

     

     

     

    虚空蔵、阿修羅の月が、こういう風に私たちを歌プラネタリウムのように閉じ込めていた。月は声として叱りを言うが、叱り、その光の実感が今目の前を覆う柔らかいただの春雨と、心内の月面や光の感触から得る感情、、

     

    未だにひたすら地球に進むという未来を夢見ている。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    己々の生きたかった時代に展開したのと思うのだ。

     

     

     

    友達は、もっと同じ国とか、そういう視点で一緒にいて欲しかった。1000年以上前からある日本が、大らかで、地球の古いとこはこういう文化なんだと参考にして頑張って欲しかった。応援する側が上手くがんばれと言うことに荷卸しも仕事も急いでしていた。

     

     

    生命のうちで、夢のある現実、愛や夢を養った心はがっちり残っていても、

     

     

    水や火のような、元論をまだ語れないのは地球に住んでいる自覚がままならないからだ。

     

     

     

     

    虚空蔵菩薩

    釈迦蟲ー

     

    真手

     

    神様

     

     

     

     

     

    想像が想像にある、歳を得て次元的だからそれは全て御手に籠る気持ちの全てだ。だから、空想と予測を掻い潜りすり抜け直進する。自分の知っていた動きしかないから。


     

    田の真ん中に住まいがある、自慢出来ないんだ、と言う小説を読んだ。お兄さんが言っていた。中川家のお笑いコントが深い道徳を示していた。

     

     

     

     

    白拍子の舞も、通常毒になって残る光彩が、

     

     

    物をエネルギーに変化させるには、この様に歯で噛み砕いてから。私は、叱りとその光の実感とまでほどいて強い塊をやっと糸という「光」に解る。

     

     

     

     

    こう路上喫煙の禁止から防ぐ防御の希望の可能性を思い出した。

     

     

     

     

    ただあるとする道徳から、叶えて行く道徳へ。

     

     

    田を育てる、この自分の特徴から、聞きたいことと、欲しいものを世界に探す。

     

     

     

    見えてきた。

     

     

     

     

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  • 夢の続き

     

    自分の中には世間の自分が含まれ、間引きも話も何かは許していく。

     

     

    対して、

     

    もの憑き、こう世界からはみだす、浮き出す、空想を形にした。これと、

     

    このことと、はっきり言って異なるのは、色んな刹那を抱え込んだ川には何事も起こっていない普遍があるということ。

     

     

    村のチラシがある。大切だ。

     

    テーブル

     

     

     

    回ではようするに卵が、最近の蟲ーでは食われていたということ。母神が、わたしを卵に少し宿してくれてありがとうと言っていた。頭に卵を乗せているのでアッテルも驚いただろう。

     

     

     

     

     

    大切な情報は自分で咥える、といったら意味がわかるだろう。想像が想像である、私が、私の世界系セカイが、こうあるんだ。この空想は、こう出来てるんだと思うと言う、これは行動だ。目を養い、想像を説明するが想像を著しく知っていた私のなは、油絵や体操、道義、奇跡的な身体に馴染む物事の理解と、輝きは、奇跡的な身体自体に馴染む物事のこと、衣服など衣という三大欲求これを一番伝えたかったのだ。最近、芸術とは美術より、もっともっと一般なんだね、と光の皆で話したからだ。分厚い雲が過ぎたようだったのだ。

     

    趣味の研磨を進めたあと、理解できる詩があり、

     

     

    私が、感動をこなして行って上手く行った結果を、この何でもよろずに表記している。理解を作っていくさなか、一緒の夢から、光を手間を練って、分け与える感じ。

     

    キャラクターの燕の性格と、自分が良いなと思う詩が合わさるときに何となく空を飛ぶ。そこから自分の思う現実を見つけその輪郭を少しずつ掴んで行く。

    勿論、普段現実のアウトラインというのはしっかり含んでいる。

     

     

     

    空想を形にする、ことじゃなく、既にそんな事は他にしている。

     

    こっちは良い形だ。形になる空想である。だから、

     

     

    空「クー 」。

     

     

     

    摩訶や南無妙法蓮華経で言う一段階上の勉強。

     

     

     

     

    「形になってしまう」んだから、前提条件が光

     

     

     

     

    ならず者とはこうもんすた的にワルイコトとだけ書いて、世界には網羅に纏められる心があり、心は臨して、故に一を逸れ世間の天があり、

     

     

    これを表現するには、説としては、

     

     

     

    心がなにかって、難解難入、と言われ、

     

    これが理想か感情か、である。

     

     

    どちらも合わせて向上するもの、

     

    だから自分以上のわからないもの

     

     

     

     

    優しさでもない

     

    うつくしさでもない

     

    汚さでもない

     

     

    在る、というものだ

     

     

     

     

    誰者にたいしても

     

    難しいことをある程度こなしていた痕跡が、線になっている。光を見せている、

     

     

     

    この為に自は理解を菩薩する、というすこし意味の微妙な言葉がなった。聞いたことがある。

     

     

    なのであった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    説明を全部崩して、使って行くと良い。

     

     

     

    自意識が照明に当たって判明したあと、客観性の摂りすぎがわかった。詩的に家族の頑張りをこんな風に現していた。「お父さんのリストラと、お兄ちゃんのインターネット、お母さんのダイエット」家は、方丈記のは国と誠を語ることその手立てだ。

     

     

     

     

    相関性を置いて、心の精神上の中の、目になった自分からの様子だけ。可能性が、水切りに伝えれることが大事。

     

     

    遠くの人にアクセスする。

     

     

    供養欄

    https://hanagara.apage.jp/

     

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