揶白 (KF)

絵画

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    Works 43

揶白 (KF)

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    Works 43
  • 昇龍し続けられる!

    「茶道」

     

    人は、文化をついてこさせる背中が必要だったけど、高いからしにくい。大人が潤えば、子供をみて影っていたけど、、

     

    ・工夫次第で自分が出来ること。万人が同じスタートで恵まれている。

     

     

     

    「ことばを絵としてじっと見つめる様なお抹茶。

     

    情報が多いやんか。何も無いところを作り、水面が花瓶であるような季節の花をただ束ねて、下手上手もなくそれを飾り、床みたいな所に置いてそれをお茶を手にする。リセットの効果…現代多量情報の省略としての集中力。」

     

     

    自分をすることで背中をもう一度持つ。

     

     

    カワアマビエ

     

    海岩という自分の努力に包まれ、偉くなく守護とも差がなく切り立って深く孤立したしあわせ

     

     

    素木として認められる時、岸に上がり古を繋げる。

     

    目は近くにしかない。

     

     

     

     

     

     

    見えないもの、天霊やまた罰のヨウカイ。平安時代の人が本当に知覚を楽しんでいる。誠として感覚の豊かさと、発育という人間性人間教科を楽しむ、その気持ちを知りたい。

     

    「ヨウカイ」

    爾時で人間関係を話す、肉体(ことば)としての本人は?その形は?そして全体的なその姿は?

     

     

     

    備考、人間が見るアダムとイブ。詩としてのアダムとイブで、

     

    曰く「こういう修行を私はしていた」教え人としての認証。

     

     

     

    今が、ふつうの時ではない爾時(ニージー)ジーニーみたいな罰をあおる時期として、こう仏語をよみとく。

     

     

    手頃に詰めるという仏の利点を信じて、

     

    この良い呪文がある、

     

    「別して祈念し奉る。當家(当家)家内安全、息災延明、七難即滅、七福即生、家運隆昌、子孫長久、信心増進、年中安泰、現當二世所願成就ならしめ給え。」唱えた後、アーメンでも南無妙法蓮華経でもどちらか言う。どちらでも良いのは本当の事。

     

     

    昇龍し続けられる!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 大和の神様

    今日見る蟲ーがその時期の勲章ではなく、地球規模で褒められるのは存続に耐えた人々の日々の祈りやその祝いついてだ。

     

    蟲ーのうえに見えた光は、せつめいをすることで自分の名前を言った。そばにいた神や目下(もっか)と、読む私がいる。ところで宇宙人のレベルや実際は、地球の宇宙の中の目、私、なにかを想像する私が生まれる前からあった死や、この地、目から見た星空は、その感動がそれが宇宙の端まですべての情報だ。自我の言葉自体が、容易に姿勢の力を伸ばすことには、時間があった。

    一度、降ってくる蟲ーが千手観音菩薩が、実際にはりてをされ試して頂いているようにもそうアニメで切り取って読んでそう感じた。仏はスマホの明るさ、それに気付ける身体能力を伝えた。

     

     

    地球がもう一つあって、古代人が別の運命のうち穏やかに暮らしているとしたら、蟲ーによって、私たちと別れさせられたことを悲しんでいるだろう。たまに話せるが、私たちの地球を見て、表面の顔や態度をカバーするような家は大切なものを守っている、と言っていた。

    何宇宙人や星人を楽しく知っていると絵本を見せ、「おっしゃている」と言え、と言った。巨大な大阪さんの様だった。

     

    昔は、ここからあっちはもう先祖でも神様だろうと、そうした墓を思う神社は建てられた。飛鳥時代、ことばでそうイメージすると自然や祈りというものの高度さやその技術。礼儀のほうほうを見定める姿勢や文明という広いことばから意識出来る。

     

     

     

     

     

     

    2つ結の髪型で、磨いた石を持つ。うつくしい神様がいて、見守られる私たちは色や柄のある服を持ち小龍のように歩む。

     

    道化三神といって、神と思い話すとき、こう話すことが出来るよ、こうでいいんだよ、と束ね、粗そうの気にしないを伝えてくれる。

     

     

     

     

    神ともっと一人で何か話すのだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

    動物や植物、太陽、見渡してもそれしかない中なら、その人の意識

    は頭よりずっと上にあり、国を知る為に内観的に争うというたたかいは、その時その時の天皇の手段は、実験とも、祈りの高度なその技術など、見比べてもわたしとして、私の緊張感という言葉としてのテンション、周りを見渡すことで近付くことが出来る。

     

    目線のヒントは、街で江戸霊が、私が何年ここにいてると思ってるんだい。とのことで安心したことがある。

     

     

     

    供養欄

    https://hanagara.apage.jp/

    (中傷でもなんでも、エールをお願いします)

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  • 仏の正体

    足の下からワイデクルモノ、これをどんなに顔の近くに近づけても私は気付けない。気になる、ならないより前では意志が生きている。「縁」や「理」というこの意味を解ろうとする者だからである。

    「アドバイスをする表層」と言う、心では心から見ると解る、霊でも縁がないということ。修験と言って、必要でない情報を集めない、要不必要がわかる、自身の取り組みである。よそ見が多かった。

    表層という言葉は奥に何もない、という意味だが、例えば、ではこの場で自分が必要な場所を仏に聞いてみよう、とか、希望の形の様々を一斉に見て人を知る仏道とは自分に無意味なことを知り、今度は無意味にたいしての取り組みを知るのだ。心、その有るなしだけが二つかと思う。圧力、重力、この風や抵抗を実際に持たない光を考える太陽やそれ自身である仏、或いは身体、太陽にたいしての感謝や祈りは、輝きや良悪の無い、あるいは二つを超えた均等。蝶、こういう昆虫。自分がそう近付いて図化できる何か、ものである。

     

     

     

     

     

    もう一つは、仏は暗闇を作る、明くる日のその人の為に、その間、道の暗さとしてそういった笑い方をする存在とは、リスクの思想をとうに持っているはずである。つまり、親友にたいして闇を作ってしまった。業とはだから生まれ、そうわかるとしたら道に転ずる。七難即滅、ということば。心を見ることが、もし出来ると、「直すことの希望」がわかるだろう。供養とする上の先祖が自身の心とわかるだろう。わけを、一人で知れないだろう。

     

    見える眼には必ずモラルが在る。在るとは、有ることばかりを重ねるから。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    政治とかで見る世界の短字記号に一字の漢字が使われていて発音する最初が当て字のようにどんな字でも意味はなくお洒落で静かな感覚がした。フランスを「ふ」で仏と表記するが、何か力を本当に得たとき、ムコウからみると変な感じになる。非常とするその時は、上品なもの、良い線を引く物が、有る。

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  • 法と惑星

    歌と超現実の語。はじめての海↔ビーチ

     

     

     

    …可能事が、現実をおもうことと比例して夢自体の無矛盾と知った。現実とは、ここが海だとか陸だとかはタイルやコンクリを見たら物がずっと伝えていることがわかった。

     

     

    惑星、目にする星にたいして覚えることと忘れることの意味。陸は、物事がわりかし続く、大分続くと伝えている。私自身の物理は、上手く忘れる=覚える、→だから、忘れるべきことの大切さ。これを記憶と言う。それは、以前から有る和歌と歌を考えた時、人は難しいから素晴らしくないと流行らないものに「法」がある、惑星の概念では法とは、決まっているから。教えることなら、流行ることもなく文化的に成立しない。物語論が有り、人生論は歌がないなど即ち過ぎて人そのものを肉体から知る。互いが共通するのは、色んな人のいろんな考えを一人が出来ないこと。

     

     

    岡とは、自分がどちらかわからない。自分の知ることが出来ない物の意味として「どちらかわからない」。その理由にかける人生論の意志と巨大な惑星の理由や法、これらの等しさに日から生えた羽がまま重なり、それが間隔論や論同士の間隔、この意味然り見れるのは「きらい」という字が有る。世の中の色や特別性をあらわしている。これを、レゴのように一度、うちわけの理を抽象したものを一枡、ブロック、一線、どれでも物の無矛盾を感じられるほどの、物自体の対象化をする。これを、理由がちゃんと出来ているかで失敗と成功を見る。レゴ、という単純な色彩のしかくは、それは自家製的メモとして大切なことをきっちり纏めること。

     

     

     

    「物を物自体に返す、という高度な祈りとして。実際に学べる表現しきれない図形と立体感。」面からの解脱は、レゴの伸縮、伸びる、このものごとを理解する事に至る。可能性、語のあらわしを構築するは、現実に、絵画を見た、アニメを見た、この感動として得れる事物を完全に信じる、それが作家、つくりて、それしか事物の上達を考える奥行きや展開の橋、この進展を他とするこの橋、ひたすら物事を進行させる、橋の中の立体性

    の意識の本当の気配や方法には目がいかないこと。

     

     

     

     

     

     

    蟲ーではないほんものの釈迦、良い、誠の、釈尊という人が歩む道、歌や朗るさは、悩む、考え抜くとは思わない、悩みつづけれること、それが「解決」という語をもう成しているのかもしれない。森が、人物にたいして絵という面を得るひ、背景として心から許容が出来る。実際に地やその地柄、神を知る。天が、人物や一個人をつくれない、生まれる言葉それ自体の須佐之男としては、準備をするにはその準備を必要とすると言う。素戔嗚尊とは、八重柿実るまたその八重柿を唱えさせる。そして、私が夢から見れる、定説の揺れるような二つの目が仏として不動する、そのことや詩の美しさや戻り。

     

     

     

    人とはいつだって、物のときでも声になっても、幽霊でいても、「ここ」だから大丈夫。そう胸を押さえる。だから、何を言っても、言っても、何も起こさない。善を楽しいとわかる。とうに、聞かない

     

    日々の続くことに、備えて

     

    私は哲学めいた考察をした。フロイトの本から考えたけど専門的なほんまに最奥にあるような学問に特化した印象だった。

     

    ・ももや桜の光

    ・ミドリイロの光

    ・赤い光

    ・海色の光

    ・全て混ざった光

    ・なにもないとき

     

    家庭用ミラーボールからは、セカイはこの六個くらいの部屋があることがわかった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 問題整理と質問

     

     

    問題整理と質問

     

     

    「知りたい」←この大きな石玉

     

    わたし 心の営み>知りたい

     

    相手 知りたい=心の営み

     

    わたし 知りたい面がある。そのわたしの面にぶつけられた

     

    相手 知った

     

    わたし 怒られるより相手が別のことに怯えている

     

    勇気と道徳←この大きな石玉

     

    わたしの友達 「相手って誰?」

     

     

     

     

     

     

    「欲求」

     

    (相手)冒険者

    (理由)ぶつかった原因

    (いつ)5つ6つの箇条書き

    (わけ)ぶつかり続けられた

    (目的)浄化、成仏に使う。許したいので。

    備考 昔のことは聞かない

     

     

     

     

     

    解ったこと…自分と二つは、ストーリー性が、異なる。

     

     

     

    カゾクの感想…仙山という大親

     

     

     

    宝…日本国憲法

     

    私は、鋭い知覚にたいして身体の可能性や飛躍のことを人間が伝える意味だと思う。役人が、「今日の役目」を話すように、そこに国というものの姿には実体が無く、ひたすら膨大な情報量これを得ている。この光が、支える理性の骨骼は人間として古と会話をする態度をする。

     

     

    純粋な論理は、人々がわかる論のたいどを持ち、自己は終了を許す。又終了を許す自己を知らせる。

     

     

    意味を成さない、と知って

    心から生きること

    すれば、私は怒ることがもうなかったからだ

     

     

     

    (これから出来ること)発声の修復

     

     

    (問題)世界は、読ませる方にすすんでる。

     

    (自分のしたいこと)世界の流れから、個性化の特長とわたし自身の役目の研究

     

     

     

    「神」自分を自分とする関わりがあった文学的な時間と、好きになることが問題ではなくその間ぱつ自分がなくなること。好きだと言い、尚。

     

     

     

     

     

     

     

    美術だ、芸術だと思い描くわたしの行為にたいしてのカイが有る。答えることに、

     

     

    私は最初にアレを目指している。それをはミロと言いたい。時代背景を丸ごと言える、何故あの彫刻だというと「信用」という冷たい肌があること。

     

    マッハの夢、これは飛行機である。希望そのものという感覚を持つ位の素晴らしい風は自分にとっては豊かな客観性であった。マッハ見たければ、飛行場に行くと言うように、誤差に着目して時間と運命を導き、愛するものを確信する。

     

    唯一とは、完全絵画のようであって、多量の日数と時をかけなければ理解出来ず語れないことば。唯一の解答にたいして私がかかげるこれは、何とコピーである。説明すれば、オリジナルではこの冒頭に「オリジナルとコピーの違いについて質問します」と書く。題の事だ。

     

    さぁ、タイトルを掛けて熱闘する羽鋼(はがね)の漢、その筋肉の答えを聞きに参るぞ。

     

     

    勉強、練習という理由の、

     

     

    これは、「心得る」その教えからに依る。

     

     

     

     

    以上、質問と答えというとこの存在とその関係にたいしての流れである。現に背中で答えるという姿勢に満たず、総てこれは質問と言います、と細かい説明をしているこれを、詩や運命的とする面に接しても過去を肯定出来るとしているとする。私の、目に浮かぶのは歩兵や「歩」という字がこのまま文章たちに掛かり重なる形である。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 黙ることと話すことは似ている

     

    「黙ることと話すことは似ている」

     

     

    これは詩においてそう聞いたが、私は目的はわからなかった。

     

     

    実践に佇むことの出来る、実感するという

     

    初めの感動である。

     

     

     

    茶道 

     

     

    話の語尾まで我慢する

     

     

     

    信じれるもの、を覚える

     

     

     

     

     

    憲法、こう聞いたあと、

     

     

    ある古い道が指された。

     

     

     

    部屋に「箱の呪文」があった。道士としての反省だろうか、

     

     

    頭が沸騰しているのか?

     

     

    形、形が安心するのだ。

     

     

    形、その供養、

     

     

    それは死の回顧、それではないか?

     

     

    形? 今さら見えるものか?

     

     

    違う、

     

     

    狙いは

     

     

     

    人と、話す。その供養であった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 日々に加える古代の時間、スローライフ

    鉛筆をカッターにて削る、この行為が、昔の人が道具を拵えることと良く似る。

     

     

     

     

     

    ネアンデルタール人は、大きな象を狩るときに、草原、沼地に佇み、

     

     

    つかう槍といえば、手で木から作っているが自分で実感する通り、何回か作るうちに対象との間隔をととのえる、わざと人の温度だという存在を木彫りに残すことで、鹿も傷付かずこの間合いのコミュニケーションをする、鹿が美味しい、ということ。

     

     

    象を狩る日なんかは、踊ったり、話すこともあっただろう。象が倒れて腹をみせる。大きいものを持つと、持ち続けなければいけなくなる、持つ選択肢や、発達後増えた方法、危機感。

     

    野菜田でも、関係を持つときにはやることを任されるが、丁寧に断らなければいけない、ことばを発さなくては何も聞こえないのだから。一人になることの当たり前の中、仙や花が育つ。

     

     

    古来は、例えばアフリカに民族そのままのある町など、草原でココナッツを汲む、

     

    良い気持ちが、どこにでもあり、食は、日本は焼き物のお皿に、小麦粉で作ったクッキーなど、それが、背景が草原だという何かある、という予感もなく内を見た時代。

     

    だから、日々に理由がある慎ましさは今の人に聞こえる。

     

     

    鉄槍の道具である。古道具販売店で見つけた2500円程度のもの。見てみると、鉄の真ん中に朱色の線を引く。朱色とは誓いや、それとして神を表すからお守りになる。傷付けないことを指す。鉄は、丹念に尖るように作るが丸いのである。

     

    石でも、話すことが大事だった。

     

     

     

    石を毎日研磨して、勾玉と言う

     

    うつくしい光(ほうせき)にする。

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  • 苦心ができるという勇気

    感情が二つか三つある、

     

    これが、持ってる時間、

     

    持ってる心、

     

    沿い合わないこれを合わせる孤独と言う字が良く、また潔さの系統になり、

     

     

    一字であり、

     

     

    蟲ーの間の間の自身の苦心とは、

     

    持つ苦心と、捨てる蟲ーとした人間心は、

     

    苦心を持つことを教える。

     

     

    人を亡くすこと自体の哀しさと、

     

    供養でも、そうぞうの予測などで勝手な心をはたらかせず、持ってる時間を自分がちゃんと貰ってから得る想像で両立して生きる。

     

    コロナ禍が、忠実な学識の為何も可能でないことから始まっていて、

     

    人の考えがあっても、

     

    何かを加える事や、

     

    中途半端な形で、よいこと、

     

    を、しらなかったこと。

     

    他、主体が自分のこととして怒ることの意味や歩く足腰の安定を、最近知ったこと。背面にあるのは、本当に渦になる自分の感情である。心に浮かぶ理由のわからない対人も、以て精神的距離とした心を取りながら、大きな見解で自意識に投じられた身の程という言葉の追及からは、守られず活き、活かすことの方が多い為、いらない保護がある。例えば、島中やことばの一個、これくらいでは何も起こらない強さ自身が直結にプライドと掛かる私者としては辛いことだが、珍しいことや新たなと思う希望を学していることで、向く目が逸れている。もう一度目を向いた時は敵うことのない渦波飛沫の中であるが、運によって免れている事だ。

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  • 再び加えられる幅により戻れる気性 ※再びが、二度を意味しないことの力

    蟲ーを蟲ーと判別が付けば、本人にたいする怒る感情が溜まる一方、離れて一緒じゃないから、一緒になれるくらいの良い道法である。私本人はかなりそのものを上から見渡せさらに自覚を戻し、その上に最初から生きている。

     

    蟲ー周囲で間違った人も、自分は蟲ーとおなじではなくちゃんと皆が対象にしているものに対しては怒ってる自覚も少し持てば、縁も是も元を回る。今のこの時、爾はもともと瞑想世界であるから、色々思いながらゆっくり進んで良い。

     

    拝み、オガミの時間の豊かさにより、神と目配せをし、徐悪霊を叶えるという我神に気づいて行く。ガシン。

     

     

    心とは理解を密接にしている。何と優しさや醜美とは無関係な想像とし、この成長を私の主体は主観から考える。

     

     

     

    心の理解量の関連で、学問奮闘中、書籍や本が美しいと知ると、だからもっと客観的身体性に馴染むのだと推測する。客観的がたわけでなく、身体性は、予め美しく、人間が本当に付き合うものだからだ。この理由を知るのは、そう思う自身が衣服の理想を叶えるときだ。身体と本の間隔に対して、それ程の知とそれ程の世界の優しさとか、あらかじめ知的であるを、理想が最初からこうやったんやなぁ、と感動していた。それを知ったあと解り、信じることと疑わないことをして、先天的美観というのが土地神の威力や自由な言語性、仏陀の躾。美しさ、が起こるのだった、

     

    「あいつらにあって、自分にないもの!それは信仰や!   龍神、既に守ってるから大丈夫!、何かあったら合図やとこっち思って、心の参拝でも実際でも、一緒に闘いませんか!!」

     

     

     

     

    感謝を返せる、その仏滅釈迦釈尊の道。美の原文や本の字を辿る。

     

     

     

    大学に通った方で、世間の客観的なひつようで言うと自分の才能は普通だ、と言うこと。教授を前にするしないより、自身の目にフォーカスされるいろんな学人の吹き出しのその言葉はどれであるか。

     

     

    言葉の繋がる接続詞はこの土着性なる主観から、時間を超えても身体に伝わる力、自身の探求心、信仰を続かせ側にするひとしい責任を私が育てる、という事の言葉自身や仏の学びである。

     

     

     

    私という対象ごととしての自意識的兄弟の発言が、実感するとして、この重要な成り立ちには、以下の物事を挙げるである。

     

     

     

     

    ・抽象

    ・一つの物事を対象化した人々の感想、その印刷、ペーパー

     

     

     

     

    これが大事だが、他に習うのは緊張できる空気。思えば、していること行為に違いはないが、あらゆる知をそれを円滑に纏め上げる語彙のありかはまだ不明なのである。総じて、自分の詳細化。

     

     

    内容の材料は、

     

    哲学、

    岩波ジュニア本は先生でもわかりやすく読む、池田昌子さんの初歩解説。

     

    日本三大文学、

    川端康成ロリコン、三島由紀夫ホモ、谷崎潤一郎スカトロ

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    最近はほかに、

     

     

     

     

    抑制が出来る、から始まる力と、

     

     

    分別能力から、与えられる理解

     

     

     

     

    こういった言葉言語などは現実じっさいの語順通りである!

     

     

     

    心の内側と、視界の外に有る光と、

     

    通じている中に、見比べ合うという魂の会話は面白かった。

     

    広く知るや、広さという言葉は、その安らぎやその言語の真として遥かの知識人の語れる言葉を生でリアルになぞっている自分の時間の感動や、可能事として近づける、そのことの出来る、この様な当て嵌まれる事の出来る豊かな穴とそういった形である。知るその言語性の真髄が自らの成長にかかる。

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  • 以前の絵画をする為の構想

     

     

    恋愛をして経たこと

     

     

     

     

     

    水とか藻になって形を形成してカタチを振り落とす

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    かみ

    どちらも神々だから当たったら怒ってくれる

     

     

     

     

    大きな物にたいする安心、

     

     

     

    これを表現できる

     

     

     

     

     

     

    龍、

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    やむを得ない

     

    祈りの中断

     

     

     

    心がふたつ、夢として光る

     

    考えとして光る

     

     

     

    透明で輪郭が丸い

     

     

    いずれも魚として、

     

     

     

    ひれを描く

     

     

    人と作るということ

     

     

    表記すると

     

     

     

    海がある

     

     

     

    花を空想に題材を置き、光る魚、

     

     

    スケッチする

     

     

     

    願いを好きに書く

     

     

     

    魚、という詩が言葉を残している。完結の状態。

     

     

    魚がもう一度泳ぎ出し、人間が自由に泳ぐ為の闘い。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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