揶白 (KF)

絵画

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  • 見た物の中で一番気になった物

    何回か、四角い箱のような好機の合図を時に光で見たけど、この間の空想にたいして、

     

    ・気を練られたもの

    ・引力にたいする必要なその抵抗力

    ・潔く離すための、その瞬時のアウトプット呼吸「告白」

    立体的に角を曲がること、立体的に曲がること、箱と等しい抵抗力となる。

    身体性と努力でしかない。何かを大事にしない次元ではない。

     

     

    空想がキライ、控えめな、潔さを磨いた人なら、もう客観的に見てる。

     

     

     

    何か大事に思わない次元から霊視が霊感が始まっていない。そういえば、思考とコミュニケーションの闇オチってなんか昔若い時あったよな、と、間に忘我や、忘失の時間がある。でも、好きなこととは続いてて…。

     

    一億人いて十人か100人。大体はこの小さな方の不安をみて目を向けた。なぜか国すべてのことだとおもった。よく見ると、関連しないだろう。目を下に向けた。

     

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  • (追記)遅れたところから始める

    遅れたとろからでも直してはじめる

     

    遅れたところでも始める、

     

    再起出来ない汚れの付いてしまった赤い和柄のハンカチを、捨てるな!と、日蓮は仰っていました。それをどうするかは、アスファルトの100年後や、アンティークの本当を考えると、起こす物や作り方のヒントになります。

     

    世尊から、そう承っています。

     

     

     

    遅刻しても、人は当然存在していたわけで、学校生活は、そわそわしたストレスと離れず、いくら気まずくて、怒鳴られても、何とか動きます。ゆとりを持つほど大きくなったのも確かで、胸を少ししっかりさせ、成長を楽しみに生きれます。だから、遅刻しても、当然、存在出来るように。

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  • 星の教え

     

    ☆五行

     

    良い金の教えとは、

     

    徳…性格についてのここまでのエッジを相違について考えると、原理に辿り着いた。

     

    土…花を増やす

     

    水…合わせる

      続く

      砕き

     

    木…データ↔記憶

      木くずや木の端とデータなる言葉が美しく似合う本    来のパソコンみたいだ、データって優しくないから痛い。素裸でデータを道に置く…。置き場所によってはズタズタにされ木っ端微塵になるだろう。

     

    と、土は土地メッセージを言う。土は怒っているよの注意である。惑星は、形になっていないもの じゃない

     

    火…全とした輝きである。全とした輝きから、そこから一部だけを、ちょっとだけを、知識として保持出来ない。占いとしての詩は先々である。

     

    火は、どこにも在るいう。水の顔をした火、火の顔をした火があり、拡大して尚、足を、元論という元に戻している。

     

     

    自分は、占いに善と詩をかけて読み解く。

     

    これは、物理からいったん離れた考え。住まい、地球に生で触ってみる。興味を持つ、「五」良いこと。

     

     

     

     

    こういったことの氏神は、私は中臣鎌足です。

     

     

     

     

     

     

     

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  • 欲張りと後悔はおなじ、文脈は自分の空論として気心とは違う、いつも動く詩と気心は同じ

     

    人は、フィールドを持っていて、

     

    あらかじめ詩や運命咀嚼があり、その都度自我を持ち、そう日々従って行くはずだ。

     

     

    合わせるタイプの人は「私」の横に高い棒状の置かれたものは憑かれ塞ぎ者であるが、

     

    「気を気にしない」、目を自分に自分をみず向かわせない、気心に気をつけないからこそ、自分の心境の外部、侵入する気心ではないものに注目する。

    その他人の姿や動作をまるまる関連のない「私」として、記録し、人の行動を広く塞いでいた

     

     

     

     

    私のいつもの状態とは、元には既に全然あり、

     

    元に外周からくっ付いたり出来ない。一切言えない。

     

    私はフィールドでは祈りゴトをしている。生活することであったり、文学を得ることなどだ。だから、フィールド内に何か有ると見てあげようとする。

     

     

    現実だ、と押されるその言葉の精度が緩いすぎる。私には何が何だか。

     

     

     

     

     

     

     

    第一に、アタマではなく心の想像、とは焚べることのできない妄想とはかけ離れる。

     

    妄想が、文的に、なら一人でするべき。

     

    妄想から始まってる人が、妄想という名を付けれないから、妄想から始めてもその足は想像が何かわからないだろう。

     

    文性とは、その人が常に誰かといる。こう読める人間なら光と言えよう。

     

     

    これをメタと言いメタフィクションでも想像という霊でも、存在できる値を満たす。

     

     

     

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  • 聖といわゆる蟲ー

     

    人は、フィールドを持っていて

     

    自分の上には超象があり、まだまだ目指すことに時間がかかって、

     

    その上、最下部に「貧困層」があるのは、あらゆる考えの線の「シタ」は存在感自体が過去といまのこうどう故に、薄まったからだ。

     

    人からの認識をたびたびま逃れていた。

     

    犯罪者なのか、上記の人間が見るはじめての故にアダムとイブなのか、こういった人間の高度を現し給う

     

     

     

    自覚的に、私は学びをすすめる

     

    下心と意欲が違う、同じラインにある

     

    過去を大事にする、その上で人と一緒に考えようと思う、

     

    思考する自分、悲しい自分、こう思う自分、そう思う自分、

     

    として、

     

    実存からまず当たり目を付けた

     

    外部、

     

     

    これが、蟲ーの存在の最大や限界

     

     

    人と一緒に混ぜていても存在ごとしないが、必ず「アク」として浮上している

     

     

     

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  • 求めたいこと

     

    身体を破ること、にたいしては堪忍してて頂けますか

     

     

    それにたいしては、

     

     

    何を敵にしようと

     

     

    必ず許せません

     

     

     

    隙があった、としては、時代という大きな言葉を言う時には全員を連れるでしょう

     

    隙を伺うひとは、物事の理由にたいして自分を原因にすることを止めている故に隙がある、か理由にならない

     

    言語のある範囲、ルールよりわがままが先に来るなら次元から落ちる

     

     

     

     

    そうつづけることを

     

     

    被害としか考えていません

     

     

     

    我慢して受けろ、と渋く言われるとして

     

     

     

     

    その考えが結局自己を振り返るだけで役に立つとは思いません

     

     

     

    誰かが死ぬ、

     

    誰かに世話かける、

     

    それが理由ではありません

     

    信仰としての民です 

     

    民族間で、

     

    「言葉」を続けると、

     

    悲しい、成り立たない、と思ったところから、止めて下さい

     

    取り組みには応援したい

     

    が、

     

    以上です

     

     

     

     

     

    月の輪郭かくっきり出たとき、この枠にたいして余分だった「大穴牟遅」の数値、余分のぶんの塊が現われるから捉えて直して下さい

     

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  • ビー玉の決まり、人間の律

     

    ものをこちょこちょすることをグローバル社会と言わない、

     

     

    光に照らすと、ちゃんと「お化けの蟲ー」の輪郭が映る。

     

     

    教育の感謝としてのしっかりした努力と身体能力。身体性とは、物自体とか物を言える目のこと、物自体の無矛盾に閃くこと。

     

     

     

    正規的な大きさで運ばなくて良い、祈りとしても新しいことをする精神から波長が合って行く。

     

     

     

    掟として制限のある生命、

     

    くろう、自分で自分に蓋一円玉硬貨

    八重柿実るそのまた八重柿「ス、サ、ノ、オ」自分の五箇条を記した昔の始まり。水が冷たい。

     

     

    もっと、動物としての人間とか、フォルムを目指す動物の態度、その生からの生きることの抵抗力のひつよう。気品の違いとしての道や、道から聞こえる捉える声、違い、でも道。

     

    残すべき記憶と感情が残り、理性が一本化する。

     

     

    生命論をはみ出るかたち、 悲しみ(だらしなさ)が定めを越えてるから、鬼が映った。鬼はいつも優しい。

     

    憎しみを自覚する、下痢にならず形がある、消化した胃と、浄化した人。だから、何もせず、消化力を増やし進化を見た。よく噛んで食べる、とはこのこと。

     

    喋らなくても感情自体を感じて、エネルギーの発生を喜ぶ。

     

     

    間のない唯一に出来る相の合った自覚。

     

     

     

    ここまで理解できるんだ、とイチのときから考え孤立すべき距離感の自由。

     

     

     

    霊視とは、ランナーズハイのもので、

     

    自分の高まりは思考力を触らず、感性の問題とはまた他で目的が似て、そのまま続けれる霊視と異なり

     

     

    地に帰って戸を開くという作業を経る時なのである。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分を叩いた人が、プロの格闘家として笑いかける、が、

     

     

    ごにょこにょいう人、

     

     

    たけで留まる文學者

     

     

    怒り狂った被害者、そのあった事

     

     

    のように、

     

    イメージに背景がなかった

     

     

     

     

     

    心が、得る存在だからだ、形は光として従う。

     

     

     

     

     

     

    生命は、凹んでいるときや何か休んでるときに何かくれと怒鳴られても、言えない。

     

    誰にでも言わない、がプラスに働く場合の理由だ。

     

     

     

    認めることで生きるものを考える詩は、テーブルに十つくらいもばらけていたビー玉たちの輝きを躾けない。その底から解るだろう。

     

     

     

    その底から、欲の底を、実際に見た本来の信頼が笑顔で強さの追求を肯定したのであるし、継続出来る地がちゃんと

     

    底にあるのである。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 新しい感情

    無いことは有ることのことかも知れない

     

     

     

     

     

    内側に籠もりすぎると爪の中まで黒くなる

     

     

     

    あなたは知ってる外側も、だから内側も

     

     

     

     

     

     

     

    感情を心に流れるものとし

     

     

    無いことは有ることのことかも知れない

     

     

     

    世の中には、魂を売ったやつと、

     

    魂が売れない事、

     

     

    この二点だけが有る

     

     

     

     

     

     

    冷たい水は緊張感を与え、思考を柔らかくする

     

     

     

     

     

     

     

    美もまたこちらを見つめるだけ

     

     

     

     

     

    痺れるような緊張かある

     

     

    裸で挑まなくて良い

     

     

    好き勝手言って

     

     

    毎日必ず顔を見る

     

     

    自分にたいして緊張を失ったふやけ切った顔は見ない方がましだろう

     

     

     

     

     

    「」

     

    大いに役立つという大きな補助がしたかった

     

     

     

    足を引いてはいけない

     

     

    人間から発生出来る感情が、悪いもののわけがないのだ!豊かな緑を今も思う。

     

     

     

     

     

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  • 平地を見つける

     

    「あんたの事ではないよ」

     

    自分を良く知る実家の神社からそう聞き、そう聞いている。

     

     

     

     

    和解をやめる希望とは、

     

     

    条件が、求めてないことがいつもの初心だと言う。求めていない初心を道とし、しあわせに成れる。

     

     

    狡さがないから、悔しいに決まってる。

     

     

    悔しいと感じる程の親しみも存在もなく、

     

    美しく、

     

     

     

     

     

     

     

     

    最初は閉め切らず

     

    直角線以外はぱらつかせたまま

     

    不安定な辺を残し、

     

    後で縫う。

     

    角の右に墓(男は死ぬことの大事さを言う)

     

    左に神

     

     

    このように、日々からこの石を徐々に丸く

     

     

     

     

     

     

     

     

    死んだ人についていってはいけない

     

    心から見抜いて行く

     

    心が、誰かにたいする強さや優しさを表現する物体なら心なんか表出しない

     

    心は、理解が一瞬しかないから、辛いことから覚えると記憶するべき事を捉える目印になり、記憶力をアップさせることなのだ

     

    醜美以外のものを、ブタや蟲ーという

     

    哲学的に可能性を意味する心には実に触れず、傷んでいる

     

    それは、足と腰のクッションがあり初めて歩き出す、と言う。

     

    こういう詩を読んだことがある。

     

    目、耳、口、

     

    穴という穴から吹きこぼれる悲しみを、どうやって埋めるかは、

     

    繊細な肌に似合うコスチュームジュエリーから学び取れるかも知れない

     

    美はクッションを挟んで歩き出す

     

    ゆっくりおやすみ

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 決められないこと

    わからなかったらわからなくていいんだよ!!( `Д’)y─┛~~

     

    「で」

     

    猫は

     

     

    すこやか、身体能力、

     

     

    人の元気

     

     

    元気な人が、物凄いものでいたぶられてる、と覚えさしている。

     

    人には文性があり、背中から聞こえる「元は元気な人」、じゃなくて正(まさ)しく元気な人。

     

     

    ちょっと悲しいのは、昔から遠くでもあって、一緒に何だろう、と耳澄ます。

     

     

    治らないビョーキしてるのが、物凄いヒト、蟲ー。

     

     

    玉 という客観性

     

     

    霊の土木作業、本当にそうする家を持つ人

     

     

    ほんまにそれだけの人、家言えーわ、輪、輪、??ノ間、間…! わ、?わ。わ。わをー;.' ;'".;.,"o..

     

    霊からはみ出す、が普通に考えて起こりえないからオオゴト。

     

    我々も家。だから偉そうだな、で済む。

     

     

     

     

    傷ついた人らしい。だから攻撃的なんだな、

     

     

     

    悲しみを抱えた我々の家だった。一悲しみを抱えた人は美しい

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    線…線の他にヒトがいる。線の正解は、線とヒト。

     

     

     

     

     

    人間がいう 寂しくないもんにたいして。

     

    言葉に奥行きがあり裏がない

     

    間 散々して しょうがない

     

     

     

    無意識の言葉はみな同じだから、引き出すだけで自分で拭く

     

     

    1引き出すたけで100自分で拭く、拭ける

     

     

     

    人たから怯えててもいい

     

     

     

     

    ショックたが何とか良く回るわけとは、

     

     

    その人の浄化力とまかないのまかないで非精神的に出来てるものを使うひとが数人いる。結果、落ち度が高く、成長が悪く、高くいってもリバウンドして得るものが極端に少ない。

     

     

    初めから良い一線に立ち戻って欲しい。その上で、見つめて欲しい。

     

     

     

    新しい苗とか、罪悪感を背負う気持ちとか。

     

     

     

     

     

    理解する→理解できるように頑張る

     

     

     

     

     

    イタリアの古代は、何か出来た天を見て、天よりも焦点の人物想定だとか、

     

     

     

    底まで身を投げ出して引く急流滑りに私は乗る、とか

     

     

     

     

    全ては許されている。

     

     

     

     

    注意警戒するのが、線の方で、

     

     

    思う人の方の実態は必ず、協力でもなく参加的に生命原理の中で抵抗して生きている。

     

     

     

     

    自殺でも何でも、人を祝ったら良い。とそう思えるのである。

     

     

     

     

     

    自然さ、

     

    自然に出来た人工は良い、

     

     

    人工をコピーしたものがある。悪い。

     

     

     

     

    考えが、人に馴染まないわけがない。知りたくてたまらないことを控えめにいるから、間隔を貰ってその間に知識を手にする。

     

     

     

    そこの悪いところ同化を考え、自分は自分で文性を肥やしている。

     

     

     

     

     

     

     

     

    言葉が、もともと皆で使う物だから、間隔を持って土着性があり、川があるとかこう流れる地盤だとか認知できる。

     

     

    自分の心の中の地球はどんなか。心の中の惑星は。もっと信頼できるものじゃないか。入り口は、決して歪な期待に強く絡まるように作れた穴や破れた壁ではなく、そういうとこ。

     

     

    逆に離すことが出来たらその分力が付く。

     

     

    それが、全部自分のものになる!

     

     

     

     

     

    神社に早く着いた人は、その分何か言わなければならない文脈が解り、

     

     

    それがつかまる、という意味が解った。

     

     

    でも、聞かなければいけないこと、何か言葉がある、と思う。こう信じている。

     

     

     

     

     

    もっと信じてほかさなあかん。感動的だが地域の長の方に参って、元の空気を掴まなあかん。大きいのか小さいのかさえ知らない。

     

     

     

    それを全てと知らなあかん。ポイントとして目線は、心許ないところ。さらに、水を3分浴びれば、聞きすぎたことばを流せる。

     

     

     

    穢らわしいもの、を、慣れて行ったのではなく負かせて行った。

     

    連想せず、ずっとそこからじっとする。地球とか惑星とか心を見つめて感情を見つめる。許せる感情や許せない感情があって、ひたすら地球とか惑星を考える、月もあって、夢もあること。視覚、聴覚が上がる。故に慣れれないものこそ見つけ、気配を感じても人は人だった。

     

     

    この気が、現代人のもので、悲しみにたいして映画を見て閉じ込め、文化的に生きることで前を向ける。単純なモノクロの暗い、明るいの明度ではなくよそに、前を向く確証があったから、風を持つ人も友達とはいることが出来たと思う。

     

    うろ覚えを訴えて来る、でもなく、何て言うんだろう。

     

    うろ覚えのひとがいる、初めて認知できることから後になだらかに言える言葉はどんなだろう。

     

     

     

     

    良い話を聞いて、夜に想像して変わるかもしれないけど想像することはいずれもどれも「人間になりたい」だ。

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