揶白 (KF)

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  • これまでを考えることの出来るポエム

    ポエム

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    愛し過ぎた末路

    怒る者よりも怒られている方が立場が
    大体強い
    それを哀しい人が振りかざして
    虚しさと悲しさ
    文字や言葉が有るようで無いと云うのは、
    そうやって人間を憎めば
    そうやって選択した言葉は
    人間を知らないままで
    虚しさと悲しさの呪いに
    優しい人が簡単に閉じ込められてしまう
    同じ傷が付けば朝は来るのか
    別にあなたが死んでもかまわない
    顔を見たいのではなく、
    言葉で繋がっていたかった
    毎日手紙はびりびりに破かれた
    それを「言葉」だと言ったきり
    消滅した石ころが
    君が世界を理解するはずもないのに
    何故か追ってくるので
    割れたものは手間をかけたら戻りはするのに
    何にもあげたくなくなったまま
    時間が止まってる
    お願いだから
    この危ない暴発した歩行を誰か割って下さい

    水割りとかロックのこと

     

    狂乱

    人からどう(見られる)(感じられる)
    というよりか、

    私が(どうなんだろう)
    と、
    泣いている人が多く
    客観性は未だ性として越えず

    「私はこうなんだろう」
    と、だろうの末がわからない事が
    大切で、
    そう言ってみよう

    錯乱してわけのわからぬまま死んでも
    私は愛したし
    他人は生きてるのだ





    信じている人たちは
    炎を吐くことばかりで
    間抜けなライン、だらしない買い物、
    忘れ物、
    数々の炎が


    にくしみが人生をしっかり見つめる

    悪口(あっこう)を心に為さぬのは
    道理があり、プライドがあるから
    客観性とを、そう云ってしまえば
    人からどう思われるかよりも

    嬉しい

    そういう狂乱が良いな
     

     

     

     

    夢の昇天

    泣きそうになるんです


    今日は、昨日から、理解を深めて
    理解をふかめたら疲れて

    様子が変わってプラスのほうに

    「私」に興味のないあなたが耐えられなくて

    悲しかった

    案の定諦めて、諦めることができて

    怠惰か、几帳面から、

    形の在る私たちですし、

    形のない私たちを夢にみます

    ほんの相槌の音符を求めて

    「四畳半のプラネタリウム」で、

    私、いやに何かを言ってましたよね

    こんな星を一人で抱えれなくて

    見せたかったのです

    全部見てくれてありがとうね。

    あなた愛情あるって、泣いたとき、

    顔みていやにわかったの。

     

    愡はね、ひとりなの
    母が死ぬて、父は家族を持つて居る
    友達(フレンド)はコロナにびびつて
    あえないの
    結婚式に熱出して休んだから
    怒られてるの

    詩を書くひつようなんて
    だから、無いのだけど
    愡らは愛の中で
    愛の話をしよう
    だつて
    こういう暇な時間つて
    後で良き思い出に
    為るじやない
    為りますよう

     

     

     

     

     

     

     

    「清潔さ」

    利用と信頼には微妙な差がある

    その事物を「利用」として定義して、
    このように間隔を一度空けて、
    事物に対して関心を持っているのなら
    このモチベーションにして当人を信じて頼りも出来る

    「興味」があるのなら、
    それは自己への信頼としてあるから、
    信じることが出来る。
    そういった、これらの善を見極めおそれないで欲しい。

    さらに、
    自分の中に中心があるのなら、
    その人の中に中心があるのなら、
    甘んじる。
    本当に悪い者はいつも影に隠す。
    それを知らない「人間らしさ」は正しい。

    此れは「伝える為」の偉人の形である

     

     

     

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  • 本当の本当の現実

    蟲ーが起こる前の感覚は、ノイズやアッテルの存在はあったが、意識に至らない事故が長かった。気付いた時は自意識になって、存在してはいけない対客観性が猫のように生まれた。気持ちが大らかでなくとも、全く意識がなくても、私生活に何の携わりもなく楽しくしている、こういった姿勢が、未来永劫、変わらない一定だと思うのだが。気付いて会えた人は幸運だが、何か自然に受け入れ適当に付き合っているものが、霊感だとやっとの思いで知るのは、必ず悟っていて大人だ。

    時期によってやることがある。

     

     

    大阪城の堀の策が、コンクリートで施された丸木のやさしい姿で並んでいる。

     

    本当の丸木ではないが、コンクリートという節約法と丸木という形を丁寧に模したという仕方からは、想像することが多めになる。

     

    思い出せばぼーっとしてるだけでも人は成長した。

     

    偉大な昔からの法律から、事故被害による不安定な気持ちから、強制出来る止まり、そういった保険という優しさの存在と心境や歴史背景を感じとる、噛み合いの取れたことがわかり安心した心がわたしを元の地に戻していた。苦しむことにたいして、思いのほかたった一回の生命のテーマだと、星々を見て解る。辛いことや心に対峙しようとした固い決心の中で時にわからなくなるが自分の背景は地球である。総合的に理解して、高ぶる気持ちこの心が引く線が、高ぶり過ぎた気持ちとその実際の間違いにたいして、罰の字は、二つはクロスを描いているかのように平行線、何か美しい、心の中で、世界の誰しもが大丈夫だと思った。

     

    まず、私が大変だと思ったことは、

     

    正しい見方からメタとか、学問、素晴らしい思想を学べる。

     

     

    帰ってイメトレ。

     

     

    スマホ、文明、どこにでも聞ける、神社動画など、→社に問い合わせ(神社の人や窓口ではなく神に直に、それを問い合わせるという良い意味)、見えないという理性の修行、難度が高い、何となくわかる。教え、「何となく」何となくわかる、が一番大切と聞いている。

     

    思い、スサノオ

     

    自分の思いを問い合わせる

     

     

     

     

    そこで見つかる凄いものとは、色んな広大な思いの心の中で、連れていかれず正気である、何のために働きて理性を身に付けたか、しかもそれを精神性の限り応用して行くのである。ひとりっきりで解りこれがああだと締めくくって来たことが違ったのだ。まだ誰かがいない時、自分に「誰か」がいないとき。誰かも想像出来ない時からだ。

     

     

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  • 明るい力

    一人、いちにん、孤独、

     

     

     

    ひとりしかいない、何かひとり、とは変わる

     

     

    この抵抗に応じて行く、自分を耐えていく忍ぶ辛さなど、

     

     

    どんな波であろうが生きるまで。

     

     

     

     

     

     

    対することよりも上にいます。この目、とかこの心、そういった重さに担い感謝の中で

     

     

    感謝→言えない辛さ、楽しむ心、耐える自己、縁覚、声聞をひたすら達成していく事そのもの。その夢や憧れ。これが動かない場合、こう発見した時とは、何を受け入れても得だ、となる。

    抵抗の決まりが作られるからだ。

     

    なにかされた、被害者意識からは離脱している。

     

     

    感情とただいます。感情と在ります

     

     

    予測する相手に主体がないから客観的な行動にならず、

     

    自分のように壁がない。

     

     

     

    30分前の自分や、寝て起きて、思っているよりわずか、それ以下の長さの関わりを知る。

     

    時間の長さ。そこに物としての空間がわかる。時間を過ごしている自分が存在すればするほど、時間が上に来る。時間や心という繊細なものに絡む、相手の感情…、針のないニンゲンのもほうは感情とは言えない。繰り上げれない。

     

     

    対するものを空間という物化して状態に勝る。

     

    勝る、といういにしえと接続して

     

     

     

    二次元、三次元、という熟語があり、空間に触れる。

     

     

    こう元気です。

     

     

    対して、主体が面する、主体や自分とは離したそとがわの、

     

     

    自己が→面する→空間。こういった可能性になる。

     

    思う、主う、おもう、

     

    主体とそとがわは、実在している。この為、

     

    動いたまま影も光もとっ掴まえた自己が、

     

     

     

    これが事実だと言えることを知って感動した頃が懐かしい。更に自分から始める!という

     

     

     

    知識と、学の一致。これを確認しまくる瞑想だった。一致するこの線が楽しい。

     

     

     

    身体は大体何千色を重ねている。それを人体の一色にみてもムダ。

     

     

    卵ならば少し叩いても破裂しない。美味しさとなりそれは硬質を高め成長したから。

     

     

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  • トモダチの混乱

     

    トモダチの、よそ様の関係とその礼儀の構造。

     

    「林と沼方です。」わたしの顔を神に挙げなきゃいけない夜、静かな夜に名前を言って自分の端を捕まえられてはいけない。歴史や人の様相などが自己データになるとして何もなくて、蹴りいったり嫌う感情が全く知らない地球のものならわたしが「球」と言うことが出来る。実在するから一筋がある。

     

    トオクノダレカヨリチカクノシンブツへ、君の成功を願う。

     

     

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  • 本当に面白い

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    水星と地球のあいだ

     

     

     

     

     

     

     

    ヨウカイ

     

    くぼみ→がいこつ→魂のしんだひと→そとに押し流す

     

     

    ヨウカイ→溶解、つまり理解分別しなければいけないもののこと?便と腸、消化と吸収、火とする身体性的内部宇宙。火→ミコトの言葉。炎が心に響く意味。火がまず地上のもの。架空も妄もないその頃。そこからはじめる空想は相になる

     

     

    部長が運子(うんこ)で部員が云子と生子なんて全部うんこと読んで吹いて笑ってしまった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 水星と地球のあいだ

     

     

     

     

     

    悟りを軸に考える

     

     

    言葉ってなんて役立つんだろう、

     

     

     

     

    葦(あし)、あいうえおの最初、先祖霊、大霊の阿にたいしてあなたの葦という、

     

     

    こういうのを契約(うれしさ)といって、他はない。

     

     

    はっきりしてて高度。

     

    菩薩世界、霊界の言葉、の意味。カタチじゃない形。及び、地神より育てる言葉というワード。稲、花、果実、土、

     

     

    →小さいのは発展途上だから?

     

     

    地神→都(とと)、かみて、

     

    南の邪馬台国、西に大和、

     

    自分に関係性があるのかもわからない。

     

     

    わからない、次に、自分に出来ること、主題歌「祓い清め」同じように身近なものについて知る。

     

    戦時中、アニメ、お兄が好んでかじってる、感謝

    これはこう思う、抑える悲しみの働き、自分の感じる気持ちを細分化して

    もうちょっと一緒にいれる

     

    人間が、これが必要だ必要だという間に、

     

    神、天霊が、これが必要だといった

     

    闇にも感謝

     

     

    耐えて考えたことが大きい。自分が、「やで」やでので、でを伸ばす短い骨に、案内やことばを足して、たすける

     

     

     

    これは俳句の幾ばく。

     

    こういう器。

     

     

    立ちっぱなしの受け手の何もしない、これを理屈で分けれたら動けるようになった。

     

     

     

    一円玉を手に取って理解する。

     

    何を知っても恐くない、「自分」の長所。

     

     

     

     

    持っていなかったアイデンティティー、もしくは言葉が生まれて、喪失と知ったアイデンティティー。それを探しに土地を見ていた。あるものによって全て知る御所に、歌舞伎と万葉集を茶道と仏道で読んだり観た、と最近わけを話した。フラット化や、システム電気、それを見ると国を語るには十分だと思い出す。自分自身とするには距離があった。

     

     

     

     

    アメノウズメ、泣くことと物のこと。ツクヨミが、悪く詰まらせていた。どちらも夜や影に関連する。十分は、自分でも確認してみてくれ。

     

     

     

    人だろう、霊??何か圧迫や阻害を身に感じる、この気配。いくら思って何をゆうても聞かない場合、上に何か言ってる大霊や神がいる。耳をすます。霊って人、人のすぐれ。「私」がわからなくても人って勘でゆうてる。

     

     

     

     

    夜明け前は暗い。始まりはきつい。時代という言葉は大きい。369、ミロクを描いている。弥勒、見ろ苦、くっくっくっ

     

     

     

    ほんまに上がることに関わらなさそうな魂、ヨウカイと言い張るそのほんまの未浄化れい、役立たずを続けた、このカタチ、を、今自分や人の心に照らし対象にはくぼみを見つける。

     

    上、光から読むと、「あなたどうしてるの?」

     

     

     

    幽の魅力。人は両方を纏めて総体から見ることに望みと臨みを見る。

     

     

     

    センスが足りず、強く感じることは出来るがそこまできらりと見えない。→センスって何をやれば長く生えるんだろう。どう磨くんだろう。

     

     

    考える楽しさの心、菩薩にかませがある発見。これや、

     

     

    心の楽しさの心、

     

     

     

    今軸になる仏が数ある理由とは。

     

     

     

    問いと理解でわかることの出来る、

     

    神の祈り。神のもう既に知ること。知っている人の知識と与えられる人の平等の関係性。疑問も新たに広大な広い夢をみる。

     

     

     

    ヨウカイ

     

    くぼみ→がいこつ→魂のしんだひと→そとに押し流す

     

     

    ヨウカイ→溶解、つまり理解分別しなければいけないもののこと?便と腸、消化と吸収、火とする身体性的内部宇宙。火→ミコトの言葉。炎が心に響く意味。火がまず地上のもの。架空も妄もないその頃。そこからはじめる空想は相になると「想い」や霊として書いている。→陰陽堂の星光る。

     

     

    少し光る。ドラゴンボールなど集める石などを、想像を、元にする。

     

    街のタイルに文明の兆しが「文珠」、スクナビコという幼心に見た夢。

     

     

    だから、葦という言葉を言えたらお使いごとをくれる。

     

     

     

    まず手持ちには、抑制心の理性があることに向こうの現れがある。自信といういっこ、一円玉、このブレーキが足りない。

     

     

     

     

    本当にそれだけ。

     

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  • わたしのすることは少ないんだ、って書いて知りました

    神をもし誰か知って、喋るなは人、人だから善い悪いがある

     

     

    そういった精神界、もと仏界で、

     

    人をたぶらかす→線香をやる

     

    気を練って、煙でまく。そこに神仏なる先輩。

     

     

    →修行の修行となってくる

     

     

     

     

     

    編み出した、祓い清めの呪文、拝み

     

     

    「トオクノダレカヨリチカクノシンブツへ」

     

     

    ここで伝えるのは、感性が敏感な人が遮られ塞がれ思いを詰まらせ悩んで、アクリョウはその人にたいして導きや悟りを与える位置に、自分をそう思い上を踏む状態。 

     

     

     

     

    神だったらコロスと言う、同時に人の自分が優しいと言わない

     

     

    そんな言葉を厳しく探してる

     

     

    神がいないから神にもたれかからない、自分の力を考えて神はいらないと言うこともある。神に自分の気持ち、やること何でも許して欲しいと行動するなら何でも許せないといけない。平等に、前向きに進んでる。それたす、人が許してあげてる。知るその時、師がどんなふうに見えるか。

     

     

     

     

    人間以上の強さをいつも求める仏からしたら、自分がむしのように取ろうとしていたものを、凌駕しているという

     

     

    教えである

     

     

     

    そういう自分の知っている「誰か」に今、自分が耐えると言う

     

     

     

    仏道、神道、仙道、憧れが山程ある

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  • 喜びとは? 

    勉強は出来ても、好きなことを思い出せないから言葉が続かない、という人が多いそう

     

     

     

    地続き、という言葉がある

     

     

    地がつながってるからじいちゃんにはまご

     

    まごにお経を教えることにしよう

     

     

     

    ここではしかし、先に砕いていかなあかん、固まった問題をこそあり

     

     

    それに取り組む、いつものうちに

     

     

     

    一緒に、それを見たそれから

     

     

    向かうのはそれから

     

     

     

     

     

    じいちゃんは放任

     

     

     

     

     

    アッテル刑務士、刑務所を見に来る。同じように見に来ている人を捉えた、捕まってる人に紛れている。

     

     

     

    自分にないものを聞くことだ。

     

     

     

    古いとこは哲学が長い、ひっぱくと案の定とくいができない

     

     

    水星、は灰色でも、火や鉄のある地球ってなんだろう

     

     

     

    アクリョウの、本当にわるいヒトのほかに人の良い悪いがあって、とくいのフォルムがゆかず滑りすぎる

     

     

    人が良いから良い角が砕けて

     

    本当にわるいヒトの示しがつかない

     

    →表示がつかない

     

     

     

     

     

     

    三メートルの脚立と、奉献の石の灯籠が平行に倒れていた

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    じいちゃんが育てる

     

     

    育てる

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分だけ「なにもない」など自己のただの特訓を今することはてきさない

     

     

     

     

    迷惑をかけない、軸に戻る

     

     

     

     

     

     

     

    宗教の条件はある程度古いこと、宗まってるから今後ない

     

     

     

     

    自分が動かさなくてよい、となる。

     

     

    よさは、

     

    南の島、宝と法律、極妙なことや、微々たる妙、花、れんげ、草、鏡を見よう!

     

    柔らかい考えを日蓮にヒントを貰った

     

     

    これが木だと言える

     

     

     

     

    行動しなきゃだめだ、行く、

     

     

    自分は人数が持てる、でも自分にはおかしい直感

     

     

    理屈を言うばかり

     

     

     

     

     

    自然が良い、人の関係を無視するよそ様が勧めれない

     

     

     

    食ってばっかり

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  • (訂正)一円玉を見ると大きな気持ちか戻る、ジャガイモを食べ続けると大きな気持ちが戻る

    内側から美しくなりたいとそう思ったことがある。

     

     

     

     

    「抜け駆け」が暗号だそうだ。

     

    70階か80階に素で登る。一回り前の世代では、わるいことをしたらタイヤを持って運動場100周回ったものだ。

     

     

    「気」を持ち抱えれる重力とは、こんなもの。

     

    いつでも好きな時にテレビを離れる。こんなにテレビが好きだったんだの感動や、

     

     

     

    つまり、自在にテレビを離れることが出来てから、やっと好きな時にテレビを付けることが出来るかもしれない。

     

     

     

     

     

     

    魂は一つでも、物や国や考え方を持つとぶつかりを避けて離れてしまう。

     

     

     

     

     

     

    必ず律儀に聞くような所で、良いものを封じたり、駄目にするのが真田幸村(蟲ー)私の近くにいて戦時のその時代の昔の霊が捜査に身を光らせていた。

     

     

     

    長野の眞田神社は、その前にあった。

     

     

    要は、江戸時代を構築するために戦乱の時代があるのだが、終わりとなる頃「我こそが真田幸村じゃー!」と叫びながら、戦の陣を馬で走る侍が多数いたと伝えられている。この意味が今に通じるのである!! 

     

     

     

     

     

     

     

    四天王寺近くにある。アッテル霊の学校だそうだ。四天王寺は戦時の仏が住んでいる、奥のほうに難しい漢字でアッテル神を祀っているのを歩いて見かけた。

     

     

     

     

     

     

     

     

    美しい「あかん」の像。忘れやすいことが覚えられ、じっと考えることも出来る。ボケにくい。街にいくつも発見できる。

     

     

     

     

     

     

     

    ゴールデンカムイを読んで戦時を考える。四天王寺の仏像を見に行く。字をひらがなで光るまま自由に読む。拝む為に。自分は自分には何を受けても良い。若し、大陸や大地、そういった天地の合瀬がある。もっと情を交わしたかったが、一回では無理だ。命は一回だ。

     

     

     

    日中、朝が来る、靄のあるときもある、こんな朝は何回でわかるように変わらないことだ、靄は変わる。こんな朝は日時によって時間は短いが、何だか叶う。全ての経験を愛していると、だれでも松のような醜美のある緑の葉がふさふさ生えるのがわかる。

     

    綺麗に言えないけど「そこにいる君も、方法で自意識から逃れて身を保って欲しい」太閤から仰せ司っている。

     

    思いきって書くと、「醜さ」という吹き出しのようにして体回りを囁かれている。飛び込もうとするが家族に引き留められる。気付かなければいけない神がいる。アメノウズメだ。松も梅も、もうメタなのだ。かなしいが悲しい過ぎておかしい。お釈迦様という存在は、何らかの理由で道から逸れない。愛し続ける、という年数が高い。美しさという言葉と私は同じようにする、「醜さ」とは何度も解ろうとした自分の美しさにたいするスピリチュアルメッセージだったのだ。

     

    持ってる神が違うとは、やはり自分が地上の存在で、土地なりに育つ命があると、形も持つ。自分より上手く光としてもっと長いなら星のように掴めない筈。

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  • 菩薩のいうこと

    如何にも私だ。

     

     

     

    私は啓蒙する。

     

     

     

    菩薩が道の扉を開いた時現れる。

     

     

     

     

     

     

    「私は、あなたを認める!」

     

     

     

     

    仏を誰だか知っている。

     

     

     

    「人間じゃない」仏性はこの

     

     

     

    人の驚きか、

     

    人には珍しい悪事か、

     

     

    どちらであるのだ

     

    仏さん、

     

    苦しみの中で、悪いことに時間をかけた。

    苦しみの中で、十分に間に合った。

     

    仏に、あの時、そばにいて下さいと言うには、構造的と言い自他のない一条を取り「自分としては」あなたを願っただろうか。動かない身は重いのに、動いたら、方針を換えた。念の美しい古い神が、「クズヤ」とある人を押さえた。神はあれよあれよと妖怪になりこう言った、あなたは喜界島に流刑された人、俊寛は俊寛を気取らない。角の豊かな大鹿が、神に「噂に注意。」と言った。

     

    神は霊も持ってる、光も持ってる。「福岡から鬼界島に行った。ヌボクじゃない。昔の発音を教えて貰い、確かに声は大変。」と話した。美しい発音にたいして美しい言葉があり、大変だと思うほどの発音が、固まってなかったら自然と発声をやめる。声の形を知ってるから、直感で喋ることばは伝達に合わないとわかった。

     

    「誰でもなくなった私」は、昨日のことも忘れる。歩いてもどこに行くかは心配だった。私はこうだと楯突く暇もない。絶望して、どんなとこでも流れていく気合いは満点だった。それを木にして目印におすすみ、と、やさしくする人もいたが、依怙贔屓の有名なその影を抱えていた。その民話をもっと聞くには、もっと高い年齢の人と話す。物静かな世代の反復横飛びをルーティンする。「誰でもなくなった私」は、願えないから。自分だけで何かして行く孤独の、輪郭を黒い線で引けるが、暫くはコロスやウメルの二次創作の白っぽいグレーしかなかった。「いつでも客観性を持ちたい」といっていた。黒は、私がそう思うことに近づけた頃書けるようになった。私の技は磨きにとうとう神がかり、人の一人の生活には幾つも神を持つと解る。

     

     

    人を超えるなら人である、前提条件を忘れず法則、つまり法を学ぶ。前提条件、このくるしみから間逃れない。だから、必ず人である。仏に、あなたは人だと対決しかかって嫌われることは、そこあるのは前にある年齢関係と、

     

     

     

     

     

     

     

     

    直したい、だから直す。それは食べたいから食べる一区切りとちがって、間を持つから人間という。仏に物質が反映をしない。反映させる力が自分にあっただろうか。感情はともかく、理性的に人が人との塊と、何か自分の方法を知りたい、どちらかの「気持ち」があって、心から介入して制限されるとは思ってないから変なところがありそう思うことがあった。その都度、知ってしまったら理解する。この間に自分一人の一人修行に打ち込む人は多い。人は祈りに気付ける。たとえ少数がイコール弱さと結び付かない。初めに理通しが行き渡るからだ。それに代わって力の量を試し、人を口にするからには法に区切られる。捕まえられたと思ったら抜けて次の瞬間は楽にしている私は区切られていないと何もないところで読む。本来、本来の私の知っていることから傍に寄り添い尋ねていてくれていた仏へこうして返事が遅れた。他人はそれを見抜けずその為に知らない、それくらいは許せる人でないといけない。リアルに見れば霊界であると、心の中はその他者にたいしては、親しくても親しくなくてもたずさわる筈のない感情なのに、おかしいな。解って整えて目も澄んでる。蟲ーに、理解を止められていた。ここから理解すべきことが明るくなるだろうか。

     

     

     

     

     

     

     

    被害から、偶然、水を分けることとなった。難解なことであるが、蟲ーがこうした、ああした等と、わぁ~と、神に聞いてもらえば、いかが。スサノオ、かるたのようにス、サ、ノ、オと唱えてくれることを忘れてるから自分が古くなってる、と例えばそう言いここでわかる実体のキーワードは「面倒くさい」だ。を、仰った。それと、悪いことを笑いに変えて物事を展開し、進みに役立てる。

    その様子は歌という字にそっくり、

     

     

     

     

     

    なのだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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