揶白 (KF)

絵画

social
  • 3

    Fav 13
  • 9

    View 1,428,241
  • p

    Works 43

揶白 (KF)

m
r

揶白 (KF)

絵画

  • 3

    Fav 13
  • 9

    View 1,428,241
  • p

    Works 43
  • 自戒

    2023/12/14

    蟲ー

    蟲ーがちゃんとかっこ良く見える時があるのは、コロした人の表情。

     

    蟲ーが一生見つからないとも思える所に逃げるのは、逃げる為に生まれた人がそこに隠れないわけがない、自分がめちゃくちゃ必死ならを想像するという意味。

     

    蟲ーが面白いマヌケの素振りにたいしてそれを疑ったが、その一瞬は本当だった。

     

    蟲ーの中身は常に汗だく。ムッとしている。

     

    蟲ーは、循環する地球が悪いものを追い出そうとして、そのスピードで同じ空間に二体集まる。逃げる蟲と来る蟲、犯罪番組で見たことがある図。

     

    蟲ー同士は、いくら仲良くみえていても、反れる。反発はない。発する力が本体にないから反発もしない。そのへんを落ち着くと少しだけ思う。

     

    蟲ーは、物として垢や埃やからすにもなれない。地球上を実は過ぎていて物質に満たず、ましてからすなんて精神領域であるから何からも弾かれる。

    Comment

    • ログインするとコメントを投稿できます。

      投稿
  • (ム) 蟲ー

    2023/11/29

    蟲ー

    どうしてもそこにいない

     

    映る優しさは、それの受けた月やあなたの物

     

     

     

     

    ≪あれら≫は、紙ぺらのような姿。

     

    大切は、一、慎重に二つを持ち、分ける。

     

    ≪あれら≫は苦の原因、一番強い敵、はじめての敵。

     

     

    鬼滅の刃作者が(ム)蟲ーだ。

     

     

     

    Comment

    • ログインするとコメントを投稿できます。

      投稿
  • 蟲の見分け

    2023/11/22

    蟲ー

    能動的な幽体離脱と、ひたすら他動的な霊体浮遊は違う。そのパックされた「もの」の中には、本人の意向で見えないところに隠れてある。隠れてあるのは本人の心である。つまり、一応、その幽霊は存在していて、もう霊として存在出来ない。霊になれないのを自分でしてきている。怖い、素敵だ、と惹かれるなにか姿は地球上に実在する。そいつの値段は1000~2000円台だそうだ。恨まれて死ぬようなやつが、本当にいないからだ。

     

    一段目、透明感の能動は心にある。私が着目点は自分の不明な疑問を、いったん自分で硬い煎餅の様にばりばりに噛んで行くこと。一口で気はもう変わる筈だ。

     

    ここいらで一休み。

     

    急に心がこのように現れても、うろたえないで、これが今というリズムに心して。散々に探したかつての「リアル」を実感している。両眼なのである。

     

     

    実際に取り掛からず、歪んでいたらその人の成仏が遅れる。浮いている死体とは、クルヒトと言う。

     

    ー金五円也

    下げることも第一、下が下、引が引。

     

    分かってきたが、霊はそれ自体を霊格といい、肉眼で認識出来ない。霊はモラルそのものといって、そんな情緒は開かないもの。

     

     

     

     

    Comment

    • ログインするとコメントを投稿できます。

      投稿
  • 蟲(ムー)の見方

    2023/06/22

    蟲ー

    そいつの存在を自分の中から抹消する。

     

    その為に想像で出来るだけそのままを詩や絵のようにくり抜く

     

     

    すると、薄いぬののようになりそれだとわかる

     

     

    そしてこいつが人だったとも覚えている

     

     

    自分の反省と、有るものを大事にするから

     

     

     

     

     

    竹刀、道着を思い出し、存分と百回唱える。

     

     

    愛!

     

     

     

     

     

     

    一流と二流とどちらで学ぶか。

     

    二流を断った自分が、一流を選べるのか。

     

    周りから高ぶり捨てた事と、友達になれないが直結する。

     

    ただ、疑いの中に呼吸がある。

     

    今トラウマの治療を学んでいるのかも。

     

     

    一見して、睨み続ける。

     

     

    そんな受け止めるグーの手が、鮮やかな

     

     

    心を知っている。

     

     

    家に帰るかのようなこの感情たちが、静かになった。

     

     

    「あちらも、こちらを見つめているだけ。」と、なる。

     

     

     

    Comment

    • ログインするとコメントを投稿できます。

      投稿
  • ムーのゼリー

    2023/06/11

    蟲ー

    ある時限定だ

     

     

    創作系洋風料理フルコースのリズムが流れる

     

     

     

    大阪さんの手立てだろう

     

     

    ぐぅ、と腹が鳴る

     

     

     

    気付いていたことを言葉にしたとき

    そこにだれか男のさっと去る影が、その時見えた

     

     

    何なんだろう

     

     

     

     

    食い物に興味もないのに、それを聞いたムーがやたら腹を減らしている

     

     

    何でこんなやつの世話やかなあかんねん、と辛い気持ち

     

     

    文句を言い、歩いていると

     

     

    ムーの持っていた、他人の気に穴を開けて作った美容クリームを、

     

     

     

    いや、

     

     

    それを使用していた関係者ムーを大阪さんが食べると、

     

     

     

     

    ぴかぴかのゼリーみたいな皮膚になっていた

     

     

     

    私も何だか顔がほころんだ

     

     

     

     

     

    ムーは、自分が助かる方を感覚的に最初からしって設定している、何かから助かる方、それが軸でそれ以外に軸がなく、なんでも述べているわけではない。むしろ、人が勝手に想像して述べているだろう。それを、ムーが食べているだろう。

    Comment

    • ログインするとコメントを投稿できます。

      投稿
  • ムーを人に伝え、くるしみを癒す

    2022/10/23

    蟲ー

     

    箱を作って蹴ると、ムーが消える。

     

    この人の魂が、身体や精神におらず、そうやるのは実体を突く行為だからだ。

     

    ムーが周りにいる場合は、その魂が人の身体や精神におらず、することの罪悪感をもつ間もなく覚えれていなくて戻りもせず何か本当に低いものだから、

     

    そういう話になってくると、至って抽象的だが本人は「足下」にいるそうなのだ。もっと硬く言うと、足ではない、足の裏でもない(足の裏とはツボがあり大事な身体)、足下にいるそうだ。

     

     

    こう書いてみても、どこにいるか判らないだろう。

     

     

    今まで感じていたのは虚像だったのだ。

     

    こうして、その人が「ムーだ」と答えを出してから思い悩みも凄く楽になった。

     

    人はムーでは死なないとわかったのは、どの時も到らしめる存在ではないからだ。

     

    一晩あんなに痛められたのに、彼自身が表現するのは虚像だから

     

    一晩寝るだけで、現に心も体もめちゃくちゃ元気であることに気付いた。

     

    昔は大霊と思ったりもしたが、何か違うと思った。

     

    長いことかけてそう思った。

     

     

    山口県の友達が、こんなに人が賢いのに相当やったんやろ。。? と、言っていた。

     

    ムーを一番先に、真面目に考えないといけないと思った。滑稽で笑ってしまう。

     

     

    どうかお願いです。主要を書いて回してください。

    Comment

    • ログインするとコメントを投稿できます。

      投稿
  • 書き言葉の言い回し

    2022/10/17

    蟲ー

     

    注意

     

    ムーを(拝む、つまり理に沿わせる行動)、上げるとは、彼ら自身が与えたほどの境涯に帰ることを目的にしている。成仏と言うんだ、とか成仏の言葉の深さを学んでいる。禅と言います。

     

    釈迦とは簡単じゃない、と書いたある。

     

    聖的に罰を与えるとは、それ以前の儀式だ。

     

    この言い回しは、そこにいたお侍や中国人で、皆に使って欲しい。そんな言葉だ。ほら、想像して。滑らかに。

    ブログなどには良いだろう。私だって、こう綺麗に話せたのは長年自分だけの練習場を持ったから。

    Comment

    • ログインするとコメントを投稿できます。

      投稿
  • ムーの写真

    2022/10/13

    蟲ー

     

     

     

    コロナとなってて恐らく安全。何を持って天災かというと、その中に学んだ暗い中での日本語やしきたり文化等、天災に変えたのは前向きにいた人や、人間の。。

     

     

    おかしな人がおる、いると、ずっと言って来たけどこれを「ムー」と呼んでいます。

     

     

     

    ネットで拾ったが、こんな顔だ。

     

     

    有名な心霊写真の張本人だ。

    「見え」ても、見える気配より足下にいるから、ドン!と鳴らせば消える程度。人が怨んだり、哀しみ、怒る。この人を拝んではならない。

     

     

    ムーから解かれても、ぼちぼち正して行ける、怒らず直していける自信が有り有りだ!

     

     

    ・最近のムー

     

    ムーのネックレス(アメ村にあった、ムーが綺麗に連なっている。ブレスレットと迷った、どっちでも良いですね。)

     

    ムーのメニュー(神戸にある。長いこと見ているとこれらは通しているんですけどあなたはどちらにするんですか!と注意をよびかける兵庫男がおる。)

     

    山ムー(私は山ピーがムーだと信じている。山ムーは似ているし、細く危ない崖にいて更に緑や木々が生い茂っていて見つけにくいが、線で書いた山脈のようになだらかな道しか持っていない。そこで死んだ可哀想な人かと思ったが神が掃除をする。)

     

    ムーの梯(ムーはムー同士で行き来出来ないが、善意がほぼないのでどこにも行けないが見た人が高く見積もったり、成り立ちもするのは、ムーが今立ってる本籍地の人や、見た人の力。

     

    天はムーよりも高いから軽くムーを動かしていてムーがムーと仲良くしているようにも見える時がある。

     

    この梯だってそうである。)

     

     

     

    Comment

    • ログインするとコメントを投稿できます。

      投稿
  • 儀式が本当に儀式になる時と、神仏の違い

    2022/09/24

    蟲ー

     

    生活をする事も大切な儀式。

     

    「紙垂」と言って、これは人の角が大切だといっている。

     

    人の角が大切だというので、人の即ち良いところをムー本人が知らず知らず削ぎ取ったことがわかる。こんなにムーの仕出かす悪いことを覚えている。神は、心に叫ばなくてもわかるから楽しい話をしたい存在のことを、説明するには、脱力して自分のチューニングをとり、「良い加減」での理解をする事が、何かを叶える。何かを聞く為の澄んだ耳をし、佇みをすることで自が叶えたい事を叶えると仰る。お救い下さい、と、願うなら自分の知識を備える事を教える。自分がまた、毎日、人の努力をしてから神と遊ぶことが出来る。

     

     

    仏が在る、私やあなたの心に有るなら、

     

    この限界の中に天上界と言って、

     

    愛されるよう、の言葉一つでもめっきり角が痩せたと思う。角が取れるは良い時の言葉にして全然違う。

    都としては東京より先輩の方である。何が都会かわからないが心ってやつが進歩的だと言う意味で、稲の高さが有る田舎のほうが島の都会だと言うだろう。私は東京訛りがあるが、生まれは大阪だが間もない時に区内にいたことがある。新宿、渋谷、町の響きを親から愛する時間や、そういう美しさを孤立して願えたとき、関西は、感情の幅として埋蔵金のように詰まって、大ぶりに喉を詰まらせていたんだと思い至った。知らなかった感情が有るらしい。お構いなくどぞ良いから知ってほしい。大阪人が期待に弾む胸とは裏腹に、現実を歩く自分には社会が有って、先に守るルールの有る中で必ず会えると思う。願い、それが、誰かであっても仲が先立つ本土の中では惜しかない筈だ、と、別れないようにを願い凌いでおく。この中で、自分が、どこかで役に立とうとする自分よりも、どこかに行って学ぶ自分の方がしっくり来た。「自分、自分」と言わなくて済むから、世話を焼いて貰いやすくなるからだ。

     

    神の悪いとき

    こんな言葉をどう思うだろうか?色んな解釈をして良いことだ。視線を瞼を閉じ45度下にして避けるのは、自分の知る佳(よし)のないことに対してだ。

     

     

    想像力は、良いほうに届くのだ。神が気を流せるから地震と言って、人には命が有り、気を付ける事はお守りになるから、いつも逃げることを考えたい、逃げることまでを考えれて、徒労しなくては進歩出来ない。

    怖さこそが、人にたいして良い意味で有るが、程よく「嫌う」この正しさ。

    一方が、

    恐さ(したごころ)。自分がこれに負けたまま自意識がないと「いらない」と思われる。

     

     

     

     

     

    アッテルは、祈りの時と人間の時の両方があると思う。これをIと云えるなら、いちにんで有るなら愛に慕う。不思議な言葉だがそう思う潔さが有る。

     

     

    自分の強さの邁進を、寺に行ってお願いする。「どうしたらいいか?」思考を、神社へ散歩して伺う。「自分」にとって、寺って何を対照とするだろう?神社は何を、どんな考えを対照とするだろう?

     

     

    「心の中」を、優しく思い描いて頑張る。

     

     

    Comment

    • ログインするとコメントを投稿できます。

      投稿
  • 規格外の精神力と、到達の可能性のない者

    2022/09/24

    蟲ー

     素晴らしい言葉には、菩薩が宿る。ムーが自分の言った言葉が分からず、不思議な雰囲気を私は思ったことがある。その共感にムーが張り付いて、ムーは自分の事としている。菩薩が、ムーを運んでいる。ムーたちの肩から菩薩に耳を澄ます。

     

     霊能力が有るなら、魔法もまた道士という。魔法よりも何か悪霊を見る自分として格別高い道士となり、ムーを離さず運び続ける。これは犯罪者の魂だ。普段の言語の理解をしない。たびたび聞こえる記号にしかしがまず、これを取っ手にしている。表裏もない、あるものか。厶ーに出会ったら、目を閉じて辺りを見回す。 「吐きなさい」と言う。大きく見える厶ーが誰かを被る事で装っているからだ。

     

     警察がいるなら、警察官の画像を待ち受け登録し心の中に話して、 「私は私の為に誰かを責められるのが心配です。悪い人をおびき出して、未来を守ってもらいます。厶ーでないなら公正を希望しその人が自分自身の縁ある方へ向かうことを」と、反省します。

     

    若い厶ー使いが、厶ーの奥に見えるが、それは危険だ。ムーは100人かそれより少ないのである。本当の事たが、千原ジュニアがムーらしい。酷いことを影でするムーの、ムーの概念が一般的になったら世界の被害はマシになるはずだ。内容的に可笑しく思うが知的になるのは人で皮肉と言う。ムーは、たしかに命をもった人であるから、小さな時、言語を覚え機嫌の良いときに脂に乗ったという調子もある。その調子からその「人」の周りが努力をした時でも何の反省も一切なく精神的に帰って来ない。戻らない間、グロテスクでつまらないことばかり「考え」ている。それを笑うとしても、まず笑いがそれに耐えることの出来る精神性であり笑う事が出来るという事は人の可能性だ。光や闇でも、人の向上心や成長速度の方が人の悪意より早かったから、いずれ回り込む。ムーは、本人は意識出来ないが上段と下段が有る。逃げるムーと騒ぎに来るムーが何となく同時にいる。日本人の心が黒いのは、ムーがいるからだ。ムーが何故日本に偏るかというとこういう時価がある、集中することの出来た孤立の昔があった。

     

     ムーは始めから厚かましい人だと思う。自分のした事のアリバイだけに生きるから知能を覚えられず供養にあてられる心もすぐに失くす。その上の自己形成なんて汚いと思う。喜びの有った時に、抵抗力のあった自分の地道な毎日が有ったからこそこの文章、事柄が有ったのだという思いを忘れない事だ。平坦さを続けるこれまでにたいして果てる。ここまで思考が出来るのは確かなのだ。

     

     

     

     

     

     

    バイエススーツ

     

    海水が流入し、現在の姿になったと考えられて います。 我々以外にも希望者がいるようで、私は世界有数のダイビングスポット

     

    とは言っても、 通常のスキューバダイビングはせいぜい数10mまでしか到達できません。 ここ は水深およそ120m、 気軽に落下できる深さで はないことは明白でしょう。 そう、 バイエススーツがなければね。 それでは早速もぐってみま しょう。 もし穴の中心から落下を開始した場 合、海底に到達するまで特別珍しいものはないでし ょう。 反対に穴の淵から落下を開始した場合に は、違った一面を見る事が出来ます。 グレート ブルーホールの淵は、なだらかな斜面になって おり、そこには豊かなサンゴ礁が存在します。 サンゴ礁で見られる生物を一部紹介する。 と色 鮮やかなチョウチョウウオやエンゼルフィッシ ュなどの、小型の魚触手を揺らすオークのイソ ギンチャクの間から触覚を振るのは。

     

    他の動物の掃除をす るエビの一種です。

    他にも優雅に泳ぐ海が寝屋 子 ペレスメジロザメなどの浅瀬に暮らす サメの仲間、 豊かなカリブ海を代表す る海の生き物がお出迎えしてくれるでしょう。 ですが、それも水深15mほどで唐突に終わりを 迎えます。なだらかな斜面が崖に代わり、 そこ から先は奈落につながっているかのような。 深い 海が広がっているためです。沿って落下して行くとみられる生物は 崖にへばりついた高僧の一種(一心)を除いて一気に減 少します。この深さまで潜ると生命はなかなか見つけ ることができませんが、 壁にあいた無数の穴に 隠れている小さな理解は存在しています。

     

    水深90m付近にて様子が一気に変わります。 そ れまで26度あたりで安定していた水温が再び急 激に低下し、 22度程度になるというのもありま すが、最大の問題は水温ではありません。 もぐ っていくあなたのすぐ下に茶色の霧のような 層が見えてきます。 これは、グレートブルーホ ールの推進90m付近全体を覆っています。

     

    この層の下に、あるのはこれの 影響で光がほぼ届かず、 水中の酸素も存在しな い世界です。 推進 120mの海底に到達すると巻貝の殻が散らばった別名巻貝墓場と呼ば れる領域を見る

     

    あなたと同じように落 下してしまった巻貝やヤドカリが酸素が存在 しない海底で酸欠してしまい、 そのまま 残っているのです。

     

    奈落につながっているというのは、あながち間違 いではなく、 バイエス性の貝殻で あれば、生き延びられたがそうでも底辺際が解る  海 底付近に酸素が存在しないのは、落下した有機 物 酸素が全て消費しつくされて しまった為であると考えられています。 酸素が存在しない状況で有機物を分解する細菌の多 くは、

     

    老廃物として硫化水素を排出するものが 多く輩出した 水深90m付近に止まっています。 酸素が存在し ないため、この領域では生きて。

     

    それとも少しずつ泥に埋もれながら悠久の時を すごす選択を選びますか

     

     

     

     

     

    大阪は大きくなると綺麗だと思う。客観性が内的に向かうから、一段底が低い。人が皆、職人で固い。死と静かに暮らしているが何も起こらない。大きな虚しさが心を落ち着かせる、切ないような詩。何かを云わなくなってしまったが、心の中は相反して豊かさを描いている。突拍子もなく、病いを愛そうとし、冬枯れを起こしたり、それを反省して身近なファッションを工夫する。外的活動をしないから、目に飛び込んでくる鮮やかな色彩に酔(でい)して全うする。最もなこれら失敗と自傷行為が似ていてその願望で調和を満足する。そうしていくうちに無の佇まいを覚える。他を知らない気格が心を安心させることを知っている。この誰かを追わない自戒やそこで出来るプライド。ここに時間が流れている自戒。近くの友達を妬いている、そう思った時深く息をついて自分の知識を感心する。次にリアル、この良い言葉にたいしては自分の打たれる言葉の意味する几帳面な訳は、辛いとか悲しさではない。抜擢された美しさを保証してくれる歩行のような事物だと説明する。人の手加減、痛みを知り尽くした優秀な時計である事物だ。次に、心理的な真実味このような謎の光を帯びた言葉にたいしては、我が心の反応のその十分をかろうじて肯定する。単純さが恥ずかしいと嘆く、簡単とは、どうしても心の内をつぶやく表現の、息を切らすから。気取れる自分は、理由や孤独とは別だ。あなたの原型の心だってこう繊細である、辛いのである、と確かにこう述べれる可能性がある。異性でも同性でも、博愛とは思う理由を突拍子もなく抜かしている事に心理的な真実味がある。欲(いし)の分、ちゃんと運命もつけられていて逆に性欲の減退などは悪いことだ。私は本当に死んだこともある。たましいの住み家が陽気と陰気を指すかげに有りたまたま生きた。死の硝子越しで、ある人に「お前はどこ?」と聞かれた。言葉が体を貫いて、聞いた私はどっと出ない声や、流れない涙、神が見れなくなったこと、それらが溢れた。自己形成が二つあるとしたら、仏眼を起因するものと偏りの知らない悪意的自己形成。そのあいだなか、生きている。

     

    Comment

    • ログインするとコメントを投稿できます。

      投稿
prev December 2024年 next
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
RSS
k
k