揶白 (KF)

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    Works 43
  • 高次元世界の方法

     

    高次元世界と生活の二つ、難しい。

    高次元世界のある生活、と理想を纏めるが、

    心・技・体、とあって、理解する。

     

    この「理解」が難しいが、難しくなければ、高次元から嫌われ自然理で追い出される。

     

    楽しい、こういった境涯に欲的さはいらない。自分の未消化に思う気のない入出も同じである。

     

    隠れている悪人は閻魔堂に並び進む。わたしとは境涯が違う。あまり関係がないのだ。

     

     

     

     

     

    念を編む、言葉として「テキトーに起こる幸せじゃない方が幸せ!」

     

     

     

     

    構いなし、活だけを持ち帰る。

     

     

    フラフラしてたら骨折る。

     

     

    気にしなかったことを気にしない

     

    同じように粘着質になるならその人の性格。

     

     

     

     

     

     

    人の内心など内容的に興味ある時は、神の口から入らせてもらうように頼む。二度以上頼む。何かの許可がある。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    有り難くないものは既に見えているが、動作法に立ち返り、心に映し掛けられる価値のない動作自体と本来を見抜いている。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 石垣

    不幸は一つ、自分自身の。これを天物だと言ったら残酷の「酷(コク)」にそれを花摘みと書いて酷摘みという語がある。

     

    城の土台は裾まで大きな石を古来は運ぶ。

     

     

     

     

     

     

     

    「調伏」は、神仏に祈り、悪を滅ぼすこと。だと言う。

     

    悪魔を祓い、悪を滅ぼすこと。これを速(ただ)ちに滅ぼす為の式神。差算、そのテイシキ、実存的社会の中にある法律。

     

     

    大きくなったら、どんなときに誰かと同じくらい苦しい、同じ様に辛い。証拠がなくてもそう解るが、

     

     

    ひとりでくるしんでいる悪人の姿を思い浮かべる。

     

     

     

    誰かに「どうかご無事で。」を言葉にすると、

     

    どうか心にその誰かや譬えつまらなくても楽しいこともあり笑顔もある、人々といる平和を思い浮かべ、遠慮せずその誰かを心頼りにして苦しまないで。

     

     

     

    風紀整いがあり、気品を望むなら「酷摘み」や悪魔祓いの調伏を外の世界の人でもあなたのものと差し出したい。

     

    「形ある考え自体」は、移動出来ない。これは文明時代の裾だと思う。

     

     

     

     

    ★有限性の可能

     

    切り換える二つがあるところから、「面」が生じる。

     

     

    神仏、火影を感じる、楽しいこととしての「仕事」と、

    普段の無理なく起こるリズム、滑らかなリズム、気だるくいて元々快活な自分の感性。この時間を別にしたい。

    負けないとは、元気とは、何かを求めることとはうって変わって異なる。挑戦をしたいのなら、怯けづく、心が震えてしまう、そんな所から始めるように構えを作らないと。途端に明るさを連想する物や態度を蓄積しても、自身が内容とする本題を通っておらず、おらないから何の筋道を立てず、立たないは本望を得る筈がない。

     

    ぜつぼう的に心を暗く落としたことがあるのは、重要だが、蟲のいるその先を想像して暴れたりした。

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  • 紛った悪人

    「トライ」は、事暇なく自身にあるが、

     

     

     


    ここに修練として、精神がもし、繋がりやテレパシーを持ち、そういった高次元の実在を確かめるのに、人のいない、と想像するよりも、主体を形成するのはある程度のストレスが掛かるがこの割れない人のいる緊張感である。「人」である。家があり心がある。赴くものを蓄積し抱えている。

     

     

    人のいる緊張感が、その大きさに依った客観を描いた。それが「子」とまで言うほどの精神的な客観性であった。

     

     

    それは豊かな肉体性、つまり有ることにたいしての有限の思いが繋げている。

     

     

    「次元」が単体として、器や松、言わば継続と努力自身を指す値だ。二次元、という言葉がわかるだろうか。はみ出る人とはみ出ない人がいる。素直さなど、自分が対抗出来るストレスや、興味、こういった面の理解には理性がある。無機質感への憧れは、可能性の話をするが、強度して固めることの出来る理性とは、人間性という竜宮は、簡素なものから始まっていて、そこにいびつさが存在しているを説く。

     

     

     

    このようによって、「不可能」という(ム)蟲ーの事象を、成分を、はっきり表して置く。

     

     

    実存的思考に紛れて、人の物を自分自体の枠を破って「自分のこと」とする人がいる。それは完全に蟲、じゃなく人が人とまで称して締め上げる締まりを持つ。本来の肉体や筋肉の骨格は、その努力を節として受け入れるからだ。

     

     

    思索をする。問題が心の淵にあり、現実とする幅の広がりと表すにしては、薄っぺらく白くならずに、端所の図を心に持つ人や、感性のみで理解する人もいる。

    盗ビトが出現する「セカイ」の前後関係を落ち着いて確認した後では、

     

    それが女でもおっさん(おじいや年輩などではなく単一してやくだたないを言う)という実像を思い浮かべる事が出来る、その目を叶える。

     

    身体能力を指す理解が平たいが、心して身体性という理性があれば、何らか苦しめるものを先に退けることがわかる。身体性が理(ことわり)としてないと、犬のように当たるとこ当たるとこぶつかって事の軸が解らなくなる。

     

    別に蟲では、その手先がいくら小さくても大きくても、その人の当たってくるぶつかり面がひろく、ぶつかる心の面が広いことにたいして傷付いている、生きる規定を上回っている。鈴が鳴り、エラー音が反応してる。

     

    「セカイ」でお金をせびられる、この事情は存在するか?事物が主語にこうしていても、誰かという外側の対象を考えるにあたっての主体(わたし)とは、悪を考えるには善悪の二者に分けられることに引き戻され、客観的悪について咀嚼したときに善いことがあり、対象が誰でもない、という理解を辿る。主体とは自他が構造的に必ず含まれ、主観とは偏りであると思うさなか、正しさは自分の中の偏りを、知りうる現実で木っ端微塵に噛み砕いてから、もう一回見てみろ、と言う。祀りによって、主観をひたすらブレさせていた客観性が捉えられ主体を言う内容の言葉のフォルムが現れ、主体を肥らせる為になって来つつある。情がある負い目から、以降を考えずにいてもその自身は主体と離れていない。そこからでも価値のないものを振り落として行くことが出来るのが、主体という考えである。

     

    お前が地球にいる限り、お前のこの死世界では、聞かなくて良いという法律がある。

     

     

     

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  • 言葉の下地

    嘘でも信じて良い事がある。「自他を守るわたし」たちの為に、うなずく声が時々聞こえる。

     

    モダン思想的にいくらか税を発生させる。大澤君は、前世豊臣秀頼だと言っていたが、秀頼は(ム)蟲ーだった。

    大澤君が存在していた時から、この最初の考えを続けれている。

    「幅の低い人を考える、上を使う、」などの心的技術は彼自身には見つからなかった。

     

     

     

     

     

     

     

    力を養う方法がここにある。

     

    ①自分のことを言って、その後何か心が残ったら書けば良い。

     

    ②自分の目的が変わったのに、心にしたイメージ、それが一番速い。速度があり、絵にしろ字にしろ文にしろ、それを

    いま「使う」のに、方向が変わっても、まだそれをしている。

     

    机、板、冷蔵庫、それらを見て持つ感覚は、違いとは、

    扉は軽みのある板とは違って、厚みがある、ノブのあるなし。そんなイメージが浮かぶ。自分で考えてみよう。

     

    人の理由を、自分がするかしないかは自分次第だから、喋らない黙るというよりは、静かに待っている。

     

     

    ③これは必要だ、と思ってもいったん離れる。そこに二極化、二つのどちらかを選べる。

     

    ④だから、惑星は一回離してん。

     

    ⑤私は心が弾けて何かを言いたくなり、しかし裏腹な中、何かを言いたいこと、こちらを聞かれていた。何かそれ、というピントになるものをしているだけでも育む。「いるだけでいいよ。」観賞的な悲観に泥酔して倒れていた。

     

    何かを聞く力は、当時の私にはない。

     

    茶道に、外的な執着が芽生えたら茶道家の話を伺っているうちに身についた。

     

    ⑥あらゆるノイズをダウンする戸は、もとからある。

     

    ⑦間違える前に、じゃなく、間を取り、この間「小さな自分」を見つめていると注意力をうながせる。それは、刹那のなかで。

     

    ⑧硬質と圧さがあり、押してしまうとカタカタするから、出す、出さない、を単語を考えている。

     

    ⑨告げれぬ、本当にあった愛は宝塚役者トップスターの、その主役をしたのだと言わんばかりに大階段をかけ降りる姿。

     

    視界の隅で、そんな光が今もある。

     

     

    ⑩主体を逸らさない、主観性がある。こうした良い勉強。天は続く。終わらせることの出来る何かはそう決定した自分より大きく、手の平には全部あるから。もし外から戸の中にいても、助けれることはない。この全員は、憤りを何らか自己と自己で解ける対等のトモダチなのだ。

     

     

    ⑪心の中で間違っても何の問題もなかったはずだが、私は蟲を菩薩と祓えるが、あなたの中にある「性格」までは祓えない。

     

    ⑫性格未満のストレスなど、気にしないよう、工夫する。こういった初めての手間の学びが「ポスト」という言葉だ。

     

     

    極的にも、人の裏をかいてないから大霊は乗せてくれて、不思議。

     

     

     

    生きるという言葉にエネルギーがある時、「尊」があり、緊張感にあらゆる記号的遮光を、逸れる張りがある。

     

     

     

     

     

     

    それを自分の中から打ち出す方法の長いのを、日本は持つ。剣道の動作作法は、自分の身体が触ってみて、初めて抽象出来る。柔道に関するもあらゆる道が心と名にする「可能性」という言葉は、出来る出来ないではなく、可不可に対する波の取り組みである。

     

    筋肉が付けば、孤独は優しい。自が自になることで、脂肪が落ちる。こうしま理解をしてみよう。体的に胸、腕、柔らかさを名付くのは、筋肉。良いも思う感性。これにはこれからも取り組んでいてたい。

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  • わたしと蟲を分ける

     

     

    能する、能じる。自分より古い文化は自分より馴染みを知っている。

    私の煙草という道具。花になる勉強。四十から追及は始まる。目の前の歳上が、あれだと思っていたらあれだと答える、愛情による霊力。

     

    歳の良さ。心に空いた穴が埋まると格好良くなる。

     

    また芸能の声、顔に表される「良さ」。

    重力からぐっと起きた自分の目力を観察する。目は身体能力を見ていたのだった。

     

    変なものに憧れていたわけではない。「面」という理性、考えを持つと、対象から輝きを持った自分を裏切らないまま、それを考える。そこには何と「面」という物の時空があった。

     

    物を見る咀嚼として、面があれば、ただそこに面がある、と認識をする。この練習は良くあった。

     

     

    心に世界人がいても、その奥で私は「個」の実在を考えている。良い歌を弛みなく聴いていた。「どのようなあなたでも、、友達が大切だ。」ただの希望と絶望の上辺で、面と言う思考があって、

     

     

     

     

    「個」の存在を、身近に確かめる。例えば、理性の空上に間延びがあって文性に偏る事が多い。世界に憧れる観点から、この科学。光だと思っていたのはこの変哲のない感覚こそ、これが源だった。

     

     

    蟲を睨む、それを飼うには、

    山には「どのように」で張り合う、そのものの穢れ以上の清さが必ずある。

     

     

    命を理解している才能に、らしい、らしくないが分別出来て、土着性や空気によってある。

     

    山、誉れ、本当に大物があり、

     

    へりくだってみたら、視点が正され「個」として共通的に戻る時、「尊」すると言う言葉がままならないのは、もともと全体的に歩みのある語だからだ。同じ「釈迦」があり、同一の観点を持って確かさが存在するのがわかる。

     

     

     

    気付ける感謝。

     

    「ふっふふ、ゆに行ったら~」メディアによる心の緩和。そこに弛みが生じ、しかしそれを直すという人の可能性。

     

     

    「逆境」は、昔から土星で現されるが、

     

    タレント師の、逆境はチャレンジだ!という言葉を聞いたことがある。

     

    生き抜いて来たその事の有難さ。

     

     

     

     

    人は、成長中。

     

     

    そういう空気のある現実、伝える為に使う事としてのメディアのリアル。そんな人間の厚みを考えている。

     

     

     

     

    役割、税、誰も同じように持つ。その実を思い出してゾッとした人は方法を大げさに変える。自分自身(大)、けさ(心ゆたかな戸やレース)。

     

    自分が蓄積した木板の荷台に人を乗せて見せてあげる。

     

     

    気が高まった時やってしまう失敗が、いくら冷静にこなしていてもある。ロシアとウクライナの戦争があるが、こういったその時に勘があったのかな、と思っている。

     

     

     

     

    蟲とわたしの写真

     

    みかんが、自他を含むわたし。

     

     

    普通の人の横で、やたら肥った力をもつのは蟲。

     

    対照的に「自他のあるわたし、と、蟲」を見分けた時、

     

    自他のあるわたしは、「切ない」という感情がある。

     

    何も、感じない。この見えないものに対応した工夫。

     

    「あいつは切ない。」そうした時に、対象人がいれば、歌い出す心の現実がある。

     

     

    スーパーフラットも、レイヤー化も、認識というもともとの目の厚みが、重層する、という構造をする。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 欲は欲に返す

     

    今、話の主題であり聞いている神仏の囁き。

     

    悪い人や悪い人が撒く自身の輪郭そのもの。

     

    それは、何か感化もなく、感情もない。自分にたいする影響を見てみてもよわい。著しくは、自分だけで自己の見直しを問題あった際、完了していた。

     

     

    そとがわで書かれる悪い人の輪郭、それも悪い人がゆえ欲張りにも広範囲で姿勢、観賞、視点の邪魔をする。

     

     

    一銭にもならない。選んだ「物」に実存的に所有者がいて、それが、その悪い人の広範囲を、遥かに凌ぐ広範囲を持っているとしたら、

    選んだ袋が小さいならまだ良く、それどころじゃない

     

    価値ゼロの何がやばい、良くないと言えば、幸せとか稼ぐとか夢とか精神のプラス面にたいして負は現実性を持たない。故に無心でもない、無など芸術の始まり、こういった高度なものからはひたすら遠く位置する。

     

     

    一銭もならへん価格が平壌された状態があるとする。なにか神や方法によって感じ取れる感覚がどっこいになって、

    蟲の道を挽回できると経済のゆたかとか選ぶとする、自分の方に人を破った人、テキトーなひと、を束に集める。

     

    仕組み、こういったスゴいこと、や、努力の集積。

     

    しかし、

     

    傾く人よりそれをただ見ている人や警察呼ぶ人の方が良い人なのだ。この意味が判るだろうか。

     

    助けてほしいわけでもない、優しくしてほしい、冷たくしないで、色々あるだろう。ご縁を養う、は、五円という口元の増化を基本とする。負が、自分の身からひとりで存在を薄く平たくしている。ご縁によれば、消化されてそれっきりだ。

    何色もしないだろう。

     

     

     

    「悪」という字を五円硬貨に思う。これが金色である意味を法するなら、「私のご縁にお前が触ると固めるぞ。」と、唱える。こちらが何もしなくても「金」には真っ先に逃げ込むのが蟲だか、憎しみを憎しみ(菩薩仏と同じくして。)、憎しみを起こさないことを目的としている。

     

    蟲の目的が金ばかりだ。

     

    対照的に観賞者が黄金を見るには、苦いを苦いとし、辛いことがまた来ることを防ぐ。明日を生きるポテンシャルがなければ超越的境界そのものの光は、辛く当たるだろう。

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  • 良い歌を歌う

    武人絵巻行事絵巻から抜粋。

     

     

    花の都は桜かざし袖ひるがえす妖艶な姿で賑わった。夏は四条河原の夕涼み、山に大文字火(おおごと)、空に盆の月、夏躍り、秋風吹けば、萩、桔梗。月を偲ばせて。

     

    夜毎にすだく虫の音。雪はしとしと丸窓に。思いは積もる大国。

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  • 自己満以上の

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    お堀を見る。川ではないが、川だった。

     

    汚いが、澄んでいる。

     

    深い色の葉を一枚持つ

     

    あまり好きではない色だという、

     

    この感覚、を

     

    忘れてはいけない

     

    好きな青色と嫌いな赤色

     

    少ないか多いか

     

    傷や美しさを確かめる心に

     

    強さがいる

     

    強さがいるんだと、始めて生まれた

     

     

     

     

    家、が 無ければ

     

    国が、その人の心に無い

     

    と調べがつく

     

     

    神仏に聞くと、出来る想像より

     

    人を大事に考えれば

     

    魂になる

     

    了解がある

     

     

     

    今、何食べたいか、それがあなたの必要なもの

     

    身体の声に傾ける、心は偉い

     

    「喋りたかった」と言う前にそう知る

     

    知っていなければ

     

    自分に背くを、思い違え

     

    「自惚れたかった」

     

    これらいしころのような、を

     

    乗り越えて来た

     

    失敗を真っ先に覚えるのが愛

     

    その人からわたしの徳が語られる

     

    だから、感覚を磨く=心

     

    と言われても

     

    「税」は余った

     

    カネは始めは石で

     

    磨いて行ったことに変わりはない

     

    今、金は鏡

     

    汚いか、物自体であるか、

     

    物とは何か、

     

    汚いか、綺麗か

     

     

     

     

     

     

    Mizuho 難波1074306    弁償代

     

     

     

     

     

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  • 霊視

     

     

    もとからあった霊感が、成長と共に視る事を始め、その研磨がそのまま大きくなった。

    自分は気ままだが、異変異物に気付いたら拝んであげた。神社にも祈った。好きだった霊感を全く忘れ何の理解も全くなく暗かった。同時に精神科にかかり必ず分からないがあとから別々にある事だと知った。最初に幽霊を見たが、練習していると後に「光」が見えた。

     

    幾ら念力であたかも時間が続いてるよと思い込んでも、心には跳ね返って、現実に存在しない。感覚でなにも養えず厳しい理解世界、惑星があなたを照らす。成長してこう思うと当たり前だと考える。(ム)蟲ーが弱いのと、自分が惑星が好きだから。本来の使い方は、安心した時にしか出来ない。霊だから互いが透けている為だ。優しさなどが安心である筈はなく、「あなた」が鍵になる。

    清くなり罰より神を卸すことだと思う。綺麗さと清さが異なり、目を眼、視力、元々自分の成長により「仏眼」に起因する現象だから、目なんて開けていられない。

     

    格高く、霊を見ている。霊視に挑戦している。

     

    霊は見えるが幽霊は見えない。前を大切にする分、出過ぎたものはここには消える。何か知らないが、破ってはならない線からはみ出たとして神仏に相談する。

     

     

    光が起こる場合、抽象的な理解と、事実理解の、この割れない一本でする。

     

     

     

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