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2021/12/11
言葉が、「わたしの自慢できるもの」として成り立たないか?
誰しもが色んな失念をかかえていて、
愛なんてわすれてしまった。
愛する気持ち、この気持ちっていうのが妄想に近くて、目線が上からだから
自分が思うのなら良いが、人にたいして浮ついている。
大変だから、「道」という言葉があって
近くのものはちいさく見えるし
遠くのものは大きく見える
だからかんたんにものごともじぶんも流れていく
新しい自分、一番の自分として、
いつも人の知らないことをずっと求める
大人についていくことが、
未知なのである。
うまいことをいくら言っても、人がそれを洗って考えるのだから、
結果的に何も残らないでいる。
云いづらいことも教養があれば言葉にするが、
最初に自分の言葉を立てておく人は冷たいが、「大変」なことがわかるからだ。
なんで言葉が立つかというと、欲や人間のだらしなさについて考えてるからだ。
水も若干のストレスも精神にとっては優しく、自分が利口にいれるのに、
嫌いといって、パタンと閉じる。
本を読むのをやめる様に
自分のドラマを読むのをやめて、どんどんつまらなくなってくる。
優しいひとは目立たないし、スーツを来てものを喋らずみかけのくたびれたあんなんが
はるかに大人だったりする。
私は老人とともにして、その高さほどの事を学んだ。
「道」はもっとそばにある。
即ち、色々いいたいことを抱えているが空気的なことで押し黙ったりする。
その間中が孤独だ。
寂しさを感じながら木を模すように、
考えることを諦めない。
出来ることとして、間違えてしまったことは自分の中に迎えて直す。
五を立てるまで、自分の間違いと付き合う。
大きな夢に伴う「意味」は、このように作らないといけない。
正直が、かならずではないが、
その内面はそれでないとこう思う事すら出来ない。
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2021/12/06
神木について、幽霊について
2021/12/03
これについては何度も書き直す。
楽しい妖怪も有るが、精崩れである。
嫌な妖怪は、堕天使や、ものを考える悪人とも違う。
それがよく嫌な妖怪と間違われる。
それとその嫌な妖怪が善や美だと見間違われる。
この「幽霊」とは最下層である為、実は弱いのだが、逆に人が神を語る為の材木となる為今敢えて置かれて居る。人だったのなら一縷は良いとこがある、と思うのだがそれが本当にないのが噂の幽霊である。
ようは、人格がないので傷つかないらしい。
種類に、
ミスマルノタマ (身分に寝転ぶ)
ウマシ タカカム(一度は人に褒められるが鷹をかむ)
アシカヒヒコ(名も知らない)
トコロチマタノ(ちまちまとアリバイをつくる)
何か小さな負があって、
哀しみや、人のわけで攻撃してくるなら、有るが、
幽霊はその行動を繰り返す。何故か?ということがとても気になっていた。
神と違うのは、名前の波長が弱い。
口裂け女など、整形に失敗し立ち往生してしまったというまだ実感がある。
トコロチマタノは何して生きていたんだろう?
こうした要は「諸霊」と有るものではなく、
足のない幽霊を、見定める。
古い言葉で「キツネ」と言って、
神の前にいる稲荷との大きな違いとして、稲荷はこれを見てきた精や仏眼に起因がある。
彼らの起因が、精神の若さや、「軽さ」として
何と、恩人を食べることに疑問がない。
何と、人のかっこいい姿を「自分」として思っても、まさかの思い込みを覚ますことが無い。
そういう死ぬほど小さな事で、
異変なのは、それらの悪を必ずある時に誰もが見てるまえにしちゃうのだ。
れっきと「くぱあ」だったのだ。
生きた人間が付かれる場合、ダイイングメッセージとしてそのままその人に表現され、人目に映る。
その不安感や、見えない攻撃なども、人の優しさにたいしては小さな事だから
自分が悪いのだと許してきた。
湧いた感情の何もかもは、その上でのことなのだ。
「幽霊」の出現として、元気がなく波長の低いことが理由だとよく云われるが、
彼らがいつも神の近辺にいる理由が上記に有り怒りを買っているからで、
私の、近くにいる理由として
神木が私にあり、それが二酸化炭素のようにしてポイントだけを吸い取る。
木であるからに時を良く持っているので、現れるのがいまここだ。
我らが語ることの出来ない「神」を我らに、人に語らせる手立てとしても、神木は祀られる。
間違って「幽霊」を憎んで何かしたら、
幽霊の気が満ち、庇っても罰を被る、鎮静のように祀っても復活する。
悪意であるので、だから幽霊って怖いんだなぁと学ぶ。
人も霊界に及ぶのは、わずかもがな神の仕業。
災いにたいして人として辛かったが、経験して神から話された希望や痕跡とも云えるのだ。
どうにか一つに。
この「幽霊」故に日本人にとって、長らく神の存在が危ぶまれたのだった。
我々が知って居て、噂があるのは、鬼神ばかりで名を誰も知らない状態。
ひょんなときに、愛は繋がれて
こうも新しく物語となって立ち現れ、完全を感慨深く思うばかりだが
間違っていけないのは、決して人間は神でないのだから、
注意しないと。
一方、「現に生きていて」いいとこがないというのも、珍しく不思議で気になるが、
色んな人に憎まれ過ぎた場合、なくなってしまうのはまた全然自然だろう。
これが、子供か孫に子供くらいの、
それくらいのスパンの話だと私は思うのをどう思われるだろうか?
幽霊について、今は「文化的」とさえ思って居る。
文明、と云おうとしたが喜んですっかり忘れてしまいそうになる、
「明るい、」とは彼らのことを決して云えないで有ったことを。
「カタカムナ」
ひふみ(天皇)は善い人
回りて巡る、虚しいことや、事件。
人は、人間は、海の末を知れ。
形は咲く。
「汚れたハンカチ」
いくら血が有って先祖だといっても、
みんながみんな、すべての全員がまるまる守ってくれることではないかも知れないのだ。
明らかに命を傷つけて悪意をまき散らす浮遊霊として、
墓に入れないヤツ。
わたしの身体や、精神のいつも「外」におり、
そんな影から自分(?)の知識の中に呼び込み毎回人間を「死」へと運ぶネガティブレイン。
普通の人は知識もなく、そんな神だと
いい加減な理解しかない。絶望して研究をする。
何も感じなかったら潔く殺されて居る所、少なくとも世の納得を得ただろう。
そうして亡くなったのが母だから、痛切なのだ。
幽霊が自分から剥がれる時、勝手に流れる涙が、いままで自分が何をされていたかというのを、
具体的な事はわからないが、知っている。
もし輪廻があり、
精霊があるなら、
マイナスがほんとうにあるなら、
そいつは必ず神と「はち合わせ」をしているはずだ。
「見え」たときは、はだいたい遅いものだが、
すこし汚れてしまったハンカチは、どのようにも
持っていられるし、時代が時代でも使用できなければ。
私は私の生命を維持する。
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