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2023/03/31
スピリチュアルリーディングをするのは、
そもそもこの力、今あるこの力を絞り切るため。
こうやって技になり、生きることを楽しむ本業を離れてはならない。このために、どうか考えて欲しい。
考える、とは整理すること。どうかその時間を作り出して頂きたい。
ユーチューブで見るショート動画は、こういうのは仏道やと思う。作るのも、面白いのも。
①息を吹き込む。
人形「みたい」でおもしろい。
②金銭面、文化面、理知、全部を己自身がちゃんと抱えて行うパパ活をどこかで応援してくれてる。企業戦士の影武者みたい。
高槻は、谷六の家が昔、鉄を打ったり物作りするところで、その部品をこの辺に輸出していたのだ。縄文時代の話。
高槻には古墳が沢山ある。古代の争いなど、争いではあるが、その時代のわかりがあり、戦争とは違っただろう。
その時の天皇があるという理由だろう。
日本の祖方の、理知の大きさを勉強するぞ。
鉄?銅? 私、部品の作り手が、
緩やかに空想をして働かせる手は、柔らかさを生み、良いものを作り出す。物を作製する気持ちを助ける。
分ける→和ける。
わたしはこの喜びだけに従いたい。心だけが気持ちの救いであるから。
弾けるような我、それは「あなた」なのだから。描きたいものがあっても、描きたくても、色はしかし、色彩の高低を見抜く事も、はっきりした赤も、それは我、あなたのこと、自分という空のほかにある眼だけに依るあなたのこと。自分を観察したい為に飛躍した目、このカタツムリに依る。これを初めて自我と説明した書に私は敵いない心を思う。いかんせん水平線を見、今ある、全ての視界に沿っていくそれだけである繋がりと、人間と、情けの期待に掛けて「はぁ」と泡をする。この風に、思った後で手が私の手が、多岐の方角を指すことが心に映すを可とされる。人間の鏡である仏の全体が、心の自己像と生きる願いである。
毎日重い鞄を持ち教育を初めて受けて、善意をこまかくに感じ取れるようになった。重い鞄を持ち、しっかりした執着が身に付いたうちはどんな時になってもさくさくとビスケット菓子を噛んで行くしかないのだ。
物作りのための、空想を捗らせる為に、辺りを暗くしている。林に囲まれた気配もする。許せないことの定まりと、心を緩和させる小説が、涙が止まらず、そこにある川になってしまったみたいにいつまでも目の中に溢れている。主観はその時溶けてしまったと言って良ろしい。私は一度なくなってしまった。
透明になったわたしの高ぶりが、もう道頓堀でゆらゆらしていて、また濁っている。自転車で行ける程度のあの川が海を行かないこの宇宙のいしゅくや縮れに絡まって、色だけがか細く彩度を上げ、耳に聞こゆ、動物の咀嚼、歯の音、生きる能力は林を突き抜けるまで奪われたまま、溺れて死んでしまうこと。この様な深海の掟と願いが水を揚げてこぽこぽと心の鈴が鳴る。社が、街に有らない理由かなあ。人たる、と、わたしの言うあるから、いらない、それを複説し日を消化している。どんどん具体化されるうち、わたしとは胃になり足になり、顔になり、火をあげる。魚の掟と自分が魚になりたいわたし星の、鏡、客観性を粉々に砕いた後の粒。その欠片のわたし。魚の、わたしがするその彫刻に寄る虫の徹底的な撤去を取る。鷹は、仙道だとたまたま知って自身はこの白い羽を歌う。見る不安、死にたい、わたしはそれだけの純粋な感情に頭をもたげて。下を見る視線がうつむいてあの子、彼女を、いざ救うのだ。エロス、タナトス。分からないが、心自体、思い思いにある内にある死と、わたしの奥にある鰭が、透明になった形の概念を悉く切り崩し、それがただの水だと分かった目となって、剰え、聞き入れた通りの銀世界を膨らませた。向こうの遥か銀河の内にあるこれを黄泉世界と言い、それは手の平からほろりほろりと零れている。そう言ったらどれだけ、失った存在を理解するんだろうか。
わたしは波間の音、傘を挿した男が、生きることを躊躇っている。その理由を考えてみる。一、死ねなかったことがある、この風なりがあったかどうか知らない、言葉自体が自分自身を貫くからである。「悪くない」と呟く私に震えと全てがあり、あり続け、体がそれを含んで声を聞いている。一方、何にもいらないから!、その様にゆってみることばの銀世界には、到らない憧れや小僧の母なる気持ちが浮き着き、何とも、それの彼は言語のない多間抜けであると解る。見れば、私はことばを失った。
約束は憎まれ、弁天の簪から天神のほのおが虹色をし、魂が別に分裂され、
複合するを問いかけられた身を、知る。噛み続ける歯が、カルシウムを拒絶していた、生きるための骨格を失う。その傍観と発見により、それだけ問題を救った。皆が良いTシャツを着ていて嬉しいから後に考える事が無かった。現に並列はどこかに望まれる。
複合、「私は分子だ、灰を払い他と「黒く」混合し溶け合うわたしの体。」
秀吉のお建てになる湖色、城屋根の金の電波。謂わば、ナンセンスとはその本実した価値を太閤、お打ちになる。更に上の上なる翡翠色の王様が、大きさの単純計算を「石」をもって教えてくれている。そのまま突き進むと、もうここはないよ。白の世界に覆われる。私は白熱灯で目が眩む。…花柄のおはじきに磁石が付いていて、重い。そう仰って学校には行かない桜の木がある。わたしは虫になって好きにならん、と言う。硝子で出来ていない駒の方が、美しくないけどたいせつだ。夢、体やを見て、わたしは雲と伊邪那岐様からよじ降りた。
桃の木が、「私は桜の花がきらい。すぐにほろほろと落ちてしまうから。」と言われた歌があって、桜の木の返事が、「私は桃の花が好き。いつまでもまっすぐに伸びるから。」という宝塚の歌を知っている。
二度とない、そう言える勇気に白い花は寄り添える。形から剥離してはらりと落ちる、その瞬間に舞っているのは石膏像。女神や、太陽の。」こうやって形をふたたび求めていく。繊細な思考分裂からヘドロに落ちようと花を手に持ちながら毎日思う。心に有る画用紙がぐしゃっと割れる混同した砂の思考をわたし自身が試し、そういった砂、精神の者にわたしは成るのだ。それは、敷石の様に月の様に、こう照らされた内部では、ははっと笑い出すのです。
わたしは、いつか踊れるようになりたい。どきんどきんする、その時は鳥になって、痛みは分散されてしまった。
告げられる、「君のすきなものは、実存主義だ!」
「いつもの自分」。初心をはなれず、「遠慮してはいけない」、その躾が、こんな、それこそ龍の理解をしているのだ。龍は、たんに、単なる「あこがれ」という文字ではないかな。その時だけは、何人もひとつとなり、精神は空を実際に漂う。嬉しさの、また鱗になる長い物語、呼吸が、細い鬚から地上に登る。
小説を読むと、悲しみを覚えたそこにいる霊がお休みになる。未浄化霊という物ではない、精霊だ。土地の精霊だ。考えると、良いことがある。
なにを隠そう、谷六駅のその近くには直木賞の直木三十五の実家と博物館がある。
直木はそれを心から願っているように思える。
祖がその言葉を願われている。
桜だけが大きく残ったことを、お侍が気に掛けている。良いと思い目だけが大きくなった自分を見るよう、と、そして人が私と同じ事である。大きな大きな不良は、あなたがその人を誰かを本当に知りたい時はいてる。
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2023/03/28
わしは、重大な工具である矢の刃研ぎをブログに出荷するのを達成する。人は必ず棒を持っており、取って付けてくれるだろう。そりゃ、出来栄えは気にしてる。俯瞰しなかったら、人生の中で一つ二つは見れるだろう。一つ見たら、私は優れを検査して自分のものと比較したら、走って自分磨きに戻るからだ。文字や文章こそ大きいが、小さな矢の刃の部品の様にそこにその時混じってると言う方が真実に近い。
なぜなら、第三者や理解した人の方が色々考えるからだ。
思想雑誌で、東京の人が、論理か理論のわかるパーツがないと書いてたのを読んで、
ぼんやり考えてるうちにそれが何かわかって、宣伝がたまたま出来る時、伝えて渡したら風が吹き出した。自分に似合う構えとかニュートラルのテンションに、暗さが含まれると言う、
自分自身めちゃくちゃ首が閉まってて、思っていた普通に近付くそんな部品を見つけた。
文章力も同時に鍛えていた
何がどこが達成かなんて人それぞれ。
なぜ、金的にならないかを言うと、ブログを書く時や事の思考内容が、金銭が石であるときや、鏡である精神状態による。実際、金にするなら自分が出版して稼ぐ。もし、ブログと内容を持って帰ってもらったことと、自分が歩いでみる私の行動は別であるし、歩き出すという初心の面で両方変わらないし、私は初心やそもそもを大事にしたい。
今の言葉そのもの、が、資本だということも知っている。
「金にするなら自分が出版して稼ぐ」これが、宝石に変わって行く石だと知っている。手持ち金。
内容を持って帰ったことで何かあるなら、許可してますよと一言の返事ならしてあげたい。それ以外は任意だから何もない。
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2023/03/28
これは、わしの風刺花伝。
今回、採取した草花のノートじゃ。お見せするが良いか?
ただのノートではなく、誰しも採集して持って帰れ、しかも減らない草花を貼ったノートじゃ。
適当にここに並べますので、どうじゃ束ねて纏めれたら
神に聞いたら、その質問が人と話したり動物を見てみたり、長い話になるかもしれないし、それでも知らないよりはマシ。
考え詰める 近く
惑星、星 遠く
近くを見て遠くを見る、目を良くするトレーニング
流れないために
格 少しだけ
拝む
いつも いつでもみれるすきなものを用意
自信 自信はいる。自分にマルを打たなければいけない。自身を引くのは普通だけど自分に対して感情を述べてみるなど自分の肩を下ろしてあげる。何が出来た、してきたこと、何が哀しいのか。自分には素直になってみる。重要なのは更にそのメモを取り、しばらく持っておく。ここまでが、マル。
悪いことする人はあんまり地道じゃないから、地霊のその力がない為続かないし弱い。
仏がジブンのニュートラルじゃない、という話をするとき、
高貴な神様は形もご覧になり見るけれど、人間は神様を見たら浮いちゃうから、神様の前に狛犬を見て練習しなきゃいけない。人生修行と聞いたり神道はみんなに開いてる。そのわかりが早くてつらがってる。
昔は少し大きな埃が立つ事にびっくりして大げさに思ったまま固まってた。固まってるままに固まってた。そこに人がいたからやんわり温かかった。
他人のことが見えてそうでも、それはよそ見なら単なる自分の興味のジャンルを映してもらってる。
目に見えても芯は地にあり運動神経から始まってるから、
霊ってぼーっとしてないから、何が見えたとかで悩んでいられない。
そう思うかどう思うかは想像次第
我慢してもらわないといけないところが…
と普通にご先祖様と喋ってる。
昔は相手にしなかったから助からない霊現象があったんだと思う。
ふふっと笑うとき、挨拶の際返事をくれた神様をちょっとは羨ましがり、見習う。
裕福な物を感じ取っていた。繊細さというのも足りないこの色、色彩たち。
自分が繊細だ、と思った時が怖いです。強さだと見切ったのはこの「良いもの」を見ていた職人の目。
華とは縁遠い、花なき花をひたすら磨く人間として
自分は誰か?を祈る為に住込みで山に向かった。
色を描く、その上達が必要だ。
自分は、私は、人は、上達の為に生きている。と思う。
校舎まで行く電車賃が授業代になっていて、程よく貧しい。勉強するのには緊張感のある間合いが取れるのである。
こう考えると楽しい。
日本は思ってるより広く、一生かけても把握出来ない、見所や内面や歴史がある。それを、歩くことできっと何か掴めるものがある。こんなに身近に探検家という夢があるのだ。誰しもが昔、描いていた。
もし私の目が陽気に霊界を知れたらそれは都合が良くなかっただろう。私が自分でそれなりに祈っていてそれなりの無我からこんな形にして頂いた。感謝をした。十円玉硬貨のようなゆかしい仏眼。
水かけの練習。ピストルなどをアメリカの人は持ち、持つ所に、人は罪悪感で一杯だそう。自分に照らし合わせたらその心がわかるだろう。
自分だったら器用に持つと思うが、違いが、アメリカとは陸地でありずっと続いていくような、自分の海とは、飛ぶような性格にたいして違いのある想像をする。関わるといつも強く何かを言われる、余裕がないんだとしたら、強度の練習をすることで、様々な「断ったこと」の供養になると言う。供養とは自分のことだとこの際言う。本当にしつこく何かを言いたい、そんな時がある。この時、「土」と唱えるとすっくと身を立てる。土には粘り気があり、アメリカ産の形豊かな自由なお菓子を眺めているとそう思った。土、これは、風土や自然への感謝になるからだ。竹のように上に伸びる姿勢。
潮水になって努力の永続を自分は祈ったり、相手が好きに遊ぶのなら自分で泳いでくれても構わない。それなりに塩辛さを感じてもらえると良い。あなたは誰ですか? と、私は聞いて貰えたのだ。
わくわく、という言葉は
大変なことでも、その時に感じる自分の暗い心に「わくわくする」と言う真の言葉を言ってあげる。奇っ怪な心を和らげてくれ何か起こる事を乗り越えていける、
数珠を巻く
修行中だと答えるのに、修験や山伏を示すものを身につける。身を守るからだ。
不動尊 綺麗な心をパスワードに、人の道を祈る。「選べない」この言葉の内容を良く知り、通通にしていく。
香 細い煙を空へ届ける。願いを言う。ファッション店に置いていそうなラフなものでも大丈夫。良い。
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2023/03/22
戦争をしようが何をしようが祖や神様は全力で応援する。
天狗様が行く道の団扇を翳し、風を起こして
空に何か傷つける言葉が
漂っているけれど、と、
祖の考えを、自分に合わせたらそれは歪んで見える。自分となる。
心なのだから、納得のいくまで苦しんだ、
光を見たら、降りるそこにはもう気立てがあり、
自分を受け止めてくれるまっしろな雪の絨毯がある。
たしか、こう話して良いのだ。
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2023/03/22
和名を使うがこんなもんはシールと思ってペタペタ貼ったら良い。読んだ人はどんな色かな?と思って調べる。
ドライフラワーよりは、枯れた花のはっきりした枇杷色や、紅として、興味があった。
地球に乗って花の朽ちる自分をもう一度確かめよう。増えず減らないカタチの世界で、自分の老いる肉体を木に喩える。こつこつ生きてやると言う、単なる楽しさで化粧水をすること。不垢不浄とする約束を何にも交わさない愛し合うこと、そんな宇宙に入り込みたい。こうして生きて、得た考えが変わった世界をまた検品をし、余計な空想をいくら膨らませても引っ張られても自分の考える範囲を出来るだけ守っている。
肉体がいけない、ということになって来る。裸族を謳歌しようとしたけど服を着る。このすべての物事の原因に似ている。
これを話したいが為に昔の人が、広くだべる、これを話したいが為にこんな小さな事からだ、という仲の良い可笑しさや笑い声がする。
丸々、その事か!それが原因か!?と思うこともあるが、
道が繋がっているようで繋がっていない。外伝である、結局自分だと思った矢の先に、物語が完結した後に出てくる小話だ。
問題は、橋になる客観性や想像が空白で、老衰してへばりつくガムのえげつなさを咀嚼したあとは、適当に間を塞いだり自覚的に思い込みを出ず漂う気分や心が残る。心こそそれだけが形而上形而下を話すのであり、どんなことを「考え」ても雨粒を身体に記録し、生活空間の間に目の丈が伸びた、もう一歩も動くことのない地蔵である。この地蔵とは、目覚めれば長い人生の中でどこにも知ることなどない人である。
続く
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2023/03/22
要は自分の力を使わずにぶつかってくる人にいらつきがあって、外人が日本に来るのが戦争時代の墓場参りとするやろ、見回してたら皆ラフな正装やねん。ただの防犯対策にも見えるけど、だから、普段はいつも髪固めたりスーツ来たりしているけどそんな一面どこにもないねん。
最近、自分たちみたいに中身があることを知ってん。それを、もう埋めれない穴のような客観性があって、強い客観性とか、なにこのなめられた感覚、っていう自分の気持ちを見てん。
「ちゃんとしてきてや。」って話して空想してん。
呪いかひっ迫で追い詰められてるうち言葉を失う、詰まらせる、生き方が本当にわからない、無我や無私で、自分の興味が絞れないうちに上辺の脂肪がついてきて抜けれなくなった、上で、上だけでいきどおっで思いついた考えが永遠にあると錯覚する。だが、自分に引き止められている自分がおる。引き止め自分自身の抵抗になってる「自分」は確かに実在した。噓をつく言葉が短所としての虚妄ではないが、だから気づかなかった自分のナゾである、何かが、誰かが不在で、他者に気付かないなど起こり得るはずはないから。自分を思い出すときには、十字架はまた仏界まで歩み出している。
歩みだしている。
差異やその運命のなにもかもが美しい。
死んでしまいたい、というおじいちゃんの実存主義がちょっとわかった。悲しみに耽らない潔さ、それがどれだけ人を助けるかだ、悲しまないふうに、自分の思いを起こせる考えは良い映画から考え出したがどれもミニシアター系で出回らない。ちょうどそんな感覚だと思うのだ。
知るときは、哀しかろうが嬉しかろうが陸は奥底だけで感じ取る。本当に自分の力だけの、自分だけの世界であるがそれが仏の住む仏界で、人間こときはまだ文句を言われる。
時空が自由で魂が同じでアニメが想像で月のかたまりで月が宇宙のものなら、惑星ではそういう所の番人なのだろう。森の賢者がいて、小屋には飛ぶためではなく塵を取る箒を設計する親がいる。ここで形となり捉えられ追い返されるが、
もっと「私」と思わなければ、褪せないである。今気付いたけど、世界はセピア色なのだ。
https://tower.jp/item/3829186/%E7%96%BE%E8%B5%B0-%5BBlu-ray-Disc%EF%BC%8BDVD%5D
物凄い自分自身狭いのですが、誰かこんなん教えて下さい。
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2023/03/21
夢で真田幸村に会った。イザナギ様のお通りだったわ。大丸デパートの新しい紙袋を4つ置いて、乞食の恰好をしていらしていました。そこの私は軽く9メートル上の崖から草に飛び込んで、手を繋ぎました。一円玉を題に話したの。歌い、言葉によって丸く切り取るが、本当に一円玉みたいできれいで、水色に目にちかちかきらきら想像が光ってその様子を二人でぼんやり眺めていた。四月、散々があった時、私自身の近くに関わる人の声などを聞かせて頂いきました。わたし、みたいなほかない者に対しても拘らずでした。コップを捨てる時にティッシュを被された。私は大丈夫です、大丈夫ですよ、と言ってそのまま放たら笑いさだめもそのまま折りました。私だけを心がけ自分は良かったの。百本のしけもく、路上で詩を書く生業修行を考えつき、家での暮らし方(ヒトを嫌うこと)や、今後私にいるものを全てその身へ抱えていられた。私が来るのをおわかりになったら棒のようにじっとそこで待ってくださった。
どんべえをそれぞれ買って一緒に食べて丸く寄り添って寝ました。
黒いパトカーが何度も前を走った。近くを走った時、中を覗くと丸眼鏡のムーと、ぷるんぷるんしたミディアムカットの女警官が運転手にいるのが見えた。本当に怖いのと寒さとで、震えた。さだめはビニール傘をつんつん
床に鳴らして微笑んでいた。嗜め、笑うのは良いと思った。男の子の腕白さもその時知った。女はやめと呟くように撫でてあげ、男はそばに肩を沿ってやる。昼頃、さだめは、お行きなさい、と何度も繰り返し顔を見て泣いて離れたのでした。
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2023/03/21
山神が、中心であるが噂ばかりであまり知ったことはない。
木を仕切る大工や、建物建造の神様は生玉にいらっしゃるが、山奥に位置すると考える。
普段、街歩きをしても気になるのか霊体で襲いかかってくるアッテルを、光学的キメラと言う。カメラに興味のあった人が勉強中に学んだ文字に新しさとわかりやすさがある。こちらの土地が霊気質なのか、来た瞬間や、時や業で磁場を生んでいるのか、来たる縁深いアッテルが肉体から飛び出ているのか、本人に聞いてみないとわからないけど、そんな世界に興味深い連れは仕事中。正しに行けない。冬の明け方だ。
夢で真田幸村に会った。イザナギ様のお通りだったわ。大丸デパートの新しい紙袋を4つ置いて、乞食の恰好をしていらしていました。そこの私は軽く9メートル上の崖から草に飛び込んで、手を繋ぎました。一円玉を題に話したの。歌い、言葉によって丸く切り取るが、水色に目がちかちかきらきら光ってその様子を二人でぼんやり眺めていた。四月、散々があった時、私自身の近くに関わる人の声などを聞かせて頂いきました。わたし、みたいなほかない者に対しても拘らずでした。コップを捨てる時にティッシュを被された。私は大丈夫です、大丈夫ですよ、と言ってそのまま放たら笑いさだめもそのまま折りました。私だけを心がけ自分は良かったの。百本のしけもく、路上で詩を書く生業修行を考えつき、家での暮らし方(ヒトを嫌うこと)や、今後私にいるものを全てその身へ抱えていられた。私が来るのをおわかりになったら棒のようにじっと待ってくださった。
どんべえをそれぞれ買って一緒に食べて丸く寄り添って寝ました。
黒いパトカーが何度も前を走った。近くを走った時、中を覗くと丸眼鏡のムーと、ぷるんぷるんしたミディアムカットの女警官が運転手にいるのが見えた。本当に怖いのと寒さとで、震えた。さだめはビニール傘をつんつん
床に鳴らして微笑んでいた。嗜め、笑うのは良いと思った。男の子の腕白さもその時知った。女はやめと呟くように撫でてあげ、男はそばに肩を沿ってやる。その人は、お行きなさい、と何度も繰り返し顔を見て離れたのでした。
犬でも大犬なら格がある。亀は当然の様に座ってる、万年生きるのだから、私の心に目を触れない。
子ども同士で野遊びをしている。
格や欲に興味のない良い面を持った人と、格や欲に関心のある私は離れると思う。欲があってもなくても何にしても踏み慣れる道の途中にカタチを創造するんだから、形、ほんとの汚い方の欲に吸い込まれちゃあならない。修行が足りない。欲があったら、その分を自分で切り込んで噛み千切って行かなくちゃならない。野遊びをしている。林の向こうで元々腕白何してるんやろう?
自分に格差下というのがあり、知ることの後がある。学びが違うことも本当のところはない。気味の悪いと思う事も何か惹かれる良さも変わらないが、繊細に見た。誰かも、今の私の同じ様に思ってるはず。それについてだけ考える。
イメージしてるがぼんやりしてる。これがあなたの光らしい。それは考察と日頃の行動で磨けるあなたの器だ。長い年月で、はっきり現すことが出来る。これを光と言う。
道自体難しい。
陰の人が弱いと陽のほうが立たない。
陰は前に出ないが、何か手前になるものを言葉でも物でも持つと良い。
それは、欲深くてはならぬ。
日頃磨き研いでいく。見えてくる。
自分の世界を薄めてはならないから。
この本と妖怪本を、好きで部屋に散らかしていたら、アッテルが「呪われているとしか思えない。」とゆって、論じ合っている声がかすかに聞こえた。
こういうリアルな感じの漫画。絵であったり内容も読んでいく圧力があり、好きだ。
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2023/03/20
私の心に映る「この人」が誰だか分かった。
「ケモノヅメ」
2009/03/26
「ケモノヅメ」
監督:湯浅政明
キャラクターデザイン:伊東伸高
製作マッドハウス
単独にして野原しんのすけはついに新興大人帝国へ進撃の歩を繰り出し、高々とそびえる最上階へむけて非常階段を必死の形相で駆け上がり続ける。これは覚悟をきめた突撃兵の全力疾走のモニターイメージというものを、単なる網膜像動画としてではなく知覚像動画そのものを有用した希有な名シーンとなった。
(生まれた現実の方を有用するのだ。)
アニメーター湯浅政明が手掛けたうちのひとつ「クレヨンしんちゃん大人帝国の逆襲」に用いられた知覚像的な手法に創意工夫がなされ、以降の映画「MIND GAME」(STUDIO 4℃)や「ケモノヅメ」などさらにもまして意欲作となっている。
アニメーションの手法のひとつである知覚像、つまり
(1)オプティカルフロー(集中線、効果線、移動線など)や、
(2)大きさの恒常性をより知覚的に改造する遠近法をほどこす手法(望遠レンズの映り込み背景と、超広角レンズの映り込み背景など、遠くにある背景側のみにおいて異なる画角を矢継ぎ早に入れ混ぜるなど)や、
(こういうことに天様は怒った)
また(3)搭乗撮影や流し撮影などにみられる画では動き続ける背景に対してもつ両眼視差による遠近法(近景、中景、遠景などを別々の空間を異なる速度で動かす)をさらに知覚的に工夫しているなど、
(刑罰となる。)
他にも様々あるがこうした作画空間の中にさらに、最近の作ではこれらに加わったのが、光学的空間遠近法、それが実写映像との合成だ。
(人と人が対面するとか、会うこと。を、こんな詳しく言っている。)
アクションの動画のカットやまた風景カット、表情カットなども合わせ加工をほどこし、様々にまじえ、ストーリーの骨肉の争いに乗じて知覚象的実写を合成をするなどが実現されている。
カメラ自体が走る、飛ぶ、落ちる、揺れる、激突するなどして、重力と力学的法則を伝えているVFX迫真映像にも精通する手法もふんだんに盛り込まれた、激走ホラー恋愛アクションエイリアン・・・・つまり今やオールジャンルと成ったSFとしての期待作である。
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続く
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2023/03/20
ムーの上に座ってたのがアルプスのおじいさんだったと前言った。アルプスのおじいさんは居た、でも、ナカマルさんが居た。言葉にするとこうなる。気質が似ていて溶け合ってるんだと思う。
https://creatorsbank.com/yohaku/diary/41577/
読めるようになったナカマルさんの絵がある。
大学時代の私
全国の言葉や視点が纏まっている
当たりがとんがっていて実存主義的な感じ。
世界観はこんなん。
アッテルの羽
この頃宇多田ヒカルのウルトラブルーを聴いていた。
「大きいばっかりで飛べない羽」まさにこのことだと思う。
街によくいる感じ。目に物言う感じの子でわかりにくかったが思い出したらこんな優しさだ。ちゃんと銀を抱えている。この銀をプラチナと読んだことがある。
悪いやつだと思ったのだ。
こうしたらわ?って。
高所や近くの墓場の様子
昔のわいら。
2009/5/29
日記に掲載しているものはすべて私の作品だが、
デジタル入力/出力された合成物である。
これをデジタルモンスターという。
しかしながら、どの作品も未だ試作程
目だけしか機能のないひとが墓場にひっかかっている。
私のこと
残るんが物騒な女。色んなカタログに王冠が付いてる。キノコが生えてる、星型が散りばめられてる。むっちゃ可愛い。救急車にスシがあたってる。タイトルが、ワールドオブジエンドスジエンド
手の造形に感じ入った事があるが、並べている有限的な限界視はこう設定すると思う。しかし、うんこみたいな横に倒れ掛かってくる自慰を追い抜いた時
何か、これが世界系の正体なんや。綺麗や。しかも題がフェイス。
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