揶白 (KF)

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(追記3)方法論90,91 中間テスト

2025/02/09

日記・ブログ

 

精神→精神 この二駅しかない

 

(人間で)是非が決まらない、⋯是は、肯定。非は、あらず

 

決めている…としても決めているという心にはあまり何もない

 

⋯悪いやつに負ける

 

それよりも、言いたいのはこのヒヤッとする怪談話のような霊園への入り口である!という事である。

 

 

入り口は、言い換えれば仏界に許された唯一つの霊界これは、つまり仏界である!! 月の裏の向こうへ旅立たされる、なにもない冥界を魂で塗り替えることなのだから!

仏閣の神格値と力の共通が許される、安心の一時。

動物も休む。意志を聞き取り安心している。

人間の能力の向上も学説に叶っている。

瞑想法は満月になされる。

海は、その収穫を喜び祝っている。とこう唄う。祝いは忙しいのである、と読誦。

 

 

同じ力が何一つとないと知る時、力は発揮出来るようになる。

 

 

 

・これってせいしん

・今、自分の肉体を比べてみる⋯思う悪いことばが何も言っておらず、その正しい姿を見るときに自分にたいして力がないとわかる。

 

 

ことばない⋯10回、20回、覚える!

 

 

 

 

めっちゃ他家の空気とか掴む、それをめっちゃ怒ってる。判断はそれが“平気”かを境とする。これで不安ないし、以後の状態は心配しなくて良い。

 

 

 

 

私の前、は、その「お化け」こっきりの現実がある。国⋯、家が何か自分の知識では、人間という社会性、「わたし」を育てる始めと、“友達の家”にしても神様のようにとても楽しみに思う。それを、大切な壁にしない⋯国は覚えない。

 

 

 

 

「誰か」、意識や気配がする。お上さんだったらそれなりに心の丈があるから、会得がある、

 

「上」は、紙に上と書き、一貫して見えないことの次第だが心と比較し、だまし絵や動くように見える平絵のように、字を思いながら試してみる。⋯と?

 

 

 

 

目指すは、完全孤立した仙山である。森も大仙であり、実家もその一つの木々であり、私はリスで、仙山であり、仙人とは、木の実を拾い食を設け、楽しい生き方をするのだよ、とやっと伝えることの出来る時期である。霊性的にも想像はばっちり「調和」だ。

 

 

単に悪いやつとたたかうことになる、悪いやつとたたかう中に凄い無理感と果てしない虚脱感。お腹と背中がべたんこになったみたいに感情は壊れていて、自意識の帷の時間がつづいた。それを、理性的に考える。何故か直ぐに忘れることの出来るそれらは、寝たら直ることを知る南無阿弥陀仏に似ている。

 

 

 

 

私の目的は身体性に生きること。身体は、気を含むことを前提。

 

 

 

そうしないことを5年間休みなく続けさせられ、自分にたいする責任感や徳で平然なキブンを補ってる。

 

今のままでは本当に良くない。

 

 

 

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方法論88,89

2025/02/09

日記・ブログ

なにかあったとき、

 

 

空へ直上して、ほんまに天へ“手伝って”、とさげび

 

 

=助けて、なら人を頼らなければいけない

 

 

 

大体は、することが負でも見つける、だから“この事の”「手伝い」がほしいとなる。人間、言葉と命を頑張るなら

 

 

 

 

 

生き方が違って死に方が同じ

 

 

男言葉なら昔から、墓に生きること

 

 

精神性には、喧嘩してはいけない仲を見つける

 

 

 

シマリス君とアライグマちゃんみたいな感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そのあいだ中、

 

陸から陸へ、揺れも激しい壮絶な長さの、海のことを知れ、過程に浮かんだ言葉たちを思い出したらこんなに祈ってもらったから、

 

 

約束、ラストウォー=生活、これを守るしかなくなる。

 

 

 

反対に破る者が、空想的に白い布の上下服で居るのも、国もそうする和の形と心構えを取れているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、日常を光とこの今暮らす事情というところに壮大な時代感から前代のようなベストマッチを望み掛かる時より、気まずさを共にいてくれる神に気付く。その神名は、「お名前しりたいな」である。事柄や日常風景でも例えばカメラ、こういう物を持つという人間のプライド、物と目には物を持つ手と前方を見る目、腕、いくつもの間隔がある。動作の自覚に、体と光景に客観的な空間を見つける。透明なカメラ、が霊へ繰り上がり、その想像を実在すると知れば、何か出来そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぼろし」と言う言葉が神秘さを表現する場合、

言葉がそもそも幻覚性があり、その力の意味に幻術を現す。この事に気付いたのは、事実的な生産的徒歩の努力から知ることの出来た言葉と

この一点にのみ蓄積するのが上記も同じだ。

 

一方見下げて「マボロシの“ような”あいつ」は、

 

 

見分けはまず理性に掛かってる

 

 

 

 

 

 

「道徳」の授業がこんなに長く、

 

 

起こる悲しみは当たり前で、誰しもが

 

一人になれる文学的な道を知った時、

 

 

 

 

 

 

 

何でこうなるのか、文性的に強い神様が沢山いて、神同士の助けがかりはもう決まっていたが、こう見ると知るが足りないことがらを集めたのだ、と解る。神が天にたいして下れることの出来なさも、、聞こえる。

 

 

⋯道端でも部屋でも、何かぽわっと考え浮かべることや、ふと気付けばそのまま何か沢山ゆっている。

 

 

何か「悩んでいる⋯」を見つけたら、霊だからアンパンマンのようにして、

 


・約束を守る

・願いの客観性を保つ

=望みには大人はあっさりと決まってる

・現実のテンションと自己自身や空間の自覚が一致する心の練習

・「民」の字が、文化により起こる等、好きなことに繋げる

・ない筈の目的に「文化」や環境保全、現代社会問題、異なった宗教、公民の問題、 広い視野に立って、現代の社会について理解を深めさせるとともに、人間としての在り方生き方についての自覚を育て、民主的、平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民としての資質を養う。

 

 

元の癒やしを起こす為に、

 

 

 

 

・眠りを忘れやすいと聞く。いくら励むことがあって気になっても眠りを忘れて、今日の頑張りを

 

 

どうしたの?と笑顔で聞く。これが一人だという心的態度でなく、守護天といる感覚を掴んで置き、解決の道なりが出来やすいようにと方向を変えない精神力も高めているには、自由なら自由なほど良い感情は確かな心であり、この感情、「川」というほどまで昇龍した霊は心であり、流しているままにした方が十方を向いた客観的にも良く、精神性や肉体に合致するしかないのである。異常を見分けるのは正しさのみであるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

道徳が、土台になることからこの言葉になるが、

 

 

 

「答え」を求めれていないといけないだろう、という意味で人には誰しもなることは出来ると言っている。

 

 

 

 


 

 

 

自分のことを知り、感情を持ち、愛す。「誇り」という縁遠く思えるような言葉とはこう積み重ねられた過去から膨らむ怒りのようなことと、それが白いという知覚と、白い雲を好きな自己を直感に思えた場合、「好きという言葉」によって宿りを起こす、即身成仏⋯生きた身で成仏、また空想。上記の幻術も、いずれにしろ地に足を着けるというこっきりの、この基本初心である。大事なのは、“自分”の川が感情だからその丈を重んじる。この理由が外せない。「心」を、自分事としてその経験、知っている現実の全て、さらに自戒したり抑制する理性、今、今やその時間や感情、これを心といっている。

 

そして、客観的に掛かり込む感情の波をどうにか分け進む。

 

 

 

 

どこかからは、左にまだまだ続けれる自己の色識や、可能性と楽しみに溢れている。

 

 

 

 

 

 

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