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2024/03/04
巡回のし過ぎが原因です。
一歩を踏み込めない恐怖心もありますが、強いるよりもそこを避けることに寄り添いがあります。
視界が遮られる林を、通る中で、
蟲ーという、怒りの込み上げる対象を自分と堂々に思わず、
客観的に冷静に見る事です。それは、
自分はこうしない、(物事が)そうじゃない、
を、冷静に見て「見下し」が付きます。
人に上下が無いから、張った肩の力が抜ける事から姿勢の正しさを捉えます。
自分の根の性格を知れた事で、
そこから順序をやり直す意義を強く感じると伴に、
身の生活と、理解を平行します。
自の有する動き、(身体性や、感情と心)
ここから、初心忘れるべからずと言いますが、強化を可能とする習いです。
ここから、始めたいのです。
老人の怒ることは、
普通は、人道以外のことにたいしてだ、
と、言っても、人流れとして
蟲ーに通用する力を求めるあまり忙しく間に合わせがその時取れなかったと思います。
自分の力になる、親しめる、この惑星と言う興味が、
母親の世代とは段差がある。
お月様と言って、何かファンタジーや、もう一つ「お月見」といった儀式的な想像があった。
ここからはもう自分の事で、亡き母親は関係無いと、「素朴」と言う母の背をこう見て少し泣くのだった。私は今もしっかり生命を感じ、哀しいと思えるのだった。何か妙な形で心内にうつっても、自身生きることを選び、「私が、」母と暮らした時を思い出すのだ。それが供養になることを、私は知っていた。
現実を捨て、遊び過ぎた
自分以下で生きてる人と、
現実を自己で捨て、遊び過ぎた
蟲ー、
が、沼に浮かんでいるのを菩薩と偶然、見ています。
こんな風に思って見ています。助けるも助けないも自由自在ですが、面倒くさいのと、ほかに自由の限りを尽くす事その考えをしています。
静と柔、つまり陰気を指す。
自身の力を必然にまで高めるこれに近づくこと! 前向きにいます。
供養欄
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