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2022/06/03
キリスト教は、上に伸びる高さがあるね。わしらの高さは上に伸びるのではなく、自分の低から高、したからうえを持っている精神力。
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2022/06/03
大阪がえいじいにとって孤独なだけってことを、その方の県民に伝わるようにゆうんやろ。大きな参考
私が、今さっきから、口さみしないように、食べ物を我慢させられるところじゃない。
楽しいから俺も?って、前の人どかして私、すかすかなん。この動作してるオンナが、我の邪魔。
一方、
祀りも、今までも、「なんやかんやゆうても、何か有ったから、良いのですね。」で、続けていない。この私欲を一番避けてましたし、避けています。我らは、たえられないから笑うことを選びました。それだけの精神の筋力があったから。筋力が重力に逆らう日々の早寝早起きやリズムを知る心です。純粋芸術ということばの中に「労働歌」があり、働く、働かせる重荷を少し楽にする、いわゆるこの利器を、客観性の根を考えながら使う。
客観性とは躾けです。つまり仏陀、ありがたい事、事とは人、こう言うのは一人じゃないという意味、「私、という“宇宙”の、どうしようもない孤独の好き、しかし孤独と一人はかなり異なる。」
心の中に或る鏡ではなく、人に投げる鏡の方に客観性が全く捨てられたのです。
過去、傷つけたかも知れない、で私も黙りやすいところもある。
「何もなかったら、ずっと繋がっていける。」
正直ゆう、あなたに何もなかったのか怪しい。
この言葉を、さやかに云う価値が無かった。
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