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2023/07/28
藩とは縄文からの古い人のことで、委とは、丘が丘、役所が役所と言う事だ。。学校で初めて「委員会」を習う様に、自分からして任すことでもないという意味。
夢をもって大切にしてきたけど、
大きな大きな溝があって
真念を持ちたい我が気持ちと、許されないような悲しさの蓄積と、疲れと、
こうしたい、世界にこんなものがある、そういう風に憧れるものの為にいたい、でも出来ない。寂しい。
でも、何か足りない中で愛して生きていく、そう生きていたと思う古来の、生き方の条件だけが残っている。
寂しい。血が吹き出そうなこの穴を完全に埋めて、男が微笑む。
寂しいと言うこの傷を完全に癒やして、女が微笑む。
人の良い怖さと、悪い怖さがあって、悪い怖さは怖くなくて、
先住民という言葉と、あるべき一人で越えていく壁と、もうあなたと死ねたら良い、という花のような漠然とした星の様な胸の期待と、
黙り込んで木板を積むあの人の理由が、切なさと絶望が心にぐるぐるし、せい
北に向かうと、女の方の耐え難い恐怖の顔があって、
私は国籍や歴史を思い浮かべた頃、「もう愛さないぞ。」という答えを持って、寛(ゆた)のたゆたに、誰かにたいする愛情とも違う。いつから積んだか責任の木に、箱に、心が入っていて、当たり前にそう動いて良い悪いよりも先にこう決めるという自由な「わたしの冒険」の淵には、モネかマネのびよびよした睡蓮のくろい歪んだ水の影がある。背景が、わたしを包むものがずっとずっとウルトラマリンで、絵には、可愛い秘密、見てやらぬ秘密、目を閉じる秘密、そんなモラルはあっただろうその時代に、もし写実が光って、イラストでも純然な文的作品でも絵とはこういうふうにある、と思う中にいてこういう複雑な水の影を一本の線で描いたことに感銘を受けていた。世界がこういうふうにあると思う時に、傍らで色々感じ、勉強していて、こつこつ描いて行ったらこう描けて来た、のかな。
すると、「否定」は、そこから初めて人と交わす絆のような心なのかな。自分の中に昔広がった風と何か大きなものを思い、私が削れても砕かれていても、変わらない空があって、それを、日がな安定していた美術生活から正確に刳り抜く。
正当化と押し合いから隔たれた、そんな場所にぼちぼち向かいたい。
アメリカ人は嫌い、日本人はもっと嫌い、フランス人は一番嫌い。
私が私にたいする身にたいする平等三権を手に握りしめて、
やっと心を抱くような。
落ち葉がパリパリ鳴る道を踏んで、ロープを引っ張って歩く。
悲しくて、感動をして、
悲しみは、ただ大きな真白なダンボールになって、
私はそれを切り裂く鋏と、孤独が欲しいのだ。
それが欲しくて、は「働く」という歩く税となる。花や花のまにまに見えもせず、いつでも社会から消えそうな役人で特に、「自分を知ってほしい。」と思う。
歴史的注意
意気を準備するのに、わかんないけどという見えないことの準備をすると、枠が見えないものになってるから、それをやると重なってて運気が倍になるはずだから、先の問題にも自分が回り込めるし、動く軸が悪い方を目印にすると体がそっちに傾くから、間に見ててくれるの嬉しいし、板にチェーンとかも付いてるからじゃらーって
ついてきて巻き込むし、それじゃヤバイから。
そんなことを書いていたら、死ぬのはまだ先で良いヤ、と思えてくる。背には権威がないと誘導しにくい。そんなで、客観性に前向きさを取り戻し、照って苦しみ出している。修行と、「受難でもないカスみたいな苦しみ(特定された複数の
人名)」がある。大変だから細く見分けている。あっても良い手間と時間だ。
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