1万8000人の登録クリエイターからお気に入りの作家を検索することができます。
2023/02/28
話は芸大の頃に戻る。気楽に行った私立である。
伝えたいことが凝縮されている→Are you ready MINMI future RYO THE SKYWALKER
ものごとを解決するのに、人に口を出して自分の目的がわからなくなるなら、字で覚えても良いが
可愛いシールをキャンパスに貼って活かしたらどうだろう。
工夫を馬鹿にするなと「ヒミズ」でも
ゆっていた。
何であってもごった返す中で本物を見つけるんじゃないか。
自分の憧れるもの。歩いていた時代は、頭の回転が違ったろう。自分はさもねずみ色に染まって小さく生きている、そんな気も十分するが、
アスファルトを「見て」みると良いだろう。四角い石の道に、グレーの柵があって、あれこそ江戸時代の器なのだよ。驚きだが、
戦争後、傷跡のある地球である。人は自分探しの最中で、良いものや文化を深めだろう、だからその継ぎはぎとしてのアスファルトに心を見出す。何かを隠さずはっきり残す精神である。
何の愛想もない道が、百年、いや三百年、踏みしだくとどういう美しい姿になるだろうか、、。今、わかるだろう。結局見抜いていない自分がいる。
茶道の観点で、本当は許されなかったようだよ。ゾッとするね。
そう、一度壊れたら終いなんだ。
私が「全能」であった時、それは大学時代。これとは、十代の色んな反省を経て論理を手にした瞬間に変わる顔だ。
歩いていた時代に返そうとする奴は出現するだろう。しかし、案外道理を伝えればわかる奴だろう。
世阿弥も、二十の花は物珍しい、誠の花ではない。
とゆっていた。
彼が手にしているにせものの花、好(う)いこそあれば。
継ぎはぎのある惑星、男のように傷痕のある地球さん、めちゃくちゃかっこいい感じ。
さっき言った道路の事のこの辺にいるのが、少名彦という神で、
もう自分はいなくて良いだろうと、いったん私たちを怒る神様。
運動、身体能力。自分はねずみ色で身を焦がしていても、いうなれば江戸時代の人は土地霊だから、細かいことなら解ってくれる。
おそらく全然背も高く、マッチョで着物を着るから道理的で、
やはり身体能力なのだ、と私は悠久の憧れに手掛かりを掴んだ。
その自分と自分の距離である。
手に持った鉛筆から関心への射程距離がどのようか、画家のようにして。
広がっていく視界。
手っ取り早いのだ。
学者は、絵にすることが、手っ取り早いと言っている。
お高いものではなく、それを指すのではなく、刺したくもなく。
お高いものから隔離した真っ平なキャンパス。
自他のない世界に関わらなければ。
そんな焦りと裏腹に、仕事がそれだと言う人間も見た。
その自由や理屈、私は相手に了解される手立てを拾ってしまった。「しまった」、
こんな事の為に気が思いやられる。
ログインするとコメントを投稿できます。