揶白 (KF)

絵画

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揶白 (KF)

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  • 消えろ

     

    「家」にいる他者ほど、好かんもんはない

     

     

    心の何も繋がらないところから伸びていた、

     

    それは単なる憎しみの入り口であり…

     

    ずっとごもごもしていてもいいくらいの差

     

    いきなりCHARAとかを理解せず、自分にわかる曲を練習するねん

     

     

    同じ感情になれることが、歌うひけつ

     

    「自分」からするとお化けがいて、

     

     

     

    成長から勝手にちゃんと色彩が浮かんだら、

     

     

     

     

    その色を濃ゆめ

     

     

     

    より「別」を選ぶことを

     

     

     

    前から達成していた

     

     

     

     

    星に案内してもらう、

     

     

    影で思いに手をつっこむ、

     

     

     

    仏(善)か、「それ」かだよ

     

     

    仏は、それを「無」といってくれるし、

     

     

    調子尻も時間が有るだろう

     

     

    それを、無といってくれるし

     

     

     

    鬼じゃない、を目印に

     

     

     

    簡単に、

     

     

    無いものと付き合わずに

     

     

     

    仏といつでもいたらどんなに素敵だろう

     

     

    問題を一緒に考え

     

     

     

    楽しく、奥床しく

     

     

     

     

    諸縁は、仏にあるだろう

     

     

     

     

    後方で、目の大きくなる物ほど、迂回する

     

     

     

    大きく取るから大きくなれない

     

     

    これほど行き道を知って長い

     

     

    同じ夢を持つ人は、

     

     

    必ず遠くへ逝く者ではない

     

     

     

     

     

     

    「腹の虫がわるいですね」

     

     

     

    腹の虫が悪いです

     

    昔は気にせず、動けたことが

     

     

     

     

    客観的な自意識を経ても

     

     

     

     

    飛び出る気持ちは、習得の向上心ですと

     

     

     

    「上手く」する、など

     

     

     

     

    いつも凍った言葉が溶ける時、

     

     

     

     

    上手く行くよ\(^o^)/

     

     

     

     

     

     

    何かを、ものもの的に覚えても

     

     

    忘れる方が絶対に早い、絶対に

     

     

     

    出来なきゃいけない、

     

     

    唯一性って、「仏」やったんやで

     

     

     

    綺麗にしっかり開いた心から、

     

    性格の違いは不一致と思うほどで、

     

    心の違いのなさは、

     

     

    この聞いたことのある、精神はみな変わらん、ビョーキもしないという平均質を聞いたとき

     

     

    無限に人の性格の違いに

     

    こうしちゃいられないと、腰を重く降ろすんだ

     

     

     

     

     

    百歩譲って、

     

     

    警戒心が勝手に伝わらないのなら

     

    言葉にいるのはわたしで、いるのは「それ」じゃない

     

    すると、この場合、

     

    何が果敢で、何が上を向いても、

     

    いう、いわないで助かったり

     

    増えたり、減ったりする可能性は、

     

    ない!

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 弱々しさと考えから、成長の一致と不一致に生まれる「性」

    いっち、ふいっち、いち、に、さんっ!

     

     

     

    大らかに、激しく生きたいと思う自分は、

     

     

    第一次世界大戦の如く

     

     

     

    身を焦がしたい、と、

     

     

    思ったのは十、二十のときで、

     

     

    今ふと思うのは「人が人と、仏と仏そのようにすべて正しく生きる…」

     

     

     

     

    魅力は、

     

     

     

    理性の集積、

     

     

     

     

    髭は、

     

     

     

    勉強量

     

     

     

     

     

     

     

    話しかけると、私と話しても聞こえることは通常、ほにゃららになると仰った

     

     

     

    こういった客観性を見守られている、

     

    細く丸くて良い姿形、今のこの元気。

     

     

    全く天使い(あまつかい)もいて、

     

     

     

     

    こういった仙山があると知り、

     

     

     

    異なった寺院では、

     

    日本国憲法、反省霊が、自分の前に線香を焚いたお墓のコスチュームで、

     

     

     

     

    暴行を受けた女子からは、

     

     

     

    反省点を自分で編み出すことを

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    侍をしたり、ふわっとこう心地を何か考えれる人と

     

     

     

     

    学んでいる

     

     

     

    これを、「一緒」だと思う

     

     

     

     

    生々しさから抜け出せない言葉にSAGA、成長して目を開いたら突破する学問が不安がなければ楽しみすぎる。レイプもんに奥行きがなんぼもあり、地蔵の緑がいくつも暗く茂っていたら、と、茶臼山の池で考えていた。側には美術館がある。美術館とは、時と世間に合わせるらしいじゃないか。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「技術習得」をキーワードに、目を見開いている。

     

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  • 星から見た私

    この無心はああではないこうでもない、と常に探求した確かに仏のもので

     

    離絶していた人と人の家並に、

     

    神の近くにもし孤立していた人が、

     

    時の中で

     

    術を思い出して教えを集めると

     

    近くの人に伝える

     

    その修行は、確かに男神だけど

     

    今度は正しく人といるから

     

    良いですよ

     

    と、わかりますな

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  • 怒ること「粗末」

     

    人模様は不安

     

    明日を待とう

     

    今日我慢しよう

     

    今日を生ききれば

     

    明日は良くなる

     

    今日が有ったら

     

    明日がある

     

    今日が無ければ

     

    今日がないから

     

    明日もない

     

    今日がなかったら…?

     

    無いもなくなる

     

    一人の力は

     

    小さい

     

    小さいことを

     

    大事にする

     

    「大は小を兼ねる」

     

     

     

     

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  • 用務の私

    壁を破ってしまった人の中から、もれなく抽選で間取りも効かないスサノオの慈悲が当たる。

     

     

    神のこと、スサノオのこと、知りたい。そう思うとき、人のことが、白雲で隠れてもう聞けない知れないのは損だ。もう聞けないのは神より人の方だよ、ゆっくりしよう。泣いて間取りに戻るだけで少なくとも明日の可能性を増やせる、形遠い気持ちの問題である、それが仏の「言葉」なのだ。信じるということをずっとして、信用に長くならないこともあるまい、どうか聞いた方が身のため。

     

     

     

     

    また明日も会えるのに、どうしていつもさようならが嫌いになるんだろう?

     

     

     

    歌のこの言葉からも、さようならか嫌いであって人が好きだから真面目に道に帰って今日のいったんは別れましょう、

     

     

    と、初めて乗り越えることの出来た別れだ。

     

     

     

     

    さも簡単かのように文句をいっていたが(閉ざされたので)言葉が言葉で変わることが出来るのは、珍しかった。

     

    今日は雨。

     

    この風に久しい霊と話し、霧のある風景を思い浮かべた。人、大地、大陸、互いをとても怪しいと思う長い時間。地球の流暢や、不思議さに感動を得ている。

     

     

     

    時間、情緒、何としても客観は無いってゆわな。「無」ってここのことやったんや!!と、驚き合っている。

     

     

     

     

     

    「正面」を向くから、首が上がらず俗にそれを「顎を引く」といい、下が判るのは自分の形容が着くからだ。地に足を着けるから、対象を捉え、対象が地よりも下だと体感的に計る。道でも下を向くのが難しいから俯くと異なり、客観的に優れを見られる自意識。前には何がありますか?取り組みはすっくと、自己に映るものへと掴んでほしい。

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  • 他人だから何しても良い

    他人だし、そう歌うひとの中に

     

    でも人だよね、と教えられ、その友達もそう言った

     

    時の緊張感、

     

    時の大切な前向きな緊張感、

     

    逃がせないこと、

     

     

    そして、見なくて良いふやけきった顔

     

    こう聞いたら…?

     

    引き締まりを、

     

    緩すぎす、固すぎず、行くの。と、仏は言った。

     

     

     

     

     

     

    天はみな、簡単過ぎるぬいぐるみをその何かに落としてやる、「侮辱」をしている。このことばが、こんなにも真っ直ぐなんだ。

     

     

     

     

    「松」は、曲がりくねっていても立体性に掛かると直線を描いていることを知る。立体的に間を良く生きている者の少ない中でも強いように歯を強めて。柔らかく。

     

     

    むむっ、目が渦の様にそのまま黒く太くなった「大松」を、起こした事態を緩める為に、こんな立派な木を「自分」として思うのは偉そうに思う。成り立たないものが成り立たないから、マイナスという新たなエネルギーが注目されていて、間に挟まっていたもとの人の潔さをぐっと引き出している。

     

     

    気は気で取り返しの着くことに、成り立つものを成り立たせているから激しく光る音楽に、笑いについて珍しい「ワライガトマランワ」は、歌手がスサノオでMINMIは蟲ー。

    https://youtu.be/oIBFceB_89E?si=ApvXfyp3El1q94Pq

    泣けて、思い出せること。天の「ギフト」。

     

     

    ★こうしたシリアスな言葉は「夜」の時間帯にしか聴けないほど人は恥ずかしいのである。事態に合わせどうでもいいことはどうでもいいというやさしさが、分らんかっ。

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  • 事態の客観

    幽霊と

     

     

    心の中の誤解はそのまま

    自分もそうだし時をいたらば必ず解るはずで

    噛み合っても、誤解でも

    誤解との距離を考える

    何か発言、言うこと、言われること、を本当に少しだけ学ぶ

     

    霊は仏界にこのようにあっさりかかわると何とも頼もしいのだ

    さいきん、仏、御本尊じたいを潰している霊を見かける

     

     

    もとから自分にジャストな霊じゃないと

    「別」だから繋がっても繋がらない

     

     

     

    ぴったりした時に、霊と仏との会話がある

     

     

     

     

     

    以前、先には、野があり、散る様としてての生き方があった

     

     

     

    そこを、一般的にも教育を受けたまったく違う自分が、そう通るのはあつかましい。道なりを聞けない罪悪感があり、言葉を鵜呑みに聞いていた歴史から自分が感じ取る時代の

    風はまだある、風の中で、「散っては風となれ」のポップスの歌からは、国のことや寒さの実感と孤独の良さ、を語られた。授かりものを大事にしなくては、と、そう思うだけで生きることを自分に課せるのは、芯を太くして、昔を懐かしく思い出せる。自然に発生していたつらい道を歩くと、命が伸びたのである。

    けなげさは無い性格の自己認知にも、神は色んなことを話されるが、今も、自分の思い付かない言葉が沢山ある。私はここに、他者が、もし、何かしら居るのなら、自分の性格とは良いポジションで〜無さをもたらせる。途中、違う者のやり方の割り込みが強く、放おって善く回転するものを固着させそれを押さえ込み放おれないことが悔しい。話し合いを求めて未浄化霊になってる。話し合えない、話し合わなくても良い自然、そのしっかりした空気を強く回していた仏が昔はいて、騒動や酷い嵐の中飛ばされた。技術の認知が深まり専門から一般的と再構築を果たすような道である様を見渡した、世の尊神を感じ取る事や芸術鑑賞者の立ち場と、人の切磋琢磨が可能性の希望。戻って来て頂けないだろうかと考えている最中。空気で、人はすぐ慎ましくなる。怒鳴ってる人も、執着している人も、そうと知れば静かにしている。蟲ーが、他に何かを晒した時、それが誰かは自分の目にしたり、順番を入れ替えて人に出来ることと違うことを混合させ、人の思いを小さく大きく変えて渡した時、それを良いことだと思ったり、ぐちゃぐちゃになっていた地球の様にこの現代社会の項目の途中、妥協でこうなってる。時代という風紀からは、もっと、大きく出て欲しい。自分の時代に興味をもつこと、と仏はいった。いつも制御のあった、細かいことから大きなことを、いくらでも考えることが出来る力を、蟲ーを退けて確実に広くなってる…。

     

    仏像親近、第一希有、アッテルは、風間でちょこっと知るタイプでは。。心の是非は、もっと遠方天高く全てが自分に架かると信じて己で決めても良い自由は私も欠かせない

     

     

    人の気は気に出来ないし弱さを勝手に被る。気にならない。人の気を気に気にし始めたスタートには必ず悪手と悪い行動がある。歳に思い出せない人は「いない」。仏が善だからそれに合わせる。復讐だからだとかもとのイジワルと人徳を得ていないこの「いない」様子から、イジワル+不当な迷惑の数=蟲ーと同一レベル、引き寄せの法則である。良いものを引き寄せてはいても、今障害の多い自分はこれを考察するとき、良いから良いと引き算を掛け、確かな人生の過ごしと、傍らの運命(しがらみの多いひとが却って近距離になる瞬間)としてしっくりした本当のことを取っている。本間に、これは最近こうしっかり着いた。お陰様で仏「死ぬこと」を考えなかかったからだ。「死ぬこと」が側に来て心の段差があっても、死ぬことは考えなくても良いことが、解ったぞ!

    妖怪とは、人間終えるって言葉であるから、しっかりしてるし気にしなくて良い。

     

     

     

     

    間違いを起こし、恥ずかしくなって塞ぎ込む中で神は自分に向かう葉を見ていた。それらは人間にとっては「問題」という名だった。問題ばかりに取り組んだ。中心から池の端に浮き出す濁りに、綺麗な水が流れてきた。水は、人間の言葉なら人間だ。心を柔らかくする。人が表情で頼れないことを教える滝の細さを厳かに見たら、草を分けて刈る毎日も天空に繋がりそう。極東という地球の端に満たされる問題集を、せやから檻(もんだい)のうちで解く、この檻じたいも、神だと透明度を知る。早く帰らなければ。侍の山籠り修行として噂(もんだい)も高い。水いらずの水こそ、水ではないのだけど。

     

     

    文章こそ集中して、これでもかというほど粘っこく書くと、真実と近づき伝達をする。二十年前である、最初は四文字も書けなかったが言いたいことはあり、あほみたいなことに肉付けをしたら自分らしくなって来て、そこに理性的に知識を加えるのだという、表で誰かがやっている芸術の寸法を体得した。ことばの林には、感情の難しさと「悔しさ」がある。狩りを楽しむ人、狩られてもどうにか客観性を強め生きる人、草を育てる人の古風な解脱がある。もっとも、知らない感性をこう知らないと知るのはことばよりも仏界霊界だ。君知る人としてのことばと、その弥陀仏は違うものだ。この肉体の狭間に真白い用紙がいつもある「荘厳」。

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  • なんの力もまったくない

     

    自分が良いことに向かっても突き抜けたことないから想像できないという結果を質問化して矮小発散だけを繰り返すとしても

     

     

    想像よりは花のある機械は、

     

     

    そもそも機械は、分別の所法じゃないか、

     

     

    美しいことだけを考えて来た仏がそれを好きになり守ることにわけも無く簡単でもない

     

    仏その語にぼんやりしているのは君だ、向こうが先という記号と一時的に見なし、するとぼんやりしているのは自分、自分から見えないがはっきりと在る、これが理想なら、

     

     

     

     

    自己紹介なら良いとして百歩譲ろう

     

     

    その後だ

     

     

    わけのない人に下して

     

     

    哀しんでいる人が今もいっぱいいる

     

     

    宗教、機械、考え、あらゆる物事を保険にしていたら「自然」に返れないと決まる

     

     

     

    良いだろう機械なんだから

     

     

    理由がある日、いらなくなった

     

     

    蟲ーの存在から、色々見て一番これしかない安定を測った

     

    人がいての計算、

     

     

    これも

     

     

     

    ただすぐ後から迫る「作為」

     

     

     

    作為が「みえる」想像の感性は

     

     

     

    存在したことないから

     

     

    これを締めれていないことだけだ

     

     

     

     

    言葉は締めるまで、この絶望感が、機械には大切なのかも

     

     

     

    私が見たのは、

     

    ゾンビを狩りに来る天王星や、

     

     

     

    視覚的宇宙に似る激しい神秘の音楽は、

     

     

    決まって聴いたことないくらいの高ぶりや歌えそうにもない重さ

     

     

    ここで解るのは、似ることがレプリカより難しい

     

     

    波長、波動を上げる、力とは星を燃料、燃料にするって、理解したままのこういう物の存在しない次元で、機械が時空の物になり人間が理解できず、機械を触る人間を考える人間を考える機械は宿として成り立つ

     

    こういう愛する努力の光のレイヤーが掛かっている

     

     

     

    星に、連絡する。

     

     

     

     

    すてきだな。

     

    と、言った自分は今すぐにでも森に帰る所存しかないくらいエネルギーは疲労していて、星に連絡する為の夜の不在と原因の背中のやつは、私を捨て駒と考えそのまま押すのが関の山で自己最大ボリューム。

     

    そんなことはさて置き、

     

    今、せっかく持ってるデジタル環境を、思い出しはっとした矢先に大ごとの騒動があって、あくせくその星との接続を復旧しようと、、疲れた、、百人はそう。

     

     

    こう生きなくては、と思う心と、同じ責任を求める心の葛藤も夜していた。真っ昼間の重たい空気が重なっていて、見たらいかりが膨らむので嫌になる。自己の戸を閉める、なにも聞こえない見ないもうむり、、。ワカラナイ。

     

     

     

    極めて単純な理を、まだ自分は言葉を持たない。得ていないのではない。言わない。言えない。心を無にするが、感情と無心の簡単な切り替えを他人の背後で交互にする、それが工夫だと言って戻って来ず、「どうにかなるかもしれないから」続けていくこんな蟲ーでは心も無もなくなる。次元的に他のことするなら、「その人だけの現実」が発生する。それでも、ニンゲンっていなくなっても良いのだ、と人間の自覚を考える。絶望、たしかに好きな短調の歌と自己の客観的な心の具合を調べる。確かにこれで上手くいった筈だけどアメノウズメというこの神様やもとにある気の良さを止められて提示する輪郭が失せている…つらいんじゃなくて寒い、ねむい、これがなんかその辺の身回りのせいになる。空を見たい、という自分が見たいんだ、という礼儀がわからない

     

     

     

    何度しても確かに話し合いには到達しない運命を確認し、それだけを信じる。それは、その持つ時間が、過去のマイナスの蓄積を知らせ、人はその人にたいしても調尻を見て、慎重に選ぶボタンが、直角を引くかのようにぴしっとそこに揃い均等を得たかのような

     

    尊びがあると知ってる自分はこの運命に掛けるしかない絞りがない、という程は、枠組みが無いと描きにくい。枠組みが有ると箱に直したかのようにすっきりし、笑顔になったら、ポジティブな気持ちが始まる。今後のフィルターにその「話し合いに到達しない」運命しか通らない。限界論や。

     

     

    これは、物事を大切にしたい者にとって一番解りやすい。やさしさはいくら後回しにしてもその形になって戻れ、重みは同じだから降り立つところは決まっているからだ。

     

     

    カタカナで書いたほうのニンゲンって、蟲ー。

     

    しかし、私は真実人仏を好きではない。美しくない、派手、ゼイタク、他人を呼ぶ、他人とは暮らしたくない。はぁ、サイヤク…

     

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