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2022/06/02
あほになって、なりたい自分。
を演じる気分が楽しい。
生まれた声を適当に流す
顔が世間的に守られるようになってくる。
体のどのへん?まで聞いて聞かれへんやろ、自分自身も知らんもん、らそれはにぶいんじゃなくて見たあかん、感じたあかんをしってるから、
きも
水にすっとするまで浴びて忘れるといい。すんっと思うならすんっとしてていいところ。あなたがあなたを嫌なのを、直そうとする働きなら、ある。自分に差し当たり該当するものがあなたにだけよくうつるだろう、目を見れない気持ちとかあるのも日本の勉強、
わし中心に回ってない
ぼんちゃんがわしに悪いことしたことを、白く生きようとするんは白くないから、際がいる。
努力で、現実に繰り上がる事実がある。
これによって、
黒い出目金として私を思ったままでいいようやねん。
自分の信じてることはやっぱ正解
つまり、「いっしょに妄想したい」これが答え
わたし「ヤル気満々!!」
その前にやることがある。
今ゆうてるんは大国主で全部○サワさんちゃうんやで、
やること
波長の努力
光学
なんだろう?、出目金は水の中にいます。変なもの入れないでください、とちゃんと断る
形…妄想の形は常に無の存在、これ以上は成り立たないこと
自身が足りないものはしなきゃいけないこと。
つまり、寝像仏は、めちゃくちゃ暇つぶしなのである!
しかも形の常に解脱を望み、形を、常に追い出すのだ
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2022/06/02
高菜よ、
キリストはオメェの親の親なんだよ。
・巣作りに木枝とって行くだろう
・話しがみみっちい
・スピードじゃねぇ
・卵? 孵ったなら俺のもん
・今? 今いう話じゃない。詩人とか芸術家は、そいつの言葉が一番人を救う、それは決め台詞や自分が勝手に覚えれるような止まった時間ではなく、一番長生きするからだ。それを知っている、それだけが古くて偉いんだ。とっておきでは、見えるくらい眺めてはその人を真似れないんだ。
同じものを見てそれを同じ「ように」なぐり描きしあって何がわるいんだ!
最近、男の驚異を感じ、知っている。男は優しい。50m走は女が遅い。この醜いペースが、(今は、この現代の時が)本当なのよ。醜さは美のうち、豚が論外その。
拠って我は、自分で終わらせないこと
です。
あなたのしたことが流れてる中でも、書いたら紛れて良いじゃないか。
くらい、後のあなただ。正しく新しいあなただから、より正しさって責任があなたにあるのだと思う。そんな準備は何となくは出来ているあなたであるから、それだけは人も思って。自分が先だと思って、先にいないあなただから、後から、正しく新しいあなた、より正しさの責任。こう私にしつけられても仕方ないのだと思う。世話をやかせてもらってる我の時間、この時間に感謝。
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2022/06/02
私は私の宛先を失った。勝手に詩友の二見くんの言葉は何度でも食べられる。
頂点に達した時のこの行く道は、登ってきたように、くだりが筋力を使う。
テレビから立ち上がれ! もしくは、詩にまかせろ!
日本にある山は、登って、景色みて、くだって、家に帰るまでが「ロード」だす。家で景色のことを考え、明日を養う。これが未来という漢字かな。
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2022/06/02
ものの見分けが人より数段良く、浄化力が高い私なので、昨日の吹く風が昨日の吹く風だ、くらいの勢いで、あんまり覚えることじゃないことは、興味本位や、哀しいかもな、じゃ省略して生きるぜよ。南無。
私は、真似か真似じゃないか、を言いたいんじゃなくて、似合わない雰囲気を作りたくない。
似合うかも、大きなことでこれからも研いで行くところ。
ひよこからニワトリに、ムーのじだいが終わってえらい変わった。私の魂が、ひよこからとさかの有るにわとりになった。
幻聴は機械声。声、とは違う。幻聴は、聞き受けてはいけないもの。と精神科医が言っている。
二種類、私の中にはある。
病気の辛さ、色んなものを知って、大きくなる私達。
けむりが明けた後に、違いを言うと、神心を知るのが、先かあと。
「あの子やあの子に分けたいんだっ!」と私の腹。
「お前」
昔から喝を入れてくれていた。
ムー、あいつ、と思ったとき、あいつを学識で見えるようになった。
スピリチュアルライフを、学生時代は恥ずかしがり一度隠しているうち失ったが、気を取り直し、もう一度楽しんでいる。
今日みた夢は、
自分が書物のような存在なんてなんて美しいんだろう。
藤も柳も分からない、が、しかしこれが私。
お祈りに励んでいる。ものの見事な格ある話、を、みた(感じた)とき
“ナーム“をいうか、
格あるもの、を、如来に渡すのが失礼ではないか?
南無妙法蓮華経
という花は、
人の光が、自分の目を曇らすこともある。
それを汚れと思い込んでみたり
風呂で水にすっとするまで意識して被ったら、容易に流せる。
与わり過ぎると感じるくらい、心細いところ。心細いところであるからこそ、精神を太くしようと孤独に戦う、こうして来たからこそ、もう一度会えた時の感動は、
頂点に達した時のこの行く道は、登ってきたように、くだりが筋力を使う。
日本にある山は、登って、景色みて、くだって、家に帰るまでが「ロード」だす。家で景色のことを考え、明日を養う。これが未来という漢字かな。
千と千尋の神隠しでも、「最近はこのでんしゃ、行きっぱなしのやつか多い。」と、かまじいが言っていた。
・戻らぬ道もあれぱ、気通りの道もある。
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