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2023/10/02
天満を歩く
2023/09/03 ニューワールド
裁判
私は気霊が気霊となるまで努力し、昇華させた気功を叶えていた。
悪い人に気霊が破れる、そんな思いをもしして、
こんか良い人を!と怒ってくれる方もいた。
私はまず、忸怩、たいたうう言葉を思いだし、精神の勢い良く通る光の中で、次に文化を楽しむことが楽しいとこんな気持ちを持っていることを感じた。
いろんな知識が擬宝珠の心の中をぐるぐるする。それをノートに纏める中で、具体的に、光が光で、無量無辺の文脈より無料が無料だから、生きることもしたいことをするのも空いていて軽く、取りたいとき動けて、本筋を捉えるのも優しい。
事件、と思う。心に起きた事。私は「心」この勇気を思いだした時、何につけても疑うことなく、こう思うと言える人の、このようになってる時代のその中で、こう枝の山をくぐり抜けてやろうか、一緒にいると言ってくれた。定めの中の遭遇した責任だった。
心配を見渡しそうしてその先には、いるであろう嘲かりなんてどうでも良いと本当に思えた。
一方を確かめられず、縁を縁とせず、事件を悪く利用されるかもしれない。その注意をして考えてみる。ここから騙される人もいるからだ。そこまでを捉え、本題を確認する、
疑いもなく、こう思った自分がいた。
私はまず、忸怩、たいたうう言葉を思いだし、それが自分にあることこの感情を持つことが出来ることと、文化を楽しむことが楽しいと、こんな気持ちを持っていることを感じた。悪い事があり、その後プラスに行動したのは私であり、徳はその相手自身に関与しない。自分を持つ主体が他や横入りするものをを気にしても、そうでなくとも、こうあるから。
いろんな知識が擬宝珠の心の中をぐるぐるする。具体的に、それをノートに纏める中で、光が光で、無量無辺の文脈より無料が無料だから、生きることもしたいことをするのも空いていて軽く、取りたいとき動けて、本筋を捉えるのも優しい。
それか、そうなら、裁判から人と一緒にあれやこれやをほそーく歩いて行く、出来ない、空に相談することでそれが単に出来ないことが判った。こうここで私たちの訴えは終わった。そこは、やさしい淀みが心を締めつけている。たぷたぷ、たぷたぷ続かせた。いま、この時訴えが締まり、終わっていました。
心霊に移ります。神に及ぶ尊い道に遭うこの修行にけりをつけてやる、と、私は前を向く。進む最中、整頓されない思いが引かれ、浮くそれが、「わたし」を言う人、物、霊に及ぶはずはなく、それらが破ったものはていと自ら支払わなければいけない何か高いその存在を示す。
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2023/10/02
ルシファーはどちらが良いですか、
または、玄武。
言語の左右より現れる言葉とは、
あくとも異なる悪魔という手前卓越、匠という光は、ルシファーは、ほんずじ、もとすじ、どちらの味方でもある。
本を読まなければ、元が回らない。
家があり、父親、精、母木のことを考えられる。そこにやっと国の想像がある。
身近な身体もまた王であり、個ではない国といった想像をする。これは、法華本にも書かれてある。
起こっている物事の主題を「不思議」とする。そうした一定の辺が有る場合、器量と理解にある元の前後関係に変わりがない。と思われる。その道かその道から取り出した理解に正しめられ、その時に人が存在し、遭われる。大きな球と小さな球を同じ手から同時に落とした時は落下の速度、スピードも同じであると言う。「物自体は矛盾しない」とあるように器の語は、大小以上の個があり色と柄を持つ。
欲は、人間にとっては蔑むが、また煩悩と言い、正体が蟲(厶)ーである。仏語であるなら、含められる知れない昇華された前述の光による試しが叶えられた天像が存在し、人は哲学をして悩むという行を達成させんと足を固く地に着け御手を閉じる。
イザナギを見た人はイザナギを押し倒し、オオクニヌシも倒そうとしたが、人はこうした失敗と成功を話され神といて、それを自由と知る値が、上だそう、と噂される。人間にとって向上とは、自分の心部を拳を作り押えて、「上」と説くのだ。
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2023/10/02
心霊なのだから
いくら細くその場でいても、自分と人の為。
心霊がそう出来ているから、そういる易さ
心霊がそうあるのだから、そういる方が易い
元にある縁の方が高く起用され、親しめば、その形になる。
感情も霊とすれば、上手く纏めることが叶って出来る。経験による。
高い意志や、意識の世界と次元。
次元の現れには、想像界や、
がある。だから、合理的でない物がある。途端に修復されたり、その中では理解精神がなくそれを利用する悪意も潜む。
悪意、それは何かを考え、対処する希望が天より開けている。心霊をまた道場と成すのは自分の神仏への話し合いが不可欠となる。
汚れたとき、神の方へ本来なら治療しに向う。
霊は精神的に高い。こう何らか気付けない方であっても霊以上また成仏を持ち、何らか天が在る。浮遊霊、背後霊と呼ばれるもの憑きを蟲(ム)ーと言い、初めから修されていると見する。言葉はまた心霊であり、理解が曖昧だった。
心のもやもやした「溜まり」より、こうしたほうが良いああしたら良い、という、街でもどこでもあるうえの方を聞いたり話せる事。一回聞きの相槌では、関係をたもてない。一年の練習が必要。
見えない世界。見えないことを見えないと言うから見えないものが見えた。これが、見えないものを見るという事。
この世界では、見える人ではなくこの世界の長である仏に謝ろう。人にヒントを貰い受け、神に方法を訪ねよう。
見えない世界だ。理解が必要であり、よって言葉がある。先に天が有るからだ。天は個にあらず、ひとつではないと言う意味だ。故に広いと知られる。見えない世界、その世界にはその知識が有る。見えない「光」とは、紐解く携帯もそうである矢羽。美しい闇もまた「光」と同義。
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