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2023/07/16
かぶれてるけど、凄く良い物が作れた!! と、中国の師範霊がはしゃいでいた。
・用説
ニンニク…MPを増やす
セサミン…スタミナ
青菜(青)…ストレス回復
生姜…夏バテ
海藻…健康
健康についてのことではないか?、海藻の欄でそう思うが、「体」に健康が付いている!
「体」に健康が付いている!と、言う
まるで、健康が体の付録のようになっていることを唱えたい。
ま、走りだけ書いたがこれを使い後は何となく自分で探すだろう。
プロテイン、ザバスなど、タンパク質は、精神科が言っていたが幻聴を聞くと、タンパク質を減らすらしい。保険で、アミノ酸単体で処方するやり方を試みてみても怪しさを感じるのは、胃にじかで当たるストレスの方がリスクだと思うことと、自分で分解する胃の優しさを活用出来ていないのではないかと言う。
プロテイン等と、単体アミノ酸を一緒に入れて、ふんわりした粉に硬いアミノ酸を包み込む、
相互に栄養する。この「気持ち」でも、十分効くとわかっている。
それを、早々に言っていた漢方か五行か、聞いていたら「行」の具体の内容化が始まり、進行の内容的になっている姿と湖映しの様に、この二連を、相合っている何か様子が龍に見える。
タイミングが遅滞している、のが、忘れていたけどはっきり意味がわかる。相手にたいして、自分が解って行くのに順序的には良いのかわるいのかわからなくて、口がとまる。(含めていたらすいません。べつと思うのに。) ただ楽は、みんな制の中に自分一人で試して行く、歩く黙祷の日々がある。対面するときそこにちゃんと「君は誰なのか?」という疑問も残っている。仙道に少なからず抱いた憧憬が叶ってる。
そ知らぬ、のだろう。
大蒜は、根本と言う。
私は、人の美しさに向けて走り、研究し、「気功」という夢をもう一度叶えたい。「自分に」、悪いことをしたワケの有るひとは、体があっても、「体」を知る必要はないと強く、哀傷と悲心と向上の限り、思う。どんな気など一切繋がるものか!
一瞬見える関係性は、川に流れているものを見てる人と、そこに流れついた人。
総じてこうすることは、もとある趣味に戻ってやり直し始め、取り戻していて、違って元気なこと!であり、あたかもこの私が、何かと相関したことが「有る」かのような復讐ではない。情緒性を辿るなら、あなたの顔のシミがなかったことに!、というような真の魔法を切に願う。一秒ほどは、人生には、前にも言ったように相対性が必ずあり、自分にたいしてはそういうのは、非在としてのそんざいがあるが、自分もこの言葉の責任を持ち、言葉通りの生活を送るには私のセカイは見ての通り十分だ! 見受けぬ世界のどこかで、苦しんで生きてるだろう。それさえは知りたくない。
実在とは
2023/06/29
実在とは、
人はいる。と言う想像はあるけど、自分の現実に実在するとは思えない、(思う、で理解が完了するのは、それは奪えない。)地球上にはどこかにいても、自分とは無関係と思う。にたいして忍耐強く対応することをしていた。
ご先祖の供養に、ある方を離した。
・うざいから、でもなく
・自分が道を進んでいて
・何か言うや守るでもなかったから
この3点が有る。
でも意味があったら戻ってくる。戻しかけなくても、良いようなら戻ってくるから理解を自分がひっ捕まえる。
「非在」というそんざいがあって、察するに意識に存在するとまでは思ったことがない。そのこともあったことから、今までの恨みを感じて考えている中でもこういう風に言葉が固まった。
正しいのかわからないこういった正誤は特に決めてない。
人がそう思っている、そう思っていいことを許してる。
非理由律…自分がそう思っているから、こいうふうに要求するという意味でもない
純粋に求める、という単語が中から出てくる
だからあんな難しい話を教えてくれたんや。段を感じる。
形ばかりで彫られた鎧が見える。
物しつけ、こういったことを昔から憎まれてた神である。
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2023/07/16
道筋が合間って息詰めた人、狭まりの、心の復旧を叶えるように願う。
吐いたら吸わなければいけないし、
吸ったら吐くのだから、
光は、私の想像以上に複雑に光っておるので、
普段、造作のない波長に合わせたほうが、何でも早く進むんじゃないか。
「人間の底すらない進化。」
おじいさんが光によってこう言っていたが、今のその形跡が何とそのものとして目の前にある。自然に、因果的にこう残って浮かんでる。不透明な不浄の固まりだ。
早く進むは、良い方に進む。
一部分、一箇所、必要な自分の作業を強度に止めるカドがあり、あたるので、
砂利かなんかマークに置き換えてくれませんか。
つまり、待つのはやっぱり得策だと言うことを思った。
細かいことでも悪さでも、
普段自分のしそうなことをやり続けた方が、空気と自分に親しみやすい。
「うんこは気高い…。」と哲学家が言っていたが、物は無矛盾であって、あくまで部屋のある一個の様態が「私の心を映すもの」という、私の物である。無関係にうんこの‘ような’ものが、自ら上を覆い被さっているところだったのだ。
私の物のうえに、何者かが故意で触った。何故なら罪にも過ちと間違えてしまったは距離が随分あるからだ。罪と罰が全然ちがうことのように、前者は奥深さや厚みがあるのだ。では、罪を抱えるほうの人は罰がわるそうだ、との文章が成り立つ。
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