揶白 (KF)

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  • 自戒

    2023/12/14

    蟲ー

    蟲ーがちゃんとかっこ良く見える時があるのは、コロした人の表情。

     

    蟲ーが一生見つからないとも思える所に逃げるのは、逃げる為に生まれた人がそこに隠れないわけがない、自分がめちゃくちゃ必死ならを想像するという意味。

     

    蟲ーが面白いマヌケの素振りにたいしてそれを疑ったが、その一瞬は本当だった。

     

    蟲ーの中身は常に汗だく。ムッとしている。

     

    蟲ーは、循環する地球が悪いものを追い出そうとして、そのスピードで同じ空間に二体集まる。逃げる蟲と来る蟲、犯罪番組で見たことがある図。

     

    蟲ー同士は、いくら仲良くみえていても、反れる。反発はない。発する力が本体にないから反発もしない。そのへんを落ち着くと少しだけ思う。

     

    蟲ーは、物として垢や埃やからすにもなれない。地球上を実は過ぎていて物質に満たず、ましてからすなんて精神領域であるから何からも弾かれる。

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  • お仏像

     

     

     

     

    好きな仏像を選ぶと言っても、守護神は各でも宿られる。

     

     

     

    物に真面目な人ほど気付かなかっただろう。

     

     

     

     

    木が良いか銅が良いかは、普段着込みを期待し試練を飲む我には足が軽い。私が説明しでも損で、それは、好みに求められるポテンシャルスキルがないからだ。

    それでも言えることに、何でもショップ店員に聞き渡る、という特訓が良い。

     

     

     

     

     

    「位」とする場合、客観のあるなしは成り立つ位が必ずある。これは仏語て

     

     

     

     

    創価学会とは人付き合いのことを千度言い、一度で良い話が聞け勉強も出来て拝める、その1000パーセントのわたしを求め、次に嘆く様は大阪さんそのものだった。皆と協力を銘打たれ、気にしていることがあるらしい。池田会長と日蓮の上の一人が蟲ー。

     

     

     

    仏像が好きだ。

     

     

    お仏壇には、好きなご本尊をおずおず置いていた。その一つにあるのはお不動さんである。日蓮系の家族を立てるため、やや自身の信仰の為、そのご本尊を真似てみるような感じ。

     

    自分にわかる、感動した字の意識からも、交信、心の痕跡が上手くいき、念じることなく心を輝かせる。

     

     

     

     

     

    迷ってはいない事がある。

     

     

    色んな良いものが店には置かれている中で、

     

    あれが良い、これが良い、やっぱこれが良かった、こう長い間ぐるぐるしていても、辿り着く時は最も優れた用意をするだろう。

     

     

    宗教について話すと、暗い影があるが見ると大きな楠木があった。村とわかると良く映えた。

     

     

     

     

     

     

     

    仏像の利点

     

    仏像という、何とも見ている側のある中の意識を持つ事で、人に繋がりやすい精神を作れる。

     

    神は、自分のタイマンが何かを知る為のリセット領域。そこに相談という忍耐がいる。人が崇めるものだから、間に人の「言葉」が今あるのだろう。

     

     

     

     

    蟲ーがちゃんとかっこ良く見える時があるのは、コロした人の表情。

     

    蟲ーが一生見つからないとも思える所に逃げるのは、逃げる為に生まれた人がそこに隠れないわけがない、自分がめちゃくちゃ必死ならを想像するという意味。

     

    蟲ーが面白いマヌケの素振りにたいしてそれを疑ったが、その一瞬は本当だった。

     

    蟲ーの中身は常に汗だく。ムッとしている。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 次ぐ人と次がない人(編集)

    私の金柑。それに、戸のステンレスの良さを発見している。

     

    このところ、釈迦紛いのアッテルの蟲ーが威勢を張っている。

     

    「次のため」と言っているが、私はエスカレーター式のラクチンな世代があっても良いと思うのだ。それはしかも、成功を授けるのではなく、失敗を恐れない所から来ている。

    これと、としても自分がだれたのは、自分たちのせいだし、私の方にあるしんどい気持ちは紛いもののことで、ハイを楽しむ私には生活は守られても体力など庇われるのは辛すぎ。蟲ーと分かった後に出てきた三つ目は、それと、既にある運がもしあるのならどう進んでいるだろうか。三つ踏まえて五分と良いになる計算が何かあるだろうと期待しながら明日を待つ。待つ=生活から知れる動詞

     

     

     

     

     

    街で人が何か言ってるとき波長を霊という見えないもの

    形のない

     

    と合わすと、背景や空気と活一致する。

     

     

    情報量の重い言葉を持ってしまう、言ってしまう、で悩む人は多い。その間合わせる波長が現実的過ぎるのかも知れない。必ず心の中を検索する時間は回顧心とまず繋げなければいけない、もうちょっと砕いて纏めたら、自分の意識の高さに気付く練習とかして、「ミッ」とロボと感じる記録が出来るのかも。。

     

    私もテスト中。

     

     

     

    自分にある苦いこと、恥ずかしいこと、を普段から把握して、腹を出せるようにならないといけない。ストレス発散をし、良くないと思ってたそれが後に木の光合成に繋がるとわかった。

     

     

    イモい  卑下語。押す言葉ではなく、サゲル。

     

     

    この言葉が鮮やかに甦った。

     

     

     

     

     

    重なる   が、重ならなくなるから、気持ちは意識しないを推奨している。現実に思うことに見たら、色々思い浮かび妄となる今、わたしの目には前があって、

    掛け走るあとで気付くよりも、見て「前」に気付いた。 

     

     

     

    見てもないが、仏道入門中、無格山の水のその内のほとりに出会ったが、そのアッテルは心に思った悪意がそのまま悪事となる為、境涯という透明な存在に気付き、別、他界として閉じる小恋愛を経験した。

     

     

     

     

    この所に、何を選んで良いかわからない苦悩があるが、暫し楽しんでも良いと思う。

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  • 論書

    童の環境「外見の良さは脆い、化粧水パックを使用し丁寧に暮らしている。清潔について色々考えた結果こうなった。命名が諸あるから少ししか言わない。」

     

    仏にたいしての感謝に、気までが体を解る身にたいしては、かなしい。

     

    あらゆる混同してしまった理解が、いらぬ混色のようにしてマリアが肩をおとすような良い色に発光はしなかった。気になる人にどんな色か伝えるとすると、青に灰が混ざってぐちゃぐちゃにしたような感じ。

     

    ただこれが私にとって現実化しないのは、境涯による。それがそのまま現実化される悪人はある。悪い人、良い人がいて二人と数えたとき、同じ時間に「つらさ」という同じ重さのやつをそれぞれ持つ。すると潰れる人と耐える人があり、離れざるを得ない。

     

     

     

    時間軸と言う幅の長い広い物があってその中で瞬発的に遭遇の叶うときはある。

    勢いはある、いける時はいける、こう俗語にて許している事だ。

     

    …こんな言葉から、俗世と天世が別れたことを示し

     

    俗世に引かれる者に対して、境涯を上げる、とか、転生する、とか仏教が現る。

     

     

     

     

    昨日、チョンという既知の想像があることを学び直した。補足すると言語のニュアンスは「バツ」。

     

    チョンペケスミダ、私はそれが挨拶なんて素晴らしいなと感じていた。韓国料理店は近くにも沢山あるが、

     

    基本、「自分を民だと思うとき」

     

    に、これを解る。

     

     

     

    いけるときはあるよ、と尊を人とする者が言う。

    伝達の方法を考えるとして、その方法とは想像より遥かにある。心配いらない。

     

     

     

     

    「私の世界の客観って?」謎の悪党は、自身が村人とわかって、その後ストレスが消えた。

    今は全てを、単に肩凝ってただけだと理解して、「名」が苗字ではなくなった事を知った。

     

     

    先に言いたかったが、

    「南無天孫」は、あなたも祈って良い。

     

     

     

     

    母の始まり

     

     

    子は、如来が何だかはやく理解したい。

     

     

     

    別世界の存在が解る。如来とは、物の器が大きい。個数を意味する時は入らない。

     

     

    金色の予感を張り倒して会いに来てるのは、金迦羅。→自分を失くした痕跡と、体による時差に耐える為、

     

    金伽羅…童子と言う中途半端な形。悪人にはただの人以下に見える。

     

     

     

     

    釈迦文句「強調する言葉を養って下さった親から来た。」

     

     

     

     

    ここは、

     

    嘘でも本当でも、そこで信じたいものを自分で取りに行っている。そこに鍛えの必要な養いなど

     

     

     

    右に罪悪感を、左に自信を、罪悪感を取りに行くのは難しいが、これらを合わせる。罪悪感は、哀しいってのとは違う。

     

    自分に対することは、心の優しさからか気合いを必要とする。

     

    苦い程、それは怖しいと思うが

     

    火に手を入れるくらいの程。

     

    火に手を入れるくらい、と書けば、構造がわかる。

     

     

    合わせた手を、「もう触るようなことはしません!」と、実際に破ることが自身にあっても言う、と、言えたらあなたに神がやっと付きます。

     

     

    神それは私ではなく、私はとっくに神を付けた後の分けれる理解を有する人。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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