揶白 (KF)

絵画

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揶白 (KF)

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  • 医者の霊

    これは、大根 イラストは、まんがアニメ

     

     

     

    わしが思うに、

     

    体脂肪100

     

    いくら精神筋肉を気付かって絞り落としていても、表現は体脂肪60

     

     

     

     

    わたしは、理解されにくく苦しんだ者なので自分の供養をする

     

    キャラクターとの間隔は、人間と形が相まって輪郭を捉え切れていない目のような、驚くと目を丸く飛び出されたようなイラストは、視界世界の外側、顔の外側へめちゃくちゃ興味があった、世阿弥を見てこれはカタツムリが元祖だと言っていたのだ

     

    まず自分に本物の好きな「服」を買う

     

    寒くなくなり、

     

    考えの穴が埋まる

     

     

     

    温度が摂氏いくつと気にすることも出来ない厳しい人も、そういうのを思想、

     

     

    準えて、日本のそういうのは

     

    本当は何か?海の大岩と泥とを見つめる

     

     

    希望がある、と言い出した弥生人の飛鳥をそこに見つける

     

     

     

     

    私は叫ぶ

    「くだらない、この間隔でこの間に「顔面」のことを言うなよ」

     

     

     

     

    波が岩と両想いに愛し合い、一つというような

     

     

    どこまでも見渡して行くこの気持ち

     

     

     

     

     

    修行がしたい、と言った

     

     

    蟲ーしかいないのに、恵まれていない

     

     

     

    と神が思ったのは何でだろう?

     

     

     

     

    もう、自分でする

     

     

     

    “とゆった”

     

     

     

    豊かな面白さだな、と笑っていた

     

     

     

     

    人間として、難解に二つの意味を一つで考える

     

     

     

    神は、もともと難字をもっている

     

     

     

     

     

    責め重ねるるようでもない

     

     

     

    辛さがないこととも違う

     

     

     

     

     

     

     

     

    視覚再構は、もとからそんじょそこらの努力ではなく、ただ歴史的に方法として神に近付く占い(まじない)であった。「砂、砂利石の清潔さ」を意味する。山主や、海面の揺れによっては意味はわからない。ただ区間を案内した仏こそは、あの勇気を話す者だった

     

    満たなければ、去る。それは、鏡の中へ消えていくかのように、相違ない「顔」だった

     

     

     

    中には、天照大御神の人面といいだす「ノロイ」

     

     

    「伝説を売る」こうした文明的な夢の、想像がもとからあり、

     

    倦怠もなく、めっちゃ関心して夢を、日頃の大きな暗いヤミと相まって心に描いてみる

     

     

    コトバに心が出会ったことを受け

     

    どのように理解して止めると良いのか、堂々と考える花が

     

     

    仏にも似合い人生論にも嵌る

     

     

     

     

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  • 玉にキズ

    「病いは気から」というけれど、

     

    語るのが心、

     

    心と称するその軸が間違っていたら「問題」は探し出せるかな?

     

    気を失った者の「原因」は、欲深く落ち

     

    沈んでいる

     

    助かろうとする気持ちにカラッポが、表裏におよんで

     

    裁いたひとは裁いていて

     

    殴ったひとは殴っている

     

    殺したひとは殺している

     

    隠れたひとは隠れている

     

    受ける側は

     

    どう苦しかったのだろうと考える

     

    地上でこの欲の1本、一線だけを突進し続けると、自転から浮き剥がれていく時、「誰か」や「神」に鉢合いになる

     

    だから、

     

    助かろうとする

     

    「逃げる」選択肢はもう消えて取上げられてた

     

     

    過去を求める仏様から視認され、そのひとは最後、閻魔堂へ行く

     

    それは月のそのまた向こう

     

    (夜空のムコウ、Smapの歌がある 教訓の寺は光輝いていた)

     

     

     

    それは「人だった」

     

    人だったというわたしの時間の流れを汲むことが

     

    対極的にぶつかる「もの」に対して「わたし」という為の平等がある

     

    これを、「光が点灯している→ボタンが輝いている」と表示され空の星に連絡できる

     

     

     

    間違ったことが間違った者を呼ぶ

     

    その間違った者が間違った所にすすむ

     

    とうに話すことには及ばない

     

    時の限り、「八方掛」と出てくる

     

    この明朗な時計を意味する八方掛と、空間と事の前後を意味する「十方(ろっぽう、六方)」とする自戒→信じれる

     

    信じれる、とは、復して合わせることのできる□

     

    わたしの□は、用と龍玉

     

    解答の整頓も、

     

    時の限りと蟲ー、「位置」はこうした正しい比較から答え始めよう

     

     

    「オガミ(拝み、男神)」

     

    「心は、わたしこの笹この袋、あなたの「目的」です

     

    目的だけがあなたの善の中=天

     

    大守護よ、袋を大切にしているから」

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  • 顔と身体の関係性へ向かう

     

    伝達伝授を考える道法、

     

    詩ごころにすこし慣れておき

     

    感情や理性を諦めない読み手、第三者の詩人としての自も愛す

     

    伝授になる前に何を考えておくか、どんな何の勧める心の姿勢かあれば、教えて欲しい

     

     

     

     

     

    「思い」

     

     

    死生感の考えのつくことこそを見て

     

     

    考えの視界を広げる

     

     

     

    厳しく思う柔らかい大木には

     

     

    自然の寄し返しがある

     

     

     

    日本には古い人が多い

     

     

    選ばず、ひとときの声を真面目に身をまかせる

     

     

     

    自然に憧憬を抱き、掟と似ようとする温かに「物」を模す

     

     

    このこれぞ、修練に毎日毎日明け暮れていた古人たちの

     

     

    目的が、今、現れているのだ

     

     

     

    憧憬と自然だ

     

     

     

    先ず練習の難度が高いことは、今も変わらない

     

     

     

    「わたし」、

     

     

     

    アニメやメディアを見る感覚の通りに

     

     

     

    「わたしが物を見る」という、

     

    体を動かすだけでは、この目という技術の高度が直に感じ取れる

     

     

    メディアから拳の風が、びゅうびゅう今も吹く

     

     

    裏がない、という意味は身を起こすように重力と生きる

     

     

     

     

    街でスマホを持ちそれを観ながら佇むなら、仏の瞑想と変わらない様子は

     

     

     

    いつも添う仏様と違って、いつか添える様な人間として思うことの

     

     

    然を考える最中、十分怒り、魂となれる中で

     

    「物」が心の中の奥まで倒れて降って来た時

     

    私はその辺にある物に捉まって難を逃れた

     

    松や竹、酒や、着物や絵本や詩文や空だ

     

     

    それは身体に馴染み

     

     

    守り方の易を得く

     

     

     

    歌舞伎を観たから、目が良くなって選ぶものが一歩原理に近付けた

     

     

     

    腹の下に力を込めるから、着物の紐は下腹に位置させ、

     

     

     

    感覚から暖まるようにやわらかい絹に身を包める

     

     

     

     

    とうに、身体の脚が歩くから、顔が良くなる

     

     

    風を風と時節を知る身体は

     

     

     

    顔がわかるから、他人の顔が見える

     

     

     

    人と人が、話が始まるのはそれからだぞ

     

     

     

    だからいま、ただこう無や、川辺を永久に愛しく思うとわかるのは

     

     

     

    ちゃんと岸辺に身をもう立っているからだ

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  • 理想的に動きたい

     

    前提的にこう立っている自分がいる

     

    前提的に、

     

    確実な偶然もある

     

    上の必然もある

     

    これて確認は済んだ

     

    知る者が、こう知りたかった、ということは

     

    ない

     

    一文でも、こう避けてこれを取りに行って、と、

     

    細かいことを私はしていた

     

    面(オモテ、表)の存在する文章や表現を

     

    受け止めることに

     

    是非は必ずない

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  • 綾波レイ

    これは日本の像

     

     

     

    「私の明日の視線」とは、新らんま1/2のオープニング映像ような価値観だ。アッテルちゃんもいてみんなもいる、こころの武心として偏らずわかりやすい。 原作者は蟲ー

     

    「私とは?」の問いかけに真面目に。

     

     

     

    驚きの後することは、

     

    絶対を空間にして位置とし、人間として見たら、非常に良い考察が出来る。

     

    人間を空洞だと歪ませる「ヒテイゴト」の、不安のねじれ

     

     

     

     

    「メガレンジャー」の公式youtubeで観た

     

     

     

    黒い渦へ、おにぎりを三つ転がした様子が見える

     

     

     

     

    この世のものを、持って行けない

     

    「ヨミ」ともなるとこう形が青く光ってきて出来上がる

     

     

     

     

     

    蟲ーに追いかけられる「私」

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    こういった内面ではまったく持続している唖然とする日本の風景と心の景色

     

     

     

     

     

     

     

    冥界霊にいても力がついたり、自分にかかる悪いことが減ったりするわけはない

     

    現実で付けた自分の自力だけだから、現実にしか守護霊が現れない

    だから、早く帰りなさい、と言っている。早く帰ると、明日はありますからね!思うことに正しい動きが目を瞑ってもわかる。思いと違うのはレベルや人間を誤っているから。何か横付けに足しに量を取る分、とぼしい方が身が身を任せていただろう。理解が加えられるのは、器は、自分のスピードが自分に一番早い、と知った時。水を3分浴びると必要なことしかしなかった元の自分に初心ある如く。まぁ、これが「空」。考えないといわれる技術。

     

     

     

    画面を観ている自分の行為、物事を1本にしない柔らかい態度のある土地土地の心。そこから引き出した絵は、昔を祝うような空や羽や天地を見る西洋古典も、湖の様な懐かしい青い冥に包まれ、森と思える感性は理性に宿るほかなく、

     

     

    水の向こうでは青い顔の老人がへとへとで「有り難う、何が見えていたのか謎」と言っている

     

     

     

    この世のものを湖に持って行けない、恋、カネ、ぶつぶつ交換、裁判訴訟、人間関係

     

    物語を受けると揺らぐ

     

    動揺を抑え静めるよう漕ぎかけると、気にすることの肯定では「湖が綺麗」と思うのは良いことだと思う真実はなくならずある

     

     

    故に、「目」を失ってしまわない外も内も人間に必要だから、尊く反省したり力を諦めないその気持ち

     

    これが認められているのではないかと思う

     

     

     

     

     

    迷ってしまった人が、その人の道に帰りますように、と家では祈っていた。

     

    次は、花や歌が、もっと増えますように。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    じゃ〜ね〜

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