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2024/09/01
空間に二体いるという、前回のビデオ。
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2024/09/01
雲が飛んだら見ない間に、大きくなった自我意識が有る。
自己成長、その絵画的な世界の中にはプラスチックが溶けれてないキャラフィギュアなどなく、木々や緑などを英語の巨大さをもじり、これを逃がすほど難しいが単純に捉えられるCharacterという映画スクリーンほどの大きさをCharacterだけなんだ、言うのであった。
著者は蟲ーおおさわさんからキャラクターとキャラの違いを、こんな風に話せるんだよという事を、仏としてお光りになっている。
美しいはなしなのでお気軽に観て下さい。
https://www.dropbox.com/scl/fi/8xds9fubt2lqvccob3719/kyara.mp4?rlkey=cgv8hegjxqiqr2sjkcaosvr71&st=4lzu06q6&dl=0https://www.dropbox.com/scl/fi/8xds9fubt2lqvccob3719/kyara.mp4?rlkey=cgv8hegjxqiqr2sjkcaosvr71&st=4lzu06q6&dl=0
食い倒れ人形に似ている。二次元キャラクターと言える∠(`ω´)!!
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2024/09/01
蟲ーとわたしは300億年は遠く
精神上でしかない値とは、偶然ではなく、
良い加減、見上げることを教えたら、
見下げるより大変で、重く、
これを、
この界隈のひとは重いものを持ちはじめて今ももってる
重さ自体は変わらないねん
あなたが感じている重さと、同じ重さだと知ったら君はどうおもうだろうか?
いくら喋っても、
力の差って埋められへんねん
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2024/09/01
光だったら中のその世界、そのオーラにたいする抵抗や対応した服、そしてそれを服というくらいの客観性がないと、裸んぼうじゃ破れたり負けたりする
光や霊界、この善の様子の、もう一面が冥界だと知り、
畏む
怖れたまま信じる態度。恐縮、慎み、強か、これらを合わせた世界観のその元の姿
次に、ここにある「気練」というが、大屋毘古猿田彦神
光を認める為に、
何もないことが大切
①手を合わせる
②こすり合わせる
何もないことが大切、ただ身体に手がついていると思うコト。この修行は念を除いて、念では非ず
③手と手を離していく、戻す、の何度繰り返す
じんじんする、などを感じるのだというが、ただ手がある、ということを感じ、集中する為
④ ③の動作を大きくして、球を作るイメージをする
手と手、手と心を相談し、更には知識を粘る
イメージと平行し、
最初の、何もないことにたいして、手があることが大切
⑤内側を向くこの手の平より、次は動きを丸く描いて行く、イメージにたいして手の動きをそう合わせる、繰り返す
理想に合わせるということを、手だけがある中で
手と相談し、覚える。顎を引く、この姿勢の元のかたちを何とも感じる
次にお祈り
⑥手を回したまま、球を大きくするイメージ
こうしたいなという知識に天の波長を感じる
⑦球を、両手の二つに分け、一つは口に
一つは病の患部へ
グラウディング
①力を抜く
②「あー」と、声を出す
③何もない正常の声を聞く
④何日もする
毎日の心掛け
✩何もない声を何もないまま太くする
縄文杉を見れるかも??
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2024/09/01
自我を下にしそれが人と解るとき日が人刻と、以前に仏がいて、
実際の伊邪那岐神がお別れになった拍子に、
概念としての夜の顔をみていない昼が酷い歪みが有り、見ていない若しくは夜に昼が見られていない為に夜に付いて同じようにしている
昼は、亡霊の存在を明かすことと、自分が夜に掛かる理由の徴収の二つ以上があることを行動の前提に持ち、そして、儀が向かった方の亡霊の存在とは無意味ではないからだという点呼をする。
「君」という神のその子供、カシマをもつ夜と昼は、五星のはなし。
初めて人間と聞いたときは、西欧の聖書、周辺エリア。
時は猿刻の強い頃、そのお知恵からは知識を浴びることができた。蛇が、
自我は下にあり、自我は人だ
曰く
興味と嬉しさが純粋に分かれ分けることが出来た時には資本社会の言葉が見ることの出来ない努力の方法として理解されて得る、こういった公民的な物資の証にたいして、資本へ渡せることを認め、周囲の形を知り、
以下の、一徹してより一貫するして噛み合うことの出来る、その可能にたいして物事にたいして「出来ますよ」の人間へ相槌する、区間の長い一連を見ると道の正しさと仏が在るということは至って己の自すがたはまた個と全体と
この構造論を考える私と、
是という仏にたいするいまの愛着と、
合わさったもの
を提出する表現の「貝」は、地球の内側にも響くだろう
自分がわからないのに、どうして他人のことを理解できるのか
構造といい、
内容的形骸の陸の意思をもつことの地球の内側という哲学から、島とは海の中側、内部の人としての物語論を人は通りそのうちポスト構造主義として構造に戻って日本では恋愛化し、この啓蒙のあととは、再び他人と自分は違うという内容的結果論である本当のポスト構造主義を、対人する社会感をこうした客観性や性分の得れることをしっかり強固にし、しっかりするとはっきり分かる色から、遠くに在るという無性の道を見ることが出来る、これらと伴に丸ごと自我意識の中から考えている
自意識を置いて働きまくった。雲が飛ぶと
見ぬ間に、大きくなったわたしの自我意識が有る、この現代らしい考えと、「私」という久しぶりの感覚。
自己成長、その絵画的な世界の中にはプラスチックが溶けれてないキャラフィギュアなどなく、木々や緑などを英語の巨大さをもじり、これを逃がすほど難しいが単純に捉えられるCharacterという映画スクリーンほどの大きさをCharacterだけなんだ、言うのであった。
著者は蟲ーおおさわさんからキャラクターとキャラの違いを、こんな風に話せるんだよという事を、仏としてお光りになっている。
また意思、思うことの出来なかった事のその理由的な咀嚼から思いのパーツをパズルピースに直す。物語論でも格別に内観的な「スサノオの説得」という瞑想。
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