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2024/01/06
タタリは、崇高と書いて、祟(ほこり)と読む。歴史が古いのだ。
しかし自尊心、楯や剣、心配などそのへんにある言葉を銘打って、人の家を襲撃しにかかる。
どこからムリして取って掴んでる物ではなく、家にあるものだから見ると、惰性だった。以外の何者でもなかった。ほこりでも、埃っぽい、しろっぽい。ぼんやり自分の理想像として思い描いた鮮やかさはなかった。色彩でも、モノクロや無音セカイ、そういった新鮮をあらわすことも、ひとつもない。全然違った。
主体的な事態がうっすらあって、この心に写り込むことから人数、ことばは、めっきり自分ん家で作り直してる。一瞬自分の思ったことから、考え直している。
そこで、自分の現実が何かを考え感じ取っている。
私の心に「何か」了解のあることなら、使ったらいいと思う。
規格を見渡すと、長方形型のものが合わない。何故か分析して直す。
直すことだと思う!
私は、それが現実か?現実なら事態をうやむやにすることも出来る。長方形と言葉を組み合わせる中で、現実を表しているかだ。この為に、なるだけ、とかが必要だったのだ。
直すことだと思う!
それらを噛んで再び咀嚼しているのは、
自分がこうしても、こういう結果を得た!という時、
だから、良かったではなく、
線を私が引っぱってみると、主題が蟲ーで、
出来た→良い、正しいじゃない
出来た、
私は辛い、
私はこう思う
今の自分
①4つの束にする、②がっと線を引く
「圧縮」できる。肩の荷を下ろして挑む事。
人に怒りたい、教化してあげたい、は、
上げたい、その霊を拝んであげたい、祈ってあげたい、
は、浄化の意志で、浄化は「消える」とは全く違い、持っている、ということだった。
蟲ーを上げても、すぐ下がったり、、上がらなかった。下げたら、上がった。
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