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2025/01/30
跋陀薔薇(バッダバラ)菩薩⋯私もいますよ
其名曰(ごみょう、わっ!)。文殊師
利菩薩(文性有り)観世音菩薩(みますよ、大丈夫)得大勢菩薩(おおきく得なさいよ)常精進菩薩 不休息菩薩 宝掌菩薩 薬王菩薩 勇施菩薩(こぶし、ごはん、ゆうき、これらは休みなく)⋯休みすぎ 宝月菩薩⋯枯れ山 月光菩薩⋯神の正負、人間の感情バランス 満月菩薩(良く寝てまいにちをおおきく超える)大力菩薩 無量力菩薩 越三界菩薩(朝がくる)拔陀婆羅菩薩(身なりを正す)弥勒菩薩(神)
(たからよ、よし。わたしは導師)
宝積菩薩。導師菩薩。如是等菩薩摩
訶薩。八万人倶。爾時釈提桓因。与其眷属。二万天子倶。
民間、民、人から考えるわたし、わたしは考える。王力「こころの身体性」、このメモリから、山道を歩き越えていく
天照みこと⋯阿摩照らす
「阿」、は「あ」とはABCでもあいうえおでも最初。愛を示す言語の始まりに多い。古い、偉い、を示す。
てんしょうと言えば、安土時代の野広い大岩のそのまま道に落ちているかのような海の口を開けたままの姿、その風玉の馬。「大神」、麒麟(龍のこと)。
⋯てにをはで伝授⋯ひらがなと、その文性からの文道の道行き、この測り方、この試しをする為の知恵積み“テスト”
天照に帰り心方は、歴然と疎外地の“村社会”では、華やかな跋羅菩薩を見ても「相手されるわけない⋯」と口に零れる。アマテラス、イメージ力の高いカタカナならわかるが、そこにもっと花や包み“紙”がある想像、想像より上の心、複雑な、という意味を知り難解な字とは決まっているのだろうが、こういう漢字は土地らしくないな、と考え出すのはこの明け方。いつから⋯、と考えていて水鏡(ぎょく)の中から、「照、が、ひげのように見えるし良いんじゃないかな」と、聞く。素朴で地価的な神が、ある日変わることの話は天照なら、云隻の銀のような軍船をこの枠組みを海に豊かさに掛けた走り込みの姿
一番暗い夜明け前の時刻、自分のいる世界に水辺が現われるような、地理、街、街の服、歴史教科書、私たちは物を持っている。日月の時間では、「コロナ」と相まって波長が繋がったのが奇蹟的な自然、
湖に向かい、
「あなたは誰で、何か用事があるのでしょうか」この言葉らしい言葉、こういった主体に、まず戻るには、もはや何があって何が足りないのかを知る術などなかっただろうに、疑問の森を歩き回り、「水辺」を浮かべ辿り着いたのは、光年で三日前。まるで空海の石段を登る気持ち
「私たち(セカイ)」の持っている物は、律儀を守る「壁」になります。と、答えた。
高僧の心を折るような力や早さ、感じれた形容だけがキャッチできる「つうしん」。これが実際の光と言って、そこからは体調としての地球からの心配、こう優しさと優れを目標にして読むことができる。「読む」と、星や想念とぴったり合う。
自分は受け取る力が強いが、自分は発信する力の強い、もあって、互いは良いものを持っているのにそのことを発揮していなかったのです
どちらか、どちらも、とは「和尚」の言葉で、鏡(かんがえ)を軸に「行道」が現れた時の星座があった。五つあるその中のひとつは、木になれば、「木」は年のわかる者のことで、木のタネ、は、未だ木ではありません。冥界的セカイに於いても、そのまま存在しようとする形は、コロナとたがわず同じような「もの憑き」です。和尚は、二つの理解を一徹する、という仲人の才です。
世阿弥
カネと、お金は違う。
お金、は
石岩を砕いて、やっとこの形になった。これは「鏡」。見て、心のチェックをしましょう
ただ、
実に石でもないのに、霊で叩いても砕いも怖い。それは、「もの」じゃないから逃げる。見て取る対象が、同一の物、物質では人間ともの憑きでは大きな異なりがある。
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