揶白 (KF)

絵画

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  • (追書)方法論52 信用の必要だった芸術推理と方針の行指しと道の恩恵

    金科玉条にて、敵は敵でも味方にならない敵とは何か、その考えは、本来万人のものである芸術の孤立性だ。枠組みを持つから美術を自身もわけのわからないアート、芸術に遭遇させがくぶちを掴んだところから、中の絵の広がりを求めることが出来ている。規定のある美術と自由なアート。言葉の本性を正すべくと思う広い祈りの、私に開口一番をプロペラは組み込んで与えてくれ道指しな宗教感覚をちゃんと感じる事が出来た。「額」と「縁」。パンゲアを意識したこの噛み合い方を楽しみにしている。個人の研磨の中、「絵画」を挟んでより立体的に想像出来る時、本当に思想(おもいおもう)と上手く調和を得る、若年と思われることこそのそこに人間と現す態度を存在させるからだ。

     

    「蝶の様に舞い、蜂のように刺す」(蝶と蜂/soul scream)

     

    憧れの言葉は、わたしにとって時間の融通を指す

     

    わたしより今大きな時間を、私の融通ではなく、時間の融通、そのスピードと威力である、力の芸術または、純粋な力を表す「虫」

     

     

     

     

     

     

    自分には神があり、

     

     

    自分の中に幾つも育っている神

     

    知らない間に育っている、これを育てる

     

    見えるだけで、良いのかな?とも思う

     

    神を育てるとは、その神を磨く

     

    その時、

     

    十字、この簡素な方角だ

     

    心に描ける大小、方角を、その程に「自分のこと」をそれぞれに磨いていく、自分の神が十方(四方向、数値はわからない)にいて、

     

    この時、

     

    しかし、磨く目的は物事ではなく神だ

     

    目的の物事に掛かるのは神だ

     

     

    その神を磨く

     

    その神を、の前に

     

    その神で磨く、と言った方が良い

     

    この為には

     

    少なくとも一つ神の前、その「神前」で自分が一になることだ

     

     

     

    私⋯抽象=聞く耳、自心を聞く耳、「声聞(しょうもん)」の力言葉

     

     

     

    これは仏界の一つの部屋、霊界

     

    離れたいときに建前を失える

     

    扉の「無い」世界

     

     

     

     

     

     

    大神が、なかなか調和を込まれなかった。存在は、好き嫌いや向き不向きもない。大神は大きな神、「おおかみ」とも書く。神前の民が、苦しみに抵抗し、苦しみの抵抗力を見る。時間と縁を考えることで、本気度を見る。「私」が現れた時の敬意と本当のあなたのこと、この心を纏める統率力、統一性。

     

     

     

    精霊界

     

    信頼は当たり前だのクラッカー(前田のクラッカーという菓子、それほど軽く広い)

     

     

    聞くことはない、求めることもない

     

     

     

    何かを恋しい、と自分に思いがある場合「神」から帰らなければ浄化を営むというリンネに組めない、ことばにたいして真に勝つなど

     

     

     

    一番面白いこと、本当の姿を記憶にするには、“やっかいなこと”、“苦そうなこと”、“嫌なこと”

     

    そこの踊躍が、見た通りであり、捉えやすく、心の理解を促す

     

     

     

    光の鈴を心へ振り舞いたら、「/」祓う

     

     

    希望のメモシャッターを心に閉じる

     

     

    布刀玉(ふといたま、ふとい“ぎょく”)を、使わせてくれてありがとう

     

     

    と、祓い、「一」になる

     

     

     

     

    布刀玉命から「ふとだま」が出ているから、掛かったのがふとだまだから、「ふとだま」には、使わせてくれてありがとう、が、みことへの感謝になり、「ふとだま」も心強さを叶うことを示す

     

     

    感謝の姿の様々が精霊としているときも続きますよう

     

     

     

     

     

     

    こういった事は、現実性の強度でなる。

     

     

    良い、善い、楽しい、は、「時間」の現実の高さにある、ここへ意識があるときに守護(良い、善い、楽しい)が現れている。

     

     

    守り神は、自身。「歩み寄り」の力。途方もない、偶然に顰む面白い気持ちと理性、これからの理解。

     

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