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2013/04/07
出勤前に立ち寄るところがあった。
電車の切符代を必要以上に払い過ぎたり、
閉鎖された改札口を飛び越えたりしながら
混乱した状態で目的地を目差した。
そして、空白の時間があった。
それから出勤してみると、
今日は得意先への企画提案の日である。
まだ企画書は完成していない。
だが、もう出かけなければならない時刻だ。
部下に残りの作業をまかせるしかない。
これから得意先に出かけるが
企画書が完成したら営業に渡し、
私に届けさせるよう、部下に指示する。
だが、暇だから自分で届ける、と部下は言う。
どうせ営業は得意先に行くのだから
それは無駄手間だ、と部下を説得するが
なかなかわかってもらえない。
だが、とにかくもう時間がない。
急いで出発しなければならないのだ。
ところが、玄関に自分の靴がないのである。
その会社らしくない家庭的な玄関には
ところ狭しと数多くの靴が置いてある。
しかし、肝心の自分の靴が見つからない。
ふと思い出したのは、あの空白の時間。
出勤前に立ち寄った場所に忘れてきたのだ。
あせってしまう。
サイズの合う靴さえない。
裸足で得意先に行くわけにはいかない。
いくら考えても良い解決策が浮かばない。
いたずらに
ただ時間ばかり過ぎてゆく。
2013/04/06
子どもの頃、女の子と遊んでいた。
目が大きくて、口が小さくて、髪が長かった。
見上げる笑顔が可愛らしかった。
ふたり、色々なことをして遊んだ。
ただし、いつも家の中に閉じこもって。
なぜか家の外では遊ばないのだった。
たとえば色紙で鶴を折って、それを飛ばす。
そのうち飽きると、その鶴を壊してしまう。
「これよりを拷問をおこなう」
「はい、魔王さま」
「まず鶴の腹を縦に裂くのだ」
「はい、魔王さま」
もちろん折り鶴の腹の中は空っぼ。
お医者さんごっこも憶えてる。
「これより診察をおこなう」
「はい、先生」
「では、まずスカートを脱いで」
「はい、先生」
それから看護婦さんごっこもやった。
「これから注射をします」
「はい、看護婦さん」
「では、まずお尻を出しなさい」
「はい、看護婦さん」
ここから先は、よく憶えていない。
ふたり並んで窓から外を眺めた。
山の上の空が赤紫色に焼けていた。
この時は何も喋らなかったと思う。
それにしても
あの子は誰だったのだろう。
どうしても名前が思い出せない。
なぜか忘れた。
近所の子だ、と思っていた。
でも、そんな子は近所にいなかった。
古いアルバムを開いても見つからない。
母に尋ねてみても知らないと言う。
そんな女の子、見たことないと言うのだ。
「おまえはいつも、ひとりで遊んでいたよ」
そんなはずはない。
確かにあの子はいたんだ。
いなかったはずはない。
絶対に、絶対にいた。
ふたり、あんなに楽しかったのだから。
2013/04/05
一冊のスケッチブックを買った。
それが、そもそもの始まりだった。
普通の白い画用紙だけでなくて
さまざまな色付きの画用紙があるもの。
いわゆるカラースケッチブックだった。
折り紙セットを大きくしたような感じ。
で、これにペン画など描いてみた。
そのうち、画用紙をハサミで切り抜き、
台紙に貼り合わせて遊び始めた。
つまり、色紙による切り貼り絵である。
幼稚な印象を与えるけれど、やってみると
これがなかなか楽しいのだ。
適当に切った色紙を童ね合わせてみる。
メリハリのある色と形の組合せによって
斬新なデザインが簡単に生成される。
好きな色紙を好きな形に切った後、
それらを重ね合わせながら、貼る直前まで
配置バランスの調整ができるのも長所だ。
貼り付けには両面テープを使った。
糊よりは修正が楽だし、手が汚れにくい。
定規とカッターは、穴の部分と
見えない部分を除いて使わなかった。
あのハサミ特有のぎこちないラインが
視覚に心地好いはず、と考えたからだ。
指で裂いて切る方法も面白そうだが、
全体の統一感や細部表現が難しい。
それに、山下清の亜流になりそうだ。
なかなか傑作ではなかろうか
と自画自賛できるものも数点できた。
しかし、それで止めておけば良かったのだ。
つい調子に乗り、色画用紙だけでなく、
チラシや新聞や雑誌の切り抜きとか
革の切れ端、布切れ、商品パッケージなど
色々なものを画材に使い始めた。
「コラージュ」とでも言うのだろうか。
摘んだ雑草、切った髪の毛の束、
外国硬貨や外国紙幣なども貼った。
さすがに両面テープだけでは無理があり、
糊や瞬間接着剤も使うようになった。
湿気た海苔、噛みかけのガム、
踏まれて潰れた甲虫の死骸まで貼った。
こうなると画用紙の上では固定しにくい。
ピンや画鋲でも留められるように
ベニヤ板を土台に用いるようになった。
この段階で止めたら、まだ救われたのだ。
ところが、もう止められなくなっていた。
切り貼り絵の虜になっていたのだ。
読んで気持ち悪くなるだろうから
あまり詳しく書くつもりはない。
包丁やノコギリで画材を切るようになった。
釘やネジ、さらにヒモや針金を用いて
厚い木の板に貼りつけるようになった。
鼻が悪いのてあまり気にならなかったが
アトリエとして使っていた部屋が
近所に異臭を放つまでになっていたようだ。
そして、とうとう許されない領域にまで
いつの間にか踏み込んでいたのだった。
記録的に暑かったあの夏の日、あの昼下がり、
近所の学習塾に通うおさげ髪の女の子を
待ち伏せして誘拐してしまったのは
つまり、そういうわけなのだ。
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2013/04/05
ここはどこだろう?
あたりには霧が立ちこめている。
正面の壇上の老人は教授だろうか?
その証拠でもあるかのように
多くの学生が熱心に聴講している。
「一般に、位相空間上に座標系を導入する場合、
計算結果は座標系に依存しないという性質を」
どうも講義の内容が理解できない。
「かような連鎖移動反応によって
高分子重合体が多分散系を作り」
あたりに顔見知りの学生はいなかった。
若者ばかりでなく、老人や幼児までいる。
なんと、眼鏡をかけた猿まで。
「概念は一般に内包と外延を持ち、
内包が等しければ外延は等しいとされる」
ますます霧が濃くなってきた。
もう教授の顔さえ見えない。
次第に講義の声も遠くなり、
やがて消え去りそうに感じられるのだった。
2013/04/04
愛の形には色々ある。
異性への愛、同性への愛、自已への愛。
また、人を愛せない場合もあろう。
それでも愛は消えない。
これは樹木しか愛せなかった男の子の話。
「おまえはの、木の股から産まれたんじゃよ」
ある日、老婆から男の子は教えられた。
そうかもしれない、と男の子は思った。
なぜなら男の子はみなし児だったから。
森に捨てられていたのを拾われたのだ。
毎日、男の子はひとり森で遊ぶのだった。
姿形の良さそうな樹木を見つけると
なぜか興奮するのだった。
抱きつかずにいられない。
樹皮がはがれるほど強く幹を愛撫した。
指の爪が割れてしまうこともあった。
そのうち裸になって
悩ましく腰を幹に擦りつけたりもした。
「だめよ、坊や。だめよ、だめ」
その声は、血まみれの樹木から。
「わたしの股から産まれたくせに」
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2013/04/01
私は探していた。
太くて丈夫そうな木を。
そして、とうとう見つけた。
これはまた、随分と背が高い。
枝ぶりも立派だ。
登りたいくらいだ。
無理だろうな。
もっと若かったら・・・・
おや、誰か登っているぞ。
あんなところまで。
まるで猿みたいだ。
小さな子猿。
「やーい。ここまでおいで」
「のぼれっこないわ。いじわる!」
泣き虫の女の子が見上げている。
・・・・ああ、そうだ。
あれは、いつのことであったか。
まぶしい。
見上げれば、遠く青い空。
私は握りしめる。
手頃な太さと長さのロープを
震える両手で。
2013/03/31
空を見上げ、狐が呟いた。
「狐なんかつまらない。
ぼく、鳥に生まれたかったな」
それを耳にしたのが、木の上にいた天狗。
「おまえを鳥にしてやるぞ。
どんなのが望みだ」
木の上からの声は、まるで天からの声。
「ああ、神様ですね。
ぼく、鷹になりたいな」
「お安い御用さ」
天狗の呪文で、狐は鷹に変身。
「神様、ありがとう!」
鷹になった狐は空に舞い上がる。
空に舞い上がった鷹は
地上を見下ろし、呟いた。
「おや、あれは天狗だぞ。
なんだ、やけに小さいな」
2013/03/30
迷い込んだ青空市場で買い物をした。
いったい何を買ったのか?
夕方、帰宅してから疑問が浮かんだ。
それをリュックサックの中から取り出す。
缶詰であることは間違いなかった。
ただし、印刷された外国の文字は読めない。
なにやら神秘的な雰囲気を漂わせている。
台所の缶切りをつかむ。
思い切って開けてみた。
すると、ムクムクと女体が出てきた。
足の先が現れ、最後に手の先が抜けた。
小さな缶詰にどうやって入っていたのか?
等身大のリアルな女体。
明らかな外国人だが、美女と言える。
しかも裸だ。
「缶の切り口でケガしませんでしたか?」
心配して尋ねてみた。
困ったような表情。
この国の言葉を理解できないらしい。
どうやら出血はしていないようである。
缶から抜け出るのには慣れているのだろう。
さて、困った。
この女体をどうしよう?
どう考えても食べ物とは思えない。
ごく常識的に抱けばいいのだろうか?
女好きな友人の顔を思い浮かべる。
あいつなら何も考えずに抱くだろうな。
いつの間にか缶の中に幽閉されている
とかの未知の危険性など無視して。
空き缶を持ち、指先で女体に示した。
「この缶の中に戻ってくれないかな」
やはり困った表情の女体。
魅カ的とさえ言える。
ああ、こっちこそ困った。
こんなの買うんじゃなかった。
そんな潤んだ瞳で見つめないでくれ。
まるで女体じゃなくて
女みたいな気がしてくるじゃないか。
2013/03/28
山の斜面をひとり歩いていた。
家族の待つ家に帰るためだった。
岩がむき出しの不安定な足場が続く。
土砂崩れの跡かもしれない、と思った。
滑って転ばぬように注意が必要だった。
帰り道をまちがえたような気がしてきた。
いくら歩いても家が見つからないのだ。
ふと、これは夢ではないかと思った。
じつにくだらない思いつきだった。
そんな冗談みたいなこと、あるはずがない。
なにしろ、こんなにリアルなのだから。
記憶だってクリアだ。
夢のはずがない。
それでも、戯れに意識を集中させてみた。
すると、目の前の視界が崩れ始めた。
驚いた。
本当に夢だったのだ。
絶対に夢ではない、と確信していたのに
闇の中、仰向けに寝ている自分がいた。
体がまったく動かない。
まぶたも開かない。
いわゆる金縛りの状態なのだった。
何者かに捕らわれているような感覚。
必死に叫ぼうとするが、喉が動かない。
かすかにもれる声は言葉にならない。
わけがわからない。
頭がパニック。
どうなったんだ。
どうなってしまうんだ。
しばらくして、ようやく呪縛が解ける。
跳ね起きた。
全身、もう汗びっしょり。
以上、ほぼ正確な金縛りの体験記録。
2013/03/28
部屋の四方は壁に囲まれていた。
一番目の壁に耳を当ててみる。
「餌はやるな」
「水は?」
「同じだ」
「換気は?」
「必要ない」
「明かりは?」
「いらん」
「音は?」
「立てるな」
「においは?」
「そのうち勝手に臭くなるさ」
息苦しくなってきた。
二番目の壁に耳を当ててみる。
「もう逃げられないぞ」
「ヘビが巻きついてるわ」
「大きなクモが這ってる」
「だめ。ミミズはきらい」
「わあ、ゴキブリの大群だ」
「いや。ヒルがお尻に」
「背中にムカデが入った」
「もう我慢できない」
「やめるんだ。狂ったのか」
「あら、意外とおいしいわ」
気分が悪くなってきた。
三番目の壁に耳を当ててみる。
「ここに命題がある。
『あらゆる事物は正当化できる』
これは次のようにも表現できる。
『正当化できない事物はない』
仮に、正当化できない事物があるとする。
その事物をとりあえず消してみる。
すると、正当化できない事物がなくなる。
これでは結論そのままである。
だから、その事物を消してはいけない。
つまり、その事物は正当化できる。
よって、命題は証明された」
頭が朦朧としてきた。
最後の壁に耳を当ててみる。
「足首が溺れてしまうから」
「助けて。おねがい」
「ワニの背中で研ぐと包丁が笑う」
「ひどい、やめて」
「引き出しの奥まで定規が這ってる」
「いやよ、いやよ」
「宝石を埋めた額縁ではない」
「もうダメ。あたし」
「空から滝になって天の川が落ちる」
「ああ、死んじゃう」
死ねばいいのに、と思った。
見上げたら、天井の目と視線が合った。