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2008/11/04
こんなとこに夜が隠れている
涙がコロコロ転がるうぶ毛の大地
夕暮れの底に沈んでゆく群衆
きっと僕たちはまちがっている
蝶のことは蝶にまかせておこう
眠ってしまったカタツムリ
見てしまった夢はしかたない
ただつぶやいてみただけ
2008/11/03
濡れた靴下を脱ぎ捨てて
波に揺れる夕暮れの海面を
ひたひたと裸足で歩いていたら
まるで霧に包まれたように
無数の蝶の群に囲まれてしまった。
こんな遥か沖合まで
あたりまえのような顔をして
歩いてきたりしてはいけなかったのだ。
途中で沈むとか溺れるとか
せめて泳いでみるとか
そういうことをすべきだったのだ。
まあ、いまさら遅いけど。
それにしても
こんなふうに蝶の群に歓迎されたら
そんなに悪い気はしない。
このまま夜になってしまえば
きっと蝶の群は蛾の群となるだろう。
やがて水平線から朝日が昇れば
びっしりと海面に敷き詰められた
美しく眩い銀色の絨毯になるはずだ。
そんな優雅な絨毯の上で
ゆらゆら波に揺られてのんびりと
いつまでも眠っていられたら
ちょっと素敵な気がする。
2008/11/03
赤々と燃える暖炉の前、
男の子と女の子が遊んでいます。
「シュッシュ、ポッポ、シュッシュー」
「ああ、やっと汽車が入ってきたわ」
「プシュー、プシュー」
「さあ、これから遠くへ旅立つのだわ」
「お嬢さん。お荷物をお持ちしましょう」
「あら、素敵な方。どうもありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
「あなたもひとり旅ですの?」
「そうかもしれません。そうでないかも」
「どちらまで?」
「お嬢さんと同じところまで」
「あたくしの行く先をご存じなの?」
「知りません。でも同じなのです」
「あたくしは終着駅まで行くわ」
「では、僕も終着駅まで」
「そこからバスに乗るの」
「だったら、僕もバスに乗る」
「残念ながら、ひとり乗りのバスなの」
「ひとり乗りのバスなんてないよ」
「世界に一台だけ、そこにあるの」
「そのバスの運転手、じつは僕なんだ」
「ああ、そうくるわけね」
「お嬢さん。そろそろ出発しますよ」
「すると、この汽車の運転手もあなたね」
「シュッ、シュッ、シュッシュッシュッシュッ」
「あたくし、次の駅で降りますわ」
「ポッポー!」
2008/11/02
深夜、ひとり居間で
その家の娘が脱皮をしていた。
蛍光灯に照らされ、
娘の体は小刻みに震えていた。
白い背中がめりっと縦に裂け、
割れ目から新しい皮膚が覗いている。
娘の脱皮に気づいた父親は
入口の前で立ち尽くしてしまう。
娘は裸のまま泣いているようであった。
折れそうなほど背骨を曲げなければ
古い皮を脱ぐことはできないのだ。
親は娘の脱皮を手助けしてはならない。
それが暗黙の決まりになっていた。
新しい皮膚は血のように赤く生々しく、
見るからに痛々しい感じがするのだった。
娘の自慢の黒髪が汗で濡れ、
悩ましく揺れていた。
かすかに軋む音を耳にして
あわてて娘が振り向く。
「・・・・・・誰?」
いつしか父親は柱にしがみつき、
醜いサナギになっていた。
2008/11/02
じつに立派な大砲である。
太くて長くて黒々と光っている。
大砲は二つの車輪の上に乗っており、
牛馬で引いて移動することができる。
その大きな二つの車輪のどちらにも
頭と手足が正五角形になるような状態で
若い女が鎖で縛りつけられている。
敵国の皇族の姉妹だということだが
破れた皮衣を着せられているだけで
その白い両脚はむき出しになっている。
今は車輪の上の位置に彼女たちの頭があり、
豊かで長い髪が垂れ下がっているために
彼女たちの顔を見ることはできない。
だが、弾丸が発射されると
その反動で大砲が後退し、
いくらか車輪が回転するため
彼女たちの美しい顔を見ることができる。
そうやって顔を見ることはできるが
いくら続けて弾丸が発射されても
彼女たちの悲鳴を聞くことはできない。
それが彼女たちに残された唯一の抵抗、
あるいは誇りであるらしい。
2008/11/01
とある家庭の台所の風景である。
異国の人形を大きくしたような少女が
手前の調理台の上に仰向けに寝かされ、
サラダ油か桃の缶詰の汁かわからないが
びしょ濡れで天井を見上げて泣いている。
その奥にはステンレスの流し台があり、
まだ洗ってない食器が山盛りになっている。
さらに奥にある明り取りの窓からは
恐ろしい顔の鬼が台所の中を覗いている。
調理台の真下の汚れた床の上には
料理の道具ではないような気がするが
殴られたら死にそうな金棒が転がっている。
ハエが一匹、少女の上を飛んでいるが
あまりたくさんのハエが飛んでいないのは
おそらく鬼の顔が怖いからだろう。
2008/11/01
視界の下半分に大空が広がり、
私は雲ひとつない青い空を歩いている。
視界の上半分を大地が覆い、
私の頭上、逆さまになって浮いている。
遠い山があり、近くには家もある。
近くといっても、とても高い。
いくら飛び跳ねても手は届かない。
あんなに高くて、しかも逆さま。
もう家には帰れそうにない。
山羊も川の水も落ちてはこない。
つまらない期待などしない方がいい。
立ち止まって、私はひざまずく。
そっと両手を足もとに伸ばしてみる。
いかにも空の手ざわりがする。
2008/10/31
縛られ、倉庫の床に転がされている。
コンクリートの床の冷たさとかたさは
ああ、拉致されているんだなあ
という感慨で私の胸を一杯にさせる。
肩から足首まで焼き豚のように縛られ
さらに両手に手錠までかけられていながら
猿ぐつわを口にはめられていないのは
ここが、大声で救いを求めたとしても
救助される見込みのない僻地であることを
露骨に暗示している、ように思われる。
見張りはいない。私ひとりきりだ。
見上げると、倉庫の高い天井に
一匹のコウモリがぶら下がっている。
まさかあれが見張りとは思えない。
ときおり遠い汽笛のような音がするのは
窓の隙間から風が入るためだろう。
曇りガラスなので屋外の景色は見えない。
なんとかすれば立ち上がれそうだが
なんとなく立ち上がる意欲が湧かない。
縛られ、倉庫の床に転がされているのも
そんなに悪くない、ような気がする。
2008/10/30
嫁入り道具の箪笥に貼りついた姿見が
ある朝、めりめりと音を立てて剥がれ、
戦場で消息が途絶えたはずの夫が現われる。
割れた硝子の破片が女の手首に突き刺さり、
手首から床に垂れ落ちる血を女は見詰める。
それを夫も表情のないまま見詰めている。
ねじ切れそうなくらいに首をねじ曲げ、
女は項垂れたまま窓から曇り空を見上げる。
醜くなるほんの手前まで歪んだ美しい顔。
やがて女の悲鳴が陰々と響き始める。
2008/10/29
まず最初に、水面があった。
それは厚さのない鏡であった。
水面には表裏の区別はなく、
そこに姿を映す者はいなかった。
音も光もなんにも存在しないので
やがて水面はいたたまれなくなった。
わだかまりが生まれ、
悶え、歪み、乱れ、
ついに水面に波紋が広がった。
限界を超えた水面は千切れ、
あるいは泡、あるいは雫となった。
表裏の区別がないため
泡と雫の区別もなかった。
それらは光となり、
また闇となった。
やがて光は星屑となり、
闇は神話となったのである。