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2012/08/22
浅いプールを這っている。
潜水は勿論、溺れることすらままならぬ。
水深が足らないために泳げないのだ。
ただし、プールの底は滑らかなので
肘や膝が擦れて痛い、ということはない。
たくさんの人々が這っている。
スクール水着の女の子が多いところを見ると
どうやら学校の付属プールらしい。
いくらか水深のあるプール中央では
泳ぐように這う人の姿も見える。
いわゆる肘泳ぎである。
肘泳ぎで這い進み、女の子にぶつかると
その体をトカゲのようにヌルリと乗り越えてゆく。
女の子に乗り越えられることもある。
これが、なかなか楽しい。
気持ち良い。
やめられなくなる。
「しかし、肘泳ぎは疲れるな」
プールサイドで日光浴してる友人に声をかける。
彼は肘泳ぎの名人なのだ。
「布団の中を這ってるみたいだろ」
その通りなので、僕は感心する。
「まったくだね」
本当に布団の中を這ってるみたいだ。
2012/08/22
歩いていたら穴に落ちてしまった。
大きな穴なのに気づかなかった。
考え事をしていたからだ。
かなり深く、なかなか立派な穴だった。
自力では脱出できそうもない。
頭上を見上げる。
丸く切り抜かれた青空が見える。
しばらくすると、そこに顔が現れた。
こちらを見下ろす。
中年の男だ。
おそらく通行人であろう。
あるいは助けてくれるかもしれない。
何か言わなくては。
「すみません。落ちてしまいました」
くだらないことを言ってしまった。
軽蔑したような薄笑いを浮かべる男。
「まったく信じられないね」
唾を吐き捨てると、男は視界から消えた。
腹が立った。
だが、文句は言えない。
実際、自分でも信じられないのだから。
やがて、別の顔が現れた。
若い女だった。
「あの、大丈夫ですか?」
とても優しそうな声。
「ええ。なんとか無事です」
「あら。心配して損しちゃった」
すぐに女は消えてしまった。
失敗した。
軽率な返事をしたものだ。
母性本能に訴えるべきだったのだ。
だんだん腹が減ってきた。
目がまわりそうだった。
そのうち野良犬が一匹、現れた。
見下ろして唸り、吠えて消えた。
もう怒る元気も残っていなかった。
さらに待ち続け、見上げ続けた。
しかし、もう誰も現れなかった。
日没の頃、穴にフタがされた。
2012/08/21
人里離れた山の渓流。
若者が釣り糸を垂れていた。
他には誰もいないようであった。
草木が茂り、鳥と虫が鳴いていた。
若者の竿に当たりがあった。
鮎であった。
よく跳ねる美しい川魚。
それを魚籠に受ける、と
若者は目を見張った。
釣ったばかりの鮎の姿が消えていた。
その鱗にも似た美しい生地の衣があるばかり。
(天女の羽衣か、水龍の姫の着物か)
若者は川上に目をやった。
渓流の奥へと続く。
耳を澄ますと
呼ぶ声がするようであった。
「見目うるわしき若者よ。
わが衣を拾っておくれかえ?」
それは遠い滝の水音だったかもしれない。
あるいは吹き抜ける風のいたずらか。
若者の目は、すでに夢見る男の目。
渓流を遡るように
ふらふらと若者は歩き始めた。
やがて若者の姿は
草木の茂みに隠されてしまった。
あとは釣り具だけが残された。
鳥と虫が鳴いている。
うるさいほどに。
2012/08/20
拍手に迎えられ
指揮者が舞台に登場した。
咳払いが止むのを待ち
指揮棒は振られた。
静かな海交響楽団による
定期演奏会の開演である。
『霧の入り江』より序曲、
組曲『バッカスの散歩』など。
滞りなく演目は進み
安らかな時が流れ
いつの間にか
すべての演奏が終了していた。
「あなたは奇跡の指揮者です!」
見知らぬ観客が楽屋を訪れた。
「私に夢を見せてくれました!」
感激のあまり指揮者に抱きついた。
その頬は涙で濡れていた。
「長年の不眠症が治ったんです!」
2012/08/19
下請け業者と電話で商談中、
不意に回線が切れてしまった。
大変なクレームが発生していた。
在庫部品数の確認を急ぐ必要があった。
すぐに固定電話機の番号ボタンを押すと
ボタンがはずれてバラバラになった。
あわててボタンを拾い、
なんとかはめ直して押し直す。
あせっているため最後まで正しく押せない。
バカみたいに掛け直しを繰り返す。
さらに、この緊急時だというのに
隣席の同僚が邪魔をする。
「3.1415 926535 897932 3846・・・・・・」
なぜか耳もとで円周率を唱えるのだ。
(なんだ、こいつは?
なぜこいつ、こんなに丸い顔なのだ?)
無性に腹が立つ。
持っていたペンを逆手に握り、
同僚の毛深い腕にペン先を突き刺す。
「殺すぞ! 仕事中なんだからな!」
感情にまかせて怒鳴りつける。
ところが、なぜか
同僚の腕からペンが抜けなくなる。
どうやら腕を覆う毛に絡まってしまったらしい。
ペンがなくてはメモを取れないので
ひたすら後悔するばかりである。
2012/08/18
あなた目の前に舞台がある。
その上には、まだ誰もいない。
芝居はこれからだ。
あなたは客席の最前列に並ぶ審査員のひとり。
高名な舞台演出家や映画監督の横顔が見える。
真剣な表情。
息苦しいほどに張り詰めた空気。
「それではこれより、審査を開始します。
まず1番の方からどうぞ」
水着姿の少女が舞台の袖から登場する。
腰のあたりに1番のプレート。
なかなかのプロポーション。
司会者が名前と略歴を紹介する。
あなたの正面に少女は立つ。
彼女の緊張が伝わる。
「1番。勝手に分解します!」
声が震えている。
初々しい。
ぎこちない動作。
片足を両手でつかみ、そのまま片足を抜く。
同じく、もう片方の足も抜いてしまう。
やや単調か。
続いて、首を抜く。
その首から両方の眼球も抜いてしまう。
さらに片腕を、もう一方の片腕で抜いてしまう。
残された片腕は抜くこともできず、おしまい。
期待はずれ。
こんなものかな、とあなたは思う。
「さらに1番。勝手に組み立てます!」
なんだなんだ、とあなたは驚く。
抜いたばかりの部品が本体にはまってゆく。
元通りの少女の体に自力で戻ってしまう。
いや。
両足は左右が逆になっている。
「これは凄い!」
舞台演出家が感嘆の声をあげる。
「さらに1番。勝手に爆発します!」
いくらなんでもやり過ぎだ。
しかし、止める暇はない。
あなたは、むき出しになった眼球に爆風を感じる。
それでも逃げなかったあなた。
あなたは審査員として見事に合格である。
2012/08/17
家に帰る途中、手首が落ちていた。
どうやら若い女の左手らしい。
「なんて愛らしい。
この白魚のような指たちときたら」
嬉しくなって、それをポケットにしまった。
足取りが軽い。
交番の前なんか知らんぷりして素通りだ。
角を曲がると、腕が落ちていた。
「なんて柔らかい。
この肘の内側の折れ線ときたら」
左腕であろうそれを手提げカバンにしまった。
不思議なことは意外に続くもので
さらに右の手首と腕も拾うことができた。
驚いたというか呆れたことに
両脚も別々に落ちていた。
「なんて絶妙なバランスなんだろう。
このふとももとふくらはぎの重さと弾力」
自宅の前にも落ちていた。
それは女の尻だった。
「いやいや、まいったな。
目のやり場に困ってしまうではないか」
玄関にも落ちていた。
女の胴体だ。
「おやおや、なんということだ。
この形の良い胸には見覚えがあるぞ」
寝室には女の首が落ちていた。
美しい顔だった。
それは妻の顔だった。
「なんだ。
せっかく楽しみにしていたのに」
2012/08/16
おれは監督だ。
歩き方が気に入らない。
「こら。そこの女、やり直し」
おれは怒鳴った。
「アタシ?」
「おまえだ」
「なんですか?」
「なんですかじゃない。歩き方が悪い」
「あの、よくわかんないんだけど」
「まるで女子高生の歩き方じゃないか」
「だってアタシ、女子高生だもん」
「文句あるのか」
「あっ」
やっと気がついたようだ。
「いいえ、ありません。やり直します」
そうだろう、そうだろう。
なにしろ、おれの指示なのだ。
おれは監督だ。
つまり、監督の指示なのだ。
監督の指示は絶対なのだ。
道路も気に入らない。
「なんだ、この舗装道路は」
歩いていた妊婦をつかまえて怒鳴った。
「こんなきれいな道路、不自然だろうが」
「そ、そんなこと言われても」
「もっと穴だらけにしておけ」
「そんな」
「文句あるのか」
「あ、ありません」
当然だ。
監督の指示なのだから。
誰にも文句は言わせない。
空模様も気に入らない。
「おい。目を覚ませ」
公園のベンチで眠っていた浮浪者を起こす。
「ううん。なんだなんだ?」
「なんだじゃない。空が明るすぎるぞ」
「はあ?」
「はあじゃない。空がまぶしいではないか」
「ああ、そうだね」
「そうだねじゃない。空を曇らせろ」
「なんだって?」
「なんだってじゃない。おれは監督だぞ」
「はあ?」
話にならん。
おれは腹が立った。
隣のベンチにサラリーマンがいた。
そいつの胸ぐらをつかんで怒鳴った。
「あの浮浪者は使いもんにならんぞ」
「そ、そうですね」
「おまえが浮浪者になれ」
「し、しかしですね」
「文句あるか」
「いいえ、ありません」
「よし。おまえ、空を曇らせろ」
「は、はい。かしこまりました」
言葉づかいが気に入らなかった。
「こら。浮浪者がかしこまるか」
「そ、そうでしたね」
「気をつけろよ」
「は、はい。わかりました」
よしよし。
わかれば許す。
気に入らないことは絶対に許さん。
なにしろ、おれは監督なのだ。
2012/08/15
「やってられるか!」
旦那が会社を辞めた。
「やってられません!」
奥さんが家事を放棄した。
「やってられねえよ!」
息子が学校を退学した。
「やってられないわ!」
娘が家出をした。
さて、
それからどうなったのか
と言うと、
それから先のことは
まったく何も考えていないのでした。
2012/08/14
僕の部屋に女がいる。
ただし、その姿は見えない。
触れることもできない。
声も足音も聞こえない。
なぜなら部屋には僕しかいない。
なのに女がいる。
壁の鏡を覗いてみる。
そこに僕の姿はない。
見知らぬ女が僕を見つめ返すばかり。