1万8000人の登録クリエイターからお気に入りの作家を検索することができます。
2015/12/16
切腹には作法というものがある。
切腹する人を切腹人、これに付き添い切腹人の首を切り落とし
検視役に首を見せるなど、切腹の補助を行う者を介錯人と呼ぶ。
腹部を切り裂いただけでは死に至るまでに時間がかかり
非常な苦痛を強いるため、通常は
介錯人が切腹直後に介錯を実行する。
切腹の際の腹の切り方は、腹を一文字に切る「一文字腹」
さらに縦にみぞおちからへそ下まで切り下げる
「十文字腹」が望ましいとされた。
しかしながら、体力的に実行は難しく、介錯人がいない場合
喉を突いて絶命することが多かったそうである。
切腹人は、検視役に黙礼し、右から肌脱ぎする。
左手で刀を取り、右手を添えて押し頂いてから右手に持ち替える。
左手で三度腹を押し撫で
へそを避けた高さに左から刀を突き立てる。
切腹人が刀を引き回す頃合いで、介錯人は首を皮一枚残して斬る。
皮一枚残して斬ることを「抱き首」といい
こう斬るのが礼儀とされた。
抱き首の形にするのは、首が飛んで落ち
土砂で汚れるのを防ぐため。
または「身体を分割するは親不孝」との儒教思想の影響があるため。
あるいは
「討ち死には敵に頭を向ける前のめりの形が美しい」とされ
胸にぶら下がる首の重みで体を前に倒すためともいう。
ただし、切腹人があえて首を切断することを希望する場合もあり
必ずしも抱き首にしなければならないということはなかった。
首を一刀で切り落とすのは剣術に長けた者でないと勤まらず
下手な介錯ではしくじっては何度も斬りつける事態になりかねない。
介錯人は預かり人の家中の者が務める建前になっていたため
介錯の失敗は武術不心得として預かり人の家の恥とされた。
そこで、家中に腕の立つ者なければ
他家から人を借りることもあった。
江戸時代中期には切腹自体も形式的なものとなり
短刀でなく扇子を置き、それに手をかけんとした瞬間に
介錯人が首を落とす方法が一般的となる。
なお、平穏な江戸時代には
どうしても腹を切れぬ武士も少なからずおり、そのため
切腹ならぬ「一服」という服毒自殺の方法も用意されていた。
以上、Wikipedia「切腹」より編集引用。
自殺および自殺幇助の作法まであるとは、じつに日本的。
つくづくパターン化するのが好きな国民である。
ログインするとコメントを投稿できます。
2015/12/15
風の子 飛ぶ子 いたずらっ子
目に砂入れて 泣かすの得意
少女の足もと さっと駆けぬけ
ちらりとスカート めくるのだ
春一番から 木枯らしまで
疲れを知らない 風の申し子
まだまだ小さくて 台風や
竜巻には なれないけれど
つむじ風になって 踊ったり
ときには そよ風になったりね
風の子 もしも見つけたら
自転車に乗って 追いかけよう
そうすりゃ ほら 君だって
なかなか立派な 風の子だ
ログインするとコメントを投稿できます。
2015/12/14
今日は、ぼくの誕生日。
ねえさんから鍵をもらった。
きれいな金色の鍵。
ぼくは、ねえさんの髪が好き。
やわらかな長い髪。
許されるなら、いつまでもながめていたい。
ねえさんの手も好き。
でも、長い爪はきらい。
去年の誕生日、そっとねえさんの髪にふれた。
ねえさんは驚いてふり向き、爪がぼくの耳にささった。
あの時、ぼくもねえさんも泣いてしまった。
だから、ぼくの右耳には今でも、小さな穴があいている。
今夜、この穴に鍵をさしこんでみるんだ。
痛いだろうけど、ぼくは泣かないよ。
ログインするとコメントを投稿できます。
2015/12/13
ツクツク オーシ
ツクツク オーシ
12時も近く
こんな夜中に鳴くセミのいる
暑くて寝苦しいからか
常夜灯がまぶしくて
眠れないからか
それとも
もう鳴いていられる時間がないと
わかっているからか
ログインするとコメントを投稿できます。
2015/12/12
ビルの屋上にいる。
5階建てくらいだろうか、そこそこ高い。
なのに、フェンスは低い。
クルマ止めブロックほどの高さしかない。
なぜか中学生の頃からの友人と一緒だ。
冗談みたいに彼が私の肩の上に乗っている。
そして、彼は執ように重心を移動させる。
そのため私は、フェンスぎりぎりのところまで歩かされる。
眼下にコンクリートの地面が見える。
小さく見える自転車や自動車。
恐怖のあまり、臓器が縮みそうになる。
「あぶない。やめろ。やめろったら」
しかし、ますます友人はフェンスの外側へ重心を移動させる。
彼が何を考えているのか、さっぱり理解できない。
「あ、あぶない」
本当に落ちてしまいそうだ。
ログインするとコメントを投稿できます。
2015/12/11
カオルちゃんが教会でオルガンを弾いています。
その美しい調べは聴衆をウットリさせます。
この曲は小さなカオルちゃんが自分で作りました。
カオルちゃんはうまく喋れません。
学校にも通えないくらいです。
でも、音楽の才能はたいしたものです。
どんな曲も一度聞くだけで演奏できます。
それも完璧に。
文字は書けませんが、楽譜は書けるのです。
その小さな手で一生懸命に。
楽譜も録音も膨大な量になりますが
どれも素晴らしく、どれも捨てられません。
そう言えば、カオルちゃんは捨て子でした。
この教会のこのオルガンの前で泣いていたのです。
この教会で育ち、この教会で大人になり
やがて、この教会で老いてゆくはずです。
カオルちゃんの音楽はいったいなんなのでしょう。
あるいは、天使の歌が聞こえるのでしょうか。
ログインするとコメントを投稿できます。
2015/12/10
我々はグループとして、とある屋外イベントに参加している。
グループ構成員は親しい仲のようでもあり、初めて会うようでもある。
たとえるなら、オフ会みたいなものであろうか。
そのイベントにおいて表彰式があり、我々グループが指名される。
たいした功績とも思えないが、我々は素直に喜ぶ。
ところが、その式典の最中に雨脚が強くなる。
放送システムがあって、避難勧告らしきアナウンスが流れる。
あわてて全員が下山し始める。
すると、そのイベント会場は高台にあったわけだ。
しかし、なにか忘れ物があるような気がしてならない。
私はグループを離れ、少し前までいた場所に戻ろうとする。
迷いはあるものの、向こう側からでも下山できるのではないか。
全員が同じ行動をとることに対する反感も否定できない。
後悔することになるかもしれないが、そうせずにいられない。
いずれにせよ、後悔することになりそうではあるけれど。
ログインするとコメントを投稿できます。
2015/12/09
このチップを後頭部に埋め込むと、リモコン人間になるのだ。
ただし、手足を動かすなど物理的な動作コントロールではなく
感情や欲望、体調や感覚など、心身の状態コントロール。
手持ちのコントローラーによる遠隔操作で
埋め込まれたチップからマイクロ波やらなにやらが発生するらしい。
ある程度の好みの変更、欲望や恋愛感情の増幅も可能なので
片想いの相手をリモコン人間にしようとする犯罪が多発している。
効果は格段に劣るものの、チップを後頭部に貼り付けるだけの
埋め込み手術を必要としない簡易手段もある。
もともとは某社会主義国家の軍事技術だったそうで
恐ろしいことに、どうやら兵隊に使おうとしていたらしい。
それが、軍事機密の漏えい事件によって民間に流れたようだ。
こうして、大学病院の外科部長である私のところにまで。
さて、それはともかく、このチップをどうするかな。
まるで誘惑するかのように、大統領閣下が緊急入院されたのだが・・・・
ログインするとコメントを投稿できます。
2015/12/08
送別会があり、酒場で盛り上がった。
その帰りに同僚だった女性の家に寄ったところ
カセットテープをプレゼントされた。
帰宅して、ラジカセにセットする。
酔っているせいかボタンを押し間違えて
ラジオの女性アナウンサーが明るく喋り始める。
「明日は雨が降らなかったり
降りもしないくせに降ったフリをするくらいでしょう」
なんだ、これは?
酔っ払いを馬鹿にしとるのか?
しばらくして、やっと誤操作に気づく。
ともかく彼女の歌声は甘酸っぱくて
最後の「女友だち」という曲は特別に気に入った。
羨ましがっているうちに夜が明けて
隣に住んでる奥さんと道を歩いている。
途中、同級生だった女の子の姿が目に入る。
そっと近寄り、肩を叩いて声をかける。
「すごかったね」
ところは、彼女は振り向きもせず
「知りません」
なるほど、背後から見たら別人であった。
あわてて隣の奥さんに言い訳をする。
「知り合いの女の子が歌手デビューしてね、
その子の友だちに似ていたんだ」
すると、背後から遊び仲間の女性が現れ
「それ、ホント?」
いまさら噓とも言えず、うなずくと、別の友だちの話になり
「知ってる? 彼女、結婚するんだって」
彼女に恋人がいることは知っていたので
べつに驚くような話題でもないのに、などと思う。
ログインするとコメントを投稿できます。
2015/12/07
「なぜ宇宙はあるのですか?」
「神様が創造したのさ」
「では、なぜ神様はいるのですか?」
「神様の神様が創造したのさ」
そもそも存在するものの存在理由など存在するのだろうか。
仮に、まったく何も存在しないとすれば、当然ながら
「なぜ何も存在しないのか」などと問う者も存在しない。
しかしながら、存在するものの存在理由を求めるとすれば
このまったくの非存在から導かれなければならないはずである。
でなければ、ほんのわずかにせよ何事か存在することになり
さらにその存在理由を問わねばならなくなるから。
従って、存在するものの存在理由を求めるとすれば
どんな理由も存在しないはずの非存在から
存在理由を導かねばならない。
つまり、すでに矛盾している。
矛盾した問いに対しては神様であろうと答えられるはずもない。
どうやら存在するものの存在理由など
どこにもなさそうである。
いくら死体を解剖しても「死」が見つからないように。
あるいは、いくら恋人を責めても「恋」が抽出できないように。
なので、こと「存在」に関しては
どうも因果律が破綻しているように思える。
せいぜい我々は、我々が我々であるから我々であるように
こうして現に存在しているのだから存在する
としか言えないのではなかろうか。
もし反論あるとしても、次の瞬間
パッと消えてしまわないとも限らないのだから。
ログインするとコメントを投稿できます。